強迫性障害の全貌

強迫性障害の知識の普及 Link Free

強迫性障害であっても人を愛せるか?

まず理解しないといけないことは、強迫症の人は、間違った反応で、間違った思考を持って、間違った行動をしているわけではないということです。
実際にストレスに過敏で感受性が強いので、どうしても拒絶反応的に強迫観念が浮かび、危害、危険から自分を守ろうと、強迫行為が過剰になります。
過敏な人は、現実の不安や恐怖などだけではなく、それと結び付いた思考や感情などにも過敏反応します。
不安になっていることが現実に起こらないと分かっていても、強迫観念自体がなかなか離れないことで、その思考によって精神的にダメージを受け苦痛が続きますから、その苦痛の元になっている不安な現実を変えようと、強迫行為をするのです。

不安な思いの強迫性の強さは人それぞれで、人によっては、普通の不安思考に近く、ほっとけば消える場合もあるのですが、確認などの場合は、何分かほっとくよりも、さっさと確認したほうが効率がいいので、現実がどうこう関係なく、心配な思いをなくそうと何度も確認をしてしまう人もいます。
重症の人も「そういうことも」することはありますが、それはほんの軽い症状であって、そのことでは強く悩んでいません。

その範囲だけなら、確かに治しやすいし、ある程度は治せるのですが、そういう未来的な不安によって行われる強迫行為ではなく、今現在実際に起こっていることの恐怖、嫌悪とか、過去に実際にあったことでの強迫観念は、すでに現実そのものですから、強迫行為で対処しないわけにもいきません。

不安(恐怖)の対象が未来的でまだ起こっていないことであれば、現実にはそれが起こらないと確信できれば、強迫行為をしなくても済みます。
それが普通の人の不安思考ですが、強迫症の不安は、強迫性が強く、自分の意思では現実にはそれが起こらないと分かっていても、強迫観念としてそれが起こってしまうような思いが続いてしまいますから、その不安思考の強迫性が強いほど、実際に起こってしまうように思えてしまいます。
強迫観念は自分の意思ではなく、むしろそれに関わりのないストレス(危険、危害)への生理反応的思考ですから、ストレスに敏感な人ほど、その思い自体の不快感に耐え切れず、自分の意思に関わらず、強迫行為をしないといけなくなります。
過敏でストレスに弱いと、実際に危害を受けてしまってからでは立ち直れませんから、その実害を回避する意識が自然と強まり、強迫観念が強まりやすく、それを防ぐ行為(強迫行為)が過剰になります。

不安による強迫行為は、不安症での強迫症状とも言えますが、強迫症の人は、それに悩むのではなく、強迫観念による強迫症状に悩まされるのです。
重症の強迫症の人は、不安になりやすいので、普通の不安ももちろんありますが、それで強迫症状が起こるのではありません。
神経過敏で、不安、恐怖、嫌悪などある思いが、感覚、神経、脳、心、現実そのものに長く強く残って、離れなくなってしまう、それが強迫観念で、現実のストレス反応ですから、実際に強い心配があれば、心配になって当然で、間違いではありません。

強迫性障害の人は、不安症、恐怖症、PTSDうつ病などにもなりやすいし、実際に併存疾患としてなっている人も多いのですが、もちろんそれら自体は、強迫症ではありません。
神経過敏によって、不安症、恐怖症、PTSDうつ病などの強迫性が強まった病態が、強迫性障害なのです。
不安な思い、何らかの事への恐怖、不快な記憶、繰り返される悲観思考(反芻思考)や妄想的思考、そういう現実のストレス反応で浮かぶ思考とか感情、気分など、それらへの感受性が強いことで、強迫性が強まり、反復性、持続性、不快感(苦痛)が強まって、なかなか頭から離れなくなります。
それが強迫観念で、それを解消しようと、強迫行為をします。

不安症、恐怖症、PTSDうつ病などの症状があった上で、それプラス、強迫性不安症、強迫性恐怖症、強迫性PTSD、強迫性うつ病となっているのが、強迫性障害です。

抑圧、解離、統合失調などの現実逃避的な精神症状が起こるタイプの能の人は、そうなりますが、そうならないタイプの脳の人は、現実のストレスから逃れられませんから、不安症、恐怖症、PTSDうつ病強迫性障害などになります。
抑圧、解離などは不安や恐怖への防衛反応として起こることもありますが、不安症、恐怖症、PTSDうつ病から統合失調症になってしまう人は少なく、それらの強迫性が強まった状態がある程度続いてから、統合失調症を発症します。

結果的に統合失調症強迫性障害を防ぎますが、強迫性障害統合失調症にならない脳の人の病気ですから、統合失調症を発症しません。
そのことで、現実のストレスの曝露が続いても、現実検討、現実の把握がしっかりとできてしまい、現実のストレスからダメージを受け続けて、強迫症状が悪化して強固になり、その後もずっと強迫症が続きます。

強迫症の場合、自分にとっての実際が、他に人にはそう思えないことは分かっているし、強迫観念のイメージが現実と結び付いていても、現実そのものではないことは分かっているし、現実にはありえないことを、ありえると思っている場合は、現実にはありえないことを、ありえると思っていることが分かっています。思考状態や現実をそのままよく分かっているのです。

妄想の場合、現実にはありえないことだと分かっていないので、ありえると思うしかないのです。
強迫観念との大きな違いは、統合失調症の人の不安などの対象は現実にはなく、妄想上にしかないことです。
それを本人は現実にあると誤認識しています。(周りの人達も惑わされて、現実のことを言っているのだと思ってしまいますが、現実の何かの話ではないのです)
妄想を現実だと思っているというより、本人にはそれが実際なので、妄想が(他人にとっても)現実か非現実かはどうでもよいことなのです。
それを考えられない状態が、統合失調で、考えられないことで、現実のストレスから逃れられるのです。
自閉して無能力無反応に近付くほど、現実のストレスに関わらない(現実逃避としては)理想的な状態になります。
ですから、通常、本当の陰性症状になれば、鬱病にも強迫性障害などにもならないのです。

一般的な説明には、強迫症の人は、無意味で不合理でバカバカしいと分かっていながら強迫行為をすると書いてありますが、つまらない思いのために過剰に行う行為は不合理ですが、耐え難い苦痛で不快なことを解消する行為は不合理ではありません。
強迫行為を無意味と思っているのは、何のために強迫行為をしているか分からない人=強迫観念の苦痛がない人、ではないでしょうか。
重症の人にとっての無意味感は、強迫行為によって、時間を無駄に使うとか、生活の効率が悪くなってしまうことですから、行為自体を「無意味だなぁ」と思う人は少ないです。

強迫観念は楽しいかつまらないかで言えば、確かにつまらないのですが、本人にとっては、取るに足らないことではありません。
過敏な人にとっては、避けられないおおごとなのです。

普通の人には不安レベルのことが、強迫症の人には、強迫観念になります。普通の人が危害にならないことも、危害になってしまいます。
強迫症的な不合理感というのは、普通の人ならやらなくてもいいことを、過敏であるために、長々とまたは繰り返しやらないといけなくなってしまうことですが、「不合理だなぁ」と思う人はほとんどいません。
軽症の人にはバカバカしいと思う人もいるようですが、重症の人は、実際の苦痛をなくそうとして強迫行為をするのですから、「仕方ない」とか「やりたくなくても、やらないといけないこと」と思っているのが普通で、よっぽど軽い不安による強迫行為でない限り、バカバカしいとは思っていません。
それよりは、単に苦痛で不快なこと、めんどうなことをしていると思っています。

過敏な人は、小さな心配にでも、過敏反応して、強迫性の強い心配になり、長く強くその思いが残り離れません。
例えば、何らかの心配なイメージが浮かんで、それを防ごうと確認する。しかし、心配なイメージへの過敏反応は残って、その心配なイメージは浮かび続けるので、また確認しないといけなくなります。
確認した記憶があっても、その強迫観念が強過ぎて、確認した記憶があいまいになって、どうしても確認できてなかったように思えて、また確認するしかなくなります。
「さっき確認した」という自分の意思に関わらず、強迫観念は浮かびますから、その心配な思いが残り続ける不快感に耐え切れずに、また確認するのです。

そういうのも間違った反応ではありません。
ほとんどありえないようなことでも、ストレスに弱い人は、どうしても心配な強迫観念が浮かびやすく、危害回避行動が活発になります。
それだけでなく、強迫観念(が残ってしまうこと)自体からもショックやダメージを受けるので、その強迫観念を浮かばせる現実を変えようと、強迫行為をするのです。
過敏であるからこそ、ほとんどありえないことでも心配になりますが、その強迫観念が続くことは実際に耐え難い苦痛なのですから、それをなくそうと安心できる現実に変える事は、間違った行動ではありません。
ほとんどありえないことは分かっている上でそうするのですから、間違った考えでもありません。

普通の不安であれば、しばらく放置すれば消えますが、そうならないのが強迫観念です。
強迫観念は一旦消しても、完全に消えることはなく、何もしてなくても浮かんでしまったり、同じようなストレス体験などで引き起こされ強く表れてしまいます。
これは神経過敏症状で、基本的には脳の神経回路の問題であることが分かってきています。
脳の一部に刺激を与えるとかそういう大雑把なレベルではなく、もっと細かい調整ができないと治せません。

性格による強迫症状とか、不安症の強迫症状が治せたからと言って、それは一部の人とか、強迫症状の一部でしかなく、本当の強迫症が治せるわけではありません。

現実そのものとか、現実にあったことのストレス反応で浮かぶ強迫観念は、その苦痛も現実と繋がっていますから、今のところ強迫行為でしか解消できません。
それは「正しいこと」で、間違っているのは、心配、恐怖、嫌悪などをともなうイメージが浮かんでも、それを放置して、不快な反応をし続けることです。

放置できないレベルの苦痛の強い強迫観念は、放置を続けたり、それを繰り返していると、強迫症状の悪化に繋がり、鬱にもなります。
適切に過剰な強迫行為をして、ストレスを減らしたほうが良いので、症状としてそうなっているのです。
不安を安心に変えられないままそれを放置すれば、精神的に病んで行って当然で、強迫観念があるのに、強迫行為を我慢させるという療法は間違いで、少なくとも重症の人には不向きです。

「正しいこと」にとらわれてしまうのが、強迫性障害ですから、それは間違ってはいないのですが、日常の些細なことがストレスになってしまうことは変わりませんし、強迫行為も過剰になって、生活が困難になったり、社会に適応できなくなります。
鬱の症状があっても、強迫行為はしないといけなくなります。

強迫症状は正しいからこそ治せませんので、強迫行為も抑えられませんが、それだけではなく、それプラス、ポジティヴ思考、ポジティヴ行動が少しでもできるようにするという感じが治療的になります。

もちろん強迫症状が邪魔になってそれができないから困るのですが、無理のないできる範囲でそうするしかないです。
強迫症を治すことよりも、強迫症であっても愛のある善良な人間でいられるかを試練とするのです。

 

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