強迫性障害の全貌

強迫性障害の知識の普及 Link Free

強迫観念(現実反応)は強迫行為で一時的に洗浄できるが、妄想(非現実反応)は強迫行為では洗浄できない

不快なことは誰にでもありますが、そういう不快なことが強迫観念として離れなくなってしまうのが、強迫状態です。

神経過敏によって、気になったら、気になったまま、気に止まったことが、気に止まったままになってしまうのです。

その多くは普通の人なら気にならないのですが、普通の人が気にすることでもそうなりますから、神経過敏であると、普通の人よりも、不快なこと=苦痛が多くなります。

環境を調整すると良いのですが、ストレス耐性が低いと、そういったことをするのも困難で、その環境の中での刺激に過敏反応してしまうし、肉体的な神経過敏といっても、脳内の神経回路も関わっていますから、感情や思考や記憶などへの過敏性による強迫観念の問題もなくなりません。

特にトラウマがあると、強迫症の人は、それも強迫観念になりますから、余計にトラウマが消え難くなり、反復するトラウマ強迫によって、年々傷(ダメージ)が深まり、強迫症状が強固になります。

不快なことを気にして考える癖があるからではありません。
過敏性により、ショックな思い、ショックな記憶が消え難いのです。

強迫症は強迫状態になりやすい病気ですから、例えば、ある状況で緊張をすれば、その状況が終わっても、長々と緊張状態が続いてしまいます。

神経そのものや脳に緊張感が残ってしまうので、その記憶もなかなか消えなくなり、そのことを反復的に思い返してしまったりします。
その強迫状態は苦痛ですから、そうならないようにと不安や心配も強まり、その思いも長々と残って強迫観念になりやすいのですが、当然、不安や心配だけではなく、様々な強迫観念があります。

特に、HSP/HSCのように敏感な人は、様々な刺激によって強迫状態になりやすいわけですが、気質的に敏感というだけなら、違和感や不快感などが続いてしまうという感覚的な強迫状態(強迫感覚)が多くなり、強迫観念にはなりにくい状態です。

ですから、敏感な気質だからといって、強迫症状が出るわけでもありませんが、主に思春期の頃に、感受性が強くなってくると、感覚的な強迫状態の苦痛も強まり、同時に物事について考える思考力も発達しますから、苦痛を受けたことについて考えたり思ったりすることが増え、過敏性により、その考えが消えなくなってしまいます。
それが続くと、精神的に病んでしまい精神病のようにもなりますが、統合失調すれば、強迫観念からは解放されます。
そうならない人は、現実のストレスや強迫観念にとらわれ続け、強迫性障害になります。

HSP/HSCで刺激を受けやすいこと自体、刺激による強迫状態にはなりやすいのですが、その上、神経過敏になってしまうと、その刺激が長々と残るようになり、それを対処しようと、強迫行為をするようになります。

強迫性障害であることの刺激には、自分の外側の刺激だけではなく、思考、イメージ、記憶、感情などの自分の内面からの刺激も含まれます。
それらが長く停滞して、消えなくなってしまうのが、強迫の苦痛です。

前回書いた森田療法の森田の言う神経質による不安思考とか強迫観念は、実際にはないことを、あるかのように思ってしまう思考のことで、不潔恐怖で言うと、実際には汚くないことを、汚いと思ってしまうから、症状が出る状態です。

しかし、この場合の実際には汚くないというのは、誰の基準なのでしょう?
おそらく一般的には汚れとされないことの意味だと思いますが、何をどの程度汚いと思うかは、経験や感受性などによって、人それぞれです。
感覚や知識によっても違いますから、例えば、小さな子供はそもそも汚れを知らない子もいますから、子供の内は汚染恐怖にはなり難いです。

病気を知らなければ、それを怖がることもありませんが、違和感とか不快感とか苦痛、不安感、恐怖などは体験しますから、感覚的には子供でも感覚的には強迫症になり、それが強迫感覚主体型です。
はっきりとした強迫観念はないのですが、違和感などの不快感に強迫されます。
特に敏感な子であると、嫌なことが多くなり、そういう感情や記憶も消え難くなりますから、不安や心配も浮かびやすく、感覚的には強迫状態になりやすいのです。
善悪、きれい汚いなどの分別意識が強まってきた頃に、嫌な感じ、感情、不快な記憶(トラウマ)などが付着してしまう苦痛が続くと、それが汚れのように思えて汚染恐怖になります。

強迫性障害であると、過敏性によって、様々な汚れを感じやすい上に、それが強迫観念となって消え難くなります。
精神的な汚れであっても、肉体的な神経過敏による表象幻覚によって、本人の感覚では実際に物質的な汚れと同じように汚染されることが多くなります。

それが何の汚れなのか、その汚染源となっていることへの恐怖や嫌悪、または、その汚れで何が起こるのかという強迫観念があっての汚れなので、その強迫性の強さで、普通の人によりも汚れることが苦痛になってしまうのです。
そして、その苦痛に耐えられるストレス耐性が無いからこそ、強迫行為で対処しないといけなくなります。

不潔恐怖や汚染恐怖には、一般的にも汚いことを過剰に嫌がる人という人はいますが、その範囲であると、神経過敏であっても、強迫観念は弱いこともあります。
神経過敏によって強迫観念も浮かびやすいと、一般的には全然汚くないことを汚れと思えたり、普通は汚れないこと(精神的な汚れなど)で、物質的な汚れと同じように汚されたりします。

強迫症の場合、汚いと思えるものを触っていなくても、接近したことに気付けば、その記憶や反応による嫌悪感も強迫観念として長々と残ってしまい、その付着性によって、接触していなくても汚染されてしまうのです。

強迫性の思考には付着性や反復性があり、汚れを感じてしまうと、その嫌な「感じ」が、思いとか考えとか記憶と共に、長々と残って、その汚れに強迫(付着)される。
それが強迫症的な汚染です。

強迫観念の付着性によって汚れが消え難くなり、その強迫観念が離れないことで、汚染されてしまうのです。
これは、強迫観念があるからなので、一般の人にはそうならなくても、強迫性障害の本人としては、実際にそうなっているのです。
不快な強迫観念となって消え難いからこそ、長時間過剰に強迫行為をしないといけなくなります。

普通の人は汚れが強迫観念にはならないので、適度に効率よく洗えるわけです。

強迫性障害の人は、普通の考えも持ちあわせているので、本人も、視覚的に確認できる汚れのようには汚れていないことは分かっています。
だからといって、実際には汚れていないわけではありません。

強迫観念としての汚れは、汚れの考えやイメージが離れなくなってしまうことですから、それは本人の心の中でしか分かりませんが、汚れが実際に付着していないわけでもないのです。

例えば、公共の建物のドアノブや、販売機のボタンなどを触って、手にコロナが付着したか分からなくても、付着したと思って消毒をする。
この行為は、実際にはないことを、あるかのように思ってしまうことで、起こるのでしょうか?

実際に付着している可能性もあるのですから、付着したと思えても精神異常ではありません。

強迫症であると、そういう不安な思いが強迫観念となってしまうので、普通の人よりもそう思えてしまうのですが、その汚れは、妄想(非現実)ではなく、現実の何かの汚れです。
一般的ではなくても、本人にとっては過敏性の強さで汚く思えてしまうし、強迫観念としてその思いが離れないのですから、実際に汚れているように思えてしまうのです。

他の人にとっては、汚れではなくても、本人の感覚では実際に汚されてしまうのです。

もちろん、強迫観念がなければそうなりませんが、強迫観念があるから強迫症なので、どうこう考えようと、それに関係なく強迫観念が浮かび、そうなってしまうのです。

依存症や精神病の繰り返し行為を強迫的と言ったり、強迫の意味の多様性が強迫症を分かり難くもしていますが、強迫性障害の強迫は過敏性の症状です。

不快な思いなどが離れなくなってしまう病気なので、強迫症であると強迫観念を強めるような不快な言葉を言ったり聞いたりすることを拒みます。

逆に思い浮かんだ不快なことを口にしないといけないとか、強いこだわりにとらわれてその通りにしないと気が済まないというのは、自閉症や精神病の可能性があり、強迫性障害の強迫性とは別のことです。

こうと決めたことがあると、それに従わないといけなくなってしまうタイプには、完璧主義や几帳面、きれい好きなどのように、ごだわり自体にとらわれてしまう人もいますが、違和感に弱いからそうなってしまう場合は、過敏性の症状です。

過敏性というのは、ストレス耐性が低く刺激に過度に敏感であることですが、それであると、身の周りに強迫的な事が多くなり、不安や恐怖、嫌悪、心配なども浮かびやすくなります。
現実の刺激だけでなく、それと結び付いた思考上の刺激も残り続けてしまう。
それが強迫性障害での強迫観念で、器質的(神経的)な過敏性が原因で、脳を含めた体質に問題があるので、対話での心理療法などはまったく効きませんし、薬もまだありません。

強迫観念は過敏性の症状なので現実と結び付いています。
強迫観念が離れないとこで、現実のストレスも離れなくなり(汚れであれば付着したままになり)苦痛が続いてしまう。これが強迫状態で、現実のストレスと共にあるのです。

妄想のストレスは頭の中だけにあり、元々現実には問題がないので、薬で妄想を鎮静させれば、ストレスも消えますが、強迫観念の苦痛は現実が意識できる限り続いてしまい、その苦痛に耐えられなければ、強迫行為をするしかありません。

強迫症の人の共通点は、過敏で違和感に弱く、違和感が強いほど、苦痛を感じるのですが、そのことが原因で、不安や恐怖や嫌悪なども感じやすいのです。

強迫観念が離れなくなってしまうこと=強迫観念が付着してしまうことです。
不快な嫌なことに染まることで、感染とも言えますが、強迫観念が付着したまま落ちなくなってしまうので、強迫症には汚染恐怖が多いのです。

汚れに不快感が無ければ、気に止まりませんから、汚れの強迫観念は浮かびませんが、強迫症的な汚染は、嫌なことへの関連付き恐怖であり、何かに汚染され、嫌悪していることが強迫観念として離れなくなってしまうと、そのまま他のことをすれば、それが他のことに印象付いて離れなくなり、汚染が拡大してしまいます。

その汚染の強迫観念があるままだと、その嫌悪対象の思いとか記憶も想起され続けます。
それによって何らかの不安や恐怖が煽られれば、その強迫観念の付着が強まり、どうしてもそう思えてしまう状態が続きます。
強迫観念として不安や恐怖していることが、普通に考えてそうならないにしても、強迫観念の付着によって、そう思えてしまえば、そう思わないことはできませんから、(不安や恐怖していることに)ならないようにと、汚染(強迫観念の付着)を洗浄するのです。

そういう意味での汚染ですから、精神的なことでも汚されるし、良い考えが汚染されるのを避けて、汚染されている間は、良いことが考えられなくなったりもしますから、汚染の場合は、単に良いことを考えて中和するといったこともできなくなります。

良いことが悪いことと関連付くこと=汚染なので、汚れを洗浄してやっと、良いことができるわけです。

確認強迫の人も何らかの不安や恐怖を避けようと、確認するのですが、確認することで、強迫観念の汚染(不安や恐怖の感染)を洗浄するのです。

いろんな強迫行為がありますが、強迫症の人は、みんな洗浄強迫(強迫観念の洗浄)をしているのです。

汚染恐怖や不潔恐怖の人には、確認強迫もする人が多いのですが、確認強迫の人の場合、汚染は気にならない人は多くいます。

これはやはり、汚れというのが、人それぞれで基準が違うことと、関連付きの症状(関係強迫)の程度の違いではないかと思えますが、汚染恐怖の場合、内側のことだけではなく、現実面への過敏性の強さが関係しています。

汚染恐怖と不潔恐怖も本当は違うことで、比較的、女性は不潔恐怖だと自覚する人が多いのですが、(生理的嫌悪感などの)強迫感覚による洗浄行為が多いようです。

社会適応できないレベルに重症化しやすいのは、強迫的汚染症状のある男性が多いのです。

汚染の元になっている関連付き強迫(関係強迫)は、過敏性によって起こるのですが、それだけでなく、論理的思考と立体的思考(多面思考)が、汚れの追跡力と具体化を強めているのです。
そういう男性脳の思考の特性により、強迫観念が表象幻覚化して、具体化することで、感覚的な汚染の強迫観念よりも、イメージの現実感が強まり症状が強固になってしまうのです。

強迫観念はイメージですが、現実の汚れ(不快な嫌悪対象)のイメージなので、具体性が強いほど、嫌悪感も現実性も強まり、余計に強迫観念が離れ難くなってしまうし、そのイメージと一緒に論理的に「考え」でも汚れを追跡してしまうことで、時空間の隔たり(範囲の制限)も無くなり、何年経っても汚染が続くのです。

重症化にはトラウマがあることも関係しますが、このトラウマというのは、解離の人のように、忘れてしまうことはできず、忘れられないからこそ、強迫され続けるのです。
慢性のトラウマ記憶の想起によって、それに関連する全てに、汚染の強迫症状が出てしまうのです。

汚染恐怖の人は付着性のあること全般に恐怖を持ちやすく、感染しない病気でも感染するように思えますから、感染症恐怖にもなります。
ですから、感染症が流行ると、その症状も悪化します。

過敏性によって、悪い意味で感化されやすく、人の不快な感情などにも強迫されやすくなり、汚染の人はそういった感情などでも汚されます。

過敏であるとうつ病などでも他人の不快な感情に同調してしまうことがありますが、それは感情汚染ではありません。
汚染されたら、洗浄をしないといけなくなりますから、洗浄しようとしないなら、汚染されたわけではないのです。
強迫症の人は感情による汚染であっても、物質的な汚れと同じように汚されますから、現実行動で洗浄しないといけなくなります。
強迫症の場合、「気のせい」の範囲では済まないので、強迫行為が起こります。
汚染されたような気がするというだけなら、強迫行為が起こらないので、うつ病や不安障害であっても強迫症ではありません。

強迫観念は実際には起こっていないことに対する頭の中だけの不安や恐怖であるから、強迫行為は現実問題の解消ではないという説明が多いのですが、これは誤解です。

例えば、今、頻繁に手を消毒したり、洗ったりしている人たちのほとんどは、実際にはコロナが手に付着していない人達がほとんどなのです。
だからと言って、その人達の消毒や手洗いが現実問題を解消する行為ではないと言えるでしょうか?
「手に付着したかもしれない」「感染するかもしれない」それは、実際にそうなっているわけではなくても、現実のことに対する不安や恐怖であり、現実問題の直接的な解消として消毒手洗いをしているわけです。

強迫性障害の人は、恐怖対象への感受性が過剰に強く、そういう不安が強まりやすかったり、その恐怖対象自体が普通の人達と違ったりもしますが、本人にとっては現実の問題なのです。

強迫観念は妄想ではなく、現実のことでの不快な思いだからです。

強迫観念が汚染であれば、その強迫観念が浮かびやすいことで、当然、汚染されやすくなります。
強迫性=付着性ですから、その汚れをさらに強めて落とし難くなり、汚れによる不安や恐怖や嫌悪なども強迫観念化して付着が強まり、なかなか離れなくなります。
洗ってもまだ汚れている、まだ汚れている、となって洗浄が長くなり、(普通が分かっていることで)過剰に思えますが、強迫観念が消え難いことで、その対処行為もどうしても過度になってしまうのです。
汚染対策や洗浄で時間を使ってしまうし、他のことができなくなって非効率な生活になってしまうのに、めんどうで嫌でも洗わないといけないという意味では不合理にもなります。
それが苦痛ですから、その苦痛を引き起こすストレス対象への不安も強まり、それも強迫観念となって、対策や回避も余計に過剰になります。

この不安は、コロナの感染不安と同じように、現実のことの不安なので、強迫行為も現実の問題の対処として行っているのです。
ただ、普通の人の不安と違って、一度浮かんだ強迫観念は過敏性によって、神経や脳から離れなくなってしまうので、不安は不安でも普通の不安よりも消え難くなります。
だから不安ではなく、強迫観念なのですが、これは放置しても消えませんし、それ以前に放置が困難です。

頻繁に安全確認をする場合も、コロナ不安の消毒のように、現実への不安からの行為なのですが、そんなはずないのにと思えても、その不安が強迫観念化して消え難くなってしまうことで、強迫観念としてはそう思えてしまうのです。
強迫観念があるとそう思えてしまうのですから、強迫行為をして、そうならないようにすることで、強迫観念を抑えるのです。

強迫観念は現実のことだからこそ、強迫観念を抑えることが、現実を変える事になり、(不安としていることが)そうならないようにと、確認したことで変えられた現実への反応で安心できるのです。

強迫観念は現実反応なので、心の中のことであっても、現実と繋がっているのです。
ですから、現実に強迫行為をするしかなくなります。
不安を起こす現実状況(確認していない状況など)を変えるわけですから、現実問題の直接的対処です。

統合失調症と違って、強迫症では、普通(一般)がどうかが分かるからこそ不合理感や過剰感があります。
一般的には小さな汚れなのに、こんなにしつこく長時間洗うなんて、という意味でも過剰なのですが、反面、強迫観念があることで本人にとっては、ただの汚れではなく、耐え難い苦痛な何かが結び付いているので、実際にすごく汚く思えてしまうのです。

汚れのその度合いに合った洗浄をしているのですが、汚れの強迫観念が離れないことで、普通の汚れの洗浄よりも過剰になってしまうし、普通の人達の洗浄よりも時間がかかってしまう。
そういう意味での過剰です。

強迫観念=過敏性思考とも言えますから、一般の人よりも刺激に過敏であれば、強迫観念は浮かびやすく、感覚の違いにより、思考内容も一般的ではなくなりますが、非現実反応の頭の中だけの妄想とはまったく違います。

強迫観念を思考だとは分かっていても、その対象は現実のことだし、その現実とそれと結び付いた強迫観念の刺激への過敏性で、強迫観念が離れなくなれば、その対象である現実の苦痛も離れなくなりますから、その苦痛に耐えられずに、強迫行為をしないといけなくなります。

妄想は非現実なので、現実の強迫行為をしても、何も解消されませんが、それで妄想が消えるとしたら、その行為で妄想が消えたという妄想による力です。
それも妄想なのですから、実際には妄想で妄想は消せませんし、通常の妄想は、そうやって自分の意思でコントロールして役立たせることはできないので、妄想であれば、強迫行為をすることはありません。

ただ、妄想の人にそれとは別で強迫観念もあれば、強迫行為をするはずですが、それは統合失調症の範囲ではなく、強迫症が併存していることになります。
統合失調症を治す段階で、強迫症状が出る場合もありますが、統合失調症強迫症に対して治療的なので、統合失調症であったことで、重度の強迫症にはなりません。
そもそも神経過敏が原因で統合失調症にはならないので、統合失調症であった人は、神経過敏の病気である強迫症にもなりにくいのです。
逆に強迫症の人は、神経過敏過ぎて、統合失調しないので強迫症なのですから、統合失調症にはなり難いのです。

両方が混ざったような人もいなくは無いのですが、症状の違いは明らかで、統合失調のほうが薬で治しやすいので、そちらを優先治療するべきです。
そのタイプの強迫症状は、現実の過敏反応ではなく、妄想状態による過剰反応が関係していることも考えられますから、妄想を治すことで、強迫症状も治せるかもしれません。
つまり、実際には併存ではなく、強迫症に見える症状のある統合失調症の人もいるので、そういうタイプは、抗精神病薬強迫症状も治せるのです。

逆に、統合失調症に見える症状のある強迫性障害の人はいません。
統合失調症の症状は、強迫症の人の内面にはあったとしても、(理性が強固なフタとなり)恥ずかしくて表現ができないのです。
狂気が表面化されないからこそ、統合失調することがなく、内側だけ狂ったように病んでしまい強迫症状が続くのです。

統合失調していませんから、妄想が起こらないので、非現実の妄想には強迫されませんが、強迫症の人の脳内には、実は強迫行為でも対処できない強迫観念も多く、それらに慢性的にとりつかれて、異常思考が浮かび続けます。

それを現実だと思う妄想状態とは別で、本人はそれを妄想的で変わった考えであると分かっているのですが、雑念的に頻繁に浮かんでしまうことで、精神的に疲れて気持ちが晴れませんし、正常で前向きな考え方がし難くなってしまうのです。

強迫行為でも対処できないのですから、その雑念で強迫行為をすることもありませんが、脳内がそういう状態になっているので、強迫観念も振り払い難くなります。

うつ病の人が、前向きな言葉を言われると、それができないので、逆に不快になってしまうことと同じで、できないことが増えるほど、一般的には前向きで楽しいことも不快に思えるようになります。
楽しむことができない。これがうつ病にも強迫症にも共通する苦痛です。
楽しめないことで、益々、ネガティヴ思考が増えて、強迫観念も浮かびやすくなりますから、鬱が強いと強迫も強くなります。

正しいこととか、現実でなくても良いので、楽しめることができると、少しは改善しますが、それができないから困る病気なので、なかなか難しいことです。

前向きなことが書いてある話を読むのも精神的には良いと思いますが、それを読んで、こうしよう、ああしようと思っても、そういう精神活動だけでは、なんともできないのです。
できる人は、過敏性ではなく、完全に精神的問題の強迫症ですから、重症にはなりません。

一時的にでも楽しめるなら、それも良いのですが、それが冷めれば、むなしさが残ります。
あいにく、良い感情や思いや考えや記憶は、強迫的にならないので、長くは続かないのです。
悪い感情や思いや考えや記憶だと、不快な分、強迫的になり、なかなか消えなくなります。
それが強迫の苦しみです。

そういう病気の事実を知り、その上で、どう生きるかを考えたほうが、現実的です。

このことはもちろん、神経質とか性格での強迫症状範囲の人には関係ありませんし、軽症の人がこのブログを読めば、違う病気のようにも思えるでしょう。

実際に、症状も原因も様々で、軽症か重症かでも全然違いますが、このブログでは、基本的に重症の強迫性障害の説明をしています。

この病気は、まずどれが本当の強迫性障害なのかを知らないと、いくら研究しても、何の研究なのかが分からなくなり、それは治療にも理解にも結び付きません。

ですから、まずは、強迫性障害とは何かを説明しているのですが、その次に、どう生きたらよいかの話になります。

 

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