強迫性障害の全貌

強迫性障害の知識の普及 Link Free

強迫症は、強迫性うつ病でもある

本当の強迫症患者を強迫性障害から除外するのではなく、強迫性障害の適切な治療方法の中から、認知行動療法を除外するべきです。

ストレスに強要的に慣れさせようとする認知行動療法は、ストレスに極端に弱い病気である強迫性障害には、まったく向いていません。
安全を確約してなどと言っていますが、ストレスに曝露させておいて、どこが安全なのでしょう。

認知行動療法が、強迫性障害の適切な治療法と言われるようになった理由の1つは、薬が効かないことの言い訳にできるからです。
脳には薬が効いているが、認知行動療法もしないと習慣、癖が治らないとしているわけです。
強迫行為は癖でやっているのではありませんし、認知の仕方や考え方が原因で症状が出ているわけでもありません。
実際には認知行動療法をする人が(強迫症であると取り組めないので)ほとんどいないのですが、それにも関わらず、適切な治療法とされているのはなぜでしょう。

認知行動療法をレクチャーしたり、研修したり、ライセンスを与えたり、本を売ったりのビジネスをしている人達にとっては、認知行動療法で治せる範囲が強迫症であって、それで治せないとか、それに取り組めない強迫症の人達は除外しているのです。
強迫症ではなく、不安症や恐怖症の人達とか、ほぼ健康人に近い軽症患者だけのデータですから、当然、治療率は上がりますが、そこには病気範囲の本当の強迫症患者は含まれていませんから、実際にはほとんど治せていないのです。

そういう限られた範囲のデータを示して、治せるということにして、認知行動療法さえ布教できれば、ビジネスとしては潤うのですが、病気範囲の強迫症を除外してのことですから、適切な治療法であるわけがないのです。

認知行動療法に都合のいい強迫性障害を作り出して、それが全ての強迫性障害であるかのようにしていますが、それは本当の強迫症の人達からすると誤解と偏見でしかなく、それを適切な治療法として、嫌でも受けなければいけないように思わせること自体が、本当の強迫症の人達を強迫することになり、結果的に治療に向かわない人達が増えるのです。

強迫性障害向けの認知行動療法(曝露反応妨害)は、過敏性の強い人とか、ストレス耐性の低い人には嫌がらせとか暴力でしかなく、本当の強迫症の人達はそういう人達ばかりですから、少し説明を読めば、向いてないことは分かります。
健康人に近い人であれば向いている人もいますから、そういう療法があってもいいのですが、その勘違いな理論の療法を、強迫性障害の適切な治療法のように宣伝するのは、止めてください。
強要することはないと思いますが、適切な治療法として、受けなければ治せないように思わせること自体が強要していることに等しいので、その行為自体が、本当の強迫症患者にとっては、理解と配慮のない暴力になってしまうのです。

強迫観念主体型の場合は、強迫行為が先行しているわけではないので、強迫行為を求める気持ちを弱めたり、強迫行為自体をしないようにしても、強迫観念とそれと結び付いている現実のストレスが解消されません。
強迫行為を妨害すると、耐え難いストレスを我慢することになりますから、逆に強迫症状が悪化したり、鬱が悪化してしまうのです。

認知行動療法に出てくる強迫性障害は、昔の教科書に書いてある古い考えの強迫性障害です。

強迫性障害を同じ1つの治療方法で治そうとすることに無理があり、少なくとも強迫観念主体型か強迫行為主体型かの区別をするべきなのです。

WHOのICD-10(病気の分類、診断基準)では、強迫性障害には、強迫観念主体、強迫行為主体、混合のタイプがあるとされていました。
そうやって分けることで、どう治していくかという治療アプローチの選択、治しやすい治し難いなどの予後を計るのですが、具体的にどう違うのかを示さなかったので、こういうタイプ分けはされませんでした。

ただ、まったくされていないわけではなく、一部の説明によると、運動性というタイプがあることになっています。
おそらく、強迫観念はないが、安心感、シックリ感、キッチリ感、ピッタリ感、すっきり感などの心地良さを求めて、日常範囲の何らかの行為を繰り返すタイプのことでしょうか。

もしくは、そういう心地良さを求めているわけでもなく、その行為をしなくても特に不満や違和感や不快感などもなく、ほぼ無意味に、同じ行動を繰り返すの人なのかもしれません。
それが、運動性なのだとしたら、精神に関係のない器質的問題であるか、感覚が鈍感になっている人(器質的問題で違和感などを自覚しにくい人)の強迫行為、自閉症が重なっている特殊なタイプの強迫性障害ということも考えられます。

強迫行為を求める気持ちが強いから、強迫観念が浮かびやすくなっているのでしたら、強迫行為依存症ですから、強迫行為を求める気持ちを弱めたり、強迫行為自体をしないようにできれば、強迫観念も浮かび難いわけです。
強迫行為をするほど、強迫観念が浮かびやすくなりますから、一般的な説明に出てくる治療方法(曝露反応妨害)で治しやすいのですが、依存症向けなので、強迫症には向きません。

運動性と言っても、違和感(感覚的な不快感など)に弱いことで、それを解消しようと、安心感、シックリ感、キッチリ感、ピッタリ感、すっきり感などを求める行為が過剰になっている場合は、強迫感覚主体型であり、それは強迫観念主体型(もしくは混合型)に含めるべきです。
強迫感覚主体型は、感覚的な不快感などに弱いタイプで、具体的な強迫観念(不快な考え、イメージ)があるわけではありません。
ですから、その強迫行為もシンプルなことが多いのですが、結局、強迫観念に弱いと言うのも、過敏症状で、感覚的に不快感や違和感などに弱いことが元になっていますから、強迫感覚主体型が強迫観念主体型の原型であり、その強迫感覚が、思考と結び付いているのが強迫観念なのです。

強迫感覚主体型の場合、あくまで感覚的に不快感を避けるだけで、表象幻覚や妄想的思考は起こり難く、思考は病んでいないのですが、そういう気質がベースにある人が、様々なストレス受け、その嫌な体験での嫌な思いがでダメージとして残ることで、病んだ思考は強迫観念となり、強迫感覚主体型が重症化して、強迫観念主体型に向かうのです。

強迫観念主体型の人は、病的に敏感でストレス耐性が低いので、鍛錬するような療法ではまったく治せませんし、逆に危険なのです。
何より鬱が悪化します。

強迫症は、強迫性うつ病でもあるのです。

強迫性障害であると、強迫的なことに弱いので、現実的ストレスだけでなく、思考上の強迫にも弱く、それに触れられないために、その不快な思考をうまく処理することができません。

普通の人ならなんてことないことも、強迫観念主体型の人は強く強迫性を感じますから、敵意、敵対心なども起こりやすく、イライラしやすくなりますが、神経過敏であると、そういう強い感情をうまく処理できませんので、自分の内に長く残ってしまい、その不快な感情と拒絶反応的思考が結び付くと強迫観念になります。

強迫状態では、神経過敏によって、不快な思考や感情などが強く長く残って、不安、恐怖、嫌悪などを感じやすくなり、本来なら安心できるような普通の状態でも、注意や警戒が過剰に続いたり、ずっと前のこと(不快な記憶、トラウマの想起)でダメージを受けたり、何年も先のことを早くから心配したりします。
危険回避、危害回避が活発になって、陰性の躁状態のようになりますから、双極性障害と対極にあるのが強迫症と考えられますが、双極性障害のように、強迫症うつ病と一対になっています。

強迫症の人は、軽症の内から、うつ病の傾向はあるのですが、若くて元気がある分、うつ病の症状は表面化せずに、我慢もしやすいので、強迫症状だけが目立ちます。
ただ、我慢するストレスが重なり、気力がなくなって、ストレス耐性がさらに低下すると、我慢すればできていたことが、さらに困難になったり、できなくなってしまいます。
その頃には、うつ病も表面化しますが、それは強迫性障害と一体になって続きます。
鬱はストレスに潰されてダウンしたような状態ですから、ストレス耐性の低い強迫性障害の人は、当然、鬱病にもなりやすいのです。
普通の人もうつ病になれば、頭の中だけの悲観思考、反芻思考などが強まったりはしますが、元々は神経過敏でないので、日常的なことは刺激になりませんから、強迫症で見られるような強迫症状が起こりません。
産後うつ病などの場合は、おそらく妊娠出産のストレスやホルモンバランスなどの関係で、神経過敏状態になってしまうことで、強迫症状が出やすいのではと考えられます。
強迫症鬱病は、普通の鬱の症状と、神経過敏での抑うつ症状が重なって、強迫性うつ病のようになっていますが、それこそが本来の強迫症なのです。

精神病症状は現実反応ではないので、現実に左右されませんが、強迫症状(神経過敏症状)は、現実反応ですから、現実のストレスを強く受けます。
ただ、恐怖症や不安症と違って、強迫観念の恐怖や不安は、現実のストレスから離れても、反復的に持続され、直接的には現実に関わりのない状態にもなっても(物理的に現実から離れても)、現実のストレスから離れらないことになります。
現実がなくなっても強迫観念が残ってしまうし、それはありえないような内容のこともあるのですが、現実の何が思考になっているのですから、現実との結び付きはあり、精神病的にはなっても精神病にはなっていないという複雑な病態になります。

そういう状態なので、環境を変えれば問題がないとかそういうことではなく、環境を変えて現実のストレスから逃れても(どこに居ようが)強迫観念の問題が続いてしまうのです。
強迫観念は、現実のストレスへの拒絶反応的思考ですから、これより強い思考はなく、何にも影響されないような独立性があり、強迫観念を対処するような考えを持ったり心掛けをしても、そういう正常な思考や意向を無視して、生理的反応として思い浮かんでしまいます。
一時的には対処できても、強迫観念は非現実ではなく、現実の思考ですから、生体の過敏性がある限り、その反復性、回帰性は変えられません。

過敏性によって、内側にも外側にも感覚が向けられることで、内側のこと(心、思考、感情など)が、外側(現実側)にもあるような状態になり、病んだ心が表現化され、強迫観念としての表象幻覚や妄想的思考となります。

表象幻覚はイメージなので目を閉じることで、現実側には表れませんが、感覚的には外側にも残ってしまうので、感覚的には外にも表象幻覚があるような状態は続きます。

解離状態でも表象幻覚が起こるとされていますが、空想への過集中で幻覚に近くなります。
現実逃避的な症状ですから、現実との結び付きが弱く、強迫観念にはなりません。

強迫症の人は、過敏であるためにストレスを切り離したりブロックすることができませんから、現実逃避的な精神症状が起こらず、現実逃避できない(ストレスを避けられない)ことで、強迫観念が浮かびやすいのです。
強迫観念はただの空想ではなく、現実のストレス対象の思考化、イメージ化、または現実のストレス対象への考え、イメージです。
それは現実と結び付いていますから、そのイメージに現実のように反応したり、現実のように扱うことになり、その状態を表象幻覚と言い、幻覚のようにありありと見えるという意味ではありません。
普通のイメージとして見えるのですから、現実とイメージの区別は当然できるのですが、現実とイメージを同じように扱う状態です。

不潔恐怖の強迫観念は、嫌悪感などの感覚的である場合もありますが、汚染恐怖の汚れは、表象幻覚として見えている場合が多いです。
見えるから汚染され、拡散され、それを防ごうとしたり、洗浄しないといけなくなります。
これは物質的汚れに等しいイメージなので、脳内の強迫行為では処理できず、物質的汚れと同じように、洗い流したりしないと落とせません。

漫画とかであれば、セリフの文字が人物にぶつかったりしますが、そのように現実のストレス対象が不快な文字であれば、それが強迫観念(表象幻覚)としてイメージ化されると、その文字が付着したり、その文字に汚されたりするのです。

強迫観念は現実的な強迫行為で対処できない場合も多くあり、そういうのは、脳内の強迫行為で対処することになります。
例えば、幽体離脱のように、自分自身のイメージが悪さをしている強迫観念(表象幻覚)が浮かぶ場合、頭の中でそれを振り払う行為(脳内の強迫行為)が続き、そういうのも精神的疲労になります。
そういう強迫観念としての表象幻覚にいつも包まれたような世界で生きているのが、強迫症患者です。
表象幻覚は現実世界にありますから、この世界から出るには、現実から出ないといけなくなります。
それができないので、現実を変えようと、強迫行為をするのですが、解消してもそれは繰り返されるし、強迫行為で解消できない強迫観念にも悩まされ続けるのです。


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