強迫性障害の全貌

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強迫性障害での鬱病が治し難い理由 その2/タイプや病状ごとの強迫症(強迫性障害)の治し方

強迫症であれば、当然、精神状態は普通ではないし、常時心身落ち着きませんが、統合性は維持されます。
統合性の維持によって狂わないのですが、それがストレスになって、精神が病んでしまいます。

強迫性障害は不安、恐怖、嫌悪に強迫されやすいのですが、そのことで、鬱になれば、鬱にも強迫されて、鬱強迫の状態が慢性的に続き、過敏性によって、強迫性の強いうつ病になります。
この鬱はなかなか離れてくれませんが、これが軽症化できれば、強迫性障害であっても、精神的には少し楽になれます。

いろんなタイプの強迫性障害の人がいますが、全部同じ強迫性障害となっていますから、薬も同じで、基本的には強迫症適応のSSRIを使うことになります。

強迫症状自体には効かないことが多いので、対症療法をすることになり、強迫性障害の症状(神経障害の生理的苦痛)と、その症状での精神的苦痛(精神障害)を分けて治療します。

強迫性障害の診断基準を見れば分かりますが、強迫観念と強迫行為の病気であり、精神的苦痛に関することは特に書かれていません。
症状そのものもとても苦痛なのですが、その程度は人それぞれだし、その症状による精神的な病みも人によって違うからです。
強迫性障害そのものは(過敏性の場合)神経障害と言えますが、その症状による憂鬱感、気分の沈みこみ、悲観的思考、反芻思考(強迫観念以外の繰り返し思考)、楽しめない状態、などは、うつ病の範囲の症状です。
強迫症だと多くの人はそうなりますから、そういうのも強迫症の症状だと思っている人も多いのですが、診断基準に書かれていない範囲の精神的症状は、強迫性障害の症状(過敏性による生理的苦痛とか強迫行為での苦痛)とは別のこととして治療するのです。
抗うつ薬の他にも、不安になりやすい人は、抗不安薬を、寝付きの悪い人は、睡眠薬をという感じです。

強迫性障害の苦痛は、器質的過敏性によって生理的苦痛が強まり消えなくなってしまうこと=強迫状態ですから、心は関係ないので、精神医学では治せません。
頭でどう考えようと、どういう心掛けを持とうと、危害への生理的なストレス反応による症状は止められません。
敏感でストレスに弱いことで、ストレス反応が過剰というのは、ある意味、正常なことであり、治せることでもありません。
その生理的苦痛による強迫症状そのものの苦痛ではなく、その苦痛があることでの精神的苦痛なら、精神医学である程度は対応可能です。
実際にはその範囲も強迫性障害なのですが、診断基準的に強迫性障害の症状には鬱とかは含めていないので、別の病気として治すことになります。

強迫症状があることでの不安とか鬱とが、強迫症状での苦痛を強めますから、そういう面を軽症化したり悪化を防ぐことで、強迫症状の悪化も防げるという考えです。
もしその範囲が治っても、強迫症状による生理的苦痛は続きますから、またそうなってしまいますが、せめてそういうことでもしないと、精神医学的には、何もできることがなくお手上げになります。

過敏性の強迫性障害の場合、気分や感情面でも障害が起こるので、大抵の人は、うつ病にもなります。
本当は、強迫性障害の症状自体が、うつ病と同じというだけなのですが、うつ病は普通の人でもなりますから、強迫性障害とは分けて考えるのです。

精神医学的には、神経過敏は治せませんから、うつ病である事が、強迫症の苦痛を強めると考えて、抗うつ薬を使うのです。
強迫性障害に限ったことではなく、不安症でもPTSDでも重い人は鬱になりますから、強迫性障害にも不安症にもPTSDにも抗うつ薬(SSRI)が使われます。
強迫性障害、不安症、PTSD自体に効かなくても、うつ病の範囲を軽症化して、大元の症状による苦痛を減らすことで、大元の症状自体も軽症化しようという考えです。
症状での心の病みを軽くできれば、症状も軽く感じられるのです。

強迫症の症状でのうつ病ですから、強迫症である限り、うつ病も治せませんが、うつ病自体は、強迫症そのものよりは、軽症化可能な病気です。

同じ強迫症でも強迫行為先行型は、ストレスに強いので、うつ病にもなりにくいタイプです。
こういう人が、SSRIを使ってもあまり意味がありません。

神経質的な思い込みでの不安思考は、妄想に近い(現実と結び付きが弱い)ことも多いので、その場合は、抗精神病薬を使うことで、強迫症状が軽症化することもあります。

過敏性の強迫観念(現実反応での過敏思考)と妄想(非現実反応の思考)はまったく違うものですから、抗精神病薬は使いません。

神経質は実際には神経過敏ではないのに、考え方で過敏になっている人を指す言葉です。

神経質の強迫症もあれば、神経質のうつ病もあります。
神経質の鬱は、自身の考え方で、憂鬱になって、気分が沈み、悲観思考も悪化します。
考え方が引き起こす鬱です。
神経質は、考え過ぎて、その考えが強迫観念になってしまいます。
病んでネガティヴ思考になってしのうのではなく、考え方で病んでしまうのです。
神経質は気質とか性格みたいなもので、病気ではないとなっていますが、心の問題ではあるので、病気として見れば、パーソナリティ障害としての思考障害と言えそうです。

過敏性の強迫観念は、神経質とは真逆で、考えとは無関係に、ストレス(危害)に対して生理反応的に浮かびます。
それによって、考え方もネガティヴになりますが、神経質とは違って、その考えが原因で強迫観念が浮かぶわけではなく、その前に実際の危害に対する強迫観念がすでに生じているのです。
つまり、考え過ぎ、思い込みによる想像上だけの危害ではなく、実際の危害での強迫観念なのです。

そういう思いが消えなくって、強迫行為をする毎日が続けば、当然、気分も沈みます。
よっぽど若い人とかタフな人なら、それでも元気かもしれませんが、長く続けば、普通は鬱になります。
というより、本当は最初から、うつにもなっているのです。

鬱になっても、強迫症であることで、完全には沈み込みませんから、うつ病になっていても分からないのです。

うつ病は、気分とか気持ちが沈みこみますが、強迫状態の場合、ネガティヴな気持ち(不快な感情やその思い)が高まった状態になりますから、ネガティヴハイになります。

鬱は、生活するために、しなければならないことが、できなくなりますが、強迫は、しなければならないことが、できなくても、強迫行為はしないといけなくなります。
鬱と強迫はそういう反発する関係でありながらも、質的には同じネガティヴですから、同質の病気です。

躁と鬱は、質的にも反発しますから、躁の時は、基本的に鬱になりません。

強迫と鬱は、質が同じなので、同時に症状が出るのです。
強迫症のネガティヴと、鬱のネガティヴが重なってしまうので、どちらも悪化します。
強迫性障害だと、物事を悲観的に考えてしまうのは当たり前のことで、実際にそう思える危害が多い上に、鬱にもなっているので、余計にネガティヴになって、不安も強まります。

うつ病の人を無理に頑張らせると、沈んでいる気持ちを無理に上げることになり、ネガティヴハイになりますから、無理させるストレスの反動で、うつが悪化します。
うつ病の人は、元気がなくて暗いから、元気付けようとか、笑わせれば治るだろうとか、そういうことではなく、一時的に無理にそうすると、ネガティヴなままハイになってしまい、ネガティヴは元の状態に戻ろうとしますから、矢を放った弓の弦のように反動で深く沈んで、危険性のある鬱状態になります。

重度のうつ病患者でも、恐怖とか嫌悪みたいな感情は静まりませんから、危害回避の行動はしようとします。
例えば、寝込んでいても、枕元に10センチぐらいの蜘蛛がいたりして、それに気付けば、反応して逃げるとかしようとします。
もしそうしても、鬱が治って元気になったのではなく、恐怖が無理やり気分を高めただけなので、心身疲れますから、またすぐに寝込んでしまいます。

強迫性障害だと、不安や恐怖や嫌悪での強迫症状でのネガティヴハイが続くので、常に無理して頑張る状態になり、ストレスが続き、うつが治りません。
強迫症状が、沈み込もうとする鬱の気分を、無理やり上げてしまうのですが、ポジティヴにするわけではなく、鬱のままの気分を恐怖や嫌悪などがハイにしてしまうのです。

その状態だと、何もしたくなくても、何かすることになり、休もうにも、心身が休めなくなります。
では、無理に休んだほうが良いかと言えば、強迫症状がある限り、それができないのです。

うつ病の人が、頑張って何かをしないとしたら、かなり苦しい思いをしますが、そういう状態が強迫性障害の人は慢性的に続きます。

躁状態は気持ちもハイになっているのでストレスを感じにくくなり、何かをしたくなります。
強迫状態は、気持ちがローなので、何かをしないといけない状態に強いストレスを感じます。

そうしたいわけではないが、沈み込まないので、何かしないといけなくなってしまう。
強迫状態は、ネガティヴな躁状態が慢性的に続くようなものです。

重い強迫症状があって、気分が沈まないということは考えられませんから、強迫性障害であれば、うつ病(気分の障害)も起こるのは当然のことです。

強迫性障害単独で、鬱はないという人は、強迫性障害であっても、精神的には病んでない人であるか、精神的に病んでいるのに、その範囲も強迫性障害と思っているかのどちらかです。

強迫性障害の症状自体は、気分とか感情の高まった状態なので、そういうことに気付けない人もいますが、マイナスの気分とか感情の高まりですから、うつ病がそのまま無理にハイテンションになったような症状なのです。
過敏反応が続きますから、うつ病なのに、沈み込んでいられない状態になり完全なローテンションにはなりません。
強迫行為もしないといけませんから、精神的にも肉体的にも緊張感が続き、気分はネガティヴハイになります。
強迫症によって起こるので、そういう精神状態も全部強迫症の内だと思えますから、うつ病であることを自覚できない人も多いのです。

もちろん、うつ病ではなければ、そう思わないほうが良いのですが、強迫症状の苦痛で心が病んでいる人は、ネットでよくあるような、うつ病チェックテストをしてみると、鬱かどうか分かります。

強迫性障害の人の場合、鬱になっても認知力や記憶力は低下しません。
過敏性で認知過剰(細かいことを気にしてしまうとか、嫌なことが忘れられないとか)になっているからです。
ですから、SSRIの副作用である認知力を低下させる面が、強迫性障害の人にはプラスの作用になりますが、神経過敏そのものに効くわけではありませんので、効果は強くありません。

SSRIは気を強める効果があり、不安や鬱にはある程度効きますが、恐怖、嫌悪の強迫観念には効きませんから、それがあることでの不安思考にも効きません。

強迫性障害は診断基準がシンプルなこともあり、多種多様になっていますから、みんなを同じ治し方で治そうとするのは無理があります。

強迫性障害にいろんなタイプがあるだけでなく、不安症でも、恐怖症でも強迫行為は起こりますから、それらを含めれば、かなり大規模の病気になってしまいます。

強迫状態は、いろんな病気で見られますが、不安症なら不安に強迫され、恐怖症なら恐怖に、うつ病なら、憂鬱気分やネガティヴ思考などに、PTSDならトラウマ記憶やそれを想起させる物事に強迫されます。
それら全てが強迫症の人を強迫状態にします。
それらの病気だけなら、過敏性の問題がないので、それらの不快なことでの強迫性も強迫性障害ほどではありませんし、全般性もなく、他のことには強迫され難いのです。

強迫性障害の強迫状態の特徴は、強迫性、過敏性、全般性です。
その三つで、他の病気の強迫状態と区別できるのです。

不安症でも強迫観念は浮かびます。

不安型強迫観念・・・想像上の現実的危害に対する不安思考
過敏型強迫観念・・・実際の危害による不快な思考、それがあることでの不安思考
妄想・・・現実とは関係のない思考

こういう違いがありますから、間違えないようにしてください。

過敏性強迫症には、過敏性があまりない不安型強迫症と、過敏性の強い全般型強迫症があり、全般型強迫症の人は、不安だけではなく、現在過去未来、自分の内外問わず、様々なことに強迫され、様々な強迫観念(不快感や不快な思い)が浮かび、なかなか消えなくなってしまいます。

過敏性があれば、不安だけでなく、様々な強迫観念が浮かびますが、様々な強迫感覚(感覚的強迫や不快な感情などの強迫)はあるが、強迫観念としては、不安思考しかないという場合も過敏性の強迫症です。
見えないレベルの汚れというのは、思考しないと分かりませんから、感覚的に敏感であっても、そういう強迫観念が浮かぶとは限りません。
何らかの嫌な思いが離れなくても、汚れだと思わなければ、洗浄の強迫行為も起こりません。
そうなれば、敏感でも不安の強迫観念しかないことはあり得ます。

過敏性が強いと、強迫的な関連付きや強迫的な連想が頻繁に起こります。
何かを見ると不快な何かを思い出す、連想してしまうようになりますから、その付着が汚染恐怖にも繋がります。
良いことと、不快なことが結び付いてしまう(汚染されてしまう)怖さ、嫌悪があるのです。

ですから、過敏性強迫症であれば、多くの場合、汚染恐怖もあります。
不潔恐怖の場合も、不潔なことに汚されていく怖さがあれば、それは汚染恐怖と言えます。
汚れと、不潔なことは同じ意味ですが、汚染恐怖の場合は、一般的な意味で言う不潔なこととは限らずに、恐怖や嫌悪していること全般に汚染されます。
そこに不潔恐怖も含まれますが、それだけによる汚れではないのです。
恐怖や嫌悪感、その思い、その記憶が残ってしまう(付着する)ことで、恐怖や嫌悪すること全般に汚染されるのです。

恐怖と嫌悪は、怖いと嫌いの違いがありますが、嫌だから怖いとは限りません。
むしろ、怖くは無いが、嫌というのは普通にあることで、恐怖には考えで作られる想像上だけの恐怖もありますが、嫌悪の場合、その多くは考えとは別の生理的反応ですから、過敏性の強迫観念には嫌悪が多いのです。
汚染恐怖の場合も、過敏性の強い人にとっては、実際には汚染嫌悪になり、これは不安症や恐怖症を治すようには治せません。
生理的反応による不快感は、精神医学ではどうしようもありませんから、治すというよりは、慣れされるというぐらいしかできないのです。
ただ、過敏でストレスに弱いから、そういうことに強迫されるのですから、普通の人でも困難なのに、強迫症の人だと余計に慣れることは不可能になります。
無理をすれば逆に嫌悪が煽られて悪化してしまうわけです。

こういうのは、精神障害ではなく、神経障害の症状ですから、普通の強迫性障害の治療法ではまったく治せません。

過敏性の強迫性障害の場合、何より先に過敏性があって、それによって不安にも強迫されるのですから、過敏性が治らない限り、不安になりやすい傾向も治せません。

しかも過敏性の強迫の場合、不安思考だけではなく、様々な強迫観念が浮かびやすくなります。
強迫観念といっても不快な思考だけではなく、不快な感情も結び付いているので、感情にも強迫されるし、気分とか、感じ(違和感、不快感)にも強迫されやすく、例えば、劣等感とか、恥ずかしい思い、辛い思い、悲しい思い、憂鬱感、無力感、強い怒り、憎しみなど様々ですが、そういった不快な感じの思いが消え難くなり、長々と残ってしまいます。
それも強迫症状で、それらが消えないことで、不安や恐怖や嫌悪の強迫観念が浮かびます。

もしそういう全般性の強迫がなければ、本当は他の病気の強迫症状です。

強迫性障害とは、過敏性によって、そういう不快なこと全般が長々と残ってしまう病気です。
その中で、現実行動の強迫行為で対処できることは、そうしないといけなくなってしまうし、それが無理なことは、回避をしたり、頭の中だけで、その思いを消そうとしたり、良い考えなどで中和しようとします。
それらも全部が強迫行為です。

強迫行為自体は一時的な治療行為なのですが、その行為も、したくてすることではないし、苦痛が強いという意味では、強迫症状に含まれます。
汚れの嫌悪の強迫観念なら、汚れの「イメージ」とか、どこどこの何々の汚れという「考え」とか、汚い「感じ」が強迫観念として残ることで、洗っても、まだ汚れていると思えて、洗浄に時間がかかったり、洗えなくて汚染物を捨てたりすることになります。
見える汚れであっても、そこに見えないレベルの汚れ(強迫観念の汚れ)も重なってしまうので、汚れがなかなか消えなくなってしまうのです。

そういう強迫行為の苦痛も含めた症状が、汚れでの害を実際に強めますから、その苦痛を避けようと、不安も強まるのです。

妄想であると実際には無いのに、それがあると思うのですが、強迫観念の場合、実際にあることの思考化ですから、見えなくてもそれはあるのです。
例えば、コロナが手に付いているかどうかは、見えませんが、手に付着したと思えても、コロナは実際のことですから、無いことをあると思う妄想ではありません。
付いているかどうかはっきりしないことであれば、付いてないかもしれないなという思いもあるのですが、分からないことなので、付着しているかもと思えてしまいます。
付いているかどうかはっきりしないことであるのに、付いてないかもしれないなという思いは無いのなら、妄想のコロナ(現実のコロナとは無関係のコロナ)が付着している可能性はあります。

コロナは実際に危害があるので、そのことが理解できない人とか、重度の精神病とかで、よっぽど現実離れした人でない限りは、それを不快に思えます。
敏感な人は、そういうみんなが危害に思えることにも敏感ですが、それだけでなく、本人にだからこそ、危害に思えることが増えます。
本人にだからこそ、汚れだと思えることの場合は、本人の思い次第ですから、普通の人には汚れではないことでも、それが実際には汚れでないわけではありません。
実際の何かの汚れを本人だからこそ分かるのですが、実際の汚れなのですから、汚れてないかもしれないなという思いが無くて、汚れているとしか思えない場合も妄想ではないのです。

汚染の強迫観念のように、今現在の現実の危害に対して、そう思えるという強迫観念は、そうなってしまうかもしれないという未来の危害への不安思考ではないし、頭の中での思い込みだけでの強迫観念ではないし、非現実思考の妄想でもありません。

強迫観念は現実に対する思いですから、汚染の強迫観念なら現実の何かとか実際の何かで汚されます。
テレビニュースなどで見聞きした情報で汚染されたり、あるいは、不快な記憶の想起などで汚染されたりすれば、強迫観念が分からない人は、それは妄想ではと考えるかもしれません。

しかし妄想というのは、現実の何かとか、実際の何かに対して思い浮かぶことではありません。
現実とか、実際のことは無関係なのです。

妄想であれば、現実のテレビや雑誌の情報で汚染されたり、実際の記憶の想起で汚されたりしませんから、統合失調症にもそういう類の症例はありません。
むしろ、妄想(非現実思考)への過集中で、現実のことは気にならない状態なのです。
逆に現実への鈍感化によって、普通は汚いと思うようなことも、汚いと思えなくなり、不潔な状態にもなりやすいのです。

統合失調の症状そのものが現実のストレスを回避するのですら、現実に敏感になっては、統合失調の意味がないのです。

妄想や幻覚のテレビとか、実際のことではない妄想上の記憶などなら、それもあり得ますが、現実のテレビとか、実際に起こっていることやその記憶は、妄想とは関係がないのです。
現実とか実際のことで汚染されるなら、妄想ではなく強迫観念なのです。
その思いの対象が妄想にあるのか、現実にあるのかの違いで、妄想は現実に対して「そう思える」状態ではありません。
あくまで現実とは無関係な思いが妄想で、現実とか実際に起こっていることや実際に起こったことに対する思いなら強迫観念です。

一般的な思いではないという意味で妄想的強迫観念という場合も、現実の思いなので、非現実の思い(妄想)ではありません。
強迫観念の場合は、「そう思えてしまう」という感じで、その思いが消えないことで、どうしても否定できなくなりますが、現実の思いだからこそ、否定できないのです。
強迫状態は妄想状態ではなく、むしろ真逆なので、強迫症の人は、非現実の思い(妄想)なら、簡単に否定できるのです。
妄想状態だと、それができないのですが、その思いを否定しようとしないのですから、「そう思えてしまう」という感じではなく、そのまま受け入れるのです。
ですから、それを解消しようとする強迫行為も起こりません。

強迫行為は、強迫観念を否定しないといけない苦痛の洗浄なので、強迫観念に抵抗しないなら、強迫行為も起こりませんが、非現実の思いと違って、実際の苦痛なので、実際の危害に対しては、頭でどう考えようと生理的拒絶反応で強迫観念が浮かびます。
それに対して、生理的拒絶反応で強迫行為をします。それは思考では止められません。
生物として普通のことですが、過敏なことでの苦痛ですから、一般の人はそうなりません。
過敏性により苦痛が続いてしまい、その苦痛に耐えられるストレス耐性もないので、強迫行為をしないといけなくなります。

思い込みの不安思考も、未来的なことならその思い自体は、妄想と同じく実際のことではありませんが、通常は、現実のことでの不安な思いなので、妄想とは違うものです。
しかし、過敏性の強迫観念でもないのです。

過敏性ではない強迫症としては、不安症や全般性不安症の強迫症状、神経質の強迫症状、強迫行為先行型の強迫症状などもあります。
特定のことでの恐怖症でも恐怖対象によっては強迫行為も起こりますが、それは恐怖症の症状ですから、強迫症には含めません。
強迫症は特定のことだけへの恐怖に強迫されるわけではないからです。

不安になりやすいから不安型の強迫観念が浮かぶなら、不安症の強迫観念です。

自身の考え方によって、不安になって、不安思考が続いてしまうなら、神経質とか強迫行為先行型の強迫観念です。
考えに関わらず、過敏性によって、恐怖や嫌悪などの強迫観念があることで、不安型の強迫観念も浮かぶなら過敏性の強迫観念です。

不安になりやすい人が、敏感だと、その不安が長引いて、不安思考の強迫観念になります。
過敏性は治せませんが、不安になりやすい傾向を治療することで、不安思考への過敏性も弱まり、強迫症状も軽症化します。
不安症の強迫症状みたいな感じですが、一般的な説明に出てくる強迫性障害もそういう病気のことですから、普通の強迫性障害の治療法で治すことになります。

どうこうと考えることで浮かぶ強迫観念は、不安だから不安の強迫観念が浮かぶのではなく、自身の考え方によって、不安になって、不安の強迫観念が浮かぶのです。
考え方によって不安になりやすい場合は、考え方を修正することで、不安の強迫観念も浮かびにくくなります。
これは神経質の強迫症状なのですが、認知行動療法に出てくる強迫性障害もその範囲の病気ですから、普通の強迫性障害の治療法で治すことになります。

強迫行為先行型は、「こうあるべき」という欲求やこだわりにとらわれることで、それに反することが強迫観念になったり、「こうあるべき」という欲求やこだわり自体が強迫観念になり、そうしたくなくても、どうしてもそうしてしまうのです。
強迫性障害が分類上、不安障害ではなくなったのは、このタイプの強迫行為とか、強迫観念がない(自覚できない)とか、観念ではなく、違和感などの不快感の対処として強迫行為をするタイプも強迫性障害に含めたためです。

診断基準的には強迫行為をしている人で、その時間が長ければ、みんな強迫性障害になります。
一応、依存症の行為と区別して、快楽的ではない行為であることにはなっていますが、強迫行為による安心感とかはそこには含めないので、快楽性のない日常的なことであっても、それを求めてしまう強迫行為による安心依存症みたいな人達は、強迫性障害に含まれてしまいます。

認知行動療法では、むしろそういうタイプが強迫性障害だと思っていますから、強迫行為による安心依存で、強迫観念が浮かぶ、強迫行為をしなくなれば、強迫観念も浮かばないという理論なのです。
このブログでいうと強迫行為先行型のことですが、強迫行為を求めていることで、それに反することが強迫観念になってしまうのです。

強迫観念先行型は強迫行為先行型とはまったく逆で、強迫行為を求めているわけではないので、強迫行為をしなくなっても、それに関わらず強迫観念は浮かんでしまいます。
単に不安の強迫観念なら、それを放置しても実際の害はないのですが、実際の害による恐怖や嫌悪などの強迫観念とか、それがあることでの不安の強迫観念は、すでに害を受けていて、そのことでの不快な思いが消えないのですから、強迫行為をしなくても大丈夫ですよという説得が通じません。
その苦痛がある限り、強迫行為をしなといけませんから、認知行動療法では治せません。

認知行動療法では、汚れるぐらい何も害はないし、見えない汚れを気にするなんておかしい、という考えですが、過敏性が強いと、その程度のことも実際の害になってしまうのです。
実在する何かへの恐怖とか嫌悪があって、その恐怖や嫌悪の強迫観念と結び付いている汚れなので、そのことに汚されることで、その不快な思い(強迫観念)も消えなくなってしまう。
そういう強迫症状があっての汚れは、苦痛が強いのは当然のことで、強迫行為をしなくても、その前から実際に害があるのです。

それが見えないとしても、患者の中では、汚れたことでの不快感、嫌悪感、その考え、イメージなどがなかなか消えなくなりますから、その強迫感覚や強迫観念が続く限り、汚れも続きます。
見えないから、実際にはない(汚れてない)のではなく、見えなくても、患者の立場では、実際にある(汚れている)のです。

普通の人には確かに害のない汚れだし、汚れだとも思えないとしても、強迫症の人には、強迫観念があるので、そう思えないのです。
妄想と違って、実際の汚れなので、実際に洗わない限り、その汚れも消えません。

PTSDの人も、トラウマ関連の物事を避けてしまう強迫症状が出ますが、それはトラウマがあることで、その物事が危害になってしまうのであり、普通の人には、そのトラウマがないので、その物事に危害があるとはまったく思えません。
だからと言って、実際には害のないことを避けているのではなく、トラウマがあることで、それが実際に害になってしまうし、そのことで、不安な思いも浮かびますが、根拠のない不安ではないのです。

それと同じで、現在、過去の危害による強迫観念とか、それがあることでの不安の強迫観念は、実際の危害に対する強迫観念であり、未来の危害での強迫観念と違って、放置すれば自然と消えるということにはならず、どうしても強迫行為で対処しないといけなくなります。

強迫観念は未来への不安だけではなく、現在、過去のストレスでも浮かびますが、何らかの苦痛体験をして、その記憶が消えなくなってしまうことで、強迫観念が浮かびやすいとしたら、過敏性の強迫症状です。

現在のストレスは時間が経てば、過去のストレスになりますが、過敏性でその記憶とストレスが長く残って消えないので、過去のストレスも現在のストレスとなり、そのストレスがあることで、未来への不安や恐怖なども強くなり、それも強迫観念となって、未来のストレスも現在のストレスになってしまいます。

ストレス体験が続くことで、強迫性障害が発症することはよくありますが、不安な体験を長期間耐えていると、不安の強迫観念が浮かびやすくなり、恐怖や嫌悪の体験を長期間我慢して耐えていると恐怖や嫌悪のが浮かびやすくなります。
その体験の記憶と苦痛が消えないことで、同じようなことでも強迫観念が浮かぶようになります。
同じ体験をしても、過敏性がなく、ストレス耐性も強ければ、そうなりませんが、その逆の人だと、強迫症になります。

過敏性強迫症の人は、基本的に強迫観念先行型です。
強迫観念先行型は、何らかの危害に対して強迫観念が浮かび、危害の回避や対処として強迫行為をしないといけなくなり、過敏性が強い人ほど、症状も重くなります。

過敏性強迫症PTSDに近いのですが、強迫症の場合、過敏性によって、大きなことだけではなく、(一般的には)小さなことでもトラウマになり、そのトラウマも強迫観念となって消えなくなります。
PTSDは基本的には特定のトラウマだけに強迫されますが、強迫症は過敏性の強さで、不快な記憶全般がトラウマとなって、関連する物事に対して強迫症状が出ます。
PTSDの人もトラウマがあることで、敏感になりますが、過敏性が原因の病気ではないので、トラウマとかその関連事以外では強迫されないのです。
強迫症も強迫観念があることで、敏感になりますが、その強迫観念自体が過敏性によって浮かぶので、トラウマだけでなく、様々な危害に強迫されます。

強迫性障害の人は、妄想幻覚が起こらないので、目の前にありありと現れるような幻覚様のフラッシュバックは起こりません。
PTSDでもそういう人は少ないのですが、トラウマ記憶が強く想起されることがあれば、それもフラッシュバックなのです。
強迫性障害の人は、慢性的にその状態になり、トラウマ記憶が常時消えません。

PTSDは、普通の人が、強いショック体験で、トラウマになって症状が出る病気ですが、強迫症であると、過敏性の強さでトラウマの強迫性が強くなり、トラウマ記憶自体に強迫されるのは勿論のこと、トラウマがあることで、強迫観念も浮かんで、トラウマと強迫観念の両方に強迫されます。
トラウマほどではない記憶なら一時的に忘れることはありますが、過敏性が強いと、トラウマ記憶と強迫観念、どちらも頻繁にフラッシュバックします。

敏感な人がPTSDになれば、強迫症にもなってしまうことは多くあります。
過敏性で、PTSD症状の強迫性が強まり、強迫性PTSDになり、トラウマそのものに強迫されて、強迫行為をするし、トラウマによる強迫観念でも強迫行為をしないといけなくなります。

PTSDの人も、PTSD症状によって過覚醒になり過敏になってしまうことはありますが、発症自体には過敏性の問題はないので、時間の経過によって回復することもあります。

敏感であることで、一般的にはトラウマにならないことでもトラウマになって、そういうトラウマがあることで、強迫観念が浮かび、症状が出る場合は、過敏性の強迫性障害であり、本人の思い込みでの不安思考による強迫症状とは、別の症状です。

一般的には些細なことでトラウマになってしまうなら、普通の人がトラウマになってしようレベルのショックなことでもトラウマになってしまうのですが、トラウマでのダメージが過敏性によって強まり、普通の人よりも強迫性(付着力)の強いトラウマになって、その記憶も常時頭から離れなくなります。

トラウマ記憶だけでなく、トラウマ記憶が消えないことでの強迫観念にも慢性的に強迫されますが、トラウマ記憶が浮かぶこと、強迫観念を浮かばせること、慢性的に頻繁に苦痛な症状が起こること、それらの苦痛体験や症状が起こること自体もトラウマになり、ストレス反応が消えません。

このトラウマは、当然、抑圧や解離のように忘れられたトラウマのことではありませんし、強迫症に無意識の記憶とかはほとんど関係ありません。
トラウマが抑圧されないからこそ、そのストレスで強迫症になります。
強迫性障害の人は、トラウマ記憶を忘れてしまうような複雑性PTSDにはなりません。

トラウマ関連事を過剰に避けるのもPTSD症状と同じですが、トラウマが多ければ、そういう症状も増えるし、過敏性によって、トラウマでの苦痛も強まりますから、PTSDの人よりもトラウマ関連事での拒絶反応が強く、回避も過剰になります。
強迫性障害での汚染は、不快なことの付着ですから、トラウマ記憶が消えなくなり、そのトラウマに汚いという強迫観念が浮かべば、その汚いイメージが消えなり、トラウマ関連事を、避けるだけでなく、汚染されることにもなり、余計に避けないといけなくなります。

そういう実際の危害に対するストレス反応自体は、普通の人の不安や恐怖や嫌悪などと変わりませんが、普通の人は、過敏性の問題がないで、些細なことではそうなりませんし、それらによって強迫状態にはなりませんから、恐怖症とかPTSDになっても、強迫性障害にはなりません。

強迫性障害人は不安障害にも恐怖症にもPTSDにもなりやすいのですが、それだけではなく、強迫症状にも悩まされます。

強迫性障害の特徴は、強迫性、過敏性、全般性ですから、実際の危害ではなく、そうなりそう、そうされそうな状況でも強迫観念が浮かぶし、過去に恐怖を感じたことだけでなく、それと似たこととか、それを連想させることにも恐怖します。

強迫観念は、何らかのショック体験で、実際に危害を受けることでも浮かび上がりますが、危害のあることに対して、それを防ごうとする思いも強迫観念になります。
身近なことで言えば、うるさい音などでの不快な体験も危害となって、その危害に対する不快な思考が浮かび、強迫状態を引き起こしますが、その症状も危害となって、そうならないようにと不安が強まったり、対策が過剰になり、その思いも過敏性の強迫観念です。

汚染恐怖の強迫観念が浮かびやすい人なら、汚れること(実際のストレス)に弱いだけではなく、汚されそうな状況でも、嫌悪や恐怖によって強迫状態になり、一瞬で汚れの強迫観念が強まってしまいます。
簡単な例でいうと、非接触式でも、体温計を額に近付けられるだけでも、強迫観念によって汚されたことに等しい拒絶(嫌悪)反応が出て、嫌悪や恐怖をともなう汚染の強迫観念が強まり、耐え難い苦痛を感じます。
接触してなくても、強迫観念自体に付着性があるので、汚れたように思えてしまうと、その思いが離れなくなり、結果的に汚れてしまい、汚れた物を捨てたり、長時間洗浄しないといけなくなります。

当然、実際のダメージでも強迫観念が強まりますから、汚されれば、汚されたという思い、考えや、汚れのイメージなども強迫観念になって、なかなか消えなくなります。
不快な刺激であれば、なんであれ危害(ショック)となって、強迫観念は浮かびますが、強迫観念自体からもそういう不快な感情が起こりますから、強迫観念が浮かべば、それが精神的ダメージ(トラウマ)となって、その強迫観念の持続性や反復性が必然的に強まってしまうのです。

それを対処しようと、強迫行為をすることになり、強迫観念が強い分、行為も過剰になります。

強迫性障害の汚染恐怖なら、汚れることでの苦痛が強いだけでなく、それを長時間洗ったり、洗えない場合などは、捨てないといけなくなってしまう危害もあるので、余計に汚れることが危害に思えるのです。

きれい好きでも汚れたくはないのですが、きれい好きなのですから、洗うこと自体には苦痛にならないので、その分、汚れへの抵抗も少なく、だからこそ、掃除もできるのです。
こういうタイプは、神経質ではあっても、過敏性はないので、苦痛は少ないのです。


強迫症の症状そのもので、気が狂うことはあり得るでしょうか?

強迫観念は過敏思考です。
現実に対して敏感過ぎて、一般離れした内容にはなりますが、現実離れしているわけではありません。
敏感であることで、現実から離れられないから、現実の危害による強迫観念も離れないのです。

妄想は鈍感思考です。
現実の何かを感じて思い浮かぶわけではなく、現実は関係ないのです。
妄想には敏感になりますが、その分、現実に対しては鈍感になります。
妄想中は現実離れているので、強迫観念も浮かびませんから、現実の些細なことが気になってしまう妄想なんてあり得ません。
もしそういう妄想があれば、それは強迫観念であり、妄想ではありません。

統合失調症とか妄想性障害でも完全に現実離れしていることは少ないので、妄想もあって、それとは別で強迫観念もある人はいますが、強迫観念そのものが妄想という状態にはなりません。
全然別の思考だからです。

思い込みの不安思考の場合、現実に対する思いでも、頭の中でのことですから、妄想に近くなりますが、そういう考えを持っているだけで、妄想でそう思えるのではありませんから、統合失調症のような症状が出ることはありません。

ほとんどあり得ないようなことが、不安思考として思い浮かんだとしても、統合失調症や妄想性障害でなければ、確信することにはなりません。

「かもしれない」という思いに対して「かもしれない」として確信してしまうのは、それが現実であると確信していることとは違いますから、妄想ではありません。

妄想は現実に対する思いではないので、現実に対する不快な思いであれば、妄想ではなく、強迫観念なのです。

二重見当識段階の統合失調症の場合、非現実だと分かっている思いが浮かびますが、妄想だと分かっている妄想ですから、その妄想があっても、それにとらわれての言動はしなくなります。
雑念みたいに、そういう思いが浮かんでしまうというだけです。
その場合も、あくまで妄想自体は非現実であり、思い込みの不安思考のような現実に対する思いではありません。

過敏性の強迫観念は、実際の危害での不快な思いとか、それがあることでの不安ですから、「かもしれない」という不安だけでなく、実際にそうなっていると思える確信的強迫観念も浮かびますが、実際にそうなのですから、妄想ではありません。
「かもしれない」という不安だとしても、その前に実際の危害があっての「かもしれない」なので、想像上だけの危害に対しての(根拠のない)「かもしれない」とは別のことなのです。

思い込みの不安思考でも様々なことが強迫観念になりますが、病気への恐怖や不安が強迫観念の人もいます。
そういう人の中には、病気かもしれないと思い、その心配をなくそうと、頻繁に病院に行ったり、その病気のことをネットで調べ続けたりします。

病気は実際に害のあることですから、それを心配するは正常で、普通の人もある程度は不安に思いますが、その思いが強いと強迫観念になります。

そうなりやすい人にもいくつかタイプがあり、不安になりやすいから、そうなってしまう人もいれば、神経質のように、そう考えることで、不安になってしまう人もいます。
過敏性の強い人の場合は、不安になりやすいからというよりは、敏感だから、不安な思いにもとらわれてしまいます。

神経質での考え過ぎの人は、まったく病気ではないのに、病気かもしれないなど悩むことで、その思考によって不安になっているのです。
病気への考えによって、その考え自体が強まり、不安も強まって、強迫観念になり、頭から離れなくなります。
現実の病気ではなく、「自身の思い込み」に対する恐怖が作り出した強迫観念です。
病気は元から危害がありますが、思い込みによって、余計に怖くなってしまうのです。
その余計な分が、普通の人にはない(考え過ぎでの)不安や恐怖になります。
敏感だから、そういう不安思考にとらわれやすいとしても、その不安は、考え過ぎが原因ですから、考え過ぎを止めれば、問題はなくなり、強迫観念にもなりません。
実際にはそれ程怖くない病気を、強い思い込みが怖くして、強迫観念になります。

このタイプは強迫観念より先に、自分の考え、思い込みがあり、それにとらわれて、その思いが強まり強迫観念になり、その強迫観念で恐怖が強まります。
強迫行為を求めることで、強迫観念が浮かぶわけではなくても、考えが先にあり、強迫観念はその後なので、タイプとしては強迫行為先行型に近くなります。
考え過ぎの場合は、そう考えなければ、強迫観念もないのです。

考え過ぎ、気のせいの思考での強迫症状=神経質タイプです。

神経質の思い込みだけの不安思考も強迫性はあり、強迫観念にもなりますが、強迫性障害の強迫観念とは全然違うもので、神経質の場合は、「想像上の不安や恐怖」なのです。
そしてそれは、不安になりやすいとか、敏感だからとか、病んでいるからではなく、そうなってしまうような考え方をしてしまうことで、そうなってしまうのです。

ただの考え過ぎだとしても、精神的な(思考的な)気質のせいだと、本人だけではなかなか治せませんが、過敏性とかの器質が関係ないので、治療可能な範囲ではあります。
強迫性障害で治せるようになったのは、ほとんどが、この範囲の人達のことです。
考え方で、不安になったり、敏感になったり、病んでしまうことで、余計にそうなりやすい考えも強まりますから、そういった精神的問題への薬物療法をしながらだと、考え方も修正しやすくなります。

「想像上の不安や恐怖」というのは、妄想みたいなものですから、抗精神病薬も効く事はありますが、基本は考え方の問題なので、認知の修正もしたほうが再発し難くなります。

しかし、そういう範囲は本当は強迫性障害ではなく、神経質なのです。
強迫性障害の強迫観念は、神経質の思い込み、気のせい、考え過ぎとかの想像上の不安や恐怖ではありません。

過敏性の強迫観念は、どうこうと考えたり、想像することに関係なく浮かびます。

実際の苦痛な体験に対するストレス反応で浮かんだり、過去に体験した苦痛体験や、トラウマ記憶などがあることで、それに関連することなどが、本人にとっては危害となって、強迫観念が浮かびます。
恐怖症の人が恐怖対象に恐怖したり、PTSDの人がトラウマ関連事を避けるのと同じで、実体験の恐怖とか、過去の苦痛体験の記憶があっての恐怖ですから、想像上の恐怖ではありません。

その恐怖があることで、何らかのことが危害となって、それに対する不安も浮かぶのですが、その不安思考で、強迫観念が浮かぶのではなく、実際の危害による不快な思いが、最初から強迫観念としてあり、それがあることで、未来的な不安も強迫観念として浮かぶのです。
実際の危害による不安は、考え過ぎとか、思い込みでの想像上の不安ではないのです。

病気への不安にしても、過敏性の強い人の場合は、「自身の思い込み」に対する恐怖ではなく、現実の病気そのものに対する恐怖が、即強迫観念になります。
その強迫観念によって余計に怖くなりますが、実際の病気に対する直接的な強迫観念なので、その人のにとっては、実際に怖い病気への正常な恐怖です。
普通の人には強迫観念がないので、そうなりませんが、過敏性によって、一般より過剰な恐怖になります。
どうこう考えて、その思考で病気に恐怖するのではなく、最初から病気への恐怖で直接的に強迫観念が浮かびます。

過敏性の強迫観念は、考えではなく、(恐怖などを)感じることで浮かぶのです。
それが浮かぶことで、そのことを考えてしまいますが、その考えで、強迫観念が浮かぶのではなく、苦痛が強く消えなくなれば、無視できませんから、必然的に、それについて考えてしまうことにもなり、その強迫観念の苦痛を無くそうすれば、またそれについて考えてしまうのです。

その強迫観念に対して、どうこう考えるのですが、強迫観念自体は、そう考えているのではなく、どう考えるかに関わらずに浮かぶので、考え過ぎが原因ではありません。

むしろ、何も考えなくても、浮かんでしまうし、もし考え過ぎても、そういう考えとは無関係に、過敏性のストレス反応として、強迫観念は浮かび強まります。

そうなっては困ると考えているから、そのイメージが浮かぶのなら、考え方だけの問題ですが、実際に危害のあることに対しては、そういうイメージが浮かんでしまうと同時に、そうなっては困るとも考えてしまうものです。
そういう不安は、実際には(まだ)危害がないことですが、それは当たり前のことで、だからと言って、実際には危害がないことを危害だと考えることで、危害に思えるわけでもありません。

例えば、コロナ対策をしようとすれば、コロナを考えることになりますが、考えることで、コロナが怖いのではなく、実際に危害があるから、それについて考えてしまうのです。
このいうのは考え方の問題とは言いませんし、見えないからといって、実際には危害がないわけでもありません。

過敏性が強いからこその強迫観念ですから、一般の人は思わないような内容にはなりますが、現実に対しての思いであり、現実の何かが脳内で具体化されるので、妄想のように単に非現実の心の産物ということではなく、現実のことなのです。

はっきりしたイメージがあるというよりも、汚い感じに強迫される人も多く、その場合、(不快な感じを抑えられればいいので)一見、不合理な(儀式的な)強迫行為をするようになりますが、もし、そうであっても、現実の何かでの嫌悪感なので、妄想状態ではありません。

神経質の不安思考でも強迫行為は起こりますが、それは神経質な性格、考え方の癖(精神的気質)の問題です。
どうこう考えることで強迫観念が浮かぶとしたら、それは強迫観念ではなく、ただの考え過ぎなのです。
強迫性障害ではなく、神経質の人です。全然違う病気なので、これを一緒にしてはいけません。

森田療法認知行動療法では、神経質も強迫性障害に含めていますが、神経質は神経質であり、強迫性障害ではありません。

森田療法認知行動療法ビジネスによって、誤った情報が拡散していますが、どういう病気なのかを理解されない内は、適切な社会的理解や社会的支援を受けることも困難になります。

認知行動療法をやっている人達は、本に書いてあることとか、講師に教えてもらった範囲の強迫性障害のことしか分かっていません。
それはアメリカ式の古い強迫性障害ですが、いまだに考え方とか行動の癖の問題だとしているのです。

彼らは、強迫性障害が実際にはどんな病気か考えようともできないし、ほとんど分かっていないのに、治せない時は、強迫性障害を理解せずに、頑張って治そうとしない患者のせいだと言います。
勘違いの間違った説明を受けて、理解できるわけがありません。

実際に性格とか考えの癖で症状が出ているなら、頑張れば治せることはありますが、頑張って治そうにも、そういう意向に関わらないのが本当の強迫症です。
考えたくも思いたくもないことが思い浮かんでしまい、それによって、しなくもないことをしないといけなくなってしまう。
こういう強迫性の症状は、器質的な過敏性が根本原因ですから、頑張りとか勇気が足りなくて起こるわけではありません。
そんなことは無視して生理的に起こる症状なのです。

考えの問題ではなく、考えに関わらない症状です。
敏感な人は、ストレスに慣れようにも慣れないから、ストレスが続いて、強迫状態になってしまう、簡単なことです。
そういう強迫もあることが分かっているならまだ良いのですが、彼らは自分で考える力がないので、みんなが同じ強迫症だと思っているのです。

治せる範囲の不安障害やPTSDなどの強迫性が強まったのが、強迫症なのですから、治療が困難なのは当然のことです。
治せるとしたら、敏感でなく、ストレス耐性も強い人ですが、そういう人は、強迫症にならないので、治ったとしたら、治せる範囲の不安障害の強迫症状とか神経質です。

森田療法に出てくる神経質というのは、実際には敏感ではないが、心配なことを気にしやすい考え方の癖(精神的気質)があることで、神経過敏のような症状が出てしまう人です。
実際には危害がないことを気にすることで、危害に感じてしまうわけですが、場合によっては、精神病のようにもなります。
精神障害は、どういう原因でそうなっているかはあまり関係なくて、同じような症状が出ていれば、みんな同じ病気(病名)ということになりますから、神経質によって統合失調症の症状が出ても、統合失調症なのです。

神経質だとしても強迫症状があれば、強迫性障害にはなります。
しかし、神経質の人は、気にするから敏感なのですが、強迫症の場合は、敏感だから気にするのです。
全然違う病状ですから、神経質の強迫症状の治療法では、強迫症は治せません。

過敏性の強迫と、神経質はまったく違います。

強迫性障害と強迫類似症の区別もするべきなのですが、強迫行為先行なのか、強迫観念先行なのか、(思い込み的な)不安での強迫症状なのか、過敏性による不安や恐怖や嫌悪などでの強迫症状なのか、違う症状ですから、強迫性障害のタイプ分けができるようにならないと、治療の仕方や予後が正しく判断できなくなります。

思い込みでの不安とは、本来心配しなくても良いことを、心配することで、その思いによって、不安になってしまう状態です。

思い込みの恐怖なら、怖がるほどのことではないのに、怖がることで、その思いによって、怖くなってしまうことです。

実際には危険ではことを、危険だと考えて、その思考で怖くなってしまうのです。
こういうのが、神経質での不安や恐怖で、そういうふうに考える癖があるのですが、強迫行為は、そういう思いを消すために行われます。
強迫行為は、危害の対処とか対策(予防)とか回避ですから、神経質でも、普通の不安思考でも起こります。
ですから、森田療法では、強迫性障害を神経質が原因だとしていました。
神経質は強迫性障害に含めるとしたら、強迫観念先行型ですが、本人の考え方の問題ですから、本当は強迫症(病気)ではありません。

神経質の思い込みと、現実反応(過敏性)の強迫観念の区別ができないので、神経質の思い込みで強迫行為をしている人も、強迫観念で強迫行為をしている人も、同じ強迫性障害となってしまいます。
むしろ、神経質の思い込みでの不安思考こそが、強迫観念ということになっていますが、その区別ができないと、強迫症の理解はできません。

ただ、それは強迫性障害の根本原因である過敏性の問題を無視してきたからです。
それを直視すると、森田療法認知行動療法の理論がまったく通じないからです。

強迫症の人は、不安思考にもとらわれるし、不安思考に反応して、強迫観念が浮かぶこともありますが、過敏性の強いタイプは、その不安思考がすでに強迫観念なのです。
考え方で、不安になって、不安思考にとらわれているわけではありません。
考えに関わらず、危害に対して、生理反応で浮かびます。

過敏性による強迫観念は、思い込みで浮かぶわけではなく、実際の強い危害に対する強い生理反応で、考え方に関わらず浮かびますから、強迫観念が考え過ぎと言うのはあり得ません。

ただ思い込みでの不安思考が浮かばないわけではなく、神経質は考え過ぎて、それが強迫観念になり、強迫症の人は、考える前に、それが強迫観念になってしまいます。

思い込みでの不安思考は、一時的なら誰でも浮かぶもので、現実的な思いもあれば、非現実的な思い込み(考えすぎ)もあります。

人の少ない暗い夜道を歩いていて、後ろから人が歩いてくると、「つけられているのでは」「何かされるのでは」と不安や恐怖が強まるのは、普通の人にも、神経質な人にも、敏感な人にも、妄想の人にも起こる普通の現実的不安思考です。
その時間が長いと、恐怖が強まり、危険かもしれないではなく、危険だと確信的になっても、それ自体は妄想ではありませんし、一時的に普通の現実的不安思考が強まっているだけで、強迫観念でもありません。
実際には、単に帰り道が同じとかでも、そんなことは分からないのですから、実際に危険である可能性もある=現実的な不安思考です。
そんなことはまったく怖くない人もいますが、だからと言って、非現実の妄想状態ではないのです。

妄想の人も頭の中が全部妄想だけという人は少なく、ある程度は、普通の考えもできるし、実際に怖いことにも恐怖するし、「かもしれない」という不安思考とか、神経質的な思い込みだけの不安思考などを持たないわけではありません。
上記のような普通の不安も起こりますが、それとは別で、妄想もあるのです。

強迫症の人も全部が強迫観念ではなく、当然、上記のような普通の不安思考も浮かぶし、「かもしれない」という不安思考も、それが強迫観念になって、離れなくなってしまうこともあれば、そうならないこともあります。

「かもしれない」という不安思考にしても、神経質なら、現実には害はなく、考え方の問題で、不安や恐怖が起こるのですが、強迫性障害(過敏性の強迫観念)なら、上記の例と同じで、何らかの実際の危害に対して、不安や恐怖などの思いが浮かぶのです。
「かもしれない」という不安思考が浮かぶ前に、恐怖や嫌悪などの別の強迫観念が慢性的にあることで、「かもしれない」という一時的な不安も強まり、その不安思考も強迫観念化するのです。

強迫症の特徴は、不安や恐怖や嫌悪などの強迫性の強さだけではなく、全般性もありますが、どちらも過敏性のストレス反応が原因となり、考えは関係ないので治し難いのです。

強迫性障害統合失調症を防ぐという説がありますが、ストレスで気が狂わないように、ストレス対処として強迫行為をしているからです。
ストレスが強いのに、強迫行為でそれを対処しなくなれば、頭がおかしくなって、統合失調症のようになってしまうという考えです。

強迫性障害の人は過敏性が強いため、現実から様々な刺激を浴びせられますが、過敏性によって、現実との付着力が強まり、現実から離れられないことで、統合失調症にはならないのです。
統合失調症は、その真逆で、現実に鈍感になり、現実離れする病気ですから、そういう素質がないのです。
強迫性障害かどうかではなく、敏感な人は(現実から離れらなくて)統合失調症になり難いのですが、敏感でストレスが多くても、ストレス対処として強迫行為をしてない人は、気がおかしくなって、統合失調症のようになってしまう可能性もあります。

統合失調症はストレスで発症しないと頑なに思っている人も未だにいるのですが、器質的な病気=ストレスに無関係ではありませんし、先天的とも限りません。
体の病気にしても、多くの場合、健康だった臓器などの肉体的器質が後天的に病気になってしまうのであり、脳だけが後天的に障害を起こさないなんてことにはなりません。
精神病というのは、症状が(現実の)ストレスに無関係というだけで、発症のことではないのです。
器質的な弱さを、ストレスが刺激して、病気が発症することもあるのです。
統合失調症がストレスと関係ないなら、なぜストレスに弱いとか、ストレスで再発しやすいという話があるのでしょう?
心理が関係ないなら、なぜ陽性症状でもプラセボ効果が得られる人がいるのでしょう?
統合失調症患者が、何らかの体験のストレスでこうなったと言っても、妄想扱いして、聞き入れないことも多いのですが、そういうこともあり得るのです。
発症後の統合失調症の症状自体はストレスとは無関係ですから、そのことを精神病というのであり、その発症自体は、ストレスで起こることは多々あることは、症例としても認められています。
もちろん、まったくのストレスなしで、自然と発症するタイプも多いのですが、ストレスで発症しても、発症後の症状が同じなら、同じ精神病なのです。

うつ病も、ストレスで発症する人と、ストレスに無関係で発症する人がいますが、発症後の症状が同じなら、同じうつ病なのです。

強迫性障害が統合失調を防ぐとしても、強迫性障害が治ったら、統合失調になってしまうわけではありません。
強迫性障害が治ったら、現実との結び付きも弱まりますから、統合失調になり難いとは言えなくなりますが、気を狂わせるレベルのストレスもなくなります。

不安症の強迫とか神経質の強迫とか、強迫性障害でも過敏性のないタイプであれば、鈍感化の素質があるので、統合失調症になり難いとは言えません。
強迫性障害が治った人なら、特にそうです。
過敏性によって、現実から離れられないのが強迫症なので、強迫性障害が治るということは、統合失調症を防ぐレベルの過敏性がない人なのです。

統合失調症の前駆症状は、過敏性のないタイプ(特に神経質の)の強迫症状と同じですから、そのタイプの強迫症から、統合失調症に移行することはあり得ます。
もしそうなったら、強迫症的な症状は弱まるはずですが、統合失調症と言っても、多くの場合、完全に現実離れするわけではないので、軽い強迫症状は続く人もいるようです。

統合失調症を治すというのは、現実に向き合わせることを意味しますから、症状で現実逃避できていたのに、治すと現実のストレスとも向き合わないといけなくなります。
せっかく現実反応の強迫観念を回避できていたのに、それも浮かんで、強迫症状が出てしまう人も多いのですが、その場合も、元々は過敏ではなく普通の人が多いので、神経質的な思い込みの強迫観念が多く、比較的軽い症状で済みます。

強迫症であることで狂わないし、狂わないので強迫症なのです。
狂ったら、強迫症は楽になりますが、狂いそうになってしまうだけで、そうなりません。
狂気の刺激に耐えられないので、異常にまともなのです。

強迫症状というのは、現実の些細なことまで気にしてしまうという、まともなことを異常にしてしまう症状です。
気が狂うというのは、現実離れすることですから、そうならないので、強迫症なのです。

狂気のエネルギーに付いて行けなくて、狂うのではなく、単に病んでしまうのです。
現実から離れられないことで病むのですから、どんなに病んでも、まともな面は維持されて、強迫症は消えません。

しかし、統合失調症といっても、よっぽど重症でなければ完全に現実離れすることはありませんから、強迫症(まともな面)がありながら、並行して統合失調症的な病状も出てしまうことはあり得ます。

強迫症自体が狂うというよりは、強迫症の症状の苦痛で病んで頭がおかしくなった場合は、心因性精神病ということになります。
強迫症が器質性だとしても、その症状の苦痛で精神病になってしまうのは別のこととして考えて、統合失調症ではないが、とても異常な精神状態の人なら、精神病様強迫症とも言います。
病んでしまうことで、強迫症状自体も重症になり、人間的な生活ができないレベルの病状になりますが、ある程度は、まともなので、表向きはそんなに異常には見えません。
強迫観念は、妄想や幻覚ではないし、統合失調そのものでもないのですから、薬も効きませんし、治す方法はありません。
ただ、本人にはそう言わずに、普通の強迫症として治療するかもしれません。
このレベルになったら、回復はとても困難なので、将来性のない人生になりますから、早めにそうならない生活に切りかえることが大事です。


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