強迫性障害の全貌

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強迫性障害は治せるという話は本当か? その三 / 孤立する本当の強迫症患者

神経質と神経過敏は違うことで、神経質というのは実際には神経過敏ではないが、神経過敏の症状が出ている状態です。

このブログに書いている強迫行為主体型が神経質ということになります。
「こうしないといけない」「こうであるべき」という気持ちが強いことで、そうでない状態に過敏になってしまうことです。
森田療法でもそういう欲求が強い人は、神経質になりやすいと言っています。
認知行動療法でも、強迫行為をするほど、強迫観念が浮かびやすくなってしまうと言います。
ストレス対象から逃げることで、益々、苦手意識が強まり、精神的なストレス耐性が弱くなって過敏反応してしまうと言う考えですから、これも神経質の治療なのです。
病気ではないが認知や行動の問題で病気の症状が出ている人向けです。

逆に、強い欲求はないが、実際に神経過敏でストレスに弱いことで、どうしてもそのストレスを緩和するために強迫行為や回避をしてしまうという人は、強迫行為をしなくても神経過敏によって強迫観念が浮かびやすく、実際に病気ですから、森田療法認知行動療法では治りません。

強迫行為や回避をしなくなれば、強迫観念も消えていくというのは、強迫観念が現実反応だということが理解できていません。
過敏であると強迫行為や回避行為さえもストレスになり疲れますから、やらずに済むならそのほうが楽なのですが、しなければ現実のストレスや強迫観念に過敏に反応し続けるだけで、それに耐えられるストレス耐性がないのです。
特にうつ病も併存しているタイプは、回避をしたほうが悪化しないのですが、過敏であると何もしないこともストレスになり、何かしても日常の些細なことがストレスになり、どうしても回避ができなくて、存在しているだけでストレスフルになり悪化していくのです。
本来の強迫性障害はこのタイプで、元々は慢性的な神経過敏による症状なのですが。

そうではなくて神経質なことが原因だと言い出したのが森田療法です。
強迫神経症の人はみんなが神経質であるかのように言いふらしてしまったので、今でもそれを信じている人がいますが、実際は一部の人は神経質で、その範囲なら、森田療法で治せると言う意味なのです。
森田療法は仏教思想を取り入れることで、意識の高い理論のようにはなっていますが、仏教には方便も多く、普通の人でも実行不可能な教えが多いので、精神不安定の人だとなおさら実行できません。

森田も神経過敏の人の病気の治し方は分からなかったのですが、そのことを隠したのは、暗示効果を高めたかったことと、森田自身が神経質で誇大妄想のある完璧主義者(悟りを得た覚者だと思い込んでいた)ので、同じ病気でも森田療法では治せない人を認めたくなかったのです。
教祖として本を売ったり、教えを広めるためにも、森田療法の欠点を認めることができませんでした。
日本で神経症に対して様々な誤解が生じたのは、森田の強いこだわりによる偏ったものの考え方が影響しています。

現代のビジネスとしての認知行動療法もそれと似たようなものです。
http://ocd-net.jp/column/c_187.html
曝露反応妨害が手品と同じで、具体的な方法は事前に話せないというような頓珍漢なことが書いてありますが、実際には、都合の悪いことは話したくないのです。
うつ病認知行動療法と違い、曝露反応妨害は症状を悪化させることがあります。
療法による危険性やデメリットを隠して、もしくはそういう危険性がないように思わせて、とにかく受けさせるという考えは、インフォームドコンセントに反しています。
前回も書きましたが、認知行動療法は治療行為ではなく、病気ではない人の認知や行動を修正する訓練に過ぎませんから、これで強迫性障害が治せるという話は誇大広告です。
病気レベルの強迫性障害が治せるという意味ではありません。

強迫性障害を治すには、
強迫観念が浮かばないようにする
強迫観念に対する妄想状態を修正する
ということになります。

強迫観念が浮かばないようにすることは麻酔でできますが、記憶を無くすほど意識を強く鎮静しないといけないので、現実さえ認識できなくなって、日常使用できません。
そして強迫観念は現実反応なので、記憶が戻って現実が認識できるようになれば、強迫観念も復活します。

もう一つは、ストレス対象や強迫観念への恐怖や嫌悪、不安などを感じさせなくすることです。
これは麻薬を使えば、ある程度できますが、いろんな問題で日常使用できません。

妥協して麻酔ではなく抗精神病薬で鎮静させるという方法もありますが、幻覚や妄想という頭の中だけのことではないので、記憶があって現実が意識できるレベルだとやはり強迫観念も浮かんでしまいます。
抗精神病薬では恐怖や嫌悪が飛ぶほどハッピーな気分にもなりません。

抗不安薬はさらに鎮静が弱いので、強迫(恐怖、不安、嫌悪)自体にはほとんど効きませんが、強迫観念による寝付きの悪さは改善します。

SSRIは、抑うつが強かったり、気の弱い心配性タイプの人になら向いていますが、賦活作用がありますから、交感神経を優位にして、イライラしやすくなったり、逆に神経過敏になります。
強迫症には、これも本当はあんまり向いていないのですが、他に薬がなかったのです。

それ以上に向いている薬は他にありますので、今度書きます。

薬以外では、認知行動療法ということになりますが、先に書いたようにそもそも病気の治療ではないので、病気範囲の強迫性障害は治せません。
もちろん感覚過敏や神経過敏も治せません。

強迫観念に対する妄想状態を修正するという意味は、強迫観念が浮かんでも、それを放置できれば、強迫行為をしなくても済むということです。
強迫観念は「かもしれない」程度の人もいれば、汚染の場合の「汚れた」のように、「そうである」という断定的なレベルまでありますが、強迫行為をするということは、強迫観念に現実的反応をしているからなのです。
つまり「かもしれない」という場合も、強迫観念を否定できない状態にはなっているのです。

妄想と違い強迫観念には実際に現実的結び付きがありますから、それを否定できないというのは当然であり、その場合、強迫行為をするしか解消方法がありません。

ですが、一部の人の強迫観念は、現実との結び付きがほとんどありません。
強迫症の人は、現実検討できますから、そういう人は、強迫観念が非現実的だと思えます。
非現実だと分かっているが、恐怖するというのは、実際にそれが起こるのが怖いというよりは、強迫観念そのものに現実反応が起こるので、強迫観念自体が恐怖なのです。

強迫観念は自分の内にある思考でしかなく、現実そのものではないし、現実には起こらないことであると頭では分かっていても、その意に関わらず、強迫観念に現実反応が出てしまうので、強迫観念(思考)=現実となって、思考だから気にならないという風にはならないのです。

そして、強迫観念に現実反応してしまうことで、ほぼあり得ないと分かっていても、それが現実に起こるかのように思えてしまいます。
そう思えてしまう状態も強迫観念で、非現実だと分かっていても、その思い自体への恐怖や嫌悪反応により、現実的に思えて、強迫行為で解消しようとするわけです。

思考への現実反応というのは、神経過敏の症状ですので、神経過敏でなければ、その思考が気にならず、すぐに消えますから、普通の人であれば強迫観念になりません。
神経過敏であるから、どうしても気になって、その不安な思考が残り、強迫観念になってしまうのです。

つまり、同じ強迫性障害でも神経過敏でなければ、強迫観念への現実反応も弱く、非現実的に思える強迫観念であれば、頭の中だけで振り払ったり、何らかの儀式的で簡単な強迫行為で解消することができます。
この範囲であれば、まだ修正可能なのです。

強迫観念が非現実的であれば、その強迫観念への妄想状態さえ修正できれば、強迫観念を完全に非現実化することもできるのです。
強迫観念に相対する強い欲求を弱めたり方向転換することで、強迫観念から気をそらしたり、強迫行為をしないようにする訓練でも構いませんが、例え強迫行為がどれだけ過剰であっても、神経過敏でなければ、治せる可能性は強くあります。

ですが、実際に神経過敏である人にそれはできません。

強迫性障害の人は現実検討力がありますから、強迫観念の内容が現実にはほとんどありえない事であれば、そのことはそのまま分かっています。
強迫観念が自分だけの思いであり、他の人は、そう思わないことも分かっています。
当然ですが、その強迫的な考えやイメージが、現実そのものではないことも分かっています。

そういうことが分かっている状態であれば、強迫観念がどれだけ一般離れした思考でも妄想状態ではなく、神経過敏で感受性が強いことで、刺激を強く感じて、考えやイメージが妄想的になったり、条件反射的に現実反応が起こってしまうのです。
感受性が強ければ強いほどその現実的反応も強まりますから、強迫観念は妄想様強迫観念(表象幻覚や妄想的思考)になります。

そういう患者に対して「それは現実ではなくてイメージに過ぎないんだ」とか「強迫観念は現実に起こることではないんだ」とか言っても、そんなことは分かっているのです。
頭では分かっているが、脳を含めた体全体が現実反応を起こしてしまうのです。
イメージに対して現実的反応が起こると言うのは普通の人にもある程度はありますが、過敏であるとそれが過剰に起こり、イメージだから気にならないとかにはなれないのです。
うつ病の人が明るく活発になれないように、病気の症状だとそうしたくてもできないのです。

病的に過敏であってもそれは本人にしか分かりません。
それで回避的になっても、他人からすれば、頑張りが足りないとか、勇気がないとか、我慢すれば慣れるとか思われ、認知行動療法もそうなっていますが、患者目線ではなく、健康人目線での考え方です。
患者本人のレベルでは普通の人以上にそうして生きて、そのストレスでさらに悪化したりうつ病にもなったりするわけで、それ以上のことはしようにもできないのです。

PTSD認知行動療法でも、トラウマはすでに過ぎたことで、現実ではないと思わせようとしますが、トラウマ記憶が現実そのものではないことぐらい患者は分かっています。
しかし頭でどう考えようと、トラウマ記憶によってその時の苦痛が再生されてしまうので、トラウマに関わることをいつまでも避けてしまうのです。
PTSD自体は神経過敏な人でなくても発症しますが、神経過敏な人であると普通の人がトラウマにならないことでも(脳や神経を含めた)心が傷付き、PTSD症状が出やすくなります。
その場合は、強迫症状とPTSD症状が合わさったようになります。
強迫観念に過敏であれば、トラウマ記憶にも過敏に反応しますから、強迫性障害PTSD症状も重なっていることは多くあります。
逆にトラウマ記憶に過敏であっても神経過敏でなければ、強迫観念は浮かび難いので、PTSDの人が強迫性障害を併発することは少ないです。

強迫性障害の人はトラウマ体質なのでPTSD症状も併発しやすいのですが、症状を話すこと自体が苦痛で、受診することが少なく、その存在はあまり知られません。
このタイプは、トラウマ記憶やトラウマ関連のことで汚染されたり、トラウマ記憶が強迫観念になって、過剰に確認をしたりします。
強迫症状だけでなく、その前にトラウマ治療もしないといけなくなりますが、どちらも治し難いので、重症であるとほぼ不可逆です。

同じような辛い体験をしても、神経の強い人は、PTSDにもなりませんが、元々神経の脆い人は、トラウマのストレスでさらに神経過敏になって、PTSDにも強迫性障害にもなり、その症状のストレスでうつ病にもなります。

強迫観念は一般的にはほとんどあり得ない内容でも、妄想と違い、現実との結び付きがあります。
現実が分かっていますから、まったくの非現実であれば、雑念として消えていき、気になりませんから強迫観念にはなりません。
現実との結び付きがあるからこそ、現実のストレスを解消すれば、強迫観念も抑えられますから、強迫行為をするのですが、そのストレス体験の記憶も強迫観念化して、それが不快なことであればあるほど、頭の中にはずっと残ってしまいます。
それで同様の現実のストレスに過敏になり、強迫症状が繰り返されます。

神経過敏というのは、何らかの強いショック体験やストレスとかで後天的に起こる人もいれば、生まれつきとか幼少期からの人もいます。
大人になってからでしたら、一時的な神経過敏症状で済む場合もあり、そうでなくても治しやすい傾向があります。
子供の頃から神経過敏でも強迫性障害にならないこともありますが、元々ストレス耐性が低いので、思春期の頃などにさらに多感になって感受性が強まり、そこに強いショック体験やストレスが重なって、強迫症状が出やすくなります。
女性の場合、思春期よりもう少しあとの社会に出た頃や産後などにも発症することがありますが、その場合、あまり重症化しない人が多いようです。
重症というのは、社会的にほぼ孤立して、人間関係もほとんど維持できない人です。

巻き込みすると重症化するというのは、勘違いであり、巻き込みもできなくなって孤立して重症化するのです。
神経過敏の強迫症の人の場合、本人が苦痛を減らすために巻き込みをするというのは、共同生活をする上では仕方がないことです。
そうしたいわけできないが、そうしないと気が滅入ってしまうのです。
例えば、汚染の場合、患者が気になっていることでも、家族は全然気にならないという感じですから、家族によって汚染されることになり、そのストレスを避けたいだけなのです。

強迫症での汚染には、汚い言葉、汚らわしい行為、そういう意味での精神的な汚れ(ケガレ)も含まれるし、そうでなくてもほとんどは本人にしか分からない汚れで、他の人には見えません。
そういう症状の人と、一緒に暮らすことは誰だって困難ですが、本人が一番苦しい思いをしているのです。
その苦しさを和らげようとする巻き込みは、まったく悪いことではなく、むしろそれに協力することで孤立を防げるのです。

よく一般的な説明には、巻き込みに協力してはいけないと書いてありますが、患者の気持ちを無視した暴言で、それができるレベルまで病気を治してから言うべきことです。
巻き込みを全然していない孤立した患者でも重症になっていくので、巻き込みをするから悪化するということはありません。

神経過敏というのは障害ですから、それによる強迫症状も障害なのです。
障害で一番辛い思いをするのは、本人ですが、(特に思考の精神障害の場合)周りにとっても迷惑になります。
精神病の人で自閉している人と違い、強迫症の人は他人の気持ちも分かります。
人に迷惑をかけないように、強迫症で重症の人はみんな孤立してしまうのです。
強迫性障害であると、必然的に人に迷惑をかけてしまうので、それが辛くて、孤立したくなくてもそうするしかないのです。

適切な治療が受けられれば、強迫性障害は治せるという話が多いのですが、誤解した強迫性障害の範囲であればの話で、本当の強迫性障害には適切な治療というものがありません。
強迫性障害というのは性格の問題ではないし、考え方や行動が悪いわけでもありません。
もし強迫性障害が神経過敏でもなく、考え方や行動が原因というならば、そういったことに関わらずに症状が出る神経過敏タイプの強迫性障害は別の病名にするべきです。

強迫神経症から強迫性障害に変わろうが、強迫性障害強迫症になろうが、どういう病気であるかは誤解されたままで、ずっと変わっていません。

ですから、その誤解の範囲の強迫性障害はそのまま残して、実際に神経過敏である本当の強迫症を別の病気として独立させるべきです。

現状では、そういう本物の強迫性障害の人がいないかのようになっていますが、治せないので、症例とかにも出てこないのです。

強迫性障害になった後であると、神経過敏を治せば、強迫性障害も治せるということにはなりませんが、神経過敏を和らげることで、症状もある程度は緩和できます。

そういったことを次回以降に書いていきます。


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