強迫性障害の全貌

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強迫症患者が一般基準に巻き込まれないためには?/過敏性に効く薬はあるか?/強迫の苦痛を減らすには?

強迫は慢性症状で、その過敏性は一般とは全然違うので、強迫症の人は、人とうまく共同生活するのは困難です。

強迫症の人は、巻き込みをすると言われていますが、普通の人達は、自身の基準に合わせようと、強迫症の人を巻き込んではいないのでしょうか?
強迫症で巻き込みと言われているのは、多くの場合、危害回避であり、誰かに巻き込まれて害を受けないようにしたいとか、ダメージを減らしたいだけなのです。
ストレスの基準が違うまま、どっちの基準に合わせるかということをすれば、結局、巻き込みになってしまいます。
社会の中では、強迫症の人達が巻き込みをするよりも、逆に、一般基準の人達に、強迫症の人が巻き込まれて害を受けていることのほうが圧倒的に多いのです。
強迫症患者は家でもそれを我慢するしかないとしたら、人との同居などの共同生活はできなくなります。

若い内は家族と暮らすことで、周りを巻き込むこともあるかもしれませんが、基本的に、強迫性障害の人は、過敏性によって本人が周りから迷惑を受ける病気なのです。
その状態で、人と生活すれば、ストレスから身を守ろうと、巻き込みするのは仕方がないことです。
社会に出れば、強迫性障害の人にとってのほとんどの刺激(ストレス対象)は、一般の人にはどうでもいいことなので、患者が我慢するしかなくなります。
家の中ぐらいでは我慢しなくて済むようにしたいのですが、そこでも一般基準を強いられ、巻き込まれてしまいます。

非現実の妄想と違って、強迫観念は現実によって思わされる思考です。
日常や社会での生活上で浮かぶ現実反応の思いですから、一般の考えと、強迫観念は、常時反発しています。
強迫症患者の場合、強迫観念と並行して、一般の考えも理解できますから、非現実の思いは非現実だと分かるし、同じこと(本人のストレス対象)に対して、普通の人達がどう思っているかも分かります。
しかし、普通の人には、強迫症患者の強迫観念が分かりませんから、強迫症状の苦痛も理解されません。

強迫観念は現実のことでの思いなのですが、過敏性によるストレス反応の思考なので、他人はそう思いませんし、そのことが本人も分かっています。
強迫観念を相手と共有できないことも分かってはいるので、社会の中では、危害を我慢する(一般の人達に巻き込まれる)か、そういう状況を避けることが多くなります。
そういった犠牲的な対応ができるので、精神病やボーダー扱いにならないのですが、他人にはどうでも良いことでも、自分にとっては実際に危害なのですから、それを避けるには、他人に理解してもらわないといけない状況もあるし、他人から危害を受けやすい病気ですから、そうなった時には口論になってしまう場合もあるでしょう。
しかし、それもストレスが強いので、できれば避けようとするのです。

社会以前に、家族との関係でもそうなりやすいので、重症の強迫症の人は、ほとんどが単身で、社会的引き篭もりになっています。
そういう生活だと悪化し難いわけではありませんが、それが一番、他人を巻き込みにくいし、他人に巻き込まれて害を受けることを減らせるからです。

妄想状態だと人に迷惑をかけていることが分かりませんから、その人に関われば、必然的に周りが巻き込まれます。

強迫症の人は、迷惑をかけることもしたくないので、できるだけ巻き込まないようにしたいのですが、強迫症状がある限り、他の人と関われば、我慢するか、巻き込むかをしないといけなくなります。
我慢をするのも辛いので、その両方を避けて、自ら孤立してしまうのです。

強迫症患者が一般基準に巻き込まれないためには、一般に関わることを可能な限り避けるしかありません。
社会以前に医学的にもまだ理解されていない病気なので、病院などでも我慢を強いられることになりますから、(特に汚染恐怖や感染恐怖の人は)病院に行けない人も多いのです。

強迫性障害の人は、なぜ病院に行かないのかとか、重症でも入院しないのかと言っている人もいますが、症状で行けなかったり、症状で入院生活が困難だからです。
他人との共同生活や、自宅以外での寝泊りが困難な病気だし、入院しても治せませんから、入院しないのです。
他の精神障害と違って、重症であるほど、入院生活では気が休まりませんし、治す薬も方法もないし、特に汚染恐怖、感染恐怖の人は、入院生活で強迫症状は確実に悪化しますから、重症の強迫症であるほど、自宅療養が向いています。

統合失調症の場合、特に陽性症状だと、人に迷惑をかけやすいという意味でも入院が向いていますが、強迫症は、入院生活が逆にストレスになって症状を悪化させます。

病院側が強迫性障害患者に合わせて、待合室からテレビや新聞などの強迫観念を煽りそうな物(不快な情報)を撤去したり、他の患者さんと違う場所で待てるようにしたり、病院内の物などに接触しなくて良いようにしてくれれば、通院も少しは楽になりますが、そのような対応をしてもらえなければ、通院さえ困難なのです。

統合失調症はストレスに無関係に発症する場合と、ストレスによって発症する場合とがありますが、どちらにせよ、症状で現実逃避が起こり、現実からのストレスを回避することになります。
ストレスによって発症した人の場合、ストレスで再発しやすい面もありますから、本人のためには治さないほうが良い場合もありますが、そうすると周囲に迷惑がかかってしまうので、ある程度は治さないといけなくなります。
ただ、ずっと生活のめんどうを見てくれる人がいたり、病院にずっといられるのであれば、無理に治さずに、病気(陰性症状)のままにしておくこともあります。
陰性症状であれば、そういう生活でも苦になりません。

強迫症は、現実逃避が起こりませんから、現実からのストレスを受け続けるし、強迫状態になって、ストレスを対処ではないことで、強迫行為をしないといけなくなります。
陰性症状にならないし、何もしてなくても以前からある強迫観念は続くので、回避的な生活をしてもストレスが続きます。
汚染恐怖や不潔恐怖などでの接触(汚染)拒絶が強まると、親しい人との付き合いとか、家族の付き添いも困難になりますから、重症の人ほど、単身生活しかできなくなります。
症状でできないことが多くなっても、無理でも一人で生きるしかなくなり、そのストレスでも悪化し続けます。
他の精神障害なら、重症であるほど付き添いを必要としますが、それさえできない病気なのです。

強迫症は、過敏性によるストレスへの弱さが原因で発症する場合がほとんどです。
ストレスに無関係に発症したように見えることもありますが、それは過敏性でのストレス反応は、一般的にはそれといって大きな危害ではないこともあるので、話を聞いてもどれがストレスなのか分からないこともあるし、本人にとって辛い記憶であれば、人にも話せないからです。

学校や家族関係などの特定のストレスとか、ストレスの積み重なりで発症したりしますが、ストレスを避ければ症状が出ないということではなく、器質的な過敏性が原因なので、同じような状況で普通ならストレスにならなくても、過敏性によってダメージを受けやすく、ストレスを避けても、そのストレスが感情や思考や記憶などとして残こってしまうため、ストレスが続くのが強迫状態なのです。

神経過敏は生まれつきとは限りませんから、人によっては一時的な症状で済むこともあります。
思春期、妊娠期間、出産前後、PTSD等でも神経過敏状態になりますから、その神経過敏が続いて、強迫症も併発することはよくあるのです。
ただ、そうなりやすいのは、ストレスやトラウマによる強迫症状で、神経が活発になったり消耗したからなので、元々から神経的な弱さがあって、ストレス耐性が低いことで、強迫状態になりやすかったからというのも考えられます。
普通の人がPTSDになって、神経過敏になったとしても元々が普通ならその過敏性は低いので、強迫症にはならないのです。
元から敏感な人がPTSDになれば、トラウマにも強迫観念にも強迫されます。

産後などは、鬱にもなりやすく、おそらくホルモンバランスの乱れなども関係してそうですから、一時的な症状で済むこともあるようですが、生まれ付きの神経過敏が土台にある人の強迫症は、過敏性が治せないので、ストレス耐性も低いままですから、ストレスの低い生活をするしかありません。

PTSDが神経過敏になりやすいように、強迫症状もストレス反応ですから、強迫観念も強迫行為もその症状自体が神経過敏を悪化させます。
悪化するほど、苦痛も大きくなりますから、できるだけ早めにストレスの少ない生活をできるようにすることが大事です。
ただ、軽症の内は、気力もあるし、そうできるような社会的な理解は得られ難いこともあり、無理して社会適応しようとしますから、なかなか気が休まりません。
重症化することで、社会適応が無理だと分かることで、ストレスを減らすよりなくなります。
ストレスを避けるのもストレスにはなりますが、無理して我慢し続けるよりは、可能な限り避けたほうが少しは良いのです。
重症化するとそうするしかなくなりますが、慢性症状でのストレスがありますから、一旦重症化すれば、悪化し続けます。

症状自体はそうなので、社会的な苦痛は減らしたいところですが、強迫性障害という病気への社会的な理解がなくてはできません。

社会には強迫症の人が避けている刺激が平気どころか、むしろ好きな人も多いので、強迫性障害の人は社会に馴染めないのです。

例えば、強迫症の人には汚く思えても、他の人達がそう思えなければ、社会的には汚れとは言えません。
汚されても我慢するしかなく、自分で対処することになります。
普通の人が1回で確認できることを、何回も確認していれば、のろま、心配し過ぎと言われます。
症状があることで一般とのそういう差が出やすいので、社会適応がストレスになります。

強迫症の人が社会の中で自分の基準を通そうとすれば、他の人には過剰に思えて効率が悪くなりますから、迷惑をかけてしまうし、人格障害者や精神病者扱いされる可能性もあります。
精神病ではないので、それが分かるからこそ、我慢をするのですが、それも辛いので、社会的引き篭もりになります。
無理して社会適応しようとしても、ストレスで強迫も鬱も悪化するので、それもできないのです。

強迫症患者に合わせて社会は動きませんから、自分で身を守らないといけなくなります。
そういう状況になってしまうので、不安や恐怖なども増えて、強迫観念も余計に浮かびやすくなります。

一般社会だけではなく、医療や福祉の現場でも、強迫症自体がほとんど理解されていないか、誤解されているので、これといって特別な対応はしてもらえませんから、自分から症状とか症状でできないことは説明しないといけません。
精神病とか重度のうつ病とかなら、入院してもらえばいいのですが、強迫症の場合、症状で入院生活も困難とか、入院しても治す方法も薬もないのですから、一人で引き篭もるしかなくなります。

強迫症の場合は、本人だけの苦痛が大きいので、治したほうが本人のためにも良いのですが、治す方法がありません。
強迫行為を続けて、生きて行くしかないので、強迫行為を起こすようなストレスを減らし、その上で、強迫行為自体のストレスを減らすために、しなければならない強迫行為をしやすくする環境作りが大事になります。
ただ、そうしてもこの病気である限りは、大したことは何もできませんから、高望みせずに、生きていられればいいという程度で良いのですが、陰性症状にはなりませんから、そうした生き方はストレスになります。
できなくても、希望とか目標を持つのは良いことで、困難でも、できる範囲で、そこに向かう生き方になります。

回避的生活にはなりますが、そうしたいわけではなく、症状の苦痛を普通の人達が分かってくれないので、そうするしかないのです。
しかし陰性症状でもない限り、何もしない生活は苦痛になってしまうし、単身だと引き篭もりもできませんし、何もしないわけにも行きません。
何かすることになれば、その範囲で強迫症状に悩まされるし、何もしなくても強迫観念が続き、日常範囲でのストレスで強迫行為を続けることになり、症状から逃れられません。

強迫の人は刺激への過敏性で引き篭もりやすいのですが、妄想の人は、興奮して鈍感になっているので、妄想で人に迷惑をかけようが気にせずに、強引に人に関わろうとします。
妄想で何かを恐怖している場合、その対象は現実ではなく、妄想の中にあるのです。

強迫の人は、現実に敏感なので、現実のことはよく分かっているのですが、妄想だと現実の対象には鈍感になっているので、現実がよく分からないのです。

妄想状態の人が、あなたに向かって話している場合、現実のあなたではなく、妄想化されたあなたに話しているのです。
現実のあなたのことは、実際には無視していますが、二次妄想の場合などで、妄想自体は現実とは無関係でも、現実のあなたに対して、妄想での考え(非現実)を向けることはあります。
そうやって、現実に対して、妄想(非現実)を押し付けてくる人がいるので、妄想には危険性があります。
どちらにしても、妄想状態特有の特有の症状(言動)が出ますので、見れば分かりますから、強迫症の人との区別は簡単です。

強迫症であれば、正常な思考に並行して、強迫的な考えや思いが常にある状態にはなりますが、正常な思考が分裂しているわけではなく、それはまともなまま維持されますから、妄想状態にはなりません。

強迫観念の場合、過敏性によって些細なことで浮かびますから、日常的な範囲の汚染とか危害回避的な内容が多く、一般的な思考内容ではなくても、突飛で支離滅裂な言動をすることはありません。
現実反応なので、非現実的なことをしても何にもならないからです。
本人の中では、かなり複雑な精神状態になりますが、統合失調することはないので、強迫症のままなのです。

統合失調症の人は、本人的には、精神的に病んでいるわけではないのですが、症状で周りからはそう見えるわけです。
強迫性障害の人の精神は実際に病んでいて、本人も分かっていますが、それが表面化されない病気なので、周りからは病んでいるようには見られ難いのです。

強迫性障害統合失調症はまったく無関係の病気ですが、統合失調症の症状は結果的に強迫性障害には治療的なので、重度の統合失調症の人には、重度の強迫症の人がいません。
ですから、統合失調すれば強迫症も治りますが、統合失調しない脳だから、強迫症なので、統合失調することで治ることもないわけです。

同じように、躁状態になれば、恐怖や不安などを感じ難くなり、強迫症状も落ち着きます。
逆に強迫行為先行型の人だと、恐怖や不安などではなく、欲求的な強いこだわり(完璧主義、きれい好きなど)で、行為を繰り返しますから、躁状態が余計にそれを過剰にすることはあります。
ただ、強迫行為先行型は本来は強迫症ではないし、陽性症状や躁状態のような精神病症状にならないからこそ、現実反応の過敏性での強迫症状が出るので、強迫性障害ということは、精神病にはなり難い人なのです。
過敏性によって、現実を意識し続けて、現実が離れませんから、精神病にもなりません。
しかし、過敏性によって、一般よりも現実に対して過剰な反応が出て、現実のストレスからも逃れられませんから、強迫症状が起こるのです。
この現実反応の強迫状態では、妄想状態にはなり得ません。

強迫観念は、そう思いたくなくても、そう思えてしまうのですが、妄想(現実から切り離された思考)と、現実のことへの敏感な反応での過剰思考(一般的ではない内容の強迫的思考)は、まったく別です。
強迫観念は自分の意識的な思考とは関係なく、過敏性のストレス反応として浮かんでしまうのですが、自分の意識的な思考は維持されますから、その強迫観念が(意に関わらず浮かぶとしても)自分だけの思いであることは本人が分かります。

妄想の人は、妄想に対して自分の意識的な思考でどうこう思えないので、妄想だけがあり、現実に対して「そう思えてしまう」状態ではありません。
妄想中は現実は無視しているのです。

強迫観念は現実に対する思いです。
何かに恐怖したり嫌悪するということは、同時にその対象を思考してしまうわけです。
コロナ対策するには、コロナを思考することになりますが、そういう思考は思いたくないわけではありません。
強迫観念は、思いたくなくても、それが浮かんで、離れなくなって、対策しないといけなくなります。

不安思考とか強迫観念が浮かぶ状況は、見えないこととか、未知の事への不安が強まる時なので、強迫観念の汚れは、見えない汚れが多くなります。
見えない汚れは思考でしか認識できませんから、患者は強迫観念によってそれが見えるようになって、恐怖や嫌悪は強まりますが、見えることで対処しやすくもなります。
しかし、見えるといってもイメージとかですから、強迫観念が強いほど、落とし難くなってしまうのです。
最初から視覚で見える汚れだとしても、そこに強迫観念の汚れが重なってしまうので、その場合でもなかなか落とし難くなります。

強迫観念として、未来への不安が浮かびやすいのも、未来はまだ見えませんから、思考としてしか認識できないからです。
考えたくなくても、不安になれば思い浮かんでしまうのです。
そういう不安なイメージが浮かんで消えなくなってしまうことで、そうなっては困るという気持ちも強まりますから、その対象も自然と強く意識してしまいます。

強迫観念の場合、その思い自体が苦痛ですから、それをなくそうとするのですが、現実反応の思いですから、未来的な不安思考であっても、実際の危害回避として、現実を変える行動をしないといけなくなります。

妄想の場合は、それ自体が苦痛とは限りませんし、現実が分かっていない上での病的な空想への強い思い込みですから、現実をどうこうしようと、妄想はどうにも変わりません。
周囲の人からすると、現実をどうこうしよとしているように見えても、非現実の思いに元付いた言動しているだけであり、あまくまで非現実世界のことなのです。
軽症であれば、妄想内容を人に言う言わないは、ある程度コントロールできますから、すぐには分かり難いこともありますが、支離滅裂な話し方をしたり、明らかに現実ではないこと現実のことのように口走ったりしている人が多いです。

ほとんどあり得ない不安にとらわれて、強迫行為をするからといって、それが現実のことへの不安であれば、妄想ではないので、精神病症状も出ないのです。
強迫観念が妄想的という場合は、一般離れしている考えという意味で、妄想のような現実から切り離された思考ではありません。
変わった思考でも、強迫観念は、現実反応です。統合失調症的な症状がないなら、統合失調症とはまったく違う状態なので、この二つの病気を混合して扱わないように注意してください。

統合失調症はストレス回避症状で、強迫症はストレスを回避できない症状です。
ストレスの強迫状態を強迫行為で対処するのです。
強迫での苦痛は、妄想での苦痛とは意味も強さも全然違いますが、強迫症の場合は、精神障害の苦痛だけでなく、神経過敏での苦痛も重なります。
体の病気のような苦痛もあるわけですが、体の病気での苦痛は重要視され、精神障害の症状による精神的苦痛は軽視されます。
考え方のせいだから我慢するべきとか言う人もいますが、考え方で神経過敏になっているとしたら、神経質であり、強迫症とは別の状態です。

病気というのは、症状自体が苦痛なのですが、強迫症の場合は、強迫症状自体での苦痛を無視して語られてしまいます。
過敏性の苦痛は、本人だけの苦痛で、過敏でない人とか共感力のない人とか鈍感な人には理解され難いことだからです。
強迫症患者を一般の人と同じようにしか考えられませんから、過敏性による危害回避をしている人に、勇気が足りないとか言うのです。
同じ刺激でも、それによる苦痛が強迫症の人には過敏性で大きく感じられる。その程度のことも分からないのです。

敏感な人は、強迫症になりやすいのですが、敏感というだけなら強迫症にはなりません。
過度に敏感だと刺激による不快な感情が続くことで、不快な思考も浮かび上がり、強迫観念になりますが、ストレス耐性が低いことで、それに耐えられず、強迫行為が起こります。

強迫症になってしまうと、HSP・HSCのように普通よりも敏感というだけでなく、その過敏性には強迫観念がともなっています。
当然、不快な感じの感じ自体にも過敏反応しますが、思考や記憶などの(意味のある)刺激への過敏性も重なっているのです。
敏感なだけでなく、ストレスに弱いから、強迫観念が強まってしまうし、強迫行為をしないといけなくなります。

強迫観念は、不安、恐怖、嫌悪など結び付きやすいのですが、不安の場合、こうなってはいけないという思いがあれば、当然のようにそういう状況が思い浮かびます。
敏感な人は、そういう不快な思い自体にも過敏反応が出ますから、気に止まって強迫観念になってしまうのです。

敏感な人はストレスに害されることが多くなりますから、こうなってはいけないという思いは強くなります。
特に強迫性障害の人は、強迫症状により日常生活さえ困難になりますから、それ以上の困難があれば、乗り越えられませんから、余計にそういう不安が強まります。
敏感であることで、様々なことが強迫的に感じられるのですが、そういう過敏性の強迫感と、完璧主義的な「こうでなれば」という強迫感とは、まったく別の話です。

完璧主義のような強迫行為先行型の人は、強迫行為をすること(こだわり)自体にとらわれて、そうでない状況で不快な思いが浮かびますが、その思いは、「こうでなれば」という強い気持ちの反動で生じます。
これは強迫観念ではないのです。

「強迫観念」先行型の人は、刺激に敏感であることで、一般的には些細なことでも、そうなってはいけないという気持ちが強まり、「こうあるべき」という思いも強くなります。
しかし、強迫行為先行型のように「こうあるべき」という強い欲求的なこだわりの反動で強迫観念が生じるのではなく、その前から強迫観念があって、危害を避ける目的で、「こうでなければ」という気持ちが強まるのです。

過敏性により刺激を強く感じる苦痛、症状で強迫状態になり、その苦痛が強まり長引く、それを強迫行為で対処しないといけなくなってしまう苦痛、こういった苦痛に晒され続けると、「そうなっては困る」という不安が強まります。
敏感な人はストレスを乗り越え難く、そうなってからでは、ダメージも強いし、うまく対処ができない心配があるのです。
特に強迫症の人は、症状の苦痛から、そういう危害を乗り越えられないので、余計に不安も強まるわけです。

そういう不安は、考えの癖ではなく、過敏性によって、考えに関係なく、ストレス反応で浮かびます。
過敏性の精神疾患は、心理的な病気ではないので、心理学的に考えてもまったく的違いになり、心理療法認知行動療法などでは通用しません。
無理にそういう療法で治そうとするから、病気自体がその療法に適するように、わざと誤解され病気の内容が変えられて行ってしまうのです。

そのことでの問題の1つは、治せる病気、軽い病気と言う考えから、治せない重い病状の人までも、適切な理解や援助が得られなくなってしまうことです。

そういう問題をなくすには、強迫性障害と、それと似たような症状を区別する事が大事で、強迫スペクトラムみたいな考え方をするよりも、過敏性の強迫症の人を、その他の強迫類似症状の人と、しっかりと区別するほうが良いのです。

そのためには、強迫症の正しい知識が必要になりますが、認知行動療法ビジネスによって、間違った説明がはびこっているのです。

強迫観念は無意味で侵入的な不快な思考という説明が多いのですが、本当に無意味なのでしょうか?

ある時、何らかの不安な思いが急に浮かんで、その思いによって不安になり、安全確認などの強迫行為や危険回避を過剰にする。

そういう時に、無意味に思い浮かんだ強迫観念の内容が、ほとんどあり得ない事に思えれば、無意味だと思うかもしれませんが、少なくとも不安などの不快感があれば、その思考自体は無意味ではないのです。

強迫観念が無意味に思い浮かぶというのは、意識的に自分で思い浮かべていることではないという意味での無意味なのです。
自然と浮かんでしまうという意味ですが、無意味の意味はいろいろなとらえ方ができます。

トラウマ記憶の想起は無意味に起こるのか?

ふと、何かへの不安が思い浮かんだ場合は、無意味に思い浮かんだとも言えますが、トラウマ記憶と同じように、強迫観念というのは程度の波はあっても慢性の症状なのです。
反復的に持続している思考ですから、ある時に、ふと、思い浮かぶこともありますが、汚れのイメージが離れなくなってしまう時のように、明らかに現実の状況に対して反射的に思い浮かぶ場合もあります。
その場合は、ストレスによって思い浮かぶので、無意味に浮かんでいるとは思えません。

実際に、その人の感受性の強さでは、害のあるレベルのことを危害だと思うのは正常なのですが、そのストレス反応で強迫観念が浮かびます。

それは一般の人なら取るに足らないバカバカしいことだし、普通の人だったら、気にしなくていいこと、やらなくていいことだと分かっているからこそ、患者本人もバカバカしいと思う場合もありますが、同時に、過敏性によって、本人にとっては、それが大変な苦痛になっています。

強迫観念の内容を(あくまで一般的に考えれば)バカバカしいと思えても、それが消えなくなってしまうことで、気にしないわけにもいきませんから、一般的にはバカバカしいことによって、本人は全然バカバカしくない深刻な状態になり、強迫行為をしないといけなくなります。

危害回避で確認強迫をする人は、未来的なことへの不安がふと思い浮かぶことが多いのですが、実際にその危害を受けることは少ないわけです。
ですが、そうなってしまうこと以前に、そうなってしまうかもという不安に強迫されますから、その不安強迫の苦痛で、確認しないといけなくなります。

強迫症の人は、強迫に弱いので、実際に危害を受けること以前に、そうなってしまうような状況による強迫感でも強迫観念が浮かぶのです。

汚染や不潔恐怖の場合、不安の対象(汚れなど)に実際に曝露された状態にもなりやすい(実際に危害を受ける)からこそ、警戒心も強まり、汚れる以前に、汚されそうな状況でも、汚れの強迫観念が煽られてしまいます。
そうすると汚れたように思えたり、汚されたことと同じよう思えて、その思いによって強迫状態になり、洗浄しないといけなくなったり、その不快な体験が忘れられなくなります。

強迫観念の反復性で、特に不安を煽られる状況でなくても、ふと不安な思いが浮かぶことで、不安になってしまうこともあるのですが、その不安は、現実の何かのことですから、妄想のような頭の中だけの産物ではないのです。

妄想に近い思い込みの強さからの不安思考であれば、その不安は現実のことではないので、抗精神病薬も効くことはありますが、通常の強迫観念は間違ったことを思い込んでいるのではなく、現実への正常な反応が、過敏性によって、一般的ではないということですから、抗精神病薬を使っても意味がありません。

妄想に近い思い込みというのは、実際に大したことがないことを、頭の中の妄想的思考によって、大したことにしてしまっている人です。
害がないことを過剰に怖がったりしますが、過敏性の強迫症の人は、本人にとっては害のあることを過剰に怖がるのですから、正常といえば正常でも、一般的ではないので、社会の中で困ってしまうのです。

実際には危害がないことを危害があると思い込んで、強迫行為や回避をしている人なら、敏感ではありませんし、ストレス耐性が低いわけでもなく、単に考え方を修正するか、妄想を抑える薬を使うことで治せます。

過敏性の強さから、思いに関わらず、(本人にとっては)実際に害になっていることに敏感なストレス反応が出てしまうタイプは、思い込みとかの問題ではなく、過敏性のストレス反応で起こる症状なので、PTSDに近い強迫症になります。


強迫症から過敏性を切り離したい人がいるのはなぜか?

器質的な過敏性が問題だとすると、心理療法などでは治せないからです。

強迫症には敏感でない人もいるから、強迫性障害と過敏性を関連付けないという考えでは、強迫性障害はいつまで経っても理解されません。
同じように強迫行為をしていても、なぜそれが起こるか、どういう強迫観念なのかの違いがありますから、そこを分けて考えないと、どれもこれもが強迫症ということになり、それでは適切な治療ができるわけがありません。
一部の人には適切でも、他の人にはむしろ悪化するということも起こるのです。

強迫性障害を理解するには、強迫行為と、そうでない反復行為の違い、強迫観念と、そうでない強迫的な思考の違い、などの区別をしないといけません。
そういった説明を書いてきましたが、一般的にはまだまだ分かっていない人のほうが多く、あれもこれも全部同じ病気として、同じように治そうとしています。

強迫性障害の一般的な説明は、強迫性障害を分かってない人が、誰かの書いた古い情報の本などを読んで、それをそのまま書いているだけです。
そういう人にとって、強迫性障害は無意味な不安にとらわれる不安障害なのです。
そういう人もいるし、そういう一面もありますが、それだけなら苦痛も少ないのです。

強迫行為は、現実のストレスとかそれと結び付いた強迫観念を解消しようと行われます。
そうであるのに、それがなぜ無意味に思えるのでしょう?
強迫症の人は、統合失調しませんから、強迫観念が浮かんでいても、同時に、普通の考えを維持できます。
強迫観念に並行して、一般的に考えれば、役に立たない無駄で非効率な行為に思えるのです。
しかし強迫観念が消えない人にとっては、それをなくそうと行うのですから、その面では、意味のある行為でもあります。
ですから、無意味だと思っているとしても、並行して、そうとも思えないという二重思考状態になっていて、無意味に思えないからこそ、行為が過剰になってしまうのです。

この場合の過剰も、ストレスの度合いに見合ってないと意味でのやり過ぎではなく、一般とか普通のレベルを知っていることでの過剰(やり過ぎてしまう)という意味ですから、そこを間違えて解釈しないようにしてください。

それと、強迫観念というのは「かもしれない」という心配や不安だけで起こるのではなく、当然ですが、実際のストレス体験でも、その記憶、そのことでの思いが、不快な強迫観念として残ってしまうのです。

例えば、汚染恐怖や不潔恐怖の人は、そのストレス対象への恐怖や嫌悪によって、不安もあるのですが、実際に汚されれば、その汚れとか、そのことへのストレス反応的な思考も強迫観念化してなかなか消えなくなります。
だからこそ、なかなか汚れが落とせなくなってしまうのです。

不快な体験をしてしまうと、誰でも不快になりますが、過敏性によって、不快感が強まり、強迫症状が出ることによって、その苦痛も強まりなかなか消えなくなります。
記憶が強迫観念化すると、忘れようにも、忘れられなくなり、反復的に想起してしまいます。
その苦痛が続くのが強迫状態ですから、苦痛が続くことで、ストレス対象への嫌悪や不安も強固に続きます。
こういう人達にとっては、強迫観念が無意味に思えるということはないのです。

もし本当に無意味だと思って強迫行為をしている人がいれば、強迫観念が無い人の反復行為であり、癖とか依存症的な欲求的反復行為であったり、脳機能障害とかでの(無意味で何の動機もない)反復行為も考えられますが、それらは強迫症ではありません。

妄想による反復行為も、本人は妄想上のなんらかの思いに基づいてしているとしても、妄想自体に実際には筋がありませんから、強迫症の強迫行為とは全然違うことです。

妄想状態では、現実の何かに過敏になっているように見えても、その対象は現実ではなく妄想の中にあるのです。
現実に対しては、あくまで鈍感になっているで、現実逃避が起こり、妄想状態になっているのです。
妄想状態や陰性症状的な自閉状態であれば、現実のストレス反応からは逃れられるので、強迫症にもなりません。
統合失調症とか解離性障害においては、記憶さえも妄想や(ストレス防衛での)妄想的な空想の中にある場合があります。
そういう記憶があったほうが身を守れる場合は、そういう記憶が作り出されるのです。

強迫観念は現実反応であり、それを浮かばせる記憶やトラウマも現実に体験した事実です。
強迫性障害の人は、ストレスに敏感なのですが、ストレス回避的な精神症状が出ませんから、強迫行為をしないといけなくなります。

強迫症状自体は特別に難解と言うことでもなく、PTSDの人がトラウマ関連の物事を避けようとすることと同じようなストレス反応なのですが、敏感であることで、一般的には些細なこととか、思考上の刺激にも過敏反応して、強迫症状が出るのです。
PTSD的なトラウマと同じように、強迫観念も非現実の妄想ではなく、現実のことですから、PTSDの人がトラウマ関連の物事を避けようとすることと同じように、強迫観念を強めることを避けようとしたり、避けられなかったら対処するために、強迫行為が起こります。

強迫観念が浮かびやすいことを性格の問題として、ああすればいい、こうすればいいと言うのは、まったくの素人的な考えです。
強迫性障害が治し難いのは、本人が頑張って、治そうとしないからだという人もいますが、そういう人は、強迫症状自体をまったく理解していません。
強迫観念を普通の不安と同一視して、強迫症患者を普通の人と同じように考えているわけです。

性格的に几帳面な人が強迫性障害になりやすいとかの話もありますが、強迫性障害になりやすいのは、性格というよりは、器質的な神経過敏がある人です。
神経過敏によって、几帳面なことをしなければならなくなってしまう場合は、そういう性格ではないし、そもそもストレスに弱くて、几帳面なことが苦手な人も多いのです。

元々から几帳面な人の強迫症状は比較的楽なのですが、神経過敏でも、性格的には大雑把な人だと、性格と症状が反発しますから、過敏性で細かいことを気にしてしまったり、強迫行為で細かい面倒なことをしないといけなくなったり、神経過敏であること自体でも強い苦痛を感じます。
同じように、注意をしないといけなくなってしまう病気なので、元々から注意力のある人なら、比較的楽なのですが、注意力がない人だと、持続的に細かく注意をしないといけなくなってしまう症状のストレスが強くなり、そうしていても、うまく注意できないことで、不安になって繰り返し確認したり、汚れたりする(回避対象に曝露してしまう)ことも多くなります。

注意というのは神経を使いますから、神経過敏な人だと、注意過剰で気力体力を消耗して、注意力が維持し難いのです。
AD/HDの薬を飲めば、うまく注意できるようになって、確認などが減るかというと、AD/HDの薬(ストラテラ、インチュニブ)は多動を抑えることで、落ち着いた分、集中力が上がるということはあり得ますが、覚醒作用がないので、注意力を上げる効果は、それ程ありません。

インチュニブは副交感神経を優位にすると考えられていますから、実際に副交感神経が優位になれば、普通の人ならある程度はリラックスできるはずです。
強迫症の人でも多少の効果はあるかもしれませんが、元々の過敏性が強過ぎて、大きな効果は得られません。
特に思考を使う意味のあることへの過敏性は、その人の経験とかトラウマとか、脳の神経回路も関わっていますから、副交感神経を優位にしても治らないのです。
得られたとしても最初の内だけで、もし本当に過敏性を抑える効果が持続するなら、苦痛も減るし、気分が良くなって、依存する人が増えるのですが、そういう麻薬的な作用はありませんから、依存しないのです。
副交感神経を優位にして多動を抑えるためには、増量することにはなっていますが、神経過敏の薬ではないので、増量すれば過敏性への効果も上がるというわけではありません。

AD/HD薬は治験でも精神障害を併発している人ではなく、発達障害の人だけですから、病人ではない元気で多動で活発な人が多いのです。
そういう人の場合、増量しても良いのですが、副交感神経を優位にすると、余計に不活発になってネガティヴ思考が増えて鬱が悪化する面もありますから、鬱の人には慎重に投与してください。
適量なら、軽く多動を抑えることで、「鬱でも多動な状態」でのストレスは減らせます。

長期間投与する場合には、薬物療法からの離脱を含めて、休薬期間を設定するなどして定期的に有用性の再評価を実施し、漫然と投与しないようご注意ください。と使用説明にも書いてありますが、多いほうが効果が得られる人は、増量したままで良いし、少量のほうが効果が得られるなら少量で良いし、効果が得られなくなったら、しばらく休薬してから飲むと良いのです。
しかし、この薬も抗コリン作用は強いので、薬を止めると離脱症状が強く出ますから、そういう意味でも慢性的な過敏性を抑える目的で長期的に使うのであれば、少量使用のほうが向いています。

インチュニブは眠気も感じられますが、睡眠薬ではないので、それほど強くありません。
特に強迫症の人だと、普段から緊張状態になっていて、寝る前に記憶の想起や考え事が止まらなくなり、寝付きが悪いので、それを眠らせるほどの強さはありません。
中途半端な眠気が続きますから、入眠時幻覚(頭の中で声が聞こえたり、寝てないのに夢を見始めて、夢に体が反応してしまう)が起こることもあるし、寝つきの悪い人には、むしろ寝てから効き始めるので、寝起きに眠気が続いて、なかなか起きられなくなります。
面倒を見てくれる人がいれば良いのですが、強迫の人は、症状で付き添いが受けられずに、単身の人が多くいます。
最低限のことは自分でしないといけませんから、不活発になっても困るわけです。
神経過敏を改善するために使うとしても、強迫症であれば、小量が向いています。

強迫症にはAD/HDの人も多く、ストラテラかインチュニブなら、インチュニブのほうが使いやすいし、神経過敏にも向いているのですが、どちらも強迫症に効くほどの効果はありませんから、依存することもありません。

依存性があると良くないように言われますが、使い続けると効かなくなってしまう薬もあるからで、病気を治そうと適量で使う分には依存しても良いわけです。
病気が治ったのに、その薬での効果を求めると、依存していることになります。

ですから、病気の人には役に立ち、病気が治った人とか普通の人には役に立たない薬なら依存性は低いのですが、病気の人にもあまり効かない薬が一番依存しない薬です。

睡眠薬などに依存しやすいのは、眠れない人を眠らせる効果があるからで、依存性が低い薬は、求めている効果がそんなに得られない薬ということです。
強迫性障害であると、なかなか寝付けませんから、抗不安薬とか睡眠薬が一番役立ちますが、強迫症状そのものは眠気では治せませんから、これも最少量が向いています。

SSRIは交感神経を優位にする賦活作用がありますから、うつ病の人が休養している間に飲むなら良いのですが、うつ病が治った人とか、普通の人とか神経過敏な人だと、逆にイライラしやすくなったりしますから、求めている効果が得られない=依存しないのです。
不安を抑えるとも言われますが、強迫状態を抑える効果はありませんので、強迫症の人の不安には効きません。

SSRI的な抗不安というのは、抗うつと同じで、抗コリン作用によって、交感神経が優位になり、気が強まるような感じになりますから、副交感神経が優位になりやすい人の(気弱な)不安感とか、社交不安とかには、向いています。
思い込みで不安になっている人も、抗コリン作用の刺激程度でもプラセボ効果が得られやすいので向いています。
それプラス、セロトニン効果で、リラックスできて、安心感が得られれば良いのですが、真逆の抗コリン作用のほうが強く出ます。
増やしてもそれは変わりません。
そのため、不安症とか、うつ病だけなら向いていますが、過敏性による不安などの精神症状とか、強迫症にはほとんど効果が得られません。
強迫症の人にはSSRIを最大量を使うという考えは間違いです。

強迫症は「不安ではなく、神経の過敏性が原因」なのです。
抗コリン作用は、主に粘膜系が乾燥して、体からの分泌物が出にくくなり、目が乾く、喉が渇く、そういう分かりやすい症状が出ますから、敏感な人はその苦痛に耐えられません。
抗コリン作用が出にくい人はそうしてみても構いませんが、無理に増やせば、賦活作用で逆に神経過敏になり、イライラすることになります。

ストラテラ、インチュニブを麻薬みたいな物だと考えている人もいますが、麻薬みたいな物はコンサータであり、コンサータと、ストラテラやインチュニブは全然違う薬です。

コンサータは覚醒系の薬ですから、スマートドラッグ類になり、注意力や集中力を上げる効果はあるようです。
しかし、飲んでいる時、飲まない時の落差が大きい、交感神経優位になり過敏性が悪化する可能性、それ以前に、取り扱いが制限されているのでテスト使用が難しいという問題はあります。

過敏性を治せれば良いのですが、治す薬はあっても、ハッピードラッグ(麻薬類)になって使えませんから、強迫症レベルで敏感な人は、どうしようもありません。

強迫症の人は、精神病にはならないので、精神病の薬も効きません。
頭の中だけの妄想、幻覚と違い、強迫観念は現実に反応することでの思考です。
一時的に頭の中だけ強く鎮静させても、現実が意識できるようになれば、強迫観念もまた浮かんでしまいます。

ハッピードラッグやアルコールなどは、不安や恐怖が弱まり、一時的に効くことはありますが、強迫を抑える強さだと、健全な(あったほうがいい)不安や恐怖なども消えてしまうので、躁状態のようになり、正常な危険回避をしなくなってしまいます。

基本的に、何かを飲んで治すという病気ではなく、特に重症であれば、治しようがありません。
回避的に生きながら、できる範囲のことをするぐらいしかありません。

ただ、強迫観念やトラウマの反復性で重症化して行くので、初期段階とかの内は治せることもあるし、過敏性の強迫観念ではなく、普通の不安思考でも強迫行為は起こりますから、頭の中だけの不安しかない人とか、自分の思い込みで不安を強めるタイプであれば、治すことも可能です。


強迫の苦痛を減らすには?

強迫行為を楽しめば苦痛は減らせるのですが、できればやりたくないが、しないといけないのが、強迫行為です。
自分の欲求でする行為は比較的止めても安全なのですが、過敏性のストレス反応での行為は、止めるとダメージを受けてしまうのです。
ストレスに強い人なら、平気なのですが、そうでないから、強迫行為をしないといけなくなります。
強迫行為の依存症になれればまだ楽なのですが、そういう強迫行為は、自分から積極的に求めたり、楽しんで行うのは困難です。
強迫症の人はストレス耐性が低いことで、器質的にそうなれません。

依存症でも、求めていることが得られない時の苦痛から、求めずにはいられない、そうしなければならないことにも苦痛を感じますが、過敏性の強迫状態とは別の症状です。
過敏性があるから、求めていることが得られない時に生じている苦痛を感じやすいから、依存しやすい人もいるとは思いますが、過敏性の苦痛は、欲求の反動ではなく、求めてなくても受けてしまうダメージなのです。

依存症に近い強迫行為先行型であれば、ストレスに強いことで、強迫行為(こだわり)をプラスに転じることが可能です。
本来の強迫性障害(強迫観念先行型)の人の強迫行為は、過敏性の強迫観念があることでの本人にとってのストレス対処として行われますから、その強迫観念がない他の人には無意味であり、社会的に役立ちません。

ただし、軽い不安や違和感などの不快な感じ(強迫感覚)に弱いからしてしまう強迫行為(しっくり感、安心感などが得られる行為をすること)は、違和感や軽い不安自体は普通の人でも感じることなので、社会的に役立たせられる場合もあります。

そういう時間を増やせると、少しは人間的な生活にできるかもしれません。


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