強迫性障害の全貌

強迫性障害の知識の普及 Link Free

強迫観念(イメージ)の中にある現実

以前に、強いストレスがあっても、解離とか統合失調をしない人は、強迫症状が出ることを書きました。

複雑性PTSDでは解離(トラウマの記憶が思い出せない症状)が起こると言われていますが、解離しない場合は、トラウマが強迫観念になって、強迫症状が強まります。

解離には幻覚が見られることもありますが、ストレス回避による症状(現実逃避)だと考えられますから、幻覚内容に苦しむことも少ないはずで、それによる統合失調も通常起こりません。

強迫症であれば、現実への意識が弱まることはなく、幻覚妄想も起こりません。
しかし、幻覚妄想のような思考に悩まされることになります。

強迫観念としての表象幻覚というのは、幻覚のようにはっきりしているわけではなく、見え方としては普通のイメージと変わりません。
しかし、そのイメージに現実的に反応して、現実的に扱う状態が表象幻覚です。
イメージに対して、妄想状態のようになってしまうのですが、そのイメージは、現実の何かと結び付いているので、そうなってしまうのも当然なのです。

例えば、汚らしい人と接触して、何も付いてないように見えても、汚れが付いたイメージが取れなくなって、汚れた物を捨てたり、洗浄をする。とか、汚いイメージの浮かぶ文字や言葉などを見聞きして、それらが付着して、汚れた物を捨てたり、洗浄をする。などです。
確認の場合も、中身を確認してから捨てた封筒に、何か入っているようなイメージが浮かんで、また中身を確認する。などです。
こういうのが、強迫性の表象幻覚で、イメージを現実の物質のように扱います。

強迫観念としての妄想的思考、妄想様観念というのは、一般的にはあり得ないような内容の考えを、自分にとっての現実として確信することです。
自分だけの思考で、他の人にはそう思えないことは分かっているが、本人の認識では、その思考が現実の何かと結び付いているので、実際のことに思えます。

例えば、悪い話を聞くと、それが伝染するように思えて、テレビニュースなどが見れない。とかです。
伝染するように思えてしまうだけなら妄想的思考ですが、精神的汚染のように、それを見聞きしてしまうと、その情報を浴びせられたイメージが浮かび、着ていた物や自身を長時間洗浄する。などと、妄想的思考によって、表象幻覚も浮かぶ場合が多いです。

悪い話を聞いても、それが起こるとは限らない。と分かっていても、「そう思えてしまう」のが強迫観念です。
実際にそうならなくても、「そう思えてしまう」状態が続くことが強迫観念による強迫状態で、「こうなってしまうぞ」という強迫が消えないことでの苦痛を解消しようと、強迫行為や回避をするのです。

認知行動療法では、「実際にはそうなりませんよ」と思わせるのですが、そんなことは分かっているのです。
分かってはいても、「そう思えてしまう」のが苦しいのです。
先のことではなく、今、実際にあるのが、強迫による苦痛なのです。

「こうするぞ」「こうなってしまうぞ」というのが強迫であって、実際にそうされなくても、そうならなくても、強迫されることが不快なのです。

実際にそうならないことが完全に分かっていても、いちいち強迫されて、そういう不快なイメージが浮かぶことになれば、誰だって苦痛なのですが、強迫症だとそれが慢性的に頻繁に起こるのです。

しかもそのイメージは、現実に対象があり、現実と繋がっていますから、少なくとも強迫観念としては「そうなってしまう」状態になっていて、その思考に現実的な反応をしてしまいます。

強迫性障害には、現実からのストレスと、それと結び付いた強迫観念からのストレスと、それを解消するための強迫行為をするストレスがあります。

以前、HSC・HSPの人は強迫性障害になりやすいことを書きましたが、それは強迫症状自体が、神経過敏症状だからです。
過敏でストレス耐性の低い人は、強迫的な事に弱いので、強迫症になりやすいのです。

感覚や神経が過敏ということは、感受性が強くなります。
不安、恐怖、嫌悪、違和感、異物感、そういったことの刺激(苦痛)が普通の人よりも何倍も強く感じるのです。

それらの不快な感情を引き起こす刺激は現実にあり、その刺激へのストレス反応で、強迫観念が浮かび、その強迫観念の不快な思いにも過敏反応します。

妄想の場合は、不快な感情を引き起こす刺激は妄想にしかなく、現実にはありません。
しかし本人は、現実に対象があると勘違いして、そのことのほうが問題になります。
もちろん幻覚もです。

例えば幻視のある人は、体に幻覚上の虫が飛んできて付着すれば、それを手などで振り払おうとします。
他の人にはその虫は見えませんので、変な人に見えますが、本人は、普通のことをしているつもりです。
その虫は現実とは繋がりがなく、妄想(幻覚)の中(頭の中だけ)のできごとです。

強迫観念としての表象幻視は、自分だけのイメージだと分かっている点で妄想ではありませんし、一般的にあり得ないような非現実的な強迫観念であっても、そのストレス対象は現実にあります。
例えば、虫のいない状況で、虫が飛んでくる強迫観念が浮かぶというのは、非現実的とも言えますが、現実の虫に恐怖していることで、そういう強迫観念が浮かび、強迫観念(イメージ)の中にある現実(現実の虫)に恐怖するのです。

これが、強迫観念は現実で、妄想は非現実という意味です。

PTSDで、トラウマの想起とか、トラウマを想起する物事を避けるという症状が出ますが、強迫症であると些細なことでもトラウマになり、現実の虫への恐怖や嫌悪でトラウマになっていれば、強迫観念(イメージ)の虫にも、それを想起する(関連する)物事(写真や映像、言葉)などでも恐怖や嫌悪が起こります。

過敏で感受性が強いと、強迫的な関連付き(伝染)が頻繁に起こります。
例えば、何らかの不快な体験をした時に、ある物を持っていて、その物に不快な記憶が関連付いて(染み付いて)離れなくなってしまいます。
その物を見ると、不快な体験が想起されるのですが、関連付きというのは伝染強迫でもあり、普通は伝染しないことでも伝染するように思えたり、汚れも感じやすく、汚染の強迫観念が浮かびやすくもなり、不快なことが付着したように思えれば、それを捨てたり洗浄します。

その不快なことは、普通の人なら不快でもないし、大したことでもなくても、過敏な人にとっては、ショックやダメージを強く感じて、トラウマになって長く記憶に残ります。
不安や嫌悪や恐怖をともなう思考(強迫観念)が浮かべば、その思考(強迫観念)にもショックやダメージを強く感じて、その衝撃が強いと一生消えなくなります。
強迫観念の想起もトラウマ体験の想起も同じことです。

汚れの強迫観念も、それが現実と結び付いていなければ、現実行為として洗浄しません。
なんらかの汚い現実(強迫対象)によって、強迫的な考えやイメージングが起こり、その汚れの考えや汚れのイメージを現実のように扱い、洗ったりするのですが、それは他人には見えません。
変な人に思われたくなくて、洗浄などの強迫行為を他人に見られることを大変嫌がります。
その汚れは他人には見えなくても、本人の頭の中では視覚化されているし、そのイメージの対象は現実の汚れなので、その考えやイメージは現実に等しくなります。

強迫観念の中にある汚れは、現実の中にある何かの汚れなので、イメージの汚れだと分かっていても実際に洗わないと落とせません。

頭の中だけの強迫観念と言うのも、実際には現実が頭の中に取り込まれている感じで、その現実を頭の中の強迫行為で解消するので、現実から切り離された頭の中だけのことではなく、現実と結び付いている思考なのです。

実際にはほとんどあり得ない強迫観念が浮かんでも、それは現実にある対象と結び付いた強迫観念ですから、その強迫観念への恐れは、現実の対象に対する恐れなのです。

例えば、蛇が嫌いな人が、蛇を見ることでも汚染されるとして、蛇の写真や強いイメージによっても接触(伝染)を感じて汚染されてしまう場合、その汚染恐怖は、写真や強いイメージそのものだけではなく、現実の蛇が汚染対象なのです。

現実に何らかの対象があって、それに対して不安や恐怖や嫌悪が起こりますが、その対象と、それを認識する自己との中間に強迫観念があり、その強迫観念は非現実的であっても、実際に現実との結び付きがあるのです。

妄想の対象は妄想の中にあり、現実とはほとんど切り離されています。
現実の蛇が嫌いだったとしても、妄想状態の時は、現実の蛇ではなく、妄想の蛇に恐怖しているのです。

強迫観念・・・頭の中のことであるが、現実と結び付いている。

妄想・・・頭の中だけのことで、現実との結び付きはほぼない(しかし本人は現実だと確信的)。

不安・・・頭の中のことで、現実との結び付きはあいまい(確信的ではない)。

強迫症だと違和感に弱く、違和感が気になって強迫行為をする場合、その違和感には現実に対象があります。
恐怖や嫌悪などは、強い違和感になりますから、一般よりも過剰な反応を起こします。
過敏で強迫に弱ければ、不安状態にも弱くなり、不安な思いも浮かびやすくなります。
警戒心が強くなって、強迫症の人に漠然とした不安が起こらないわけではありませんが、その不安と強迫観念は別のことです。

不安というのは、精神医学的には、実際にはないこと(ありえないこと)に対する、漠然とした心配とか、そういう不安に対する恐れのことであると考えられています。
妄想も現実には対象がありませんから、妄想(実際にはないこと)への恐れも不安であると言えますが、普通の不安よりも確信的になります。

不安に近い強迫観念もあれば、妄想に近い強迫観念もありますが、どちらにしても強迫観念は、幻覚や妄想のように、頭の中だけのことではありません。

対象のある(実際のこと、現実にありえること)に対する恐れとか、その恐れへの不安の場合は、不安ではないことになりますが、強迫観念は現実に対象があって浮かぶ場合がほとんどです。
汚染は勿論のこと、確認する場合も、心配する対象が現実にあります。

逆に、妄想の対象は妄想であって、現実にはありません。
現実で得た知識が、妄想の元になってはいますが、元の現実からはほとんど切り離されているからこそ、あり得ない妄想になっているのです。

ですから、強迫行為が現実の問題を解消する行為ではないという考えは間違いで、それは、強迫観念ではなく妄想です。
強迫症の人は、考えやイメージを現実のように扱いますが、その考えやイメージは実際に現実と繋がっているからこそ、強迫行為をするのです。
強迫観念の対象は現実にあるので、強迫観念によって強迫観念が浮かぶにしても、現実との繋がりはあるのです。

過敏であれば、不快な刺激が伝わりやすく、伝染もしやすいことになります。

汚染強迫観念が強い人は、例えば、不快な物を見て(近付いて)、それに接触したわけではないが、空気を伝ってそれに汚染されるイメージや考えが浮かび、その強迫観念が残ることで、汚染されたままになり、汚れた物や自分自身を洗浄しないといけなくなります。
汚れた物が洗えなかったり、洗っても汚れが落ちない場合などは捨てることになります。

現実からの強迫(不快な物事など)によって、汚染されるという思考(強迫観念)が浮かびます。

汚染される現実への苦痛+それによる強迫観念の苦痛+強迫行為をしないといけない苦痛→三重の苦痛

その汚れは強迫的な考えやイメージの汚れですから、不快な物を見なければ、気付きませんから、汚染強迫観念も浮かびません。
気付かなければ汚れないから、実際には汚染されていないということではありません。

見えない汚れは、気付くことでしか、汚れないのですが、「その見えない汚れが実際に不快な現実と繋がっている」からこそ、気付いてしまえば、実際に汚れてしまうのです。

外から帰って、汚れが見えなくても手を洗ったり、うがいしたりすることが、妄想ではないことと同じで、現実にある精神的に有害なことを避けることも、妄想ではありません。

強迫観念と現実との結びつきが弱ければ、本当は汚れていないのにと思えるのですが、現実性が強いと、本当に汚れているとしか思えません。

その汚れが消えなければ、洗浄が過剰になってしまうので、強迫行為を甚だしいとは思いますが、本当に汚れているのですから、バカバカしいとは思えません。

強迫には、「現実からの強迫」と、「精神からの強迫」がありますが、強迫性障害の人は頭でどう考えるかに関係なく、どちらにも過敏反応が起こります。
「精神からの強迫」は強迫観念による強迫ですが、考えやイメージだけでなく、感覚や感情、衝動、分からないこと、不適切な欲求や叶わない願望などにも強迫されます。

場合によっては、普通の願望にさえ違和感を感じ強迫されますが、その話を今度します。


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