強迫性障害の全貌

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強迫性障害の人は強迫観念や強迫行為を無意味だとは思っていないが、恐ろしく時間を無駄にする

強迫性障害の一般的な説明で一番多い誤解は、患者は強迫行為を無意味に思っている、と書いていることです。
強迫観念さえ無意味に思っていると書いている人もいますが、まったくの勘違いで、強迫性障害の人はそんなにバカではありません。

教科書にそう書いてあるからかもしれませんが、強迫性障害は異常な思考もあれば、理論的で正常な現実的思考も可能な病気です。
他人から見て分かるのは強迫行為ぐらいですが、症状全体を一番分かるのは、患者の自覚ですから、患者に確認もせずに、強迫性障害の内容を決めてはいけません。

強迫行為をするのは、強迫観念があるからで、強迫観念が意味そのものです。
強迫観念が無意味ならそこには何の苦痛もありません。
何の意味も動機もなく、強迫行為をすることはありません。
確かに、常同症のように、何の意味も動機もなく、繰り返し行為をする病気はありますが、それは強迫症ではありませんし、もし強迫性障害に含めたとしても、ごく一部の人です。

少なくとも強迫観念主体型では、強迫観念と現実の問題を解消しようと強迫行為をするので、観念も行為も無意味には思っていません。
例えば、普通の人も、手に汚れが付いて、それを洗い流すことが無意味に思えるでしょうか?
手を洗うのは、「汚れて不快なので」とか「他の物を触ると汚れるので」という意味があるのです。
その意味がなかったら、手を洗うことはありません。

通常、強迫症の汚れは他人には見えません。
他人から見れば、手に汚れが付いているとは見えないから、無意味に見えるとしても、本人は強迫観念のイメージで汚れが見えていたり、そう考えてしまうのですから、その汚れを洗浄することが無意味には思えません。
洗うのは、「汚れて不快なので」とか「他の物を触ると汚れるので」という患者にとっては強烈に嫌な意味があるのです。
その意味がなかったら、強迫行為をするわけがありません。

確かに、冷静に考えれば、過剰であったり、時間がかかりますからその「時間」が無駄に思えたり、生活の効率は悪く、非生産的にも思えます。
しかし、少なくとも強迫行為をしている時は、意味のないことをしていると思っているわけではありません。
単に不快で耐えられないストレスを解消しようと強迫行為をするのです。
強迫行為をしても、まったく解消されないなら無意味に思えますが、実際に問題は解消するのですから、意味はあるのです。
だから、繰り返すのですが、同じ事を繰り返しているのではなく、例えば汚れなら汚れでも、大抵は毎回違った汚れを落としているわけで、同じように見えて毎回違うことをしているのですから、毎回違う意味があるのです。
これも本人にしか分かりませんから、他人からは同じことを無意味に繰り返しているように見えてしまいます。

過去記事に、精神障害の病気ごとの違いは、ストレス回避の形態の違いでもあることを書きました。
それは現実のストレスと結び付いた強迫観念への対処の違いでもあり、解離や自閉なども強迫観念を解消するための自然発生的な強迫行為とも言えますが、脳がそうすることで、強迫観念は弱まり、強迫性障害にもならずに済みます。
ただ、そうできるのは、日常の些細な刺激では強迫観念が浮かばないタイプの人ですから、ある程度ストレスに強くないと(ストレスに接触できないと)そういう病気にはなりません。
強迫性障害の人はストレスに反発できるほどのストレス耐性がなく、全て一旦は受け入れて我慢するしかなくなります。
ストレス耐性が低過ぎるので、その受け入れてしまったストレスに触れられず、消化も発散もされずにため込まれてしまいます。
そのため込みストレスと結び付いている思考が強迫観念ですが、これは我慢を続けることで病んでいきます。
それを一時的にでも緩和できるのが強迫行為で、これはしなければいけない治療行為のようなものですから、まったく無意味ではありません。

強迫症の人であっても、無意味な行為に思えるとしたら、強迫観念がない(もしくは弱い)タイプですから、強迫行為主体型で、完璧を求めていたり、依存症的に強迫行為を繰り返すタイプです。
無駄に何度も確認する人も、強迫観念が弱ければ、無意味な行為に思えるかもしれませんし、癖が過剰にしているタイプも意味なく思えるかもしれません。
一般的な説明に出てくるのは、このタイプが多いので、無意味に思っていると書いてあるのかもしれませんが、本来の強迫症は、強迫観念の病気ですから、強迫観念主体型をベースに説明をするか、はっきりとタイプ分けをしてから、それぞれの説明をするべきです。

このブログでは基本的に強迫観念主体型をベースに説明をして、強迫行為主体型のことを書くときは、強迫行為主体型では~、みたいに書いています。
今までの強迫性障害の範囲が大き過ぎたので、今後はタイプごとに分けて、説明をしたり、治療を考える段階です。

基本的に強迫性障害は強迫観念と強迫行為の病気ですが、それだけの病気でありませんし、重度の人の場合、本質的問題はそこではあません。

統合失調症の前駆症状が慢性的に続いていたり、統合失調症の発症後に表面化されることが、内面的に起こっている病状が、本質的問題なのです。
内面的には精神病のような思考がありながらも、表面的には理性的でまともという病態です。
とても異常な面と、とても正常な面が一つになって、その葛藤に苦しむ病気なのです。

非現実にある強迫観念=幻覚妄想

現実にある幻覚妄想=強迫観念

強迫性障害であると、現実世界と妄想的思考世界の両方を認識して生きています。
妄想的思考の内の非現実的内容の思考は雑念となり、現実的内容は強迫観念になります。

漠然とした不安感、緊迫感は、統合失調症でも起こりますが、強迫症の場合は、具体的で現実との繋がりの強い、日常的な恐怖体験のイメージが浮かびます。
その強迫観念(自分だけの表象幻視や妄想的思考)と現実の区別が付きながらも、強迫観念を現実と同じように反応して扱っているのです。
汚染の場合は、イメージの汚れが強迫観念であり、それは物質的汚れに等しいのです。
強迫症の人は慢性的にこの状態になっています。

普通は見えないものを見て、普通は思わないことを思い、それを信じ込む。
しかし、それは、幻覚や妄想のような非現実ではなく、確かに現実である。だから否定することもできないのです。

感覚過敏によって、日常の様々なことで実際に強いストレスを受け続け、強迫観念の内容も一般的な不安や恐怖観念のレベルを超えてしまいます。
強迫観念は現実的なのですが、普通の人にはあり得ないレベルの考え方、現実の認識、複雑でリアルなイメージ(内容)になります。

重症の場合は、強迫観念が時空間に膨大に浮かんでしまいます。
例えば、何十年以上も特定の汚れがあって、その汚染源や汚染ルートのことなどが常に頭から離れなくなり、その汚れを永久的に追跡してしまいます。
一般的な汚れと違い、精神的な汚れである場合が多く、例えば、いじめられた時の小学校、その汚れを持ち込んだ実家など、すごく嫌悪するような場所が汚染源としていくつかあって、そこからの汚れを何十年以上も回避し続けます。
感覚過敏でトラウマになりやすく、ショック体験と汚された屈辱感、恐怖感、そういう記憶の繰り返し想起で頭の中が一杯になり、日常的にもそれに関連する物事や、不幸に思える物事、嫌悪感のある物事などで汚染されるようになり、過剰に避けるようになります。
トラウマも現実にあったことの記憶で、強迫観念も現実と結び付いているので、その恐怖や嫌悪も現実反応ですから消えにくいのです。

強迫性障害になった人は、そういう強迫観念に苦しめられているので、強迫行為も当然無意味には思えませんが、様々な症状で膨大な時間を無駄にします。
強迫観念にも強迫行為に時間を使うし、強迫観念が邪魔をして何事も時間がかかってしまいます。

統合失調症であれば、時間を無駄に使ってもあまり気にならないのですが、強迫状態だと、膨大な時間を無駄していることが分かっているが、それを止められない。もっと価値のあることに時間を使いたい。しかし、それができない。という葛藤的な苦しみが続くのです。

強迫症の人は、通常なら発狂してしまう状況の中でも理性が保たれ人間的でいられます。
我を忘れることがありませんし、内面的にパニック状態になっても、それが表に出ません。
過酷な状況、緊急事態になっても、強迫症状の人はある程度落ち着いて対処します。
一見、良いことに思えますが、そういう状況でも強迫症状が優先されることになりますから、冷静に現実が意識できる限り、強迫症状はなくなりません。

幻覚妄想と違い非現実世界や無意識層には強迫観念は存在できません。
強迫観念は現実反応ですから、例え何年か眠り続けて、その間、強迫観念が消えても、目覚めて現実を意識すれば、強迫観念はまた表れます。(眠り前の記憶が正常ならば)

表面化すれば治せる病状が、内面にあるままなので、治す方法がありません。
強迫観念だから少量の抗精神病薬ではなく、幻覚妄想よりも消え難いのですから、多量の抗精神病薬でしたら、強迫観念も一時的に消せるでしょう。
しかしそうすれば、理性的でまともな面も消えてしまうデメリットのほうが大きく、一時的に強迫観念が静まったからと言って、現実反応の思考ですから、現実を意識できるレベルになれば、強迫観念も復活します。
これは当然、分かっていることですから、重症であってもSSRIを使うことぐらいしかできないというのが今までで、それはこれからもずっとそうです。

強迫症であると、強迫観念を忘れてしまうようなことは、生理的拒絶反応が出ます。
強迫観念がなくなってしまうと、避けている恐怖体験の実体験や再体験を防げなくなりますから、強迫観念があり続けたほうが身を守れる(安心できる)からです。
避けている恐怖(嫌悪)体験が平気になってしまうというのは、強迫症の人にとって恐ろしいことなので、その強迫観念が強い人は、治療さえもストレスになります。
特に汚染恐怖があると、治すことで、今まで避けていたことに汚染されている状況が強迫観念として浮かび、治すことが怖く思えます。
治ってる間だけ汚染が平気になっても、再発した時にその汚染に気付いてしまいますから、劇的に効くが止めたら再発するような薬は使えないのです。
その恐怖感を消せるような強い薬をずっと飲めば、過鎮静でそれはそれで日常生活が困難になります。

本物の強迫観念は、こう考えてこうしようと思っても、その意向を無視して思い浮かぶ性質が強いので、こう考えてこうしましょうという認知行動療法では、強迫観念の弱い人しか治せません。
そしてほとんどの所は全額自費になりますから、お金のある人しか取り組めません。
本当に強迫症の人は、社会適応ができないので、大抵はお金もありませんから、適切な治療と言いながら、実際の患者は認知行動療法など受けている人はほとんどいません。
適切な治療というのは、誰でも受けられる現実的な治療でなくてはいけません。

もしSSRIが良く効いたり、認知行動療法に取り組めるのであれば、その時点で、ほとんど治っていると言っていいほどの精神状態なので、当然、治せるタイプですから、ほとんど心配はいりません。

治らない人とか、不可逆の人も、強迫症がどんな病気で、なぜ治らないか、どうしたら良いかを理解できたほうが、少しは迷いが減らせるはずですから、このブログを書いています。

課題は、重い強迫症の人がある程度でも人間らしい生活をできるようにするには、どうしたら良いかです。

この病気は現実的なストレスで悪化しますが、強迫症であると、本当は生きるための最低限のことさえ難しいのに、まともに現実的思考ができてしまうことで、しないほうがよい事までしてしまい、余計にストレスをため込んでしまうので、なかなか治せないのです。
症状を悪化させないためには、できると思えることでも、しないほうが良い(できないと気付いたほうが良い)場合もあることを知ることです。

したいことを我慢するのもストレスが強いので、したいことでできることは、多少無理に思えてもしたほうがいいのです。
したいことをするというのは、無理ではなく、頑張ることになります。
むしろしたくても我慢するほうがストレスになりますが、強迫症状で、したいこともできない病状であると、ストレスフルになりどんどん悪化します。
したいことでも頑張って続けることができなくなり、元気がなくなり、余計にストレスに弱くなり、強迫症状も悪化します。

特に強迫性障害になりたての人は、まだ病気だとも分かっていないので、嫌なことも我慢すればいいと思って、無理に社会適応しようとします。
強迫観念も知りませんので、想像力が強いとかのなんらかの能力であって、それで社会で活躍できると思っているかもしれません。
しかしそれは誇大妄想のようなもので、強迫観念は病的に浮かんでいる思考であり、正常な想像力ではありません。
強迫観念は病んでいるので、社会的に役立つことはありませんし、強迫観念が浮かびやすいほど、社会適応は困難になります。
才能と勘違いすれば、一般の人以上になれると思って、頑張ろうとしますが、ストレスを感じることを我慢すればするほど、強迫性障害は悪化して、うつ病にもなってしまいます。

若い内はそれでも良いと思います。社会の中でなにができて、なにができないかを身をもって知ることができます。
どれだけでもストレスを受け入れてしまう傾向がありますが、限度を超えて頑張り過ぎてしまうと、一生を台無しにします。
もっとストレスを避けるべきですが、実はストレス回避とか環境調整とかは、一人では、かなりのエネルギーがないとできないことで、強迫症うつ病になってしまうと、そういうことさえも億劫になり、だらだらとストレスフルな生活を続けて悪化していくのです。

強迫性障害は一旦重度になってしまうと、完全に不可逆の病態になって、何をしようが治すことはできません。
症状があるのに社会適応しようと無理を続けることで、大変な人生になりますが、悪化した後では、その状態をなかなか改善できなくなります。

重度になれば、ほとんど人生は終わっているに等しい(少なくとも一般の人のような生活はできない)のですが、強迫症であると一般の人と同じような正常な思考もできるので、そこまで病気ではない一般の人であるようにも思えるため、まともに生きられる、と勘違いして、そこからもストレスの強い人生を続けてしまうのです。

できれば、悪化をする前に、悪化をしないような生き方(余計なストレスを軽減する生活)に切りかえられれば、それが一番良いですが、強迫症うつ病であると、症状でそれができないので悪化します。

早めに援助を受けたいところですが、症状により、それもなかなかできません。
それ以前に、それがスムーズにできるほど、強迫性障害と言う病気は社会的にも理解されていません。

強迫性障害の人は自分のことを理性的でまともな人間なので、社会の中でうまくやっていけると信じている人もいるし、人からもそう思われていると思っていますから、できないことでも我慢してしていたり、人から不満に思われることを気にしています。

精神病ではないので、何もしないこともできませんから、細々とした生活をすることになりますが、何かすれば、強迫症状がまとわり付き、最低限の生活さえもストレスになってしまう。
しかし汚染恐怖で付き添いや適切な援助が受けられずに、一人で苦しみ続ける。
生きていても、人間的な幸福感や充実感が得られませんし、強迫症だとなかなかリラックスができません。

強迫性障害は他人には見えない病気です。症状で病院にいけなかったり、適切な治療が困難な人も多いので、そういうレベルの病状の人はほとんど研究されない以前に、存在さえも分かりません。
社会では、強迫性障害の思考障害などはまったく知りませんし、強迫性障害に感覚過敏の人が多いことも知られていませんし、むしろ感覚過敏など関係ないとしている人もいます。

感覚過敏による強迫観念主体型の人は、一般の人と物の考えや価値観も大きく違っています。
一般の人がどうこう言おうと、一般の人は一般の感覚で、強迫症を理解せずにそう言っているのですから、真に受けてはいけません。
強迫症の人は、一般の人ではありません。同じように考えようとしなくて良いのです。

時には自分から症状を説明したり、ストレスの強いことは自分で防ぐしかないのですが、一般社会の中では、それも難しい場合が多々あります。
無理に普通の人として生きても辛いだけで、社会的なことは、ある程度、あきらめたほうが良いのです。
できることをできる範囲でしていくしかありません。

そんなことをしていたら、弱くなってしまうと思えるのは、やはり、一般的な考えにこだわるからであり、強迫性障害の人は元々ストレスに弱いのに無理をしているのですから、その程度ができれば良いのです。
ですが、強迫症でも何年もずっと軽症の人は、一般人に近いわけですから、一般的な考えに合わせても問題ありません。
重症の人は、それとは別のタイプの(精神病的な)強迫症なので、中身(精神状態)も全然違うのです。
かと言って精神病ではないので、治せないという特殊な病態ですが、このように多様性があるのが強迫性障害なのです。


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