強迫性障害の全貌

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共感強迫/情報恐怖・情報汚染/ストレスは心が作るのではなく神経が感じること/ストレスがHSP・HSCやAD/HDを強迫症(強迫性障害)や鬱病にする

過敏性強迫症(過敏型の強迫症状)であると、過敏性そのものの苦痛にも強迫されますが、共感力にも強迫されます。
共感力が強いことで、他人のこととか、全然関係ないことでも、自分のことのように思えてしまうのです。
そんなことではあるのですが、そんなことが強迫症状を引き起こすのです。

敏感な人は、そうしたくなくても共感してしまう苦しみ、共感力が強過ぎて、うまく共感できない苦しみに悩みます。
他人の感情に共感すれば、それによる自身の過剰な感情も合わさりますから、特に心が病んでいる人は、人の苦痛に共感すれば、何倍もの苦痛になってしまうし、楽しい気持ちになれないので、人の楽しい気持ちに共感することで、逆に苦痛に思えてしまいます。
病んでなければ、良い意味で共感できるのですが、敏感だと、刺激を感じやすいことで、様々なことが実際の危害になって、そのストレスで心が病んでしまいます。
荒っぽい人を見れば、その感じに攻撃されてしまうし、様々な不快感を感じやすいので、敏感な人は、様々な人(特に不快感を感じる人)の存在自体が刺激になります。

それで、人と距離を空けようとします。
過敏性ディスタンス・・・共感性の苦痛による人との距離。
強迫性ディスタンス・・・汚染恐怖などの強迫性による人との距離
どちらも鬱病が強めます。

HSP・HSCや過敏性の強迫症の人は、共感力が強過ぎて、人の気持ちをうまく読み取れなくなります。
自閉症のように、他人の気持ちが分かり難いのではなく、自然と共感してしまうのですが、過敏性によって、本来のその人の気持ちよりも過剰になって、その自分の気持ちにも過敏反応しますから、思い入れが強すぎる形になり、過剰に読み取ってしまうことで、結果的に読み取り難い状態になり、人との関係が苦手になります。

そうなってしまうことは本人にも苦痛なので、人との距離を置こうとするのですが、そうしていても過敏なので、気にしたくなくても、どうしても他人のことが気になってしまいます。
しかし、気にしないようにしていることで、余計に自分の基準で共感してしまい、その思いによって、人の気持ちをあれこれ考えてしまいますが、うまく読み取っている自信がないので、人間関係が不安になって、過敏性ディスタンスをすることになります。
こういうのは、過敏性のある不安障害の人にも起こりますが、共感性は続きますから、それによる様々な症状が出ます。

不快な刺激に神経が反応して不快な感じ(強迫感覚)や不快な思考(強迫観念)を浮かばせます。
強迫観念は神経反応が浮かばせる生理的思考です。
過敏な人は、それ自体も消え難いのですが、その感じや思考に共感してしまうことで、その思いが余計に離れなくなります。
その思いをなくそうとするから、余計に意識してしまうとか、そういうことではありませんし、妄想とか考え過ぎでもなく、心理は関係ないのです。
どういう考えを持つかに関係なく、神経の過敏性による共感力の強さが強迫観念の強迫性を強めるのです。

HSP/HSCの人は、共感力が強いといわれますが、その共感力によって、強迫性障害になりやすいのです。
過敏であること自体が苦痛なので、過敏性には当然、強迫性があるのですが、過敏であることで、共感したくなくても、どうしても共感してしまうという共感強迫の状態になります。
他人の不快な体験でも、自分のことのように思えて、そのショックが消えないことで、他人のことなのにトラウマにもなります。
共感といっても、感じるのは自分ですから、他人の苦痛も、それを共感することで、過敏性によって、その人の何倍もの苦痛になってしまい、自分が危害を受けたわけでなくても、共感力のショックによって、自分も危害を受けてしまうのです。
見聞きしたの情報でも、自分の基準で共感してしまいますから、そのショックが消えないことで、トラウマになって、それが消えないことで、強迫観念も浮かびやすくなります。

HSP/HSCとか強迫性障害で、過敏性の強い人だと、トラウマができやすくなります。
PTSD的なトラウマは、普通の人のトラウマですから、普通の人でもトラウマになって仕方ないなと思えるような大きな危害でのトラウマなのです。
敏感な人のトラウマは、普通の人からすると、そんなことでトラウマに?と思えるような、一般的には危害に思えないことが多くなります。
敏感だから、些細なことでも傷付いてしまい、そのショックも記憶も消えなくなってしまうのです。
当然、大きなことはトラウマにならないのではなく、それだけではなく、一般的には小さなことでもトラウマになってしまうのが、敏感な人(過敏性のトラウマ)の特徴です。
過敏性のトラウマでもPTSD症状は出ますが、トラウマ記憶自体が強迫観念になったり、トラウマがあることで強迫観念が浮かぶ人は、強迫性障害にもなります。

AD/HDの人で過敏性のある人は、注意困難であることでの不快な体験がトラウマになれば、不安の強迫観念が浮かびやすくなり、過剰に注意する(確認強迫)の強迫行為をするようになります。
AD/HDも敏感な人は多いのですが、今のところ過敏性の障害とは考えられていません。
過敏性が弱ければ、強迫観念の強迫性(固着性)も弱まりますから、一時的に強く浮かんで、しばらく経つと静まるという不安の強迫観念が多くなりますが、実際にそうなりやすい、実際にそうなったトラウマがあってのことであれば、思い込みの不安の病気と違って、実際の危害に対する過敏性の強迫行為なのです。
神経が過敏であることで、思考上の刺激にも敏感になりますから、AD/HDでも強迫行為が見られる人は、過敏性が関係しているのです。

HSP・HSCの人は、現実の刺激への過敏性の強さから、汚染恐怖や不潔恐怖などになりやすいのですが、不安だけでなく、実際の危害での様々な不快な思いにも強迫されます。AD/HDでなければ、確認は比較的軽症で済みますが、洗浄強迫などが強固に続きます。
AD/HD+HSP・HSCであれば、確認も洗浄も強固になります。

ただし、トラウマによって、強迫性障害になった場合の傾向であり、みんながみんなそうなってしまうわけではありませんし、強迫性障害だけど、AD/HDやHSP・HSCではないという人がいても、全然不思議ではありません。
そもそも普通の強迫性障害は神経の問題ではなく、心の問題とされているからです。
それは、過敏性の強迫性障害とは全然別の強迫性障害ですが、精神医学的にはそちらこそが強迫性障害となっていて、現状では過敏性も関係ないことになっています。

敏感な人は、怖い話とか、残酷な話を見聞きする、そういう体験もトラウマになります。
その話自体は、他人のことであっても、そういう情報を知って、ショックが消えなくなってしまう苦痛で傷付いて、トラウマになってしまいます。
一般の人はそうなりませんが、過敏な人は、そうなれば、何年も、何十年も恐怖や嫌悪などの苦痛が続くという実際の害を受けるのです。
それによって、トラウマ強迫での強迫症状も出れば、その体験での苦痛は、終わったことではなく、今もあるし、未来にもあるので、現在形のトラウマになります。

些細なことがトラウマになってしまうというのは、大したことではないのに、深刻に考えてしまう不安の病気ではありません。
そういう心理的な不安の病気とは、全然違うのです。
一般的には、大したことでなくても、過敏性の強い人は、実際に深刻なダメージを受けるのです。

共感強迫が関わっているのですが、例えば、テレビで残酷な情報を見聞きして、それが実際に起こったことであると、ショックとなって忘れられないだけではなく、共感性の強さから、自分がそうなったように思えたり、自分がそうされたように思えたり、自分がそうなってしまうかのように思えたり、情報によっては、自分もそうしてしまうのではという思いも浮かび、そうならないようにと、強迫行為をするようにもなります。
そう思えるのは、心理ではなく、過敏性の苦痛での生理反応的な症状で、神経がそう思わせるので、自分がそうなったわけではないと分かっていても、どうしてもそう思えてしまうのです。

ただ、想像上の危害に悩まされる病気でもなく、その情報により、ショックを受けて、そのことでの不快な思いが消えなくなってしまうという実際の害を受けて、実際に傷付いているのです。

そうすると、その不快な対象に対する恐怖や嫌悪などの思いが強迫観念として離れなくなり、それがあることでの不安も強迫観念になりますから、その苦痛を防いだり対処する形で強迫行為をするようになります。

そうなれば、強迫観念を煽る情報を避けるようになり、汚染の強迫観念がある人は、それと似たような情報の見聞きで汚されるようにもなります。
情報の見聞きなどで汚れることがあるのは、その不快な刺激を感じるのは神経ですから、神経が過敏であることで、体全体で不快感、不快な思いを感じてしまうからです。
情報の不快感を体で感じてしまうことで、嫌悪感とそれよる思考が体に付着したままに思えて、物質的汚れと同じように汚染されます。
そういう感じが強いので、本人だけでなく、その情報を見聞きした場所とか、その情報媒体そのもの(テレビなど)とか、それを見聞きさせた人、情報源を発信した人、雑誌などであれば、その雑誌の輸送ルート、発行所、その建物、その周辺というように、汚染区域ができて、そこからの汚れを避けるようになります。
これは、情報からの汚染だけでなく、物質的な汚染であっても同じことですが、不快感、不快な思いが強迫観念として付着して消えなくなってしまうので、そうさせることに対して、汚れを感じるのです。

強迫性障害は、HSP/HSCとAD/HDを合わせたような発達障害が土台になっていることは考えられますが、HSP/HSCの段階であれば、まだ活かせる範囲の過敏性です。

HSP・HSCの人が強いストレスでの強迫状態が続くと、敏感なことでストレスを直接的に対処できないので、ストレスへのネガティヴな思いとか、攻撃的な感情が内側に篭ってしまい、その対処として強迫行為をするようになります。
ストレスが不安や恐怖であったなら、確認などが増えますが、嫌悪(嫌な思い)が強ければ、洗浄なども過剰になります。
過敏性が強いことで、そういう不快なストレスでのダメージが消え難くなりますから、悪い意味で感化されやすい、染まりやすいので、そういう不快なことと自身が同化してしまう恐怖や嫌悪が強まり、神経レベルではそうなりそうになったり実際にそうなってしまうので、その苦痛を強迫行為で防いだり対処するのです。

強迫性障害になってしまうと、HSP/HSCの過敏性が活かせないレベルの病的過敏性になります。
強迫観念は不快な思考で、強迫行為は本人にしかない強迫観念の対処で、一般的には日常的でつまらない行為ですから無駄なことでしかありません。
慢性的に過敏性の強迫症状があれば、その全ては、日常生活や社会的活動の足手まといになります。

しかし、HSP・HSCも過敏性強迫症も、どちらも障害では無いとされていて、過敏性強迫症の場合、そういう病気の存在自体が認められていません。

それほど、過敏性障害への理解は得られ難いのです。

過敏だから強迫症状が起こるというのは、あり得ないことでしょうか?
むしろ、過敏なら不快なことを感じやすいし、そのダメージも消えなくなりますから、強迫が起こって当たり前なのです。
過敏性がないのに、小さなことを気にしてしまうという不自然な病気にされているのです。
強迫症は、異常に敏感だから一般的には小さな刺激でも、とても気になってしまうのです。
神経が過敏であることで、心の中の刺激にも過敏反応しますが、そういう過敏性による苦痛な思い(強迫観念)と、その苦痛の対処(強迫行為)が症状ですから、自然な病気なのです。

発達障害精神障害にしてしまったり、強迫症を悪化させるのは、過敏性への誤解とか理解のなさによる社会的ストレスです。

関連リンク
強迫症(強迫性障害患者)とHSP・HSCにも社会的バリアフリーの実現を
https://locd.hatenablog.com/entry/2020/10/04/150531

ストレスは心の問題なのでしょうか?
ストレスは神経で感じることですから、神経の問題なのです。
神経の発達障害の人には、ストレスを受けやすい傾向があり、そのストレスが対処できずに(あるいは対処として)精神障害になります。

昔の人は、ストレス反応の精神症状を神経症と名付けました。
痛いとかかゆいとかと同じように、ストレス対象から不快感を感じて、それによって悩んだりして精神的にも症状が出てしまう病気です。
こういうのは、心の問題(考え方、とらえ方、認知の仕方)ではなく、神経がそう感じて、そう思わせるのですから、神経レベル(感じたり、その感じでの思考の範囲)の問題と考えました。
神経によって現実との繋がりがあるのです。

逆に、精神病(妄想幻覚症状など)はそういう範囲ではありませんから、神経症は、精神病ではない病気という意味が強くなり、心因性の病気という意味になったことで、ストレス反応の症状なのに心の問題として考えられるようになり、神経症なのに神経は関係ないことになりました。
強迫症は、小さなことを気にしてしまう病気なのに、過敏性は関係ない病気とされました。

後に、心因性の病気でも脳機能の問題があるとされるようになってからは、内因性や心因性といった区別があいまいになり、神経症という言葉も今はほとんど使われなくなりましたが、ストレス反応の症状は、心の問題(心因性)だと思っている人達はいまだに多くいます。

強迫症の人達は、ストレス対象から離れても、内面的にストレスが続いてしまう問題があり、環境や状況に関わらない症状でもありますから、普通の神経症とも違うのですが、基本の症状自体は、神経レベルの障害ではあるのです。
神経の状態としては、刺激によって、敏感になりますが、ストレスによって、消耗して脆くなり、余計に過敏になり、精神面の刺激にも敏感になり、精神的には、細かい考えの悩みが多く病んでしまいます。
その病みは心の問題の範囲ですが、過敏性の苦痛、症状の苦痛がそうさせるので、なかなか治せません。

精神病も内部的には神経が関係しているのですが、少なくとも、外界の何かからの刺激(ストレス)で悩んだりする病気ではなく、むしろそんなこととは切り離された本人の内側だけの心の病気なので、精神病と名付けたのです。
神経の状態としては、興奮して強くなったり、極端に鈍感になったりして、ストレスの影響を受け難い状態になり、精神的にも現実離れが起こります。

実際のところまったく環境的ストレスの影響がないわけでもなく、近年では、ストレスでの発症も認められるようになり、統合失調症もストレスで悪化したり再発するという話はあります。
ただ、発症はストレスが引き金でも、症状自体は、基本的には周囲は関係ないので、それでも精神病であることは変わりません。

神経症は周囲から病気にさせられますが、精神病のようにストレスから守るべきだとはならず、考え方でのストレスだから、考え方を変えて、ストレスに慣れるべきだとしているのです。

ストレス反応だから、心(心因性)の病気という考えがあるのは、本来はストレスにならないことが、考え方とか心の持ちようの問題とかで、ストレスに思えてしまったりする人もいるからです。
そういうのとかは確かに心理的ストレスなのですが、それは一部の人だけです。

みんながそうであるかのようにしてしまうのは、本来はストレスにならないことを、考え方でストレスにしているなら、患者が自分で病気になっていることにできますから、社会側の言い逃れにもできるからです。

本来はストレス反応であれば、心理は関係ないのです。
過敏性の神経障害の人は、考えに関係なく、ストレスに弱いことで病気になってしまうのです。

何らかの強いストレスで苦痛を感じて、不快な思いをする。こういうのは生理的に当たり前のことで、人間の心理は関係ない症状なのです。
過敏性が、心理の問題であるわけがなく、過敏であると、そういう苦痛が多くなり、その苦痛もなかなか消えなくなります。
こういうのは、生理的な神経レベルの苦痛ですから、どう考えようと、どういう心持ちでいようと、どうしてもストレス反応が出てしまうのです。

それによって心にも問題が出ますが、根本に生理的な苦痛がある場合は、考え方とかによる想像上のストレス反応ではないので、考え方をどうしようと、それに関係なく生理的な苦痛が続いて、心の問題も消えません。

例えばトラウマとかは、それ自体は心の問題とも言えますが、トラウマがあることでの苦痛は、実際の危害への生理的苦痛ですから、頭でどう考えようと、トラウマを想起するような物事を意識すればどうしても苦痛になってしまいます。

ストレスによる精神症状は、神経の問題と言っても、神経自体に問題があるとは限りません。
考え方とかでは及ばない、神経レベルの生理的症状だということです。

しかし、ストレスへの過敏性の場合は、神経自体の問題であり、神経レベルの生理的過敏性は実際に神経が過敏なので、頭でどう考えようと、神経的には過敏反応が出てしまうのです。

何かへの(心理的)不安や恐怖があることで、その対象に過敏になってしまう場合は、心理的過敏性であり、実際に神経が過敏というわけではありませんが、その不安や恐怖が過敏性による生理的反応の場合は、実際に神経が過敏なのです。

心理的過敏性(精神過敏)・・・何かへの心理的な(考え、想像による)不安や恐怖があることで、その対象に過敏になってしまう。実際に神経が過敏というわけではない。

生理的過敏性(神経過敏)・・・実際に神経が過敏なので、不安や恐怖自体が、考えや想像に関わらない過敏性による生理的反応で浮かぶ。
その不安や恐怖が過敏性を強める傾向もあるが、不安や恐怖によって過敏になっているのではなく、元々の過敏性によって、不安や恐怖が生じている。

神経過敏の人は、神経が過敏なだけではなく、精神も過敏になっているので、外界の些細な刺激だけでなく、内面的な刺激(過敏反応自体、それによる感情や思考など)にも過敏反応します。

過敏反応自体が苦痛→その刺激(ストレス)の対象に対して危害を感じる(強迫感覚)、危害に思える(強迫観念)。

そういう強迫感覚や強迫観念の対処として強迫行為をしないといけなくなりますから、強迫性障害の強迫行為は、無意味にしているわけではありません。

不安型強迫症(強迫観念先行型)・・・考えに関わらない不安の対処としての強迫行為。
このタイプは、不安の病気であり、過敏性は弱いので、実際の危害での不快な思いは、強迫観念にはなりません。
ただの(想像上の)不安なのにと思える人は、強迫行為が無意味に思える人もいるようですが、不安の対処なのですから、実際には無意味ではありません。
このタイプの場合、不安を浮かばせる大元にある恐怖なども、想像上の危害での恐怖である場合も多いのですが、トラウマとか不快な体験記憶が関係している場合は、想像上だけのことではないので、PTSDに近い状態になり、トラウマがある限りなかなか治せません。
この場合のトラウマというのは、見聞きした情報でのショック体験とかも含まれますから、過敏性があることでのトラウマであり、本人がトラウマだとは思っていない記憶が神経レベルではトラウマになっていることもあります。

過敏性強迫症(過敏型強迫症、強迫感覚主体型、強迫観念先行型)・・・過敏性による危害(苦痛)の対処としての強迫行為ですから、無意味には思えません。
想像上の危害であれ、実際の危害であれ、それに対する強迫観念が過敏性によってなかなか消えなくなりますが、実際の危害での強迫観念とか、実体験の生理的恐怖や嫌悪があることでの不安思考は、想像上だけのことではなく、現在過去の実際の危害に対する強迫観念ですから、強迫行為をしないわけにもいきません。
想像上の危害であっても、大元にその対象への生理的恐怖や嫌悪などがあることで、強迫観念の現実味が強く感じられ、頭でどう考えようと、強迫行為をしないといけなくなります。
不安型のような不安の強迫観念(想像上の危害)が浮かばないわけではなく、過敏性が強いことで、それだけでは済まないのです。様々な刺激に強迫されます。

強迫感覚主体型の場合は、不快な思考ではなく、不快な感じに強迫されるので、強迫観念の具体性が弱いため、無意味な行為に思える人もいますが、違和感などの対処として行われるので、実際には無意味ではありません。

強迫行為先行型(完璧主義、行為依存症、神経質)・・・欲求やこだわり、衝動などにとらわれることでの強迫行為。無意味に思える強迫行為。考え方で生じる不安による強迫行為。
基本、器質的な過敏性は関係ないタイプで、強迫性パーソナリティ障害に近いパーソナリティの障害とか、他の病気の強迫症状の人も含まれます。

これらの違いがありますから、同じようには治せません。

過敏というのは、当然、(意識的な)こだわりではありませんから、過敏性の苦痛の対処として強迫行為もこだわりではありません。
汚れた手を洗うのはこだわりでしょうか?
汚れたままだと不快になってしまうし、他の物を触れば全部汚してしまいます。だから洗うのです。
過剰に洗うのは、こだわりが強いのではなく、過敏性によって、汚れの不快感や不快な思考が消えなくなってしまうからです。
生理的苦痛を和らげようとする行為は、こだわりが強いからではなく生理的なしなければならない行為です。
過敏というのは考え以前の感じ方ですから、考え方の問題でもありません。
過敏性は、考えに関わらない神経レベルの症状で、「しなければならない」のは、そうしないと生理的苦痛に耐えられないからです。

過敏性による危害は、一般の人には危害ではないのですが、過敏性が強いと、普通は気にしないような小さなことでも、みんなが気にするような大きなことに対しても、小さなレベルまで強い刺激を感じて、どうしても気になってしまうのです。

精神レベルでの考えに関わらずに、神経レベルで感じたり思考したり記憶に残ったりしてしまうので、精神レベルではコントロールできません。
頭で意識的に考えることと、生理的神経反応が浮かばせる思考は別のものなのです。

今まで過敏性強迫症という病気がなかったのは、強迫性障害というのは、神経ではなく、心の病気であり、有りもしないことへの不安による病気とされてきたからです。
過敏だとしたら、その不安があることで、過敏になっているという考えだったのです。
過敏性が原因だと神経(器質)の問題になってしまい、そう考えてしまうと治しようがないので、そう考えたくないのです。
神経の問題だとしても、不安とか興奮とかなら、薬も効きやすいのですが、過敏性の病気はあると困るから、そういう病気は無かったのです。

別の理由としては、過敏性強迫症には強度の汚染恐怖(汚染嫌悪)や不潔恐怖の人が多く、病院に行けない人が多く、必然的に過敏性の強迫患者が少なくなり、存在が知られませんし、多くの場合、本人も過敏性の苦痛をうまく説明できない状況だったのです。
不安の病気とされていたのですから、そう言っても理解されないからです。

そういう患者が病院にいても、過敏性ではなく、不安もしくは妄想の病気として不適切な治療を受けているので、その治療では治せませんから、他の病気とされたり、症例としても出てこないのです。

強迫性障害の人が病院に行けないので、強迫性障害の人が病院に行けないことも、病院側は知りません。
知っていても、汚染恐怖を知らないので、なぜ来れないのか理解できないのです。

薬物療法の精神科の場合、ほとんど接触しなくても済みますから、小さいクリニックとかならなんとか行ける人も多いのですが、待合室で待っていることが困難だったり、総合病院とかに行けなかったりするので、体調が悪くなっても何十年も病院に行ってないとか、虫歯が多いのに歯医者に行けないとか、健康診断が受けられない、血圧測定や血液検査さえできない人も多くいるのです。

他の精神障害のように、付き添いがいれば通院できるとかそういうことではなく、付き添いが汚染されれば、そこから汚染が拡大してしまうので、付き添いがいると(しかもその人が親しい人だと)余計にストレスになってしまうのです。
症状で援助が受けられないので、人間関係がなくなって、セルフネグレストのようにもなりますが、そうしたいわけではなく、病院側が過敏性の障害に対して理解しようとしないからです。

安心して通院できる清潔で刺激の少ない場所にしてもらえれば行けますが、そういう対応するのがめんどうなので、そういう病気があることを知っても、そんな病気はないとこにしてしまうのです。

関連リンク
強迫症(強迫性障害患者)とHSP・HSCにも社会的バリアフリーの実現を
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強迫性障害(強迫症)と精神障害者手帳
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公共性のある場所といっても、商業性の強い場所は、そもそも不快なイメージを与えないように作られている所も多く、例えば、小ぎれいなカフェとかなら、大画面テレビで残酷なニュース番組とかを垂れ流したりはしていないのです。
お店の雰囲気も商品の付加価値だからです。

ところが一般の人達は、そういう場所は、逆に刺激がなくて退屈になってしまう人も多いのです。
そういう人達にとっては、テレビ、新聞、雑誌などでの雑多な情報が快適に思えるのです。

敏感な人は、残酷でグロテスクなニュースなどを見聞きすると、精神的に傷付いてトラウマになりますが、普通の人はそうなりませんから、そういうニュースを見聞きしても気になりません。
不安、恐怖、嫌悪などが、見聞きする情報程度であれば、むしろ刺激的で求めてしまうのです。
その普通の基準で待合室を作れば、敏感な患者には心配や恐怖などの不快感を与えてしまいます。
強迫症の場合は、強迫観念が煽られて、その体験もトラウマになってしまうので、見なくないものを見せられる、聞きたくない事を聞かされるというのは、暴力されるに等しいのです。

ショックな話を聞かされる、恐怖、嫌悪を煽られる物を見てしまう、普通の人と違って、そういうことでも苦痛が消えなくなって、トラウマになりますから、雑多な情報を遮断するようになります。

病院には接触などによる様々な汚染恐怖が浮かびやすいので、せめて待合室ぐらいは刺激を少なくしてもらいたいのです。

病院に行けば、調剤薬局に行くことにもなりますから、薬局内も不安の強い人や過敏性の強い人達が安心して薬を受け取れるように工夫してほしいと思います。

普通の人達には楽しいことなのに、それが苦痛になってしまう。この差が過敏性であり、社会適応が困難になります。

過敏性は、病気でも障害でもないことになっていのすが、強迫症患者にとっては、それがあることで、人間的に生きられないほどの障害になっているのです。

ただ、強迫症の場合、過敏だけの苦しみではなく、過敏性による強迫状態でも悩まされるのです。

感覚的な強迫と、思考による強迫がありますが、感覚過敏の人が、その刺激での不快感で、強迫状態になってしまうとは限りません。

自閉症の感覚過敏・・・意味のない刺激への過敏性
強迫症の神経過敏・・・意味のない刺激だけでなく、意味による刺激にも過敏反応する

自閉症の場合、特に知能障害があると、意味を読み取ることが苦手な人が多いので、意味による刺激は感じにくいのですが、その分、簡単な刺激には過集中してしまう人もいます。
これは、自閉していることが原因の感覚過敏ですが、実際に神経過敏な人の感覚過敏は、刺激全般に対して過敏反応します。
自閉症の子でも、何かを見ると何かを思い出したり連想してしまうとか、そういう強迫的な関連付きや連想が起こることはありますが、意味の強迫性が弱いので、そのイメージや記憶が強迫観念としては残り難いのです。
こだわり行動があるタイプの場合、感覚過敏での不快感による強迫行為の場合もありますが、意味のない刺激なので、本人でも意識できないことが多く、他人から見ても無意味にこだわっているように思えます。

強迫症の場合は、意味からも刺激を受けます。
その意味が不快な思考、イメージの強迫観念として、消えなくなってしまうのですが、神経質と違って、そう考えるから、消えないのではなく、過敏性によって、生理反応的に浮かび、過敏性によって、消えなくなってしまうのです。
強迫症の人は、実際の危害であれ、想像上の危害であれ、その危害によって浮かんだ不快な思い(強迫観念)が消え難くなります。
何かを見ると何かを思い出したり連想してしまうとかの強迫的な関連付きや連想が頻繁に起こりますが、そうなれば強迫観念が関連付いたままになりますから、それが汚いことであれば、汚染されることにもなります。
汚いというのは意味ですから、感覚過敏だけという場合は、汚染恐怖にはなり難いのです。

意味のある刺激には、思考での刺激とか、体験の刺激、情報の刺激も含まれます。
何らかの物事への恐怖、残酷な物事への嫌悪とか、汚れへの嫌悪とかも意味のある刺激ですが、そういうのが強迫観念として消えなくなってしまうので、恐怖や嫌悪も消えなくなり、不安も強まります。

言葉、文字、写真、新聞、テレビ、雑誌、人の行為、こういったことによる不快な情報が神経に触れることで、強迫観念が煽られます。

なぜテレビや雑誌などの情報でも強迫観念が煽られるかといえば、強迫観念も情報ですから、強迫観念が消えないということは、頭の中で不快なテレビ番組がずっと映っていてそれが消えないとか、不快な雑誌のページがずっと開かれた状態と同じことだからです。
過敏性の強迫観念の場合、それは頭の中のことでも想像上のことではなく、実際の危害なのです。

トラウマ記憶のある人もよく分かると思いますが、頭の中にあって苦痛なことが、現実側なら大丈夫とかそのほうが変です。

強迫観念と同じ不快な情報が現実側にあれば、それを見聞きすることで、その情報が強迫観念として頭の中に残ってしまいますから、その情報源に拒絶反応が出るのです。
汚染嫌悪の強迫観念がある人は、そういった情報の見聞き、あるいは、その情報媒体での直接的、間接的な接触で汚される人もいます。
神経と精神は結び付いていますから、神経に触れた情報が、精神的にも残ったままになって、そのイメージの付着により汚れてしまうのです。

選択できる情報なら良いのですが、言葉、文字、写真、新聞、テレビ、雑誌、人の行為などは、雑多な情報であり、公共の場では無理やりその情報を浴びせられることにもなります。

いらない情報は、汚いゴミと同じですから、それはもう頭の中にあって、それが捨てられなくて困っているところに、また似たような情報が入ってこれば、不快感が強まり、その情報が消えない=不快な情報の汚染状態になってしまうのです。

普通の人達は、その情報を苦痛には思わないとしても、それで強迫状態になってしまう人にとっては、どうしても危害に思えます。

過敏で、ストレスに弱く、些細なことでもトラウマになってしまう。
このことで、過敏性、全般性、強迫性の揃った恐怖症、嫌悪症になります。
不安、恐怖、嫌悪などが強迫症状を引き起こしますから、それらを感じることの全てで強迫観念が強まります。
実際の危害に対してのストレス反応ですから、認知は正常なのですが、過敏性が強く、強迫状態になってしまうのが苦痛なので、一般の人なら考えないような強迫観念も浮かびます。
患者にとっても、それは考えているわけではなく、危害に対して生理反応的に浮かんでしまう思考ですから、一般的ではない考えだとは分かるのですが、心理に関係なく生理は起こりますから、その生理反応を強迫行為で処理するしかなくなります。

トラウマ記憶と同じように、強迫観念自体もストレスになりますが、その強迫観念を作り出すのが、実際の危害への過敏性ですら、心理で強迫観念が生じるのではなく、生理的に浮かんでしまう思考なのです。

過敏性の精神障害がない理由は、過敏性というのは、精神的なことではなく、神経の問題だからです。
ですから、精神医学の範囲で過敏という場合は、精神的に恐怖や不安が強いことで、その対象に対して過敏になっていると考えるのです。
精神の医学なのですから、神経が過敏だから、恐怖や不安が強いとは考えたくないのです。

過敏症という名の付く病気だと、光線過敏症とか、薬物過敏症とか、体の病気なら割と多くあります。
化学物質過敏症という病気もありますが、それ自体は、精神障害ではありません。
ですが精神的苦痛もありますから、精神に問題が出ないわけでもなく、化学物質で何らかの苦痛な症状が出てしまう人は、それが苦痛を避けようと、化学物質の恐怖症になってしまう場合もあります。
うまく避けられないと、ストレスで鬱になったりもあり得ます。

化学物質で症状が出てしまうと思っていることで、恐怖が強まるのですが、実際にそういう症状が出る人にとっては、思い込みで恐怖しているわけではありません。
化学物質が怖いという思いをなくしても、化学物質にさらされれば、症状が出てしまうので、どうしても化学物質が怖いという思いが消えなくなります。
これが生理的恐怖です。
化学物質過敏症だけど、化学物質は恐怖ではないという人もいるかもしれませんが、それでも化学物質は避けないといけなくなります。
症状が出るのが苦痛だからというのは、心理の問題ではなく、実際の危害に対する生理的な回避行為です。
過敏性自体は、精神の問題ではないのですが、過敏性によって、精神にも行動にも悪影響が出てしまうのです。

一方で、過敏だから化学物質に恐怖するのではなく、化学物質への恐怖が強いから、過敏になってしまうという場合は、本当は、化学物質過敏症ではないのです。
こういう物質的な過敏症の場合、適切なテストできれば、実際の過敏症なのか、恐怖による過敏なのかは簡単に見分けられます。

実際に化学物質にさらされても、それに気付かなければ症状が出ないとか、さらされてもさらされなくてもどっちでも症状が出る場合は、過敏症ではなく、化学物質恐怖症(特定のことでの恐怖症)の可能性がありますが、このタイプは、過敏だから恐怖するのではなく、恐怖していることで、過敏になってしまうのです。
これは、心理的な過敏であり、本当は過敏性は無いのです。

例えば、神経質な性格の人とかは、化学物質過敏症という病気があることを知ると、化学物質が怖いものに思えて、自分もそうなってしまうのではとか、具合が悪いのは化学物質のせいではないかとか考え出して、その考えによって、化学物質恐怖症になりやすいのです。
そういう人は、化学物質があるように思える状況では、緊張や恐怖心が強まることで、そのストレスから実際に体調が悪くなってしまいます。

そうならないようにと、化学物質に対して警戒心が強まり過敏になってしまいますが、実際は化学物質から害を受けるのではなく、自分の考えによる恐怖で害を受けているのです。
こういう思い込み(想像上)の恐怖で過敏になってしまう人を、神経質というのですが、表面的には化学物質過敏症と同じように見えますが、全然違う心の病気です。
現実のことへの恐怖なので妄想ではありませんが、考え、想像によって、本来は関係のない病気への恐怖症になっているので、ほとんど現実との結びつきは無く、考え過ぎでの恐怖なのです。

しかし、恐怖で過敏になっているとしても、その恐怖が神経質のような心理的な恐怖ではなく、生理的恐怖の場合は、PTSDに近い症状になります。
何らかの化学物質で苦痛な思いをして、化学物質恐怖症になっているのなら、実際の(生理的な)恐怖があっての症状なので、少なくとも思い込み(想像上)の恐怖ではないからです。
こういうのは、考えが作る恐怖ではありませんから、考えを変えようとしても、それに関わらず、記憶がある限り恐怖は続きます。

不快なにおいで具合が悪くなってしまうことは、普通の人にもあることですが、特定の化学物質の臭いでそうなってしまう場合も、化学物質の過敏症ではあります。
こういうのも、生理的症状である場合と、におい恐怖での心理的症状である場合もあるし、PTSD的な症状の場合もあります。

化学物質過敏症には確かに神経質とか精神的問題の人達も多くいますが、だからと言って、化学物質過敏症=心の問題としてしまうと、実際に過敏な人達が心の問題とされて不適切な治療を受けないといけなくなります。

それは、強迫症の現状と同じ事で、神経の過敏性ではなく、完全な心の問題とした森田療法もそうですが、精神医学的にも強迫症に関して過敏性という言葉は、禁句のようにもなっています。
そのままだと、神経の過敏性によって強迫症になっている人達が不適切な扱いを受ける状況が続いてしまいます。

過敏性には物質による過敏性(身体症状性の過敏)、心理的過敏性、生理的過敏性などがありますが、どれもその苦痛は神経とか心で感じることです。
生理的過敏性は、身体的には目立った症状は出ませんが、神経レベルでは、ストレスでの苦痛が停滞したままになり、その苦痛に耐えられず、強迫行為に繋がります。
この過敏性の苦痛により、恐怖や嫌悪も強くなりますが、考えることで、恐怖や嫌悪が起こっているのではなく、考えに関わらず生理的に恐怖や嫌悪が浮かびます。
恐怖や嫌悪があるから、過敏なのではなく、過敏性の苦痛が強いので、その対象への恐怖や嫌悪も強まるのです。

心理的過敏性は、考え方の問題ですから、考え方を変えれば治りますが、トラウマのような実体験した生理的苦痛が根本にある場合は、考え方も治せません。

同じように、ネガティヴな考え方で鬱になっているなら、考え方を変えれば、鬱にもなりませんが、鬱になっているから、ネガティヴ思考になっている場合は、鬱を治さないと、考え方を変えられません。

生理的過敏性は、考える以前の反応であり、考えに関わらない過敏性です。
恐怖や嫌悪すること全般に対して過敏になりますが、恐怖や嫌悪しているから過敏なのではなく、生理的に不快なこと全般への過敏性の苦痛があるので、恐怖や嫌悪が起こるのです。

身体症状に出るような物質的な特定のことでの過敏性は、客観的にも分かりやすいのですが、恐怖症と同じように、特定の刺激を避ければ良いのです。
強迫症の過敏性でも身体症状は出ているのですが、強迫状態は神経レベルの症状なので、本人が苦痛を感じることでしか分かりません。
特定のことではなく、刺激自体への過敏性ですから、本人の感覚で苦痛を感じること全てで、強迫状態になります。
苦痛を感じること全てに過敏になりますが、避けようにも避けきれません。

汚染恐怖の場合、元々、何かへの嫌悪であるとか、精神的な汚れが多いので、気付かなければ強迫行為も起こりませんが、だからと言って、想像上の恐怖ということではありません。

例えば、雑誌に汚されるという場合も、その汚れ自体は、他人からは見えませんし、本人も強迫観念がなかったら、分かりません。
しかし、雑誌での情報でのトラウマがあり、汚れを感じるような不快な雑誌があることに気付いてしまえば、強迫観念が浮かんで、実際に汚されてしまいます。
汚されれば、強迫観念が強まりますから、長時間洗ったり、洗えないなら捨てたりすることになります。
もちろん、幻覚や妄想と違って、それが本人だけの思いだとは分かっているのですが、実際の危害で生理的に浮かぶ思いには現実的な強い不快感が結び付いていますから、自分でどうこう思おうと、その思いを変えることはできないのです。

その汚れの元になっているトラウマ的な物事が実際にあって、それへの生理的な嫌悪や恐怖があってのことですから、思い込み(想像上)の問題ではなく、生理的なストレス反応での実際の事に対する恐怖なのです。
こういうのは、考えに関わらない恐怖なので、汚れに気付かなくても、その恐怖自体はあり続けるのです。
気付かなければ、強迫行為をしなくても済みますが、気付かなければ汚れないのではなく、本当は汚れているのに、気付かないことで、汚れたままになってしまいますから、それによって汚染が拡散してしまうのが怖いので、慢性的に汚れに対して注意過剰になって、「気付くようにする」しかなくなります。

ただ、器質的に神経過敏な人は、神経質な性格ではないので、本当は細かいこと、気を使うことが不得意で、注意することが苦手なのです。
ですから、注意していても、うまくできずに、汚されてしまうことも多くなります。
敏感な人は、注意力があるのではなく、注意したくないのに、危害が多いので、常に注意しないといけなくなってしまうのです。

器質的な神経過敏なので、性格が大雑把でも、どういう考えを持とうと、それに関係なく、不快なこと全般に過敏反応します。
小さいことでも、大きなことでも、どちらにせよ、小さなレベルまで気になってしまいます。
その過敏性の苦痛の対処としての強迫行為もめんどうで苦痛ですから、心も病んでしまいます。

過敏性によって、ストレスでのダメージを受けやすく、そのダメージが長く残って、消えなくなってしまう、それを解消しようと強迫行為をする、という症状ですから、心の問題ではなく、生理的症状なのです。

強迫は心理ではなく、生理です。精神ではなく、神経症状です。
神経症状というのは、神経症ではありませんから、精神医学では治せません。

実際に過敏なことを確かめられるかといえば、神経質や強迫行為先行型のように過敏性がなくても強迫行為をする人はいますから、表向きの症状だけで判断することもできませんし、HSP・HSCでの過敏性が確かめられないことと同じで、神経レベルの過敏性は、本人にしか分かりません。

過敏性で一番困るのは、刺激物、ストレス(ストレッサー)です。
それが多くて気が滅入ってしまいます。

考えに関わらず、その前に、ストレスに過敏であるという場合は、心ではなく、神経の問題であり、心理ではなく生理の問題です。

ストレスを感じ取るのは神経ですから、過敏な人は、ストレスが多く、そのストレスが長く続きます。
その上、ストレスに弱いので、ストレスでの強迫状態になり、それを防いだり対処するのが強迫行為です。

過敏性によって、心も病みますが、過敏性自体は、心とは関係ないのです。
心が病むから強迫症状が起こるのではなく、生理的強迫症状によって心が病むのです。

精神的問題で身体症状が出ている病気として、正式な病気ではありませんが、自律神経失調症というのがあります。
これはストレスとか精神的な問題で、自律神経が不調になってしまう病気ですが、自律神経は問題ないのに、心の問題で、自律神経が不調になっているという考えですから、神経質のことでもあります。
実際に自律神経に問題があって症状が出ている場合は、心理的問題ではないのですが、自律神経に問題があるかは確かめ難いので、できる範囲の検査をして何にも問題がなければ、体の問題ではなく、心の問題とするわけです。
ただ、実際に神経に問題がないとも限りませんので、そういう場合は、体の不調の対症療法をしつつ心の問題も治すことになります。

身体醜形障害(醜形恐怖症)というのも、そんなに醜くないのに、すごく醜いと思ってしまう病気のことですから、病気じゃないのに、病気ではないかと不安になってしまう、病気不安症と同じ範囲の病気とされてきたのです。
実際に醜い人でも、同じ症状は出るのですが、実際にそうなら、不安の病気ではないので、身体醜形障害ではないことになります。
では、実際に醜いことで、身体醜形障害になっている人は、精神的に問題がないのでしょうか?
むしろ、実際に醜い人こそ、身体醜形障害になりやすいのですが、実際に醜くてもそうならない人もいますから、そうなっている人は何かが違うわけです。
ここにも過敏性とかそれによる鬱の問題が絡んでくるのですが、精神障害には過敏性という考えが無いので、実際に醜いのであれば、精神障害ではないということになります。

精神障害として考えると、今は強迫グループに入っていますが、この場合も、不安の病気として治しても意味がありませんから、それによる鬱とかの精神的問題を治すぐらいしかできません。

ストレスを精神的に除けたり転換することで出る精神的症状なら、心の問題と言えますが、強迫症は、むしろそういう精神的症状が出ないので、ストレスそのものを、そのまま受け取ってしまい、そのストレスが強迫状態で長く続いてしまうだけなのです。
その強迫状態の苦痛を強迫行為で対処するのですが、それも苦痛でストレスになりますから、気分、感情、情緒、思考、記憶、そういった精神面も害されてしまいます。

敏感であることで、精神面も脆くなりますが、強迫性障害は、他の精神障害とは違って、神経障害としての精神障害なのです。
神経質というのも、神経とはまったく関係のない精神的気質(心の癖)のことですから、強迫性障害は神経質ではありません。
神経質とか神経症の真逆が神経障害ですが、その中でも強迫性障害は過敏性の神経障害になり、一番、精神障害的ではない精神障害なのです。

妄想も神経が関係していますが、過敏ではなく、興奮であり、過敏とは真逆の鈍感状態です。
現実への過敏性が無いからこそ、現実離れした思考が浮かぶのです。
妄想自体は完全に心の問題ですから、一番、精神障害的な精神障害なのです

強迫性障害は、有りもしないことへの不安の病気という前提では、実際には汚れてないと分かっているのに、汚れていると思えてしまうのが強迫観念であり、それを実際に汚れていると思っている場合は、実際ではないことを実際だと思っているから、妄想的ということになります。

それは過敏性の強迫症状を知らないことによる誤解です。
できれば考え方とか心の問題での不安思考、そうでなければ妄想として、過敏性の思考という考え自体がなかったのです。

過敏性の強迫観念は超現実密着型の思考で、細か過ぎて普通の人が考えないような思いが浮かびますから、そういう意味では妄想的でもありますが、超現実離れした思考である突飛な妄想とは真逆の思考状態ですから、同じように治せるわけがありません。

妄想様強迫観念というのは、妄想とか思い込みの非現実的不安思考のことではなく、一般離れした普通はあり得ないようなレベルの非常に細かい思考のことなのです。
強迫観念は、神経レベルの思考なので、現実と感情との結び付きも強く、一般離れはしていても、現実離れした妄想とか空想への過集中とかとは全然真逆の思考です。
これは意識的想像ではありませんが、想像力の強い人は、想像する力があるので、神経レベルの強迫観念も強固になります。
想像力の強いことで、不快感による不快な思いが、リアルに具体化してしまうので、現実味がある分、現実的不快感も強まります。

妄想は現実から切り離された思考であり、強迫観念というのは、現実離れできないことによる不快な思考なので、強迫観念であれば、妄想であるわけがないのです。

興奮を静める薬はありますから、妄想幻覚は比較的簡単に治せるのですが、神経の過敏性は今のところ医学でも精神医学でも治せません。
アレルギーの場合は、神経の病気ではなく、免疫の病気であり、本来は敏感に反応しなくていいことに、過敏反応してしまう病気のことですから、特定のことでのアレルギーであれば、なんとか対処できる場合もあります。
感覚過敏とか神経過敏は、アレルギーではないので、どうしようも治せません。

ですから、過敏という言葉は精神医学的には、禁句のようにもなっていて、ほとんど使われません。
易刺激性という言葉はありますが、これは神経過敏(刺激に敏感)という意味では使われていません。
自閉症とかのそれであれば、易攻撃性とか、易興奮性、易怒性と言うべき事です。
易刺激性・過敏性=周囲から自分が害される。
易興奮性・易怒性=自分で自分を害する、周囲を害する。
という意味で、使い分けをしたほうが良いのですが、それさえもできていません。

過敏性という意味での易刺激性こそが強迫の苦痛の元なのですが、強迫性障害の易刺激性に対してどうこうなんて話にはなりません。
強迫性障害は症状が明らかに過敏性そのものなのに、過敏性の病気ではなく、心の病気と言う考えだからです。

過敏性の苦痛によって症状が起こるのに、そんな苦痛ははあるがままにして、なくそうとしないほうが良いとか、なくそうとするから苦しむんだとか言っているのです。
過敏だけでも苦しいのですが、それで強迫状態になってしまう苦しみ、それによる心の病み、人間らしく生きられない苦しみ、様々な苦痛が重なります。
何かを求めてそうなってしまうのではなく、ただ病気の苦しみがあって、それがなくならないだけです。

過敏性による苦痛が続けば、精神的苦痛も続き、精神は病みます。
神経障害だとしても、精神障害でもあるのですが、過敏性を無視して、心の問題だけ治そうとしても無理なことです。

強迫は心の病気ではなく、神経の病気です。
自分の精神ではなく、肉体の神経がやっていることです。
神経過敏は肉体意識を強めます。
肉体こそが本質になり、精神が束縛されます。
精神は神経によって作られますが、本来、精神自体は自由になれます。
肉体がある限りは、神経の生理的行いの束縛を受けますが、精神的には自分がそうしようとすれば、自由になれるのです。

ただし、精神そのものが病んでいると、精神も自由になれません。
精神的にも自由になれないということは、強迫症だからではなく、心に問題があるのです。
強迫症は治せませんから、心の問題を治すことで、強迫症状があっても、なんとか人間らしく生きられるようにできるのです。

心の問題は、トラウマであったり、鬱であったりすれば、それはそれで神経が関係していて治し難いので、それ以外の精神的自由を体現するようにするぐらいしかできません。

精神の病気でない部分をどれだけ自由にできるかなのです。
それは、人によってはほとんどないかもしれませんから、ほとんどない精神の自由に集中したいのですが、それができないレベルであれば、できないまま生きていくことになります。

できないことをしようとしてもできないので、できることだけするぐらいしかありません。
そういうレベルの人は、統合失調症ではなくても、精神病の強迫性障害なのです。
つまり、精神的に狂っているが、並行して、ある程度は、まともなので、その面では強迫性障害なのです。
精神的に狂っていて、神経的に強迫症という病態です。
神経的に強迫症であることで、精神にまともな面もあるのですから、こういうタイプは、なんともできません。
狂っているだけで、妄想幻覚症状ではないので、薬も効きませんし、精神は狂っているのですから、心理的な治療法も通用しません。
昔は、境界例と言われましたが、一番、なんともできない病態です。

本人は発揮できていない才能があって、いろいろとできると思っていますが、才能が実際にあっても、精神病+強迫症だと発揮できませんから、大抵のことはできません。
できることをできる範囲でしていくしかありません。


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