強迫性障害の全貌

強迫性障害の知識の普及 Link Free

病院恐怖の人が病院に行けるようにするには?/歩道やビルの床は清潔か?

強迫性障害で汚染恐怖や不潔恐怖の人は、感染恐怖でもあり、実際にいろんなことで感染しやすいので病院に行けば、院内感染恐怖が強まります。
だから行きにくいので、待合室も含めて院内を、精神的な面でも安全で清潔な場所にしてもらえれば、行きやすくなります。

精神科以外なら、来れないなら、治してから来てくれということかもしれませんが、強迫性障害は簡単には治せませんし、本当の強迫症の人達のほとんどは重症なので、治そうにもほぼ不可逆でなんともならないのです。
ですが、人間ですから、精神科以外に通院することもあるわけで、そういう時に症状を理解した上で、適切な対応をしてもらえると患者として行きやすいわけです。

強迫症でもいろんな人がいますから、一番行きにくいのは、やはり汚染恐怖の人です。
汚染恐怖が強いと、接触拒絶が起こるので、治療以前に、健康診断なども何十年とできない人も実際にいます。

汚染恐怖の人の汚れは時空間的に広範囲にあって、どこのどんな汚れを恐怖しているのかは、本人しか分かりませんし、大抵はトラウマ的な汚れで、汚染源や汚染区域などがあり、そこからの汚れを避けていたり、それは他の人にとっては汚れとは思えなかったりもします。
そういう普通ではない思考があるからこそ、単にHSPで敏感で不安が強いとかではなく、強迫性障害=精神異常=精神障害なのです。

そういう本人にしか分からない汚れを普通の人達は、まったく気にしないで平気で触って汚れが伝播しますから、他人の手が汚く思え、それが接触したその他人自体や物などにも汚れの強迫観念が付着したままになり、ほとんどの人や場所や物が汚染物(危険物)になります。

細菌であれば殺菌すれば良いのですが、そういう汚れは洗浄しないと落とせません。
つまり、公共の場の洗浄していない物はなんであれ汚くなってしまいます。

新型コロナ恐怖で清潔への意識が高まっていますが、歩道やデパートなどのビルの床などは清潔でしょうか?
歩道は一部のマナーの悪い男性が唾や痰を捨てるし、動物の糞などもあり、男性用のお手洗いの床には尿が落ちていることが多いので、それを踏んだクツで歩けば、床や歩道も汚れます。
クツ底の裏や、散歩したペットの手足は大変汚いし、病気の感染の危険さえありますので、注意してください。
強迫症で自宅以外のトイレを使えない人は多くいます。
最近のスーパー内には手を洗う場所がありますが、デパートなども、トイレとお手洗い(手洗い専用の場所)を分けて、トイレに入らなくても気軽に手を洗えるようにするべきです。
そのほうが、陳列商品も清潔に保てます。
コロナの場合、普段は汚れていてもそれを体内に入れなければ、問題ありませんが、間接的にそうなってしまうことはありますので、床や歩道も清潔に保つ意識を持ちましょう。

強迫症の人のすることは、普通の人には、強迫状態が分かっていないので、単に気にし過ぎに思えますが、強迫状態であると気にしないことができないのです。
そういう精神障害なのです。

強迫状態は、ショックが残ってそれが離れなくなってしまう状態です。

不快な感情だけでなく、その対象の物事、その物事に対する思考(強迫観念)も結び付いていて、それが記憶に残るから離れないのですから、些細な刺激の一つ一つがいちいちトラウマとして残り続けるのです。

嫌なことがあれば、その体験と嫌な感情が強迫観念として残り続け、それが不安や心配の強迫観念を浮かばせて、それも離れなくなります。
嫌なことは誰でも嫌ですが、それが付着してなかなか消えないのが強迫状態の苦痛です。

嫌なことに染まるのが感染ですから、恐怖感染すれば、恐怖が残り離れません。
汚染の強迫観念があると、恐怖が離れないことと汚染は同じことですから、その恐怖が見える汚れと同じように付着してしまいます。

見えない汚れでも気付くことで汚れますから、気付いてしまえば、その気付きが汚れとして離れなくなります。
気付いた時には反射的に汚れの考えとかイメージも浮かびますから、強迫観念の汚れとしてそれも残ったままになります。
それに汚染されれば余計に汚れも苦痛も離れなくなりますから、そのダメージを避けようと接触などを避けます。

強迫観念の想起も、トラウマ記憶の想起もダメージを受けますから、それもまたトラウマ体験として記憶されるのです。
強迫状態では強迫観念やトラウマ記憶の想起も反復性も持続性も強くなかなか消えなくなります。

これは考え方の癖ではなく、感受性の強さによる神経過敏症状です。
デリケートな肌の人は些細な刺激でも傷付きやすく、傷もなかなか治りませんが、それと似たようなことです。

強迫性障害の人で汚染とか不潔の強迫観念が強いと、みんなが触る物とか、他人との共用物への接触が困難になります。
特にそれが置かれている場所が不安の強まりやすい場所であると、強迫症状でその不安が余計に強まって離れなくなり、不安の強迫性が強まり恐怖や嫌悪になります。
その恐怖や嫌悪の強迫性も強まり強迫観念になって、汚れの考えやイメージが浮かべば、その考えやイメージも振り払えなくなります。
それは非現実ではなく、現実の何かの不快な考えやイメージですから、強迫観念化した汚れが実際に付着すれば、汚れが離れなくなり、洗浄などに時間がかかることになります。
不快な考えやイメージが離れない強迫状態の苦痛も続きますから、汚れに汚染されないように慢性的に不安が強まり、接触拒絶(接触恐怖)も強まります。

重症患者は神経過敏の過敏性も重症なので、恐怖や嫌悪反応が起こる不快な情報に感化されやすく、その情報が強迫観念となって離れなくなれば、汚染として付着することになります。
他人の会話や新聞テレビ雑誌などの恐怖情報も汚れとして付着するので、異常に避けることになります。

強迫性障害で、飲食店の利用が困難な人も、シャレた感じの小ぎれいな雰囲気のカフェとかならなんとか利用できる場合があります。
なぜなら、不安や恐怖が浮かぶとそれが離れない病気なので、軽症であれば、イメージの良い場所なら、そうなり難いからです。
不快な内容だからこその強迫状態なので、良いイメージが浮かんで、それに強迫されることは絶対に起こらないのです。
しかし重症であると、食器などを使い回さないお店でのテイクアウトぐらいならできるかもしれませんが、慢性の強迫観念で、良いイメージが消えやすく、なかなか前向きになれないので、シャレた感じの小ぎれいなカフェとかも利用できません。

カフェとかアパレルショップなどは、イメージも含めてのサービス(商品)ですから、どういうお客さんが来るかというお客さんのイメージも含めて、商業的な理由でイメージを良くているのです。
病院、役所などの非商業的な場所は、来る人を選びませんから、汚い人とか、危険な人も行くことになり、建物自体の心地良さとか雰囲気でのイメージアップはあまり考えてはいません。
不安の強まりやすい人には、その点で行く難い場所となり、特に総合病院などの大病院は不幸な感じの人とか、暗い汚い感じの病人が多く、院内感染もありえますから、不安が強まりやすい場所です。

ドアノブなどはもちろんのこと、重症患者だと、病院にある診察台やイスへの接触もできなくなったり、それ以前に、いろんな不安強迫で、病気になっても病院に近付くことさえできない人もいます。

その上、歯医者(歯科)なども含めて、大抵の病院やクリニックの待合室には、新聞雑誌などが置かれていて、テレビ番組もたれ流しになっている状態です。
そこにいれば嫌でも雑多な情報を見せ付けられますから、残酷で怖い情報見てしまう危険もあります。
病院はテレビを見に行く場所ではありません。病気を治しに行く場所です。

無理に不快な情報を見せるのは暴力です。

新型コロナ感染恐怖症でも、恐怖を強めないためには、それに関わる重大なニュースを見ないことだと言われていますが、実際に言葉や映像や写真情報でトラウマになってしまう人も多いのです。

強迫性障害でなくても、不安障害や恐怖症、PTSDで、不快な恐怖情報を見たくない(知りたくない)人はいますが、強迫性障害であると、そういう情報で汚れてしまう人もいることを知ってください。
ですから、本当はテレビ番組ではなく、癒し系の映像などにしたり、不快な情報の少ない健全な雑誌を置くなどの配慮をするべきです。
もしくはせめて、過敏な人用に、テレビなどの情報を回避して待てるスペースを確保することです。

特に雑誌新聞は表紙や第一面にも情報があり、その存在自体が見せられることになります。
表紙で汚染されるのです。
当然、誰かがそれを開いていれば、内容も放射され、それが恐怖汚染で付着して離れなくなります。
嫌なことが付着して離れなくなってしまう強迫状態の苦痛を理解してください。

強迫症(汚染恐怖)の人が雑誌は汚いと言う場合、普通の人の言う汚いとは少し意味が違い、人が触ったからというだけでなく、その記事の内容が汚いのかもしれませんし、トラウマ的な問題で、他に特定の不快な雑誌があって、物流ルートで他の雑誌も汚染されているからかもしれませんし、基本的には本人にしか分からない汚れである場合が多くあります。
そういう汚れで不安や恐怖や嫌悪が強まり、それが残って離れなくなって、自分の中だけで苦しむのです。

強迫性障害の人は、過敏性の強さで、ショック、違和感、不快感、威圧感、不幸感、恐怖、不安、嫌悪などを感じやすく、その不快な感じが一度起こると、なかなか離れなくなります(消えなくなります)。
その不快な感じと共に、不快な考えやイメージが浮かべば、それもくっ付いて離れなくなります。
過敏性の強いほど、強迫性も強まり、そういう不快な刺激の付着力も強まり、その不快なことが離れない状態が、強迫性障害の苦痛(ダメージ)なのです。

普通の人のコロナ恐怖とかであれば、不安が起こっても、その不安に反応してはいけないとか、自分で思っていることが正しいとは限らないとか思わせる心理療法が通じることもありますが、強迫症の人にとっては、であれば、そういう考えこそ正しいとは限らないことを気付くべき、となります。
不安なときに不安に反応するのは当たり前の正常な反応で、頭で考えて反応しているのではないので、頭で反応しないようにしようが、誰だって、苦痛があれば苦痛が静まるまでは、苦痛に反応し続けるのです。
その不安による苦痛が普通の人よりも長く残って離れなくなってしまうのが強迫性障害です。
反応するから苦痛なのではなく、苦痛だから反応するので、反応しないようにしても不安も苦痛も残りますから、反応しないわけにもいかないのです。

強迫性の弱い軽い不安なら、反応しないことで、そして、それが正しくない(実際にはほとんど起こらないこと)と思い込むことで、ある程度は落ち着くかもしれませんが、不安に強迫される状態と言うのは、不安が強くなかなか離れない状態です。
強迫観念の不安は、反応しないようにしようが、正しくないと思い込もうが、そういう意向に関係なく付着し続けて離れてくれないのです。
であれば、その間はどうしても反応して、それが正しいようにも思える。
だから強迫状態であれば、どう考えてどうしようが不安は続くのです。

認知行動療法は、基本の症状である強迫状態を無視して、患者に向かって、あなたがやっていることも考えていることも間違いです。
これが正しい考えで正しい行動だと言ってくるのです。
それは単に普通の人と強迫症の人の違いであり、強迫症であれば感覚も感性も違いますから、刺激への反射も反応も、考えることもやることも違うのです。
普通の人の不安の心理を基準にして考えて、強迫症を治せるわけがないのです。

強迫観念は強迫性が強いから必然的に治せないのです。
海外(特にアメリカ)の場合、欲求的衝動とかこだわり自体にとらわれてしまう強迫行為の依存症のような人が、強迫性障害に多く含まれていますから、海外のデータはあんまり参考にはできません。
認知行動療法で治しましたと言っている人は、強迫性が弱いから治せたのであり、普通の不安障害に近い人とか、行為依存症の人なのです。
それなら治せますが、治った患者は、認知行動療法ビジネスをする側に回り、治せる治せると布教を担当することで、(教本を売ったり、支援と言う名目でお金を集めて)利益を得ようとするのです。
ある人によって、このビジネスが日本に持ち込まれたので、強迫性障害は治せると言われるようになりましたが、実際にはほとんど治せていないことは今まで書いてきた通りです。

アメリカでは強迫行為を病気と見なすのですが、強迫観念主体型の強迫行為は病気を治す行為なのであり、過敏性とか、強迫観念が浮かびやすいことが問題なのです。
強迫行為をする前から強迫観念があるのですから、強迫行為を止めようが強迫観念があり続け、強迫行為を止めれば病気が悪化するのです。

強迫行為は我慢をすることはできます。
ただ、我慢を続けてもストレスが消えないので鬱が悪化します。

ストレスとなっている事に曝露しても、強迫行為ができないできない状況は、社会にいれば多々あるのですが、そういう曝露と反応妨害をいくら繰り返しても、慣れるということはなく、逆にそれにより強迫も鬱も悪化することがほとんどなので、認知行動療法(曝露反応妨害)などで治せるわけがないし、逆に悪化することは見え見えですから、患者が自ら取り組むわけがありません。
特にストレス耐性の低い患者にとっては、大変危険ですので、せめて軽い症状の人向けという注意書きをしたほうが良いのですが、認知行動療法ビジネスとして都合の悪いことは無視されます。

神経過敏でも若い内などはある程度はストレスにも耐えられるので、強迫症状は出ても、うつ病にはならない人も多いです。
元気で行動力がある分、強迫行為は活発になります。

過敏であることで思考内容も普通ではない面がありますが、強迫症の人は、普通のまともな思考もできる面もあるので、軽症の内は、普通の人として振舞い、普通の人ができることは無理にでもしようとします。
しかし、実際には精神障害ですから、無理に社会に入って行って頑張りすぎてはいけません。
頑張って無理して普通の人として生きようとするほど、鬱も強まり、重症になれば、社会適応とか親しい人との人間関係の維持さえ困難になり、孤立し苦しい人生になってしまいます。

鬱になってしまうと、強迫行為も億劫になりますから、それをせずに済むように、強迫観念を煽る物事を回避します。
汚染であれば、接触を避けるようになり、その回避も強迫観念となって、強迫性によって離れなくなりますから、異常に接触を避け続けることになります。
強迫観念が強ければ、強迫行為も強迫性が強まり、止め難くなります。
強迫観念によって、危険回避、危害の回避が一度パターン化すると、そのパターンも付着しますから、なかなか元には戻せなくなります。

強迫状態の人が、不快な何かが気になれば、それから気が離れなくなります。

見えない汚れは、気付きによって感染しますが、気付いてしまえば、強迫観念によって、感覚的に見える汚れになって、それが離れなくなります。

そういう汚染恐怖があると、人と暮らせないので、単身生活になりますから、最低限の日常生活はしないといけなくなります。
うつ病で気力がなくても、一般的には些細なことも刺激となって、強迫観念を強めて、強迫行為もし続けることになります。

自然と社会に馴染めなくなりますが、最初から社会適応に無理があったので、悪化したことに気付くべきです。

強迫性障害は精神的問題だけではなく、神経過敏でストレスに弱いという器質面でも重度の障害がありますから、普通の人としては生きられません。
無理を続けるほど、悪化して行きます。
悪化すると社会的に孤立してしまい、孤立すると余計に悪化しますから、重症だと孤立も悪化も避けられません。
重症の人は、まずは治療を受けながら、精神障害者としての生活基盤を整えることになります。


#強迫性障害 #発達障害 #感覚過敏 #神経過敏 #トラウマ #PTSD #複雑性PTSD #汚染恐怖 #不潔恐怖 #HSP #HSC #OCD #強迫観念 #強迫症 #ADHD #うつ病 #恐怖強迫 #感染恐怖 #身体醜形障害 #潔癖症 #醜形恐怖症 #HSCHSP #敏感気質 #歯科院内感染 #パキシル #レクサプロ #院内感染対策 #パロキセチン #自閉スペクトラム症 #強迫性障害症状 #強迫性障害原因 #HSPHSC #強迫性障害とは