強迫性障害の全貌

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強迫観念は、なぜ自分の意思に関わらず浮かぶのか?

強迫性障害の人の場合、強迫的な思考やイメージが浮かぶと、頭でどう考えようと、体がそれに現実的に反応してしまうのです。

条件反射というのは、頭でどう考えるかに関係なく起こります。
食べ物であるレモンに対する条件反射は、(食べたことがあれば)実際に食べなくても、写真やテレビ映像のレモンでも起こるし、レモンという文字や言葉でも起こりえるし、人によっては、レモンのイメージや考えに対しても起こります。
現実だけではなく、頭の中のイメージに対しても起こるのですから、イメージで現実的恐怖や現実的嫌悪などが引き出されても特に不思議なことではありません。
強迫症の人は感性が強いので、それが過剰に起こります。

例えば、テレビ映像で汚染されるイメージ、文字や言葉が付着するイメージが強迫観念として浮かべば、イメージであると分かっていても、そのイメージに対して条件反射的に現実反応が起こりますから、現実に汚染されることと等しくなり、現実に洗浄したり、汚染された物を捨てたりしないといけなくなります。
中身を確認して捨てた封筒の中に大事なものが入っているように思えてしまうと、その思いは、現実と等しくなり、また中身を確認してしまいます。
強迫観念がなぜ消え難いかと言うと、強迫観念に反射してその強迫観念が浮かびといった感じで、長々と残って不快感も強まっていくからです。

タナトフォビアという恐怖症がありますが、単にタナトフォビアの人は、恐怖していることについて書いたり、言ったりすることにはそんなに抵抗がありません。
なぜなら、「文字や言葉やイメージ」と「現実」は区別されるからです。
恐怖症状であると、恐怖していることに汚染されることもありません。
人の気を受けやすい過敏気質の人が、他人のネガティヴな感情や行いを避けることはあっても、それで汚染されることはありません。
強迫症の精神的汚染と言うのは、不幸な事とか嫌悪している物事などに汚染される症状ですから、タナトフォビアの人もいますが、その症状について、書いたり、人に言ったりすることにも抵抗があり、テレビ新聞雑誌なども見れなくなります。
強迫症の人の場合、イメージだから気にならないとはなりません。
なぜなら、「文字や言葉やイメージ」であっても条件反射的に、現実反応してしまうからです。
そういうことで汚染される(精神的汚染)人の場合、その傾向が強まり、その人が何を恐れて何に汚染されるかということが特定できませんので、治療も困難になります。

一般的な説明に書いてあるような、強迫行為をするから、強迫観念が浮かびやすいとか、強迫観念とは正反対の欲求が強いから、強迫観念が浮かぶとか、過剰に避けているから、余計に苦手意識が強まったり、過敏反応してしまうという考えは、全て勘違いです。
強迫行為主体型とか、一部の人はそういう傾向もありますが、多くの場合、強迫行為をしなくても強迫観念は強まるし、欲求がなくても強迫観念は浮かぶし、実際に刺激(不安、嫌悪、恐怖など)に弱いから、過剰に避けるのです。

強迫性障害は強迫行為をしなければ治せるというのが、大きな誤解なのです。
強迫行為をしないことは、そういう生活状況になればできるのですが、強迫行為をしなくなっても、強迫観念とそれと結び付いている現実に悩まされ、内面の苦痛が強まるだけなのです。

イメージに現実反応が起こるというのも、自分がどう思おうと、条件反射的に起こりますから、治しようがありません。
言葉が付着する、汚い言葉を浴びて洗浄をする。これは一見妄想的ですが、普通の強迫症状です。
イメージであることははっきり分かっていますから、表象幻覚や妄想的思考ではありますが、妄想ではありません。

同じような症状の例は、妄想よりもレム睡眠行動障害です。
レム睡眠の時は、現実への意識が弱まり、自生空想(夢)に意識が向かいます。
通常であれば、それに体が反応することはありませんが、夢でしている動作が寝ている体に伝わって、その動きが出ることもあり、それがレム睡眠行動障害です。

睡眠前後のうつろな状態であると、ある程度現実への意識がありつつも、自生空想(夢)が浮かんで、それに合わせて体が動くことがあります。
例えば、頭の中で、手を伸ばしてお菓子を取るイメージが浮かんで、同時に実際に手が動いて、その刺激で目が覚めるという感じです。

そういう時は、寝ぼけて現実への意識が弱いからこそ、自然と体がイメージを現実として扱い、それに反応するのです。

それが起きている時に起こるのが強迫性障害です。
寝ている間などであれば、現実への意識が弱いので、体が夢に現実反応をしても、そのことをどうとう考えることはありません。

起きている時に、思考やイメージに体が自然的な反応を起こすと、それについてどうこう考えることになります。
例えば、汚染の考えやイメージが浮かび、それが消えなければ、それを洗浄するイメージが浮かびます。
この場合、洗浄のイメージまでが強迫観念であり、それは自分の自発的イメージではないのです。
頭でどう考えようと、体がそういう反応をしてしまうので、そのイメージ(強迫観念)に従って、実際に洗浄しなければいけなくなります。

頭では過剰だとかやり過ぎとか考えようが、洗うのが苦痛に思えても、体の不快な反応は自分の考えに関わらずに、強迫的に起こりますから、イメージ(強迫観念)通りのことをしないと、解消できません。

頭でどう考えようと、体が足りないと思えば、実際に足りないように思えますから、過剰だと思いながらも、過剰な行為をしないといけないのです。

根本的には神経過敏が原因ですが、神経過敏であると、警戒心などが過剰になり、体はいつも緊張状態になります。
体や脳の神経活動やそれと結び付いた思考(強迫観念)は、頭(自分の意志)ではコントロールできないのです。

強迫性障害の人は完璧主義という話がよくありますが、完璧主義の人はなぜ完璧を求めるのでしょう。
そうしたくてそうしているなら、それは自由ですから、問題のない完璧主義者です。
そうしたくないのに、そうしないといけないというのは、主義ではありません。
完璧を求める考えやイメージが浮かび、それに従わないといけなくなってしまうのは、その考えやイメージに体が現実反応を起こしているのです。
強迫観念には、不適切な願望や欲求なども含まれます。
その場合、通常の不快な強迫観念と違って、何かから逃れるというよりも、願望や欲求に従わないといけなくなります。
頭でどう考えようと、体がそれを求めてしまうので、願望や欲求を満たさないと気が済まなくなってしまうのです。

条件反射は嫌なイメージだけではなく、良いイメージにも起こります。
つまり、不快な強迫観念に現実反応が起こることもあれば、願望や欲求に現実反応が起こることもあり、その場合は、それを実行することが強迫行為になります。
それができないことでの不安や不快感は強迫観念に思えて、強迫観念ではありません。
それが強迫行為主体型の人の傾向です。

強迫的な考えやイメージ通りにしないといけなくなってしまうという意味では、強迫観念主体型も同じですが、願望や欲求が強いことで、強迫観念が浮かぶわけではなく、強迫行為をしたいという欲求はないのです。
ただ単に、強迫観念やそれと結び付いた現実のストレスに耐えられずに、強迫行為をしないといけなくなります。
PTSDの人がトラウマ記憶の想起やトラウマを想起する物事を避けることと同じ反応です。
記憶であっても、現実的な恐怖や嫌悪反応が出るので、現実に等しい不快感があるのです。

ですから、強迫観念はそれとは正反対の欲求が強いから浮かぶと言う考えは、少なくとも強迫観念主体型には該当しません。

例えば、汚れないようにしていると、些細な汚れにも過敏になってしまう。
のではなく、
些細な汚れにも強い嫌悪を感じるので、汚れないようにしてしまうのです。

簡単に言うと、肌が丈夫でも傷付かないようにしている人は、些細な傷が付いても過敏に反応します。
これが強迫行為主体型の強迫症状です。
「こうしたい」「こうあるべき」という欲求が強いことで、そうではない状態に耐えられなくなります。
整理整頓してないと気が済まない人は、散らかっている事に耐えられません。
清潔にしていたい人は、不潔に耐えられません。
このタイプは、一般的な説明に出てくる強迫症ですが、こだわりが自発的であり、本来の強迫症ではありません。
「こうしたい」「こうあるべき」というこだわりや欲求や願望は、このタイプの強迫観念とも言えますが、本来の意味での強迫観念ではないからです。

強迫観念主体型の場合は、実際に肌が弱いので、些細な刺激でも傷付いてしまう。それを避けるために、肌が傷付かないようにするのです。
ですから、何らかの欲求があって、強迫観念が浮かぶわけではなく、自分の意志に関係なく、条件反射的に強迫観念が浮かぶことで、何らかの対策をしないといけないのです。
不安定感に耐えられず、生理整頓をしないといけないとか、不潔への嫌悪に耐えられず、清潔にしないといけなくなります。
このタイプの強迫観念は、性格や考え方や心掛けに関わらず浮かび、こだわりたくなくても、こだわらないといけなくなってしまうのです。
不快なことが実際にあり、それによってしたくもないことを過剰にしないといけなくなります。


心に不安があるから、不安の対象が現実に現れるという考えも勘違いです。
強迫観念というのは、非現実ではなく、現実反応なので、現実にストレスがあり、それに反応して不安が強まるのです。

強迫症関連である身体醜形障害と言う病気がありますが、「実際にはそれ程、醜くないのに」過剰に気にしてしまうとなっています。
では、実際に醜い人に同じ症状が出ている場合は、どういう病気なのでしょう?
実際に醜い人がそれを過剰に気にして悩むというのは、問題のない健全なことでしょうか?
人それぞれ感性の強さが違いますから、同じぐらい醜くてもそういう症状が出ない人もいますが、実際に醜い人であっても身体醜形障害の症状は出るのです。
他人から見て醜くないからというのは関係なくて、その人にとって現実に醜ければ、それがその人の感覚での現実なのです。

強迫症関連で皮膚むしり症というのがあります。
強迫感覚主体型の強迫症であると、違和感、異物感に強迫されて、ニキビなどの吹き出物を潰さずにはいられなくなり、それで肌がいっぱい傷付いて今度はその傷跡を隠すようになり、身体醜形障害(醜形恐怖症)にもなります。
違和感、異物感に弱いというのは、強迫症の原型であり、そういう体質と思考が結び付くと、強迫観念に悩まされるようになります。

不快感、違和感に弱いと、トラウマ記憶にも弱くなり、PTSDにもなりやすくなります。
PTSDではトラウマが定義されていますが、一般の人がショックを受けないような些細なことでトラウマになって、PTSD症状が出ることも多くあります。
ところがPTSD的なトラウマにはそういうことは含めないのです。
では、過敏な人が些細なことでトラウマになってPTSD症状が出ている場合は、どういう病気なのでしょう?
PTSDの人が、トラウマについて語れることがあっても、強迫症PTSDの人は、記憶にも条件反射的に、現実反応してしまうので、そのことを語れません。

感覚過敏や神経過敏な人ほど、身体醜形障害やPTSD強迫性障害になりやすいのに、感覚過敏や神経過敏はそれらの病気とは切り離されて考えられているのです。

では強迫観念が感覚過敏や神経過敏による現実反応の場合は、どういう病気と言うのでしょう?
本当はそれこそが強迫性障害であり、強迫観念も強迫行為も現実との結び付きが強くて普通なのです。
感性が強すぎることで一般的にはあり得ないような強迫観念にもなりますが、それは非現実ではなく、本人には現実的な思いで、実際に現実との結びつきもあるのです。

強迫性障害というのは感覚や神経を含めた心身障害であり、体と脳と心の全てに問題が出ている状態なのです。
まず体を癒すべきですが、汚染恐怖などがあると接触を不快に思うため、それもできませんし、感覚過敏や神経過敏などの生まれ持った弱さは、治せることはありません。

ストレスの少ない生活環境にできれば良いのですが、それを維持するのはエネルギーのいることですから、ストレスに弱い人は、自分ではストレスの少ない生活環境を維持することが困難になります。
ストレスに弱い人ほど掃除などもできずに、居心地の悪い生活環境になりやすく、そういう生活のストレスで症状も悪化します。


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