強迫性障害の全貌

強迫性障害の知識の普及 Link Free

強迫性障害の意味と対応


前の記事で強迫性障害は思春期に発症しやすいと書きました。
思考深くなったり、精神的には不安定で脆くなっている時期でもあり、この頃に受けたストレスは些細なことでも大きなダメージとして潜在的に記憶に残る場合もあります。
子供の頃なら、些細なことで泣きながら拒んだり逃げ出せることも、思春期の頃には、恥ずかしくてできなくなります。
自立心は強くなりますが、経済的にも環境的にも自立していない時期なので、単独判断での行動もなかなかできません。

そういう意味では、強迫性障害PTSD/複雑性PTSDは、似たような障害ですが、PTSD/複雑性PTSDは、ごく普通の健全な人に起こり得る障害で、トラウマになりなすい病気ではありません。
人よりも神経過敏であるとか、ストレス耐性が弱い、妄想様観念がある(心が病んでいる)とかではないので、元々ストレスに強い人ならトラウマでPTSD症状が出ても、強迫症状は出にくいのです。

逆に言うと、ストレス耐性の低い人は、PTSD症状と強迫症状が重なって出てしまうこともあります。

思春期の頃には、受験、いじめ、家族関係(親の離婚など)、ニキビ、なとがストレスになりやすいのですが、なんらかの情報による恐怖や不安などがトラウマ的に記憶に残り発症に関わることもあり得ます。

汚染、不潔恐怖などの強迫症状がある人は、汚らわしい体験や不潔や不正、不道徳行為などへの恐怖、怒り、不安などが記憶に残っていて、それがある限りは、汚れに過剰反応します。

(本人にとって)汚い物事への嫌悪感、拒絶が強く、普通に人にとってはごく簡単なこともできなくなります。具体的な症状としては、洗ったり拭いたりできない物(紙製の物など)の継続使用が困難になったり、公共の場の物や郵便物などにも素手では接触できなくなります。
本人にとっての不潔区域に入れなくなったり、大きな病院や役所などの汚い建物に近付けないとか、電車、バス、車などが利用できない人もいます。
重症なほど、汚れを落とすのに時間がかかるようになり、洗っても洗っても(観念的な)汚れが落ちないこともあるので、洗濯での時間の浪費やストレスを避けるために、汚れた物は捨てることが多くなります。
妄想様観念が強いと、テレビでの情報など普通は汚れない物事でも汚れるようになり、ほぼ社会適応できなくなります。
症状が確認とかだけなら付き添いの援助が受けやすいのですが、汚染の場合は、付き添いの人の分まで汚染を気にしないといけなくなり、できないことが多くあっても、直接的な援助を受け辛いという特徴が、他の精神障害と違う点です。
強迫性障害の症状で、日常や社会活動への障害度が一番強いのが汚染であり、重症であるほど、接触回避で孤立するしかなくなり、血液検査なども拒絶し、適切な看護や治療も受け難くなります。

汚染タイプの人は、感覚過敏が強い場合が多く、刺激の強い不快な情報を体全体で受け取ってしまうような感じになります。
見た物事を肌(皮膚感覚)で受け取ったりするので、不快な接触や汚れに敏感になります。
また感覚過敏が強いと、外界の刺激への警戒心も強くなり、常に周りに気が向かいながらも、内向的になりやすく、それは想像(空想)力の強さにも繋がり、洞察力や観察力も強くなりますが、良い情報よりも、悪い情報のほうが刺激が強いため、どうしてもそちらのほうが記憶にとどまり、そのため想像力も歪み、強迫観念が妄想化したり、物事の解釈がネガティブに向かいやすく、心が病みます。
好きなことに想像力やこだわりを向けられるようにするには、ストレスの少ない良い環境を作り、心の病みを癒すことが大事になります。

汚染の強迫観念が強い人は、確認などの他の強迫症状も持ち合わせていることが多いようですが、それらが汚染での障害の強さを超えることはありません。


醜形恐怖症でその他の強迫症状がない人はあまり強迫性障害的ではないし、過剰に美意識が強いだけという場合も強迫性障害とは言えませんが、強迫性障害の症状としての醜形恐怖はあり、醜い物事を拒絶したり、自身の顔を人に見せられなくなったりします。

性別と汚いイメージが結び付いて、男性嫌悪や女性嫌悪の症状が出ることもあり、これは必ずしも異性に対してではなく、男性が男性嫌悪になった場合、自身の男性的な面を嫌悪して、性別違和感を持つことになります。
強迫性障害の症状としての性別違和の場合、性自体への拒絶が強いと、自身は男でも女でもないという違和感を持ち、男らしさや女らしさも求めず、中性であろうとします。
ただし、本来の性別違和(性同一性障害)は、性別への嫌悪や強迫症状などの精神障害は伴いません。


確認の強迫症状は、失うことや間違えることで起こり得るショック、恐怖、不安などが強いわけですが、それは思春期の頃の不安体験(受験など)であったり、親からの育児放棄(放任主義)、家族関係の不和(頼れる人がいない)、確認不足やミスによる過去の不安体験、といったことがトラウマ的に強迫観念を強めていることが考えられます。

基本的に過去の辛い気持ちを繰り返したくないという思いがあり、少しでも安心するために強迫症状が出ます。

思春期の頃ではなく、その後の二次体験的なストレスが重なったあととか、女性の場合、出産後などに発症することもあるようですが、多くの場合は、20代の前半までに発症するようです。
精神的発達が正常で、ストレス耐性が強い場合は、大人になってからも通常はそのままなので、20代の前半までに発症しなければ、そのまま発症しないことが考えられます。


そのように強迫観念は実体験でのショックや恐怖と結び付いた記憶が関係していることもあり、トラウマを薬で消せないのと同じで、意識を無くさない限り、強迫観念は消えません。
強迫観念の弱いタイプや依存症タイプの人であれば、SSRIである程度は治せるかもしれませんし、一時的に抗精神病薬で脳活動全体を鎮静させるのも有効かもしれません。

依存症タイプというのは、依存症の傾向が強い強迫性障害で、強迫行為での安心感やすっきり感などに、一種の快楽を求めてしまっている状態の人です。
心の病みは少ないですから、薬が効きやすいのです。
強迫観念の弱いタイプは、なんとなく違和感が気になって、やり直すことが増えるとか、物の配置とかにこだわるタイプです。
どちらにせよ、心の病みが少なく、軽症であれば、こだわりを良い方向に向けられるので、社会的活躍も不可能ではありません。

強迫行為が習慣で癖のようになったり、依存症傾向が強くなった場合は、強迫観念での苦痛よりも、行為の強迫性や反復性が目立つようにはなりますが、強迫性障害で、自分の意に反して、強迫的に繰り返されるのは、頭の中の不快な観念であり、強迫行為は、その観念を解消しようと繰り返しますが、多くの場合、嫌々であっても自分の意志で行うので、行為自体の強迫性や反復性は元々は強くありません。

強迫観念がまったくなくて、同じことを無意味に繰り返してしまう人がいるとすれば、おそらく完全に脳機能や神経などに問題がありそうで、強迫性障害での繰り返しと同じようには考えられませんが、強迫観念がないのではなく自覚できないレベルで脳の中で繰り返されている可能性もあるので、まったく関係ないとも言い切れません。
強迫性障害の人は、脳機能の一部が元々弱いということであれば、強迫性障害の発症とも関係している可能性はありますが、強迫観念の強迫的反復性は、どちらかといえば、トラウマのそれに近く、脳機能的には、不快な感情を伴う記憶の処理に問題が生じている面が大きいと考えています。

強迫観念とは、その思い自体が怖く触れたくない思いであるため、意に反して(強迫的に)浮かぶように思えるし、それを弱めたり打ち消したりするコントロールも困難になります。
これは、トラウマ(触れられない記憶)が消え難いことと同じです。


強迫性障害と依存症ははっきりとした違いがあり、その区別が治療にも大事なことになりますが、普通の強迫性障害に、やや依存症の傾向が重なってしまうことはあり得ますので、その場合は、依存症の面を治すことで、その分、強迫症状が緩和するはずです。

重症の人は、心の病みも深く、妄想的な強迫観念があります。
強迫行為が物凄くストレスになっているので、うつ症状も重なって、回避が多くなります。
回避にも疲れると、ひきこもりがちで、廃人のようになります。
この場合、抗精神病薬を使うと過鎮静でさらに廃人のようになり、SSRIでも病んだ思いや強固になった強迫症状は治し難いので、その周りにある症状(抑うつ)などを優先的に治し、環境を良くして少しでも人間らしく生活しやすくすることを考えます。