強迫性障害の全貌

強迫性障害の知識の普及 Link Free

精神は気質を変えられるのか?/強迫性の強さは、過敏性の強さに比例する

敏感気質(HSP/HSC)・・・実際に神経が敏感な気質。この範囲だと精神障害の症状がないので、精神障害には含まない。
敏感だからと言うだけでは、発達障害精神障害に含めないが、AD/HDや強迫性障害の人には先天的な敏感気質の人も多い。

神経質・・・脳や神経など器質的には異常がないが、自身の心の問題で敏感になってしまう気質。
一般の人にも多いが、そういう気質による精神(心、考え方など)の問題とされているので、精神障害に含まれる場合もある。
精神障害の範囲では、神経症とも言われていた。

神経過敏・・・神経が過敏(過剰に敏感)な状態。
過覚醒、易刺激性などとも言われ、先天的な敏感気質が強まって起こったり、普通の人でも後天的にストレスなどで起こることがある。

普通の人と同じように、神経質もストレスなどで神経過敏になったり、神経過敏が神経質を強固にすることも考えられるが、定義上、神経質は神経の過敏性とは関係が無いので、神経質の範囲には器質的な神経過敏や敏感気質は含まれない。

発達障害精神障害の人にも神経質な人はいるが、神経質は、健康人に起こる過敏状態のことを指し、神経質のみが原因となって、重度の精神障害にはなり難い。

神経質であるかどうかを問わず、神経過敏はストレス反応性の精神障害を重度化することは考えられる。

強迫症はストレスで悪化するが、ストレスから離れれば治るということはなく、ストレスから離れても、そのストレスが続いてしまう。
これが強迫状態なので、特定のことへの恐怖症的なストレス反応と違って、ストレスの持続性や反復性が強迫の特徴である。

強迫症の人は、物理的にストレスから逃れても、過敏性によって、感覚や精神的には、そのストレスから逃れられなくなってしまう。
結果、物理的にもストレスから逃れられないので、強迫行為で対処するが、過敏性によって、感覚や精神的には、ストレスが続き、そのストレス対象や同様のストレス対象への不安が残って消えない。
そういうのが、本来の強迫症的な強迫症状です。

森田療法では、強迫症状というのは、単に気のせいだとしています。

森田の説によると、神経が過敏とかではなく、神経質という気質が、神経質な精神(心、考え方など)を作り出し、それが原因で、過敏症状がでるそうで、強迫性障害もその神経質が原因としています。

神経質は器質には問題がなく、完全に心の問題であるならば、この場合の気質というのは、精神的気質のことで、敏感気質とかの器質の性質を含めた気質とは別のことでしょう。

そう考えると、神経質という気質は、精神の性質のことであり、簡単に言うと敏感な考え方感じ方をする思考や反応の傾向で、この場合、先天的な気質とは限らず、ある時から、そういう気質に変わることも考えられます。

気=心で、気の質=心の質とした場合、精神を正すことで、気質も変わるかもしれませんが、実際に神経過敏(器質的)な気質は、精神的にどうしようと治せません。

森田療法の場合、(器質的)な神経過敏は、治せないからこそ、それを除外して、療法に合わせた都合のいい病気(神経質)を作り出したのです。
これが強迫性障害神経症と言われていた病気の誤解の元になりました。

実際には神経過敏ではないが、神経質な性格だから、神経過敏になっているとしていますが、そういうことにしないと、森田療法の考えが通用しないからです。
確かに、それなら治せるとは言えるでしょうが、それはごく一部の限られた人達です。
器質的な過敏性のあるほとんどの強迫性障害の人は、森田療法とは無関係です。

森田自身は、悟りを得たと勘違いしている誇大妄想に近い完璧主義の神経質者でした。
おそらく、悟りを得て、完璧主義のこだわりが取れたとでも思ったのかもしれませんが、森田療法というのは森田の完璧主義への巻き込み症状なのです。

宗教をまねて、本人は教祖になったつもりで生まれた宗教療法が、森田療法です。
森田自身の完璧主義によって療法で治せない範囲は、認めたくなくて除外したのです。
というより、それらも単に神経質(そういう気質が原因の気のせいの症状)であるとして、強引に不安の強い人達をみんな神経質者にしてしまったのです。
全か無かという考えです。

森田療法では、健康で長生きしたい欲が強いから、過剰に危険回避をするのだとも言いますが、この森田の勘ぐりも妄想です。
うつ病で自殺したい人は、健康で長生きしたい欲が強いとか、トラウマ記憶の想起を回避する人は、普通よりも生存欲が強いからと言っているようなものです。

避けるから苦痛なのではなく、実際に、ストレス対象や強迫観念や症状自体が苦痛だから避けるのが強迫症です。
生存本能は誰にでもあるからこそ、人生が苦しくても、人は生きようとするようになっています。
その上での苦痛に耐えられないから、そういう危害とかそのことへの不安などを回避しようとするだけです。
その程度は、人それぞれですが、過敏であると、些細な刺激とかも大きなストレスになってしまうので、ストレス耐性が低い限りは、どうしても一般よりも過剰な危険回避が続いてしまうのです。

過敏であれば、刺激が多くなり、その刺激の度合いも強くなり、危険回避も過剰になりますが、それは当然、欲が強いからではありません。
深い意味はなく、強迫行為は痛いことを避けるのと同じで、正常な生理的防御反応なのですが、普通の人が苦痛にならないことに苦痛を感じるので、一般と比べれば過剰な反応になってしまう病気なのです。

何がどの程度のストレスになっているかは、経験や感受性などの違いで、人それぞれであり、本人にとって実際に危害のあること避けようとするのは、欲とは無関係です。
当然、誰だって幸せに生きたいのですが、特別にその欲求が強い人は、そうしようとします。
強迫症であると、むしろそのことをあきらめて、幸福感や充実感の無い人が多いのですが、強迫症状は続きます。
このあきらめは、ストレス耐性の低さが関係していて、現実のストレスや強迫観念や症状自体を乗り越える力がないのです。

欲求の反動とか心理的問題ではなく、過敏性により様々なことが実際に危害となって苦痛を受けるので、過敏である分、危険回避も過剰になってしまうだけなのです。
普通は害にならないことで、ダメージを受けて、そのダメージが残って離れなくなります。
そうなれば、不安も浮かびやすく、不安が浮かぶと、それも強迫観念として離れなくなってしまいます。
ストレス耐性が低く、現実のストレスや強迫観念の苦痛に耐えられないので、できるだけそういう強迫状態にならないようにするのです。
それが過剰な危害回避の症状です。

普通の人と感覚が違うことで、普通の不安レベルではなく強迫観念になってしまうし、思考や行動も普通一般と違うことで、障害になってしまうのです。

強迫性障害(強迫観念主体型)を性格の問題として考えると無理があります。
強い不安などが強迫観念化して離れないことで、そうなったら困る、だから、こうあるべきという思いも強くなりますが、こだわり自体にとらわれる病気なのではありません。
例えば、トラウマのある人が、その想起を嫌がったり、それを想起するような物事を避けるのは、こだわりが強いからではありません。
強迫性障害の人も、現実の刺激や不快な強迫観念によって、強くこだわらないといけなくなってしまうのですが、本人らとって実際に危害的なことへの防御反応による行為は、性格的なこだわりの強さの問題ではないのです。

問題は過敏性の強さでストレスに弱いことですから、それを無視して強迫症を語ることはできません。

森田療法は仏教は禅の思想の転用で、言っていることはほぼ仏教ですから、思想本としては、それなりの内容になっています。
仏教は禅の思想は、煩悩(簡単に言うと迷いや不安など)を無くすことが目的ですから、理屈で考えるタイプの人には共感させることができます。
だからこそ、そういう思想がある程度普及して、日本の文化背景に根付いているのです。
最初から布教しやすいようになっている思想なのです。

それを利用したビジネスですから、思想に共感した信者が増えて、本が売れたり、レクチャーできればビジネスとしては潤います。
実際には治せなくても、思想や療法を布教させられればいいのです。
それをするのは自由だし、信じるのも自由ですが、精神障害としての強迫性障害をそこに含めるのは止めるべきです。

それは今も続いていますが、それをまねたのが、現代の認知行動療法ビジネスです。
これらにはライセンスビジネス(患者ではなく治療する側への商売)の面もありますから、鵜呑みしないように注意してください。

不潔恐怖や汚染恐怖の認知行動療法(曝露反応妨害)なんかはとんでもないことです。
まだやっている所があるのでしょうか?
ストレス耐性の低い人には大変危険な行為なので止めてください。

汚染恐怖の場合の曝露というのは、汚染させることで、妨害と言うのは、汚染させたまま我慢させることですが、そんなのは治療ではありません。
だからこそ、普通の医師はやろうとしないのですが、ビジネスとして認知行動療法を宣伝している人達がいるのです。

重症患者でも治ったという話は、軽症患者の内の重症の人のことです。
そういう範囲だけのデータで、現実を軽視したり歪ませると、本当の強迫症から離れて、強迫性障害ではない病気になります。
その病気であれば、当然、治しやすくなりますが、強迫性障害が誤解される上に、本当の強迫症患者は治せないままになります。
止めてください。

その療法に適するように病気の内容を変えてしまうことで、理論上は治せることにできるのですが、そうしてしまうと、本当の強迫性障害患者には無関係どころか、ストレス耐性の低い患者には(受けようとしないとは思いますが)、療法自体がトラウマになって鬱も強迫も悪化してしまいます。
不適切で危険な行為です。
症状が悪化したら、どうしてくれるのでしょう?
ライセンスビジネスですから、そんなことは考えていません。

過敏でストレス耐性の低い人の精神症状は、普通の人の鬱病のようにしばらく休めば治るとかではありません。
悪化しない生活をするほうが大事です。


強迫症精神障害と言うより、精神神経障害である。

精神には感覚や神経による現実や思考への反応が関わっている。
妄想幻覚のように、現実に無関係の精神のみの病気もあるが、そこにも神経は関わっている。
だから、妄想幻覚の人も現実の簡単な刺激に過剰反応することがある。

自閉症統合失調症の人のように、周囲に鈍感な症状のある人は、刺激への反応がオーバーになりやすいが、それは刺激に過敏ということではない。
そういう行為で刺激を誤魔化すことができるが、本当に過敏な人は、そういうオーバーアクションができない(そうする刺激にも耐えられない)ので、周囲からは過敏には見えない。
だから強迫症の人は、過敏には見えない人も多いが、刺激に敏感であるほど、疲れるような反応表現はできないのである。
だから、それを避けて、静かで感情表現の少ない回避的な生活になっていく。

気の流れは神経を経路としているはずで、神経が過敏になっていると、気にも問題がでて、それは精神にも影響を与える。

強迫症の人の場合、不快な刺激や情報が神経や脳に長く停滞してしまう特徴があり、それがあって強迫症状が出る。


妄想的思考と妄想の違い

妄想というのは、妄想している対象が非現実にあり、強迫観念の対象は、現実のことである。

妄想の場合、それを現実に起こっていること、現実にあったことだと確信しているが、それは現実にはない。

現実に反応して、「自分の」考え、思い、イメージ、記憶、感情、感覚、などが停滞して離れなくなってしまうのが強迫観念や強迫感覚などであり、妄想は現実に無関係に、脳が自動的に作り出しているので、自分で考えているとかは思っていない。

現実のことに対して、妄想的な場合、妄想的思考とも言うが、それが自分だけの考えと分かっている(周囲の人達にはそうではないと分かっている)ならば、思考であることが分かっている状態なので、妄想ではない。

神経過敏でも普通の人とは感覚が違うので、変わった思考を持つが、それは統合失調症の妄想状態ではなく、過敏性の過剰思考なので、それこそが強迫性障害としては普通の強迫観念であり、その場合は、本人が人とは違う変わった考えを持っていると分かっています。
統合失調症の妄想だとそうは思えません。

長く強い痛みがあれば、それに違和感を持つのは当たり前で、強迫性障害の人が自身の症状が分かることも自然なことです。
しかし、強迫観念は考えたくも思い出したくも無いことなので、その症状を人に伝えるのは苦痛な場合も多いです。

普通の人のコロナ恐怖ならカウンセリングも可能かもしれませんが、本当にコロナ恐怖ならこの状況の中、カウンセリングに行くのも怖いでしょう。

本当にトラウマが苦痛だと、それを話すことができないので、PTSD症状があっても、治療も診断も受けられません。

それと同じように、強迫症的な症状は耐えられない嫌なことなので、話せない人も多く、特に汚染恐怖や感染恐怖が強いと、病院に行くことさえ困難な人も多くいます。

統合失調症のように症状が全部表面化される病気と違って、強迫性障害は他人には見えない病気です。
他人に見えないから、分からないなら、病気ではないと言う人もいますが、それは共感力や理解力が無いだけです。

神経や精神の障害は、分かり難いからこそ、強迫性障害という病気の内容も誤解されたり、ビジネスとしての療法に合わせて都合よく解釈されてきたのです。

統合失調症は本人が決める病気ではありませんが、強迫症の場合、患者本人が一番分かっている病気なので、患者の言うことがそのまま本人の症状です。

それもあって、様々な強迫性障害があるのですが、一般的にはステレオタイプ化され過ぎて、本当の強迫症ではなくなっています。

何度も確認したり、過剰に清潔にしたりする、「かもしれない」という不安が浮かんで離れない、そうなってしまうのは、強迫性障害だけではありません。

強迫性障害の特有の症状は、神経の過敏性による強迫状態であり、それを切り離してしまうと、強迫性がなくなって不安障害になったり、行為依存症や強迫性パーソナリティ障害、うつ病、性格の問題などでも起こる強迫状態と区別ができなくなります。

少なくとも、
強迫行為先行型(欲求や強いこだわり自体にとらわれて、その行為ができないことで強迫観念が浮かぶタイプ)
強迫観念先行型(現実のストレスや強迫観念の対処として強迫行為をするタイプ)
ぐらいのタイプ分けはしたいところです。

強迫観念先行型が過敏性の強迫症であり、本来の強迫性障害です。


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