強迫性障害の全貌

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今後の強迫症(強迫性障害)/HSP・HSCや過敏型強迫症の治療にはどう取り組めば良いか/過剰共感/神経科学で過敏性障害は解明できるか?/強迫症を治療する前に知っておきたいこと/トラウマや強迫観念が消えないのはなぜ?/強迫性障害は神経の障害/強迫性障害の新薬/全ての医療関係者、研究者、福祉関係者、および一般の方々へ/一部更新2020.11.5

強迫症(強迫性障害)の人は、神経レベルの過敏性によって、神経に刺激が残ってしまう強迫状態になり、神経や脳にストレスがどんどんため込まれてしまいます。
それで、神経に触れる刺激を避けてしまったり、その刺激の苦痛の増加を防いだり対処するという生理的な病気ですが、今のところ、神経の過敏性を治療するという考え自体がありません。

それ以前に、精神医学、心理学的には、神経が過敏なんていう考え方はないのです。
何かを気にするというのは、神経の過敏性がそうさせるのではなく、不安とかの心の問題でそうしてしまうと考えます。

敏感だから気にするのではなく、気にするから敏感になってしまう。

大したことでもないのに、ストレスに感じるような考え方をするから、ストレスになってしまう(ストレスは神経ではなく心の問題とする)。

過敏だから恐怖するのではなく、そんなに怖がらなくていいことなのに、怖いと思い込んでしまうから、過敏になってしまうという考えです。

神経が過敏という考えがないので、どうして、そんなことをそんなに嫌悪するか?思い込みではないか?不安が強いからでは?そうじゃなければ、妄想があるのでは?
と考えてしまいます。

神経の過敏性によって、不快な感じ(強迫感覚)や不快な思考(強迫観念)が神経と脳に残って消えなくなってしまうので、その対処の行為(強迫行為)も過剰になってしまうのですが、性格的なこだわりが強いのでは?完璧を求めているからでは?
と考えてしまいます。

強迫観念は過敏性思考なのですが、神経が敏感なのではなく、こう思っているから、こう考えているから、こういうとらえ方をするから、そういう心の持ちようの問題だとするのです。
基本的には心の分野の医学だからです。

心因性精神障害(神経症)・・・心の問題
内因性精神障害(精神病)・・・脳の問題
というのはあったのですが、

神経性精神障害・・・神経の問題(過敏性が引き起こす症状)
というのは、なかったのです。

精神病も神経は関係していますが、過敏性とは真逆になります。
内部的な過度の興奮や過鎮静による鈍感化症状ですから、現実への神経的な過敏性がなくなってしまうことで、現実離れしてしまうのです。
妄想幻覚の場合、それは架空の世界であり、現実は関係ありませんし、鈍感症状ですから、普通の人達が気にならないレベルの現実の些細なことを気にする妄想なんてありません。
妄想幻覚以外の精神病症状も現実の何かへの過敏な反応で起こるわけではありません。
周囲は関係ない症状なので、自己中心の世界です。
現実に対応できなくなったり、自分と他人との境界に壁ができて、他人のことを考えなくなったり、自分本位で考えます。
鈍感性により、現実との壁が厚いことで、周囲にうまくまじわれませんから、鎮静鈍感状態であると引き篭もり的になり、興奮鈍感状態であると、自我世界の妄想を周囲に無理やり、こじつけようとする人もいます。

過敏というのも脳の問題とも言えますが、感じることですから、神経そのものとか、神経を伝わった情報の処理(刺激情報の受け皿の機能障害)とかが関係していることは考えられます。
何かに反射したり反応するわけですから、周囲から様々な刺激を浴びせられることになります。
過敏性による思考の場合は、現実離れした思い込みの不安とか妄想とは真逆で、超現実であり、敏感なので、思考的には顕微鏡で見たような世界になります。
それは普通の人には分からないので、一般的ではなくなりますが、実際のことなのです。
強迫感覚や強迫観念が内部に残り続ける、思考や感情などの内部的な刺激への過敏性、これは周囲が関係ないという意味では、精神病的ではあるのですが、基本的には外界の不快な何かが取り込まれた状態ですから、これも完全な内部だけの症状ではないのです。
過敏性の問題でそうなってしまい、そのストレスの対処として、強迫行為をしないといけなくなります。
前回書いた、共感性による思考も、現実の何かに対する過敏な神経反応が浮かばせる思考ですから、頭でどう考えようと、神経的(肉体的)には、実際のことなのです。
共感性によって、自分と他人との境界があいまいになったり、他人のこととか、関係ないことでも、自分のことのように思えてしまいます。
そう考えているのではなく、敏感な神経反応がそう思わせるのです。
過敏性によって、共感強迫→同化恐怖、感化恐怖→悪いことと良いことが結び付いてしまう(関連付き恐怖、連想恐怖)、良いことが悪いことに蝕まれる(安全をおびやかされる恐怖)、良いことが悪いことに染まってしまう(汚染嫌悪、感染恐怖、不潔恐怖)、こういう危害への恐怖、嫌悪、不安などが基本的な強迫観念となって、強迫行為で防いだり、危害による苦痛を対処することになります。

興奮性の病気はアップダウンしますが、過敏性の病気は継続的、慢性的に同じ状態が続きますから、強迫症状には波がありません。
精神的な原因での過敏性ではなく、神経自体が敏感な人は、どうしようと鈍感になれないのです。
この過敏性が強迫性を強めます。

強迫観念は何らかの危害での刺激によって、生理反応的に浮かび、それは神経と脳に残り続けて、また些細な刺激(外部の何かとか、内部の不快な思考や感情や記憶などの刺激)で強く浮かんでしまいますから、神経に触れること(強迫観念を煽ること)を避けてしまいます。
ですから、不快な内部刺激の起こりやすい、うつ病や全般性不安症、PTSDなどの精神障害の人は、脳内部の刺激によって強迫観念が浮かびやすくなります。
強迫症自体は神経の問題なので、精神的には病んでない人もいますが、大抵の強迫症患者は神経の過敏性の問題だけでなく、それらの精神障害を併存しています。
免疫力の低下した人が病気になりやすいように、敏感な人は、精神的な刺激にも弱いので、精神障害にもなりやすいのです。
不安型の人は主に内部の刺激で強迫観念が浮かびますが、過敏型の人は現実の刺激でも強迫観念が浮かびます。
強迫症状が出てしまうと苦痛が強いので、普通の人には些細なことでも、そうさせる対象(外部の刺激)が患者にとっては実際に危害なのです。

関連リンク
共感強迫/情報恐怖・情報汚染/ストレスは心が作るのではなく神経が感じること/ストレスがHSP・HSCやAD/HDを強迫症(強迫性障害)や鬱病にする
https://locd.hatenablog.com/entry/2020/10/10/173350

過敏性による思考が不快な内容であれば、その刺激性が神経に残ってしまうことで、強迫観念として、なかなか消えなくなり、程度によっては、生涯消えません。
神経に不快感が残ってしまうので、その記憶もあり続けます。
これはトラウマ記憶が残ってしまうことと同じで、敏感な人はトラウマも消えなくなります。

そういう過敏性に強迫される病気が強迫性障害ですが、今まで過敏性は関係ないとしてきたことで、過敏性のない強迫症患者も多く含まれています。
むしろ、過敏型の強迫症患者は、強迫性ディスタンスによって、病院に行く、治療を受けることさえ困難なので、表面的な患者としては少ないタイプですが、なんとか通院していてもまったく治らない人には、過敏性の強いタイプが多いのです。
過敏型は今使えるような精神の薬は全て効きません。
併存疾患にはある程度は効くことがあり、強迫観念が想像上の不安思考だけの人は、軽症化したように感じられる人もいますが、過敏性の生理的恐怖や嫌悪には効きませんし、元々から軽症でない限りは、長期療養しても、すでに神経と脳に刻み込まれている強迫感覚、強迫観念、トラウマ記憶は消せませんから、強迫症状自体はどうしても続いてしまいます。神経の病みが回復しないので、心の病みも晴れません。

過敏型であると、待合室のテレビでの情報とか、そういう刺激でも苦痛に思えたり、トラウマを想起してしまう文字とか、新聞雑誌の記事やテレビ番組に汚されたりする人もいます。
うつ病の人は楽しめなかったり、世間への関心がなくなって、新聞、テレビなどを見なくなりますが、そういうレベルではなく、テレビ、新聞、雑誌などで強迫観念が煽られて、症状が悪化したり、汚されたり、トラウマになったりしますから、情報を無理やり見せ付けられたり、聞かされることが暴力されるに等しくなります。

例えば、敏感な人は、テレビで見た残酷なニュースで、自分のことのようにショックを感じて、他人事なのに自分がそうなってしまったような、そうなってしまうような思いが強まり、なかなか消えなくなります。
強迫症であると、過敏性による強迫状態で、その残酷なことへの嫌悪感やその記憶が消えなくなってしまう付着感を、汚いことの付着=汚染として感じてしまい、そのニュースだけではなく、それに関連すること全般で、物質的な汚れと同じように汚染されるようにもなります。
それが苦痛で、テレビ新聞雑誌、他人の会話などの雑多な情報への拒絶や回避が起こります。
単に恐怖なのではなく、汚されれば、長時間洗ったり、洗えない物は捨てないといけなくなってしまうし、その体験記憶が消えなくなり、新たなトラウマとなって回避対象が増えてしまいます。

そういう実際の害があっても、汚した側は知らんふりをするわけですから、患者側だけで苦しむことになります。

ですから、少なくとも病院などの待合室で、テレビ新聞雑誌などを無理に見せ付けることがあってはいけません。
テレビを置くにしても、テレビ番組の垂れ流しではなく、癒し系の環境映像などを流すべきです。

普通の人なら、見たくない番組なら目を背けたりすれば避けられますが、敏感な人は神経が反応したままになってしまうので、目の前にあれば、気にしないことができませんし、音声も聞こえますから、見なければ良いという話にはなりません。
特に、汚染の強迫観念で汚れてしまう人にはなおさらです。

お薬手帳などの紙製の物(洗えない物)、財布やカバンなどの洗いにくい物とかが継続使用できないとか、人との接触や雑誌広告の見せ付けで汚染されるから電車に乗れないとか、何かに汚染されるから通れない道が多いとか、過敏性によって、危害、危険が実際に多いことで、危険回避、危害回避が過剰になり、何かをすれば、慎重になったり、何度も確認してしまうので時間がかかってしまうとか、違和感が気になって何度もやり直してしまうとか、普通はできて当たり前の日常的なことが、症状の苦痛でできなくなったり、時間がかかってしまうので、それ以上の社会適応も困難になります。
特に汚染恐怖(汚染嫌悪)の人は、1日中、一生汚染を気にして生活することになり、1つのことをするにも、人の何倍も時間がかかり、人間関係も維持できなくなり、社会的に孤立して、セルフネグレストのようにもなります。
性格とか考え方の問題ではなく、そんなことに関わらず、神経がそうさせてしまう病気なのです。
関連リンク
強迫症(強迫性障害患者)とHSP・HSCにも社会的バリアフリーの実現を
https://locd.hatenablog.com/entry/2020/10/04/150531
うつ病とかだけなら、病院に行けなくても、訪問診療なら受けられますが、強迫症の場合は、汚染恐怖などがあるので、訪問診療さえ困難なのです。
軽症であれば、遠くの大病院に通院したりする人もいますが、重症であると頑張っても近くの小さなクリニックに通える程度です。
それさえも困難なのは、病院側が過敏性の苦痛を理解していないからです。
治療以前に待合室の段階で、強迫観念が煽られて症状が悪化してしまいます。

付き添いが得られる病気なら、サポートも受けやすいのですが、汚染恐怖や不潔恐怖の症状によって人の付き添い自体が受けられなくなってしまうので、家族との同居も困難になり、孤立してしまい、うつ病で気力が出なくても、生きるための最低限のことは何でも自分でやらないといけなくなります。
関連リンク
強迫性障害での鬱病が治し難い理由 その2/タイプや病状ごとの強迫症(強迫性障害)の治し方
https://locd.hatenablog.com/entry/2020/09/29/174910

強迫性障害(強迫症)と精神障害者手帳
https://locd.hatenablog.com/entry/2019/11/01/144501
精神障害者手帳の診断書は、強迫症状で家族との同居や入院生活ができない人のことは想定していませんから、人の付き添いや看護が受けられなくて、一人で無理してやっていることでも、援助がなくてもできていることとして見なされます。

精神病的な他人への拒絶は、過剰な興奮や妄想によるもので、特に根拠はありませんから、強い鎮静剤で治せます。
過敏性の拒絶は実際に害があることへの生理的拒絶反応です。
普通の人なら害にならなくても、過敏性によって、強い害になってしまう苦痛があることでの拒絶です。
普通の人は患者の強迫観念の汚れを汚れだと思わなかったり、過敏性(苦痛)に共感できませんから、付き添いや看護や看病によって患者の強迫症状を煽ってしまうわけです。
理解が得られないことで、家族を含めた普通の人達とうまく関われなくなり、社会の中で普通のことがスムーズにできなくなり、孤立してしまいます。

強迫症状は心理学的に考えると、何らかの問題が他にあって、それが解決できない不安を、強迫行為で満たそうとするとか考えるわけですが、実際にはそういうわけではなく、問題に対する直接的対処として行われます。
自己愛が強く不完全な自分が認められないからとかでもなく、過敏性による違和感や不快な体験などでのストレスが神経や脳にとどまって消えなくなってしまう症状の苦痛によって、生理的に強迫行為が起こるのです。

自分の意思に関係なく浮かぶ不快な思考なのに、妄想ではない。
こういう強迫観念は、神経反応が浮かばせる生理的思考です。
考え方、気持ちの持ちよう、物事のとらえ方などは関係ありません。
そんなことは、無視して神経反応が思考するのです。
神経過敏な人は、こういう思いが増えて、なかなか消えません。
現実反応の苦痛ですから、現実行動の強迫行為で対処しないといけなくなります。
元々から神経が過敏で弱いので、ストレスの貯蓄で余計に弱まって、神経にストレスでの苦痛に耐えられるストレス耐性がなくなっているのです。
心の問題ではなく、神経の問題です。
苦痛に反応した神経が患者の肉体に強迫行為を指示するという生理です。

強迫行為は、心理的なことではなく、生理反応の問題であり、強迫感覚や強迫観念、トラウマなどとして、ため込まれたストレスの対処なのです。

強迫症は、心の病気ではなく、むしろそれに関わらない症状ですから、神経科学的に研究しなければ、解明できません。
発達障害も神経の発達障害なのであれば、神経科学(生理心理学など)で解明しないとなんともなりません。

脳機能や神経の問題は、薬での治療も向いていますが、過敏性に関しては、今後も薬も治療法も期待できません。
過敏性の苦痛を無くすと幸せになれますが、それはみんなが求めてしまうし、不安や恐怖や嫌悪などを感じにくくなれば、逆に危険回避をしなくなり、生物的に危険になります。
関連リンク
強迫性障害での鬱病が治し難い理由
https://locd.hatenablog.com/entry/2020/09/23/051912

強迫性障害を発症すれば、多くの場合、うつ病も発症します。
強迫性障害と鬱はセットなのです。
過敏性、感受性、共感性の強さ+心の病みが合わさると、様々な強迫症状が起こります。

神経反応によって何らかの不快な思いが浮かべば、その思考が想像上のことであっても、過敏性、共感性によって現実のようにリアルに感じられ、そうなってしまうかもとか、そうなっているように、どうしてもそう思えてしまいます。
妄想ではありませんから、それは自分の思いであることは分かっていますが、神経反応で浮かんだ強迫観念に、神経が現実に対する反応と同じように思考上のことにも過敏反応してしまうのです。

過敏性により、神経レベルでは、イメージなどであっても、現実的に感じられ、その感じに共感してしまい、その不快感による不快な思考にも共感してしまい、強迫観念として長々と残ります。
それは大抵は現実的な危害に対する不安思考とか、実際の危害による不快な思いですから、現実行動で、対策したり、回避したり、対処しますが、強迫感覚や強迫観念はなかなか消えませんから、その行動が過剰になります。

人によっては、共感性の自我障害にもなります。
共感性の強さから、自他の区別があいまいになって、思考上では、私はあたな、私は世界などと思えるようになりますが、生物的には自我がなくなっては危険ですから、肉体的神経反応による苦痛で自他が分別され、現実的には世界との一体化が起こらずに、精神世界と肉体的現実世界とのギャップに悩みます。

共感性の強さではなく、自発的意識的に、無我の境地、無分別、一体性(自他不二)を求める人は、苦行などをして、神経反応での苦痛に慣れることで、身体的にも世界との一体化を求める人もいます。
そういうのは、宗教的な修行僧とか特殊な生活をしている人に多いのですが、身体的過敏性の強い人は、苦痛を人一倍強く長く感じてしまうので、苦痛に弱くなり、神経反応での苦痛に慣らすことができません。
特に過敏ではない普通の人でも難しいことなので、通常は、静かで刺激の少ない環境で、瞑想などをして神経反応を静めて肉体意識を弱めますが、そのままの状態で日常生活をすることは困難であり、普通の状態に戻れば、やはり神経が活動し始めます。
ただ、過敏な人で、特に心が病んでいると、そういう瞑想自体も困難で、逆にトラウマ記憶や強迫観念などの内部刺激に集中してしまい、症状が悪化することもあります。
精神障害に瞑想はあまり向いていません。
心静かに瞑想できるぐらいなら、精神障害では悩みません。
スポーツとか何か楽しいことをするほうが向いています。
精神障害だとそういう気持ちになれず難しくなりますが、できる人はしたほうがプラスです。

神経が過敏であると、感じたり思わされたりの神経レベルで行われることを自分の意思で無視するのは困難です。
過敏であることで、その苦痛にやられてしまうし、苦痛な思考に触れられません。
過敏性によって、精神が、神経レベルの反応の束縛から解放されないのです。

その束縛で、精神も病みますが、その心の病みを癒すことに取り組もうにも、病んだ神経や精神が邪魔をします。

共感力の強さの問題は、過剰共感の苦痛です。
自分だけでなく、親しい人などの辛さを、その人の何倍も感じてしまうことです。
例えば、家族に辛い生き方をしている人がいると、その本人以上に、辛い思いをして心が病んでしまうこともあります。
共感力が強すぎる事で、適切な共感ができなくなってしまいます。
相手が人でなくても、思い入れが強くなったり、嫌なこと、敵対することを無視しようにも、神経が気にしてしまうことでの同化(関連付き)を恐れて、嫌悪や拒絶反応が強まり、強迫症状にもなります。
過敏性によって感じてしまうことなので、頭でどうこうしようと、それに関わらずに、神経反応がそうしてしまいます。

HSP・HSC、過敏性強迫症(過敏型の強迫症)、こういうのは、軽症の人でない限り、症状自体はなんともできませんから、それによる心の病みを治しながら、症状があっても生きていける道を探すことになります。

うつ病と同じで、あんまり焦らない、無理をしないことも大事ですが、そういう生活も苦痛になれば、ストレスになります。
ですから、何もできない原因である強迫症を治そうとするのですが、過敏性が原因だと、自分ではどうにもできないし、人にもどうにもできません。
治しようがないのです。

認知行動療法ビジネス(曝露反応妨害)とか、森田療法(宗教療法)に出てくる強迫性障害は、器質的な過敏性を除外した、それ以外の心の問題(不安の病気)の強迫性障害のことですから、同じ病名でも全然違う病気のことです。
考え方とか行動の問題で、大したことないことを過剰に心配してストレスになっているから、考え方とか行動を変えて、ストレスを軽くして慣れろという考えです。
過敏性を無視しているので、その大したことないことが、患者には実際に強い苦痛であることが、理解できていません。
ストレスで悪化する過敏性の病気なのに、病気になったのは患者の考え方や行動のせいにしているので、治せないなら考えや行動の癖を改めない患者が悪いとするのです。

曝露反応妨害では、強迫観念は過敏性ではなく、不安が浮かばせるのであり、想像上の危害に過ぎないので、強迫行為を我慢すれば、強迫観念はしばらくすると自然と消えて何も害はないとしています。
過敏性という考えがないので、強迫行為をする前から、患者レベルでの過敏性による危害での苦痛が実際にあることは知らないし、当然、過敏反応そのもの、不快な感じ(強迫感覚)や不快な思考(強迫観念)での強迫状態そのもの、症状そのものによる苦痛は実際の害ではないという考えです。
ところが病気というのは、症状そのものこそが実際の害であり苦痛なのです。
過敏性による強迫状態の苦痛を解消しようと、強迫行為をするわけで、強迫行為をする前から、実際に危害があるので、強迫行為をしなくても大丈夫とはなりません。
特に、過敏性の強迫観念は、想像上の危害での不安思考ではなく、今現在とか過去の実際の危害での強迫観念ですから、それが消えなければ、現実での苦痛が続きますから、嫌でも苦痛への神経反応が強迫行為をさせてしまいます。

強迫症状と依存症的な強迫行為はまったく関係ありません。
認知行動療法では、強迫症状を強迫行為での安心依存症と勘違いしていて、家族などへの巻き込みを止めれば、強迫行為も止められると言っている人もいますが、重症患者のほとんどは、単身生活であり、巻き込みさえできないのに、強迫行為は続くのです。
単身者の場合、強迫症状があっても誰にも助けてもらえないのですから、助けてもらうために強迫症状が起こるなんて考えは、まったくの勘違いです。
そういうのは、楽したいから、甘えたいから、うつ病になっているという素人的な考え方と同じですが、強迫性障害の人の場合、うつ病になっても、強迫症状によって、人の付き添いや看護や看病が受けられずに、困難でも自分のことは自分でしないといけなくなります。

なぜ強迫性障害の人は重症であるほど、孤立して人からの助けを受けられなくなってしまうのか?と考えてみれば分かることです。
家族を巻き込むために強迫観念が浮かびやすいなんてあり得ません。
もしそうだとしたら、依存性パーソナリティ障害の神経質的な強迫症状であり、そういう人は、実際には強迫性障害ではありません。
強迫行為を行う理由が強迫性障害患者とは全然違うからです。

患者一人で苦しみを抱えて孤独に生きているのですが、言わない限りは誰にも分からないような症状で、言っても他人には理解し難いので、心理的な問題だとしてデタラメな考えをこじ付けられます。
強迫症状があって、得をすることは何もなく、ただ苦しみが続くだけです。

巻き込みしなければ、治せるかのように言っている人もいますが、汚染の強迫症状のある強迫症患者と同居すれば、巻き込みは避けられないことです。
同居人や家族によって強迫観念を煽られて、症状が悪化するので、それを防ごうとすれば、どうしても巻き込むことになります。
患者としては強迫症状での耐え難い苦痛を和らげたいだけなのです。
巻き込まれたくないなら、患者に我慢してもらうことになりますが、そうすると強迫症状での苦痛が強まり、鬱も悪化しますから、患者一人で生活してもらうしか解決策がありません。
実際、過敏型の強迫症の人は、普通の人とは一緒に暮らせませんから、家族関係が維持できなくて、巻き込みせずに一人で生きている人達が多いのです。

症状で外出困難でも、単身だと無理でも外出しないと生活できません。
元々から余程のお金持ちなら別ですが、大抵の重症患者は社会適応が困難なので、社会的に活躍できるわけがなく、経済力もありません。
強迫症状と依存は関係がないからこそ、そうなってしまうのですが、強迫性障害だと一人ではうまく生きられませんから、どうにもできない冴えない孤独な人生になります。

認知行動療法では強迫行為をしなくなれば問題なしとしてしまうのですが、患者にとっては、強迫観念や強迫感覚の病気であり、その大元には過敏性の苦痛があるのです。
それが消えないからこそ、強迫行為をしないといけない苦痛も生じるのです。
神経反応による不快な感じ、不快な思考が消えなくなってしまう強迫状態が、すでに実際の害なのですから、強迫行為をしなければそのストレスが残り続けて精神が病んでしまいます。
うつ病で頑張れない人に、頑張れと言っても、頑張れないことと同じで、そうしようにもそれができない病気の人に、そうすれば治るというのは、治療とは言えません。

森田療法では、強迫観念は、苦痛だから無くそうとするとは考えないのです。
なくそうとするから苦しむんだから、あったってそのままにすればいいという考えです。
神経が過敏な人はその苦痛に耐えられないのですが、森田療法では神経の過敏性は完全に無視して、精神的気質(性格)、考え方の癖の問題としているのです。
神経質というのですが、想像上の不快なことについて考え込んだり、なくそうとすることで、それを強く意識してしまい、その考えが離れなくなってしまうタイプです。
このタイプは、強迫観念といっても、神経反応の生理的思考ではなく、鬱のネガティヴ思考でもなく、性格的な考え方の問題で起こる過剰思考(ただの考え過ぎ)のことです。
森田が言うように、病気でそうなっているのではなく、神経質は、あくまで病気ではないし、病気は関係していないです。
その範囲の健康人向けのなので、本来、森田療法は、考え方の修正に過ぎません。
森田は完璧主義者でしたから、全か無かの思想で、実際の過敏性での病気の人は治せないので強迫神経症から除外していたのです。

こういったのは病気の治療行為ではなく、訓練ですから、過敏性は一切無視しています。
曝露反応妨害の場合、脳機能も治せると言っていますが、過敏性の強迫症状ではない不安の病気としての強迫症患者のことですから、あくまで神経の過敏性はなく、ストレス耐性が普通にあり、想像上だけの不安思考が原因での強迫症向けです。
過敏反応ではなく、考え方の問題での強迫観念のことであり、実際の危害での強迫観念とか、トラウマがあることでの強迫観念とかは考えていませんから、過敏型の強迫症の人が受けると、むしろ悪化します。
最初から病気レベルではない人とか、そのレベルまで治った人とか、神経質な考え方が原因の人なら良いのですが、過敏型の重症の人が無理に受ければ、治療ではなく、暴力されることになりトラウマになってしまうのです。

残念なのは、多くの病院や強迫症患者の家族、非営利での支援を装ったNPO法人などが、認知行動療法の宣伝をして、ライセンスビジネス、講習・研修ビジネス、出版ビジネス(森田療法のマネ)に加担していることです。
それによって、誤解された情報や間違った情報がネットに拡散しているのです。
病院のホームページなどに書かれている強迫症の解説でもいまだに心の不安が原因の病気として書かれています。
多くは、古い教科書に載っていることをそのまま書いているだけで、バカバカしい考えで悩んでいますなんて、本当に患者がそう言っているのでしょうか?
患者が思ってもいないことを、みんなそう思っているかのように書いてはいけません。
そういう軽い不安の強迫観念があるのも事実ですが、それはごく一部であり、過敏性の強迫観念は、実際の危害に対する不快な思いですから、バカバカしいなんて思えないような深刻な恐怖や嫌悪や不安などの強迫観念が多いのです。

強迫行為を患者自身は無意味だと思っていることになっていますが、本当に、「無意味なことをしています」と患者が言っているのでしょうか?
むしろ大半の患者は無意味なことをしているとは思っていません。
何らかの不安な問題を防いだり、汚染の洗浄のように実際の問題の対処として行っていることを、無意味だと思えるでしょうか?
患者に聞きもしないで、一方的に、患者は無意味だと思う行為を繰り返すとか言っているのです。
強迫性障害はこうあるべきという古い固定観念に取りつかれているのは、そういうことにしないと認知行動療法が適応できないからでしかなく、ビジネス(お金儲け)を優先した考えであり、患者目線で病気を理解できていません。

他人からは無意味なことをしているように思えても、PTSD的な回避行動などの症状を患者自身は無意味でバカバカしくは思えないように、強迫症状も同じことなのです。

不安だけが強迫観念になって、実際の危害での不快な思いは強迫観念にならないほうがおかしな話です。
それであれば、バカバカしい無意味な病気に思える人もいるかもしれませんが、過敏型の強迫性障害患者は、不安だけが強迫観念なのではなく、実際の体験での不快な思いも強迫観念として消えなくなってしまいます。
本来の強迫症は、有りもしないことを過剰に心配する無意味でバカバカしい心の病気ではなく、現実反応の過敏性の病気なので、刺激のあること(不快なこと)全般に弱く、刺激を受ければそのストレスが神経や脳に残り続けて消えなくなってしまうのです。
そういう強迫状態の苦痛の対処や防御として強迫行為をしないといけないのです。
その行為自体も苦痛で嫌なのに過剰にしないといけなくなってしまう。そういう意味で依存症とは全然違うのですが、認知行動療法では、強迫行為をすることでの安心感や満足感、しっくり感の依存症と勘違いしているわけです。
ですから、強迫行為をしなくなれば、問題なしとしているのですが、強迫感覚や強迫観念が消えないからこそ、強迫行為をするのであり、強迫行為をしなくなっても、過敏性の問題が残るので、不快感や不快な思いが消えなくなってしまうという基本の症状は残ってしまうのです。

関連リンク
強迫性障害は不安の病気ではない?/強迫状態と躁状態の違い、強迫症と他の病気の関係/強迫観念と考え過ぎの違い/過去からの強迫、記憶強迫
https://locd.hatenablog.com/entry/2020/09/20/054007

強迫性障害は本当に精神の障害なのか?/不安症・恐怖症と強迫症の違いは強迫性・過敏性・全般性/統合失調症の妄想には汚染恐怖や不潔恐怖が無い理由
https://locd.hatenablog.com/entry/2020/09/21/100813

強迫性障害を治療する前に、強迫性障害とは何かを知ってください。

過敏型強迫症・・・過敏性の強さが原因なので、頭の中だけでなく、現実の不快な体験での不快な思いも消えなくなり強迫観念となってしまう。
様々な外部の刺激だけでなく、不快な感情、気分、思い、考え、記憶、感覚などの様々な内部刺激による内性過敏(内向性過敏)の苦痛にも強迫されやすく、それらが消えない強迫状態になり、その対処として強迫行為をしないといけなくなります。
強迫観念(不快な思考)ではなく、違和感などの感覚的な不快感(強迫感覚)の対処として強迫行為をすることもある(強迫感覚先行型)。

神経が過敏であると、刺激が自身の外側なのか、内側なのかは関係なく、外部からの刺激で、不快な感情が沸いたり、不快な思考が浮かび上がれば、それが内部刺激となって、敏感に反応してしまいます。
現実の出来事であれ、テレビでの報道であれ、トラウマ記憶や強迫観念のイメージであれ、現実のことであれば、どれも同じような不快体験の刺激になります。
そういう刺激情報が長々と内部に残って、消えなくなってしまうのが強迫状態です。

不安型強迫症・・・不安と共に強迫観念が浮かび、その強迫観念で不安が強まり、実際のことではない(想像上の危害への不安)と分かっていても、その思いが離れないことで、どうしてもとらわれてしまう。
妄想と違い現実への不安な思いではあるが、過敏性は弱いので、現実との結び付きが弱い強迫観念も多く、現実の不快な体験での不快な思いは(不安ではなく実際の恐怖や嫌悪なので)それにとらわれることはなく、強迫観念にもならない。

衝動型強迫症・・・過敏性はなく、完璧主義のような欲求的なこだわり自体にとらわれ、それに反する状況で強迫観念のような不快な思いが浮かぶ(強迫行為先行型)。あるいは特に強迫観念はないが無意味な衝動にとらわれる(強迫行為主体型)。
多くの場合、こだわりを満たすことの満足感、完璧感、完全感などを求めて行為をしますが、過敏性の苦痛はないので、それが自覚できないこともあり、理由もなく、なぜかこだわってしまう状態になります。
快楽を求めるわけではありませんが、病質的には依存症と大差ない人も多くいるし、強迫症ではなく、実際には、強迫性パーソナリティ障害の人も多くいます。

強迫観念の対処として強迫行為をするのは、強迫観念先行型で、強迫観念が浮かびやすいが強迫行為はしない人とか、頭の中での強迫行為しかしない人は、強迫観念主体型とする。

強迫感覚が浮かびやすいが、特に目立った強迫行為をしない人は、強迫感覚主体型として、これが過敏型強迫症の原型であり、HSP/HSCにも多い。

過敏型の人は、不安、衝動、欲求などの刺激にもとらわれやすいので、不安型や衝動型の傾向が重なっている場合もあるが、根本の過敏性が原因なので、不安型や衝動型と同じタイプではない。

考え方が原因で不安思考にとらわれるタイプは、神経質であり病気ではないので、強迫性障害には含めないが、含める場合も、神経質の強迫症状とする。

過敏型の人は、ちょっとした体調の変化や身体的違和感にも敏感になりますが、神経質的な考え過ぎではなく、考えに関わらず、神経が敏感に感じ取ってしまうので、どうしても気に止まってしまうのです。
気にしないようにしても、神経が反応してしまうので、気にしないことができなくなります。

未だに理解ができない人がいるようですが、強迫性障害と強迫性パーソナリティ障害は違う病気です。
「こうしなければならない」みたいな「こだわり自体」にとらわれる病気は、強迫性障害ではなく、強迫性パーソナリティ障害です。

自称心理学者や自称専門家の人には、躁状態やパーソナリティ障害的なこだわりの強さでの症状と、強迫症の症状の区別ができていない人が多過ぎます。
強迫症は過敏性障害であり、興奮性の病気ではないし、性格の病気でもありません。
過敏性の強さで、違和感に弱く不快な刺激が長く残ってしまう強迫状態の苦痛から、強迫行為が起こります。
万能感があって何でも思い通りにしようとしているとか、完璧主義的にこだわってしまう病気は、躁状態や強迫性パーソナリティ障害のほうです。

このブログでは、過敏型強迫症が本来の強迫性障害としています。
過敏性による不快な刺激が長々と消えなくなってしまうのが強迫症での強迫状態で、強迫状態の苦痛への防御や対処として、しなければならなくなってしまうのが、強迫行為だからです。

しかし、現状では、強迫性障害から根本原因である過敏性が切り離され、様々な誤解が拡散されていて、いろんなタイプが同じ強迫性障害となっています。
そういう大雑把な強迫性障害と同じ病気としてタイプ分けすれば、過敏型強迫症になりますが、他のタイプと分けて、別の病気(神経の障害)とする場合は、過敏性強迫症という病名にしています。

関連リンク
過敏性強迫症とは何か?
https://locd.hatenablog.com/entry/2020/09/22/033423

精神医学では、過敏性強迫症なんていう考えがないのですから、その治し方もどこにもありません。
そういう病気があることを知っても、どうしていいか誰も分からないのです。

ですから、そういう病気はないことにされているのです。
そうじゃなくて、それは心の問題とするのです。

敏感、過敏であること、それによる苦痛、それによる精神症状、それによる生活や社会での障害、こういう範囲は否定され無視されているのです。

HSP・HSCにしても、どれだけそのことで悩んでいても、過敏性自体は障害では無いとされます。

そのまま社会に無理やり適応させようとすることで、過敏性強迫症うつ病になってしまいます。
過敏性による心の問題なのに、強迫症になれば、そこから急に心の問題の過敏性に変わるのでしょうか?

本来の過敏性の上に、強迫性障害があるので、強迫性障害も過敏性の病気なのです。

もちろん、みんながみんな生まれつき過敏というわけではなく、後天的になんらかのストレス体験が続いたり、脳機能の障害などで、神経が過敏になってしまう場合もありますが、その場合でも、強迫性障害は神経の過敏性が引き起こすことは変わりません。

軽症の人とか、後天的に過敏になった人は、神経レベルの障害が回復すれば、生まれつき過敏な人よりは、治せる可能性もありますが、生まれつきの人は、過敏性自体がほぼ生涯続きますから、強迫性障害も一生涯続いてしまいます。

過敏性の問題であると、心の問題でも精神病でもありませんから、心理療法や薬で軽症化できるとかでもないので、過敏性や強迫症状での苦痛も一生続くのです。

病気の苦痛だけではなく、どう生きればいいか?に悩むことになります。

この答えは、症状の度合いにもよりますから、簡単ではありませんが、うつ病であると悩みやすくなりますから、うつ病を治すことに取り組むと良いでしょう。

鬱は過敏性の病気ではありませんが、極端な興奮とか過鎮静にはなりませんから、そこまで現実離れする人はあまりいませんし、鬱はネガティヴな気持ちで、強迫観念はネガティブな思考ですから、病気の質的に強迫と鬱は相性が良く、強迫であれば、多くの人は鬱にもなります。
強迫+鬱で、不快感が益々感じやすくなりますから、不快な体験での印象が残ってしまう強迫症の人だと、強迫症状も悪化してしまい、鬱も悪化して、そうなれば、益々、強迫症状も悪化します。
強迫行為では対処できないような不快な強迫観念も慢性的にあり、過敏性によって気になってしまうことの考え事が止まらなくなったり、現実を見れば、雑念的に不快なイメージが頻繁に浮かび、体験したことの残像にも悩まされます。
例えば、暗い場所とかで強く眩しい光を見た後に、目を閉じると、光の残像がしばらく残りますが、眩しいほど刺激が強く、残像だけでなく、不快感もしばらく残ってしまいます。
普通なら少し経つとそれは消えますが、強迫症の人は、そのように不快な体験で不快な思いが、神経と脳に残像として残ってしまい、それが消えなくなってしまうのです。
実際に不快な体験での残像に悩まされる、残像強迫という症状もあり、不快な体験をした場所と、不快な記憶が結び付いたままになって、その場所を見ると記憶の残像が強く浮かび上がってしまうので、その場所を回避するようになります。
過敏性症状の苦痛から、不快に感じることを過剰に避けますが、それでも日常的に不快に感じることがあるので、対処しないといけなくなり、どうこうしようとする行為で疲れて自身が傷付いてしまいます。

神経が過敏な人は、普通の感覚過敏と違って、外部刺激だけでなく、内部刺激(過敏反応自体や思考や感情など)にも過敏反応し、意味の刺激にも過敏になります。
例えば、悪いイメージの浮かぶ写真を見れば、悪いイメージに対して神経レベルの生理的不快感が起こり、その不快感で、さらに悪いイメージが強まり、その不快感に神経が過敏反応してしまい、不快感もイメージも消えなくなってしまいます。
その過敏性の苦痛から、そういう写真を避けるだけでなく、強迫症の場合は、そういう写真などの視覚情報であっても神経の過敏反応が消えなくなってしまうことで、その不快感も離れませんから、汚染のイメージが浮かべば、それが離れないことで、実際に汚されたりもします。
精神障害のような思い込みの不安とか妄想の病気ではなく、神経障害は現実反応の病気ですから、頭の中の想像上の危害だけでなく、それが現実側にあれば、それによっても強迫観念が浮かぶし、写真などの視覚情報であっても、現実と同じように神経レベルでは反応してしまいます。
刺激がどこにあっても、刺激は刺激であり、神経的には同じ苦痛なのです。
写真だからいいとか、イメージだからいいとか、頭でそう思えたとしても、神経が敏感だと、そういう考えに関わらず、現実のストレスと同じように神経は反応してしまいます。
慢性的に様々な刺激を体で感じてしまいますから、いつどこにいても、気が休まりません。

強迫というのは、過敏な神経活動に身体や精神が乗っ取られる状態です。
神経が考えて、神経が行動するのが、強迫観念や強迫行為です。

神経が過敏であると、思考も神経も休むことができませんので、考え事も多くなります。
考え事が止まらないこと自体は、躁状態とかの興奮でも起こりますが、その場合、非現実的な内容が多くなります。
強迫症の場合、反応性の思考ですので、日常の生活で気になっていることとか、現実の不快なことに対する考え事が止まらなくなります。
過敏性が強いので、鬱でも極端に現実離れはしないのです。
不快な記憶の想起とか、神経反応的な強迫観念の影響を受けて、頭で考える普通の思考も病んでしまい、その思考に神経が過敏反応して、過剰思考が起こり、また神経が反応して、常に考え事が止まらずに、思い悩んでいる状態になります。
これが思考強迫で、考えたくなくても、神経の過敏性によって、考え続けてしまいます。
興奮性の症状ではないので、気分安定剤とかも効きませんし、頭の中だけの非現実の妄想ではなく、現実反応の思考ですから、抗精神病薬も効きません。
現実反応の思考を無理に鎮静させると、生活もできなくなってしまいます。

思考強迫から逃れるには、自発的思考や行動を増やすと良いのですが、強迫症状や鬱が邪魔して、それが困難になります。
強迫観念やネガティヴ思考とらわれて、何事にも時間がかかったり、ストレスに対抗する気力や忍耐力が低下してまったくできなくなったりします。
特に過敏型の強迫症は、普通は我慢しなくてもできることを、過敏性によって、我慢して耐えてやらないといけなくなったしまう病気なので、鬱で我慢ができなくなってしまうと、以前はできていたこともできなくなってしまうし、我慢させられる苦痛から、ストレス対象への敵意も強まり、強迫観念も浮かびやすくなります。
ですから、せめて鬱を治したいのですが、強迫とセットになっているので、鬱だけを治すのも困難なのです。

過敏性強迫症は、神経の過敏性の病気ですから、精神的な病みでの内部刺激だけでなく、ストレスの多い人間関係や環境での外部刺激も悪化の原因になります。
実際に不快感が起こりやすい環境にいれば、強迫観念も浮かびやすいし、実際に醜いことでの身体醜形障害とか心の悩みは、実際の醜さを修正しないと治療困難であるように、体の不調とか、特にニキビ、ヤケド痕などの醜形症状での不快感、羞恥心、劣等感などの悩みが慢性的にある場合も、不快感での強迫状態になりますから、強迫観念は浮かびやすくなります。
ですから、人間関係含めて、ストレスの少ない環境にして、体も健康にしたほうが良いのですが、やはり強迫症状や鬱が邪魔して、それもなかなか困難になります。

強迫性障害は、現実反応ではあるが、神経の過敏性により、普通はストレスにならないことがストレスになったり、そのストレスが内部に残り続けることで、現実の環境や自分の意思に関わらない症状も続くという特殊な病気で、神経症でも精神病でもないのです。
現実反応の症状は、精神病のような内側だけの問題ではないので、内側だけ薬で鎮静させても治せません。
神経反応の症状は、神経症のような心の問題ではないので、考え方や心掛けでは治せません。
そういうことに関わらずに強迫症状続いてしまいますから、どうにもできませんが、気持ちが鬱になりにくい心掛けや、ストレスの少ない生活環境に、できたらしたほうが良いでしょう。

HSP・HSCも過敏性の障害ですが、軽度ではあっても、強迫症に近い状態の人も多くいます。

HSP・HSCが過敏性で悩んでいても障害として認められない理由は、そういう病気があっても治せないからですが、発達障害とすることで、社会的理解や配慮も受けやすくなりますから、HSP・HSCや過敏性強迫症でなくても、神経の過敏性が主症状の発達障害精神障害を何か作るべきです。

ですが、神経の過敏性が主症状としたら、発達障害ならHSP・HSCが適しているし、精神障害なら強迫症が症状的に一番適しています。

過度に過敏であれば、必ず刺激での強迫状態になり、刺激の苦痛、そのことでの不快な思いが消えなくなります。
そういう病気が一番、本人の苦痛が強いのです。

ほぼ神経レベルの問題なので、あまり表面化されない病気ですが、行動とか全ての面に障害が出ますから、医学は過敏性というものにもっと目を向けるべきではないでしょうか。

統合失調症は治しやすくなりましたが、過敏性障害に関しては手付かずのままです。

精神病も神経性精神障害であることは考えられますが、少なくとも過敏性の問題ではありません。興奮性なので治せるのです。

精神病・・・反応性精神病などストレス発症であっても、症状自体は現実反応は関係しない。
過剰な興奮や過鎮静で、現実への神経反応は鈍感化。
現実は関係ないので、興奮や興奮性の緊張症状であれば、内部さえ鎮静させれば良く、薬で治しやすい。
妄想は現実に対する思考(現実反応)ではないので、強迫観念のように、現実の些細な事に敏感に反応して浮かぶ妄想などはあり得ません。あれば、それは強迫観念です。

神経性精神障害(過敏性障害)・・・過敏な神経反応による症状であり、現実との結びつきは強いが、本人の自発的思考や行動、心理にも関わらない。
神経レベルでの現実への過敏性によって不快な感じが消え難いことで、不快な思考も離れなくなり、そういう内部刺激にも本人の意に関わらず、神経が過敏反応してしまうことで、過敏性がさらに強まる。
本人の意向を無視する生理的症状なので、思考だけでのコントロールは困難。
想像上の危害での強迫観念であっても、妄想と違って現実と結び付いているので、現実的行動で対処しなくてはならない。
現実反応の過敏性症状なので、薬で鎮静させても、現実が意識できるレベルだと神経反応も起こり続け症状も続く。
怒りなどの攻撃的感情や思考がもっとも消え難いが、その刺激に耐えられず、感情表現や行動として表面化されないので、自身の内部に攻撃性がこもり続けてしまい、その刺激の苦痛をなくそうと圧し堪えることで、その対象への怒りが嫌悪の強迫観念として続きます。
心理ではなく、神経反応によって生理的にそうなりますが、強迫観念やトラウマの反復性で、神経や脳に繰り返し深く刻み込まれるため、重症患者であると強迫観念もトラウマも二度と離れなくなります。

強迫症的なトラウマのフラッシュバックは、「忘れられない不快な記憶」の強い想起です。
うる憶えとかでもなく、確実に現実にあったことのフラッシュバックです。

解離したりして思い出せなかった記憶の想起(フラッシュバック)であると、架空の記憶(空想上で作られた記憶)であることも多いのですが、それは、解離する人は空想を現実のように思い込む傾向があるからです。

特に神経質の人は、過敏性は関係なく、自身の考え方(自発的な思い込み、想像)によって、敏感になったり様々な病気になりますから、心の問題での解離が起こる人もいるし、記憶に関しても、本人が考えなければ、強迫性はありませんから、ショック体験(思い出したくないこと)を忘れてしまうこともできます。
逆に、忘れていた記憶を想像することで、架空の記憶を作り出すこともあります。

心の問題での解離の場合、思い返したくない都合の悪い記憶を考えないようにして、忘れることができるし、何らかの問題があれば、都合の良い記憶を作り出して、その体験のせいにしたりするのです。
症状であれ、そういうことができる人は、強迫症状は起こりません。
強迫観念を浮かばせる根拠がないからです。
現実と結び付きのない架空の不安思考とか架空の記憶によって強迫症状が起こる人はいないわけではありませんが、そういうのは神経質とかパーソナリティ障害とかの心の問題での強迫症状であり、強迫性障害ではありません。

強迫性障害と、神経症や神経質は全然違う病気です。

忘れてしまいたいのに、どうしても忘れられない、思い出したくない記憶が、ずっと消えなくなってしまう、こういうのが強迫症的なトラウマ強迫であり、これがあると強迫観念も消えません。
思い出したくないことを考えない、(症状であれ)忘れてしまう、思い返さないことができる人は、強迫観念も消しやすいので、強迫症にはなりません。

普通はトラウマというのは忘れられないものですが、忘れていたトラウマ記憶でPTSD症状が出るのが複雑性PTSDです。
フラッシュバックはトラウマ記憶の強迫的な想起ですから、解離とPTSDは真逆なのですが、思い返してしまえば、解離していませんから、PTSDも起こるのです。

なぜ忘れていたのか?

1つは、体験した当時は小さい子供で物事が良く分かっていなかったことで、ショックを受けずに済んだので、普通の記憶として忘れていたが、大人になってから、それに関わる情報や体験がきっかけとなって、その記憶の想起が起こり、大人として思い返すことで、あれは酷いことだったというように後天的に過去の記憶がトラウマになってしまうことがあります。
体験によるトラウマではなく、体験記憶の想起への再認識によるトラウマです。

もう1つは、ショックが強過ぎて、思い返すのが辛いので、記憶をブロックしてしまい、その記憶が抑圧されることで忘れてしまう人もいます。
完全に消えるわけではないので、何らかのきっかけで、フラッシュバックが起こりますが、実際には忘れていたわけではないからこそ、実際の体験の想起だと分かるのです。

忘れていた記憶がフラッシュバックして、トラウマが表面化→複雑性PTSD

忘れられないトラウマ(ショック体験)記憶のフラッシュバック→普通のPTSD強迫症のトラウマ強迫

複雑性PTSDの場合、そういう体験をしたことはなんとなく憶えているが、(思い返したくなくて、心の問題での解離が起こり)はっきりとは思い出せなかったという場合は、実際には忘れていたわけではないので、はっきりと思い出せば、確かにそうだったと本人は分かります。

そういう体験をしたこと自体をほぼ完全に忘れていた場合は、思い出してしまった記憶が実際のことかは確認し難い面がありますが、架空の記憶なのか、実際の確かな記憶なのかは関係なく、フラッシュバックが起これば、PTSD症状に苦しむことになります。

過敏型の強迫症でもトラウマ記憶に強迫されたり、それがあることで強迫観念が浮かびますが、敏感な人は、ショック体験の記憶を抑圧できないので、トラウマ記憶も強迫観念も消えることはありません。
過敏性の強さで、辛い記憶を無視したり、気にしないことができないので、ずっと忘れられずに、強迫症状が続きます。
敏感な人は、普通はトラウマにならないような一般的にはなんてことないことでもトラウマになって、慢性的に忘れられなくなり、それに関連する物事での触発などで、フラッシュバックが起こります。
PTSDのような幻覚様のフラッシュバックは起こりませんが、強迫観念と同じように、そのトラウマ記憶が頭の中で強迫的に浮かび、過敏性によって、その苦痛を体全体で感じてしまうことで、強迫症状が出ます。

過敏型強迫性障害に置いては、トラウマに関連する物事によってフラッシュバックが起こることで強迫観念も浮かびますが、そういう強迫状態を引き起こす体験もトラウマとなり、症状自体もトラウマになります。
その苦痛が強いので、そうならないようにと不安の強迫観念も浮かびやすくなります。

今後、もし神経科学的治療によって、神経過敏自体を治せるようになっても、すでに神経や脳に刻み込まれている強迫感覚、強迫観念、トラウマが残っていれば、生理反応的に症状は続いてしまう可能性が強いです。
ですから、強迫感覚、強迫観念、トラウマが神経や脳に刻み込まれる前に、過敏性の治療をしないと意味がありません。
薬としては、鬱や不安の薬であるSSRIは、過敏型の強迫症状自体にはまったく効きません。
PTSDと同じで、何か保険適用の薬がないと困るので、それがあるという程度のことです。

SSRIが効かない人には、抗精神病薬を使えばいいみたいな考えは、単に他に使える薬が無いという理由でしかなく、浅はかで乱暴です。
トランキライザーは基本的には非反応性の興奮症状(陽性症状、精神病状態)に使う薬です。
陰性症状にもある程度効く薬もありますが、反応性そのものである過敏性の症状に使っても意味がありませんし、もし効いたように思えても、鎮静による一時的な誤魔化し程度の効果しかありません。
現実反応の症状は、現実が意識できるレベルの鎮静では歯が立ちませんから、当然、抗不安薬なども効きません。

エスケタミン(スプラバート)のような麻酔薬や、幸せな気分になれるような麻薬類のほうが効くことは当然のことですが、強迫は慢性症状なので、そういう薬があっても普段、日常使用できないのなら、意味がありません。
強迫症は心の病気(心理療法や精神療法で治せる病気)とされていますから、おそらく日本では使用許可さえないでしょう。

強迫症状は、過敏な神経活動に身体や精神が乗っ取られる状態ですから、心の病気として治療に取り組んでも時間の無駄にしかなりません。

今後も新薬は期待できませんから、すでに強迫症の人は、新たな強迫感覚、強迫観念、トラウマが刻まれないような生活をできるようにして悪化を防いだり、HSP/HSCであれば、強迫症にならないような生活の工夫をすることが大事です。

それは過敏性障害への社会の理解がなくてはできません。

特に、医療関係者、研究者、福祉関係の方々には、このブログを参考にしてもらい、過敏性のある患者や過敏性障害(強迫症HSP・HSC)の治療の取り組みや研究、対応のし仕方などを考えてもらえたらと思います。

神経レベルの症状ですので、完全な解明は困難だと思いますが、治療に結び付かなくても、解明していくことで、治療の可能性も見えてくるし、誤解されたままの病気であるよりも、強迫症の正しい理解を深めることが、患者にとっても治療的になります。
心の問題として不適切な治療を続けることは、患者にとってはストレスにしかなりません。
神経の問題と考えられている重度発達障害と同じように、治せないなら治せないで、生活の工夫や適切な対応の仕方を症状が悪化する前に考えたほうがいいのです。

このブログは、強迫症の正しい知識の普及が目的ですので、ブログ内に書いてある理論や用語などはできるだけそのまま使ってください。
そのほうが説明しやすいはずです。
資料や論文などに引用文献、参考文献などとして、表記する時は、下記のようにしてください。

強迫性障害の全貌 LOCD

一般の方々も同じですが、このブログに書いてある記事は、できるだけ拡散してください。
ブログなどに引用する場合、特に連絡はいりませんが、引用元などとして、できるだけ引用した記事のアドレスまたはトップページにリンクしておいてください。

ブログには研究結果を書いていますので、古い記事と新しい記事では、新しい記事のほうが正確な内容になります。

今後も強迫症の研究を続ける予定ですので、ブログも続けると思いますが、しばらくお休みするかもしれません。

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LOCD(著作者)

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