強迫性障害の全貌

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やりたくもない行為が止められないのはなぜか?

やりたいことが止められないのは、依存症で、やりたくもないことが止められないのが、強迫症です。
依存症はやりたいことへの欲求的思考にとらわれますが、強迫症は、考えたくも思いたくもない思考がなかなか離れなくなります。

これは本能が関係しています。

耐え難い苦痛や危害から身を守ろうとするのは人間の生存本能による行動であり、健康に生きたいという欲求が強いから、強迫行為をするわけではなく、強迫行為をするのは、生理的なストレス反応なのです。
何らかの事で、実際にダメージを受ければ、それを防ごうとするのですが、感覚過敏や神経過敏でストレス耐性の低い人は、些細なことがショックになり、ダメージを受けることが実際に多くなりますから、不安や恐怖、嫌悪なども起こりやすく、ダメージを防ごうとする行為やダメージを対処する行為も多くなります。
強迫症の人は、神経過敏によって、現実のストレスだけでなく、心(思考、記憶、感情など)のストレスにも弱いので、不安、恐怖、嫌悪反応などが起こると、それが強く長く残って強迫されることになります。
単に不安、恐怖、嫌悪などに悩むというよりは、そういうことの強迫状態に悩まされる病気です。

危険な動物が近付いてきたら避ける。トゲが刺されば、痛いから抜こうとする。これは健康に生きたいという欲が強いのではなく、人間が生まれながらに持っている本能による行動で、それに反する思考とか欲求とかは跳ね返されるのです。

考えたくなくても不快な思考が離れなければ、それは実際に苦痛ですから、やりたくなくても、本能的に苦痛の対処として強迫行為をしないといけなくなります。
頭の中だけの振り払い、中和だけで済むこともありますが、現実のストレスで浮かんでいる場合は、現実行動の強迫行為をすることになります。

その行為は、本当はやりたいとかそういうことではなく、ストレスへの条件反射とか、ストレスへの生理反応的に起こる行為ですから、頭でしたいことではなく、本能的にさせられる行為なので、やりたくなくてもするしかなくなってしまうのです。
強迫行為自体は、時間の無駄で、結構辛いので、頭ではやりたくないように思えるのですが、苦痛の対処としては避けられないことなので、それを避けるために回避的生活になります。
しかし何もしなくても強迫観念や強迫行為的な自生思考にとらわれますから、それも苦痛なので、何かをしようとすると、些細なことでまた強迫行為をしないといけなくなります。

普通の人ならある程度ストレスに耐えられるので問題ないのですが、ストレスに弱いと普通の人よりも害を受けることが多くなり、現実のストレスだけでなく、それと結び付いている不安、恐怖、嫌悪などにも強迫されることになり、頭でどう考えるかに関係なく、強迫観念が浮かびます。
ダメージを受ければ、そのダメージが長く残りますから、それに対処しないといけないし、そうならないように防がないといけなくなります。
強迫行為は、本能(正常な生体維持システム)で起こるのですから、逆らえないのです。

何を恐怖するべきかというのは、ある程度は遺伝すると考えられていますから、子供の頃からの神経過敏という場合は、生まれつきであることも考えられます。
子供の頃に不安や恐怖を持ちやすい環境で育った人、神経過敏になってしまうような体験をした人なども考えられますが、同じような不安や恐怖を持ちやすい環境で育っても、ストレスに強い子なら、神経過敏にはなりませんので、子供の頃からの神経過敏は基本的には生まれ付きの症状(神経障害)であるか、HSCのような気質である可能性が強いです。

生まれ付きの器質的な病気だから、精神障害から除外というのは間違いです。
確かに実際に神経過敏なら、器質的な病気と言うことになりますが、だからと言って、精神障害でないわけでもありません。
性格や考え方などによる心理的問題の強迫性障害も確かにありますが、その範囲ではない強迫性障害の人は除外してしまうと、本当の強迫性障害の人はどうすればいいのでしょう?
器質的な病気であっても精神障害なのです。
強迫性障害は、発達障害上にある精神障害と考えるべきでしょう。

強迫観念は何を根拠に浮かぶのかと言えば、神経過敏で些細なことが刺激になってしまうからです。
基本は、現実の何らかのことでの些細な違和感を不快に思って強迫行為をする人と同じで、その違和感に思考が結び付いているのが強迫観念なのです。
違和感に弱いからこそ、ストレスに弱く、普通の人がストレスを感じることだけでなく、現実の(一般的には)些細なことでさえストレスになって、不安、恐怖、嫌悪などが浮かび、それが離れなくなってしまうことが強迫症の苦痛です。
それをなんとかしようと強迫行為をするのです。

強迫観念は、ストレスの強い現実状況で強まりますが、強迫観念自体に反復性、持続性がありますから、ストレス対象から離れても、そのストレスに曝露される状態が続きます。
そういう性質(強迫性)があること自体も根拠となって、不安や嫌悪、恐怖なども続きます。

強迫性障害は、今までは、実際には神経過敏でないのに、神経質な性格とか、ものの考え方(とらえかた、認知)などが悪くて、神経過敏のような症状が出ると考えられていました。

そして強迫観念は、ありもしないことへの心配し過ぎでしかないから、そういう考えは気にしなければ良いとされていました。

ありもしないことだから、気にしなければいいという考えは、強迫という状態が分かってないのです。
強迫状態では、気にしないわけにはいかなくなってしまうのです。

こうなっている、こうなってしまったという恐怖や嫌悪もあれば、こうなってしまうかもという不安や恐怖も強迫性が強ければ、強迫観念になります。
もし頭でありえないと思っていても、生理的ストレス反応で強迫観念が浮かべば、それがありえるように思えるのですから、それにとらわれたり、不安や恐怖が強まるのも当然のことです。
例えば感染して病気になってしまうのではという強迫観念なら、感染して病気になってしまうのではという思いが振り払えなくて残ってしまうのが強迫状態ですから、その思いがある限り、そう思えるのは避けられないことです。

心配なことがあれば誰でも心配して普通です。であれば、その心配がなかなか消えてくれなければ、心配し続けて当然なのです。
心配したくなくても、その心配に強迫され続けるから、心配し続けないといけなくなって、その強迫状態が苦痛なのです。
強迫状態は、不快なことがなかなか離れてくれない状態ですから、心配するだけでは済まないのです。

強迫性障害は、「ありもしないことを過剰に心配する病気」と思われていますが、不安の強迫性が強いからこそ、そういう一面もあるというだけで、強迫観念は、現実に起こっていないことへの心の中の心配(不安)だけではありません。
現実のストレスにも強迫され続けるし、頭の中の不快な思考や記憶、恐怖や嫌悪などの感情や気分など、苦痛を感じることは、なんでも長く残り続けるのが強迫状態です。

ですから、強迫行為が現実の問題の対処ではないという考えも間違いです。
強迫状態では、不安だけではなく、現実のストレス反応での恐怖や嫌悪なども強迫的に続いていしまいます。
現実のストレスを対処する行為は、当たり前ですが、現実の問題の対処で、不安な強迫観念を浮かばせる現実状況を変えようとする強迫行為も、現実の問題の対処です。

性格とか考え方で強迫症状が出ている人もいれば、普通の不安に近い強迫観念もあるし、実際に神経過敏で、実際のストレスで強迫観念が浮かぶ人もいる。
そういう多種多様な病気なので、本当はいくつかにタイプ分けするべきです。
現状では、実際に神経過敏で、実際のストレスで強迫観念が浮かぶ人はいないかのようになっています。

最近、新型コロナ感染恐怖症の人が増えていますが、実際に感染しているわけではなくても、感染してしまうのではという思いが離れないのは、普通の人にも不安なことです。
その不安は、ニュースなどを見ることで煽られるし、人によっては、コロナという文字だけでも恐怖が強まり、そういう状況時の思考自体からも恐怖が強まります。

新型コロナ感染恐怖症も強迫症状と変わりませんが、他の恐怖症と同じように、症状がそれだけなら、強迫症ではありません。
強迫症の人は、そういう現実とか思考面でのストレス感受性が慢性的に強いので、普通の人が恐怖しないような日常の些細なことが刺激になって、強迫症状が出ます。

病気の感染の恐怖感を弱めるには、そうならないようにしないといけませんから、マスクとか除菌グッズなどが売り切れているのですが、感染恐怖症で、マスクとか除菌グッズを使うことと、強迫行為をすることはなんにも変わりません。
マスクとか除菌グッズを使いたいという欲求が強いことで、それがないと不安になってしまうわけではなく、その前に、感染する不安が実際にあるから、マスクとか除菌グッズを使わないといけなくなってしまうのです。

もちろんマスクとか除菌グッズで安心できることで、それを求めるようになれば、それがないと不安になって、マスク依存症とか除菌グッズ依存症のようになりますが、実際に恐怖していることがあって、それを安心するために何かを繰り返すことは、本来の意味での依存症ではありません。
好き好んで繰り返していたことが習慣になって止められなくなってしまうのが依存症です。
それを止めれば不安になりますが、その不安は、「好き好んで繰り返していることができないことによる不安」なので、その習慣を止められるようになれば、不安も起こり難くなります。
これが依存症の治療です。

ですから、強迫行為をすることで、安心感に依存して、余計に強迫行為をするようになり、強迫行為をするほど、それができなくて、不安が起こりやすいという考えは、強迫性障害を依存症と勘違いしていることによる誤解なのです。
もちろんそういう強迫行為依存症(強迫行為主体型)の人もいることはいますが、それは一部の人であり、強迫症状のようで実際には依存症なのですから、本当は強迫症ではありません。

本来の強迫行為はしたくてしていることではないのです。
それを止めるから不安なのではなく、それ以前に不安や恐怖や嫌悪などがあり、それを解消しようと、強迫行為をするのですから、強迫行為をしなくなっても、不安や恐怖や嫌悪などはあり続けるのです。

ですから、強迫行為を我慢して、強迫観念を放置していれば、自然と消えていくということにはなりません。
こうなってしまうかものような、不安の軽い強迫観念なら、そういう傾向もありますが、それは強迫症状の一面に過ぎず、放置していても消えないからこそ、本来の強迫観念なのです。

強迫症の場合、神経過敏でストレス耐性が低いので、普通の人が不安にならない、恐怖しない、嫌悪しないことでも、不安になり、恐怖、嫌悪します。
もちろん普通レベルの不安なども浮かびやすいのですが、それだけでは済まない状態なのです。

コロナ恐怖のように、実際にその可能性があり恐れるべきことだから、正常な範囲ということなら、汚れること、間違えること自体が苦痛な人は、実際にその可能性が強くあり、恐れるべきことなのですから、反応としては正常な範囲ということになります。

例えば、病気に恐怖することで、病名自体が見れないとかなら、本人にとっては、その病名が実際に苦痛なので、それを避けることは反応としては正常です。
不快な文字で不快な思考が浮かぶ苦痛が実際にあるから、それを避けるのは当然で、それで汚される強迫観念が浮かぶのが苦痛なら、汚されてしまえば洗浄するしかありません。
普通の人はそうならないことでも、過敏であることで強迫観念が浮かんで、そうなってしまうのですが、だからこそ、社会に適応できなくなります。

そもそもなぜ、汚れることが苦痛なのかといえば、その汚れは、何かの汚れなのですから、その何かに嫌悪しているから、その汚れが苦痛なのです。
それが強迫観念と結び付いた汚れなのですが、もちろん、汚れが付くことでの違和感自体に弱い面もあり、土汚れとかと違い、強迫観念と結び付いた汚れは、その強迫観念への嫌悪が強いほど、離れ難くなりますから、嫌悪しているものに付きまとわれる強迫状態が強い違和感となり、嫌悪反応が強まるのです。

強迫観念=ありもしないことへの不安、という固定観念にこだわらなくても良いのです。
実際に起こっていることへの恐怖、嫌悪なども強迫観念なのです。

そういうこだわりの強い人は、不安症や恐怖症と強迫症の違いを理解するべきです。
不安症や恐怖症の強迫性が強まったのが、強迫症です。
不安や恐怖があるのはもちろんのこと、それに強迫されるというのが主症状なのです。
現実のストレスにも強迫されれば、そのことへの思い、反応自体にも強迫されます。

実際にあるストレス対象に恐怖するから、強迫症ではなく恐怖症ということではなく、その恐怖が離れなくなってしまうという恐怖による強迫状態が症状なのですから、強迫観念が現実のことへの恐怖であっても、それに強迫される状態が続くのでしたら、現実のストレス対象から離れようが、強迫観念が残って強迫症状が出ますから、強迫症なのです。

強迫症は実際には神経過敏でないとか、強迫観念は、実際には起こっていないことへの不安という考えだけになぜこだわるのか?

1つの理由は、そういう病気であってくれれば、認知行動療法の理論に適しているからです。
確かに脳内は、やっていることとか、精神状態で変化しますから、脳機能に問題があるとしても心理的な療法で変化する範囲であってほしいのです。
実際に神経過敏と言われると、心理療法では治せないのです。

認知行動療法はビジネスとなっていて、この場合、お客さんは病院側などであり、患者ではありません。
認知行動療法を受ける人ではなく、する人達に療法を売るビジネスなのです。

重症の強迫症患者が受けられないようなストレスの強い療法を作る→治しやすい人達だけ集められる→治療率が上がり、適切な療法として布教できる→適切な療法と思わせれば、国を丸め込める→研修を受ければ、保険適用でできるようにする→保険適用されることで、適切な療法として確立できる。

このビジネスモデルは、アメリカから持ち込まれました。
つまり、アメリカでそのビジネスのお客さんとなった人物が、日本に持ち込んで、そのビジネスをしているのです。
適切な療法として研修をしたり、本が売れれば、ビジネスとしては潤いますから、実際に患者は治らなくても、適切な治療法として宣伝できればいいし、重症患者が受け難いような療法のほうが、治し難い人とか治らない人を除外できるので、都合が良いのです。

適切な療法として布教して、確立できれば、国をそのビジネスに丸め込むことも簡単です。

この業界には黒幕があって、実際にその人物が国を丸め込んで、公認心理師のライセンスを作り出しました。
ビジネスのために、今目論んでいるのは、公認心理師であれば、研修を受けることで、保険適用で認知行動療法ができるようにすることです。
そうすれば、研修を受けたり、本を買う人も増えるし、そういう人が増えることで、その人たちが宣伝をしてくれるし、適切な療法としての維持ができます。

療法を受ける人が少なくても、レクチャーしたり、研修したり、本を売る側になれば、同じビジネスができますから、そのライセンスを取ろうとするのです。
治療は建前であり、そのビジネスのために、療法があるのです。
こういうライセンスビジネスはこの業界でなくてもよくあることで、例えば、スピリチュアルヒーリングなどもそうです。
医業は医師しかできませんから、スピリチュアルヒーリングも病気の治療としたり、そう思わせて受けさせることはできません。
しかし、認知行動療法は、病気の治療行為ではないのに、病気の治療として宣伝されています。

本当は、普通の民間業者で、医師ではない普通の人が、病名を書いて、その病気を治しますと宣伝していたり、そう思わせて、認知行動療法を受けさせることはできません。
ですが、ブログなどで間接的に宣伝したり、患者のフリをして、掲示板などに悩みを書いて、自作自演で返答して、宣伝するなどのステマがよく見られます。
ただ、そういう業者の人は、本当は、認知行動療法ビジネスのお客さんに過ぎないのです。
建前の認知行動療法と分かっていない人も多く、ほんとに治せると信じているかわいそうな人達ですが、そういう業者が適切な療法として宣伝してくれますから、受ける患者は少なくても、認知行動療法ビジネスは潤うのです。

医師が行ってもカウンセリングはカウンセリングで、検査は検査です。
認知行動療法にも色々あって、保険適用の方法で医師が行えば治療行為で、そうでなければ、治療行為ではないということではありません。
治療行為ではないが、医師が行えば、保険適用できるというだけです。

ただ医師は忙しいし、トレーナーではないので、長い時間かけて認知行動療法などしたくありません。
それだとビジネスとしては困るので、公認心理師が作られたのです。

治し難い人を除外するために、軽症の人にしか受けられないような療法にしているのです。
その治しやすい範囲が強迫症と言うことにして、治し難い本当の強迫性障害は除外しています。
森田療法と同じで、本当の病気範囲の患者は無視したビジネスですから、騙されないように注意してください。

自分からお金を払ってでもやりたくてやるなら、よっぽど元気で前向きな人ですから、その上、素直な人なら治せる可能性は強いです。
軽症でしょうから、結構なことです。

ただ病気範囲の強迫性障害の人は、元々から神経過敏でストレスに弱い人が多いので、やめたほうがいいです。
そもそもそういう患者のことは考えてない療法なのです。
受けて治らなければ、別の病気にされたり、患者のせいにされるだけです。

あくまで、強迫性障害向けの認知行動療法(曝露反応妨害)の話ですが、ストレス耐性の低い人が受けると、悪化しますので、もし受けることを考えている場合は、悪化しないか?トラウマにならないか?鬱が悪化しないか?などを相手に確認してください。
症状が悪化して、洗浄が増えたり、捨てる物が増えたら、おかねがもったいないし、確認なども増えたら、時間がもったいないです。
そうなったらどうしてくれるのかを聞いてみてください。

もちろんそう思えるような人は、受けないと思いますから、それで正解です。


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