強迫性障害の全貌

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強迫行為は癖ではないしバカバカしいとは思わない/強迫行為のタイプわけ/局限性強迫症/芸能人の強迫性障害

強迫症は考え方や行動の癖の問題であるというのが、昔ながらの古い考えです。
確かに人によっては癖になっている面もあると思いますが、癖と言うのは無意識に(あまり意識せず)繰り返される行為で、ほとんど無意味になんとなくやっていることとか、リラックスできたり好きでついつい繰り返す行為とかです。
苦痛なこと、考えてやること、意識的にすることは、癖にはなりにくい傾向があります。

強迫性障害での強迫行為は、強迫観念を解消するために、はっきりと意識的に行います。
強迫観念が浮かぶ度に行いますので、強迫観念が浮かびやすいと、当然、何度も同じような行為を繰り返すことになりますが、これは無意味な繰り返しではないので癖ではありません。
いちいち意味があって、毎回意識的にやっていることなので、ついつい癖で過剰になっているということはほとんどないのです。

もし強迫行為を無意味に思っている強迫行為主体型の人がいれば、強迫行為が癖になっていることも考えられます。
ただ、この癖は通常の癖と違って、傷跡(ストレスによるダメージ)みたいなもので、感覚(神経)過敏であると癖が付きやすいのです。
柔肌だと傷付きやすく傷跡も残りやすいことと同じで、(精神的な意味で)神経が太い人よりは、神経が細い人のほうがストレスで傷付きやすくダメージやショックも長く残ってしまいます。
それは思考としては強迫観念になって長いこと消えなくなります。
それを避けたいがために、防御的に危険回避(強迫行為)がパターン化行動になって、癖のように見えるのです。
無意味な癖として強迫行為をしている人もいるかもしれませんが、意味を自覚できないだけかもしれません。

考え方の癖で強迫行為をしている人も少ないでしょう。
強迫観念が浮かびやすいとか、トラウマ記憶が想起されやすいとかは、そういう障害が起こっているのであり、癖でそうなっているわけではありません。

強迫行為をするから、益々強迫観念(恐怖、嫌悪、不安)が浮かぶんだという考えも間違いです。
これは、逃げるから怖いんだという考えが起源ですが、避けるから嫌になっていく、怖がるから怖いんだ、弱いからいじめられるんだと言っているようなことです。
強迫行為をまったくしなくても強迫観念は浮かぶのですから、強迫行為をするからさらに強迫観念が浮かぶという考えは勘違いです。

強迫行為で解消されるから、嫌なことに我慢できなくなり、また強迫行為をしたくなってエスカレートするという考えも勘違いです。
強迫行為をしなければ、強迫観念と現実の問題が解消されないから、仕方なくしているのです。
強迫行為をすることで、強迫観念が浮かぶのではなく、強迫行為をしてもしなくてもそれに関わらず、強迫観念は浮かぶのです。
ストレスに耐え切れないからこそ、強迫行為をするのであり、強迫行為をしなければ、ストレス耐性が強まるわけではありませんから、強迫行為を1日我慢して過ごせば、強迫観念に1日中苦しめられ、行動が束縛されますから、そんなに時間を無駄にするよりは、強迫行為をしたほうが効率が良いのです。

もし、「かもしれない」のような未来的不安なら、まだ現実ではありませんし、現実味が弱いから「かもしれない」なのですから、その心配は時間と共に自然と消えることも多いでしょう。
しかしそれは、一般の人の不安に近い強迫観念であり、多くの場合の強迫観念は、「そうである」「そうなってしまう」「そうなってしまった」「そうしてしまう」と思えるという感じで、もっと断定的な現実としての思考で、実際に現実と結び付いていますから、なんからの現実的な強迫行為をしない限り、強迫観念が自然と消えたりはしません。

現実に起こっていることは現実的行動でしか解消できません。
砂場で遊んだ子が手を洗うことで、(また洗えば良いと知り)また手を汚すことになりますが、手を洗わなければ、1日我慢して過ごそうが、その汚れは落とせません。
何度も手を洗うからといって、汚れやすくなったりしませんし、エスカレートするわけでもありません。
砂場で遊んだら手が汚れるので、手を洗う。それだけです。
そのことと、
強迫性障害の人は、日常的な些細なことで強迫観念が浮かび、それを解消するために強迫行為をする。
は、同じことですが、強迫行為をする理由もいくつかのタイプあります。

一つ目のタイプは、強迫行為をしないと何らかの悪いことが起こると思えて、それを防止するために強迫行為をする人です。
過しつ、そんしつ、そん害恐怖の強迫観念で心配になり確認などをする人や、不潔なことで病気になったり不幸になったりすると思えて回避や洗浄をする不潔恐怖の人などです。
確認しないことや不潔なこと自体に恐れると言うよりも、あくまで、そのことで良くないことが起こるのを防ぎたいのです。

二つ目のタイプは、強迫行為をする前に、実際になんらかの悪いことが起こってしまい(またはそう思えて)、その実害とそれによる不快感(強迫観念)を解消しようと、強迫行為をする人です。
これは汚染恐怖や精神的汚染恐怖に多く、このタイプは、汚染という実害の不快感を解消するために、強迫行為をしないといけないのです。
その実害+その汚染で病気になったり不幸になったりするという強迫観念が重なっていることも多いのですが、基本的には汚染されること自体に恐怖や嫌悪をしているので、強迫行為だけでなく汚染回避や汚染対策も過剰になります。
確認強迫にしても確認を忘れたり、確認をしないこと自体にショックが強い人は、強迫行為をする前に、確認をしていないこと(過しつ)が強いショック(実害)になり、それを解消するために確認をするのです。
その実害+そのことで何らかの良くないことが起こるように思える強迫観念も重なっているのが普通ですから、確認強迫で一つ目のタイプは少数派のはずです。

三つ目のタイプは、強迫観念が浮かぶ前に「こうしなければ」というこだわりが強くて、(しないといけなくなってしまうという意味での)なんらかの強迫行為を繰り返す人とか、強迫行為による安心感、キッチリ感、シックリ感を求めて繰り返す人です。
強迫行為主体型の一部の人ですが、このタイプの場合は、その行為をできないときに、強迫観念のような不快な思いや不満な気持ちが浮かびます。
この場合は、強迫行為をしたい気持ち(こうしなければ、こうしたい)が弱まれば、強迫行為も強迫観念も弱まります。

もう一つのタイプは、「こうしなければ」という強いこだわりがなく、特に強迫観念もなく、ほぼ無意味に強迫行為をしている人です。
この場合も、強迫行為ができない状況になって、強迫観念的な不満が浮かぶタイプですから、強迫行為をしなくなれば、強迫観念も浮かばなくなります。
意味も分からずに、なんとなく行為をしないといけなくなって繰り返してしまうのですから、あんまりいないはずですが、強迫行為が無意味に思える人はこのタイプになります。

つまり、強迫行為が無意味に思えたり、強迫行為をするから、強迫観念が浮かぶというのは、いるとしても強迫行為主体型の一部の人でしかなく、本来的な強迫性障害ではないタイプで、ほとんどの人はそういうわけではありません。

ですから、認知行動療法(曝露)でも、強迫行為をしなくても、悪いことは起こりませんよと思わせる訓練だけではなく、患者によっては、恐怖対象に馴れさせる(そんなに嫌なことではありませんよと思わせる)こともしているのです。


強迫症のタイプの見分け方

はっきりした強い強迫観念が強迫行為の前にあれば、強迫観念主体型ですが、このタイプは多くの場合、ほぼ1日中強迫観念があります。

強迫観念には、持続性、反復性、強迫性がありますから、強迫観念主体型の人は、安静にできる状況で目を閉じた時にも、日頃から恐怖、嫌悪、不安にしていること、嫌な思い、考え、記憶などが頭の中に浮かんでしまいます。
汚染恐怖や精神的汚染恐怖の人に多いのですが、精神的に病んでいるタイプ(内面発狂型)だと、それだけではなく、様々な狂人思考も慢性的に浮かびます。
強迫観念主体型で確認だけという人もいますが、汚染恐怖+確認など様々な症状が出るのであれば、全般性強迫症と言えます。

心配な対象を見ずに目を閉じていれば強迫観念は浮かばない、心配にならないという人は、強迫行為主体型であるか、不安症や恐怖症に近いタイプの人です。
ようするに、強迫行為を起こすストレス対象から離れれば、そんなに問題はない人ですから、局限性強迫症と言えます。

強迫観念、強迫行為共に一般の人はほとんど意味を知りませんし、あんまり日常会話には出てこない言葉であることから、強迫症が理解され難い面があります。

一般的な解説にはよく「患者は自分でも強迫行為をバカバカしいと思いながらしている」と書いてあります。
「無意味にしている」と同じで、他人から見てそう思えるからでしょうか。

確かに他人から見れば、ほとんどはバカバカしく見えるかもしれませんが、患者が自分で「私はバカバカしいと思いながら何度も洗ってしまいます」とか「バカバカしいと思いながらも何回も確認してしまいます」ってわざわざ言う人がそれほど多いでしょうか?

そういう人もいるとして、本人が自分でそれを言う分には良いのですが、患者の症状を説明する時に、他人が使う言葉ではありません。

本当に深刻に悩んでいる人もいるし、死にたいほど苦しんでいる人もいます。
そういう人に不快感を与えやすいので、医学的に無闇に使う言葉ではありません。

「無意味」に関しても「私は無意味に手を何回も洗って困っています」とか「特に意味もなく何度も確認してしまいます」とか言う人がそんなにいるとは思えません。
他人から見れば、無意味なバカバカしい癖に見えるのでしょうが、他人の前ではほとんど症状は表れませんから、強迫性障害の人がどう思っているかは、他人が決めることではなく、強迫性障害の人に聞くべき事です。

恐怖や不安感があるわけでもなく、意味も分からずに過剰に繰り返しているとしたら、強迫観念にとらわれて正常な思考が鈍っているか、恐怖や嫌悪でなにがなんだか分からずにパニックになってる人か、強迫観念の弱い強迫行為主体型(強迫行為の安心感やキッチリ感などを依存症的に求めて繰り返す人や、完璧主義的なこだわりの強いや、癖や習性が行為を過剰にしているタイプ)などの人です。
ちょっとした違和感が気になってやり直しなどが増える強迫感覚主体型でもあり得ますが、無意味というよりは、何らかの意味があるけど、それをはっきりとは意識できないという感じではないでしょうか。

時間の無駄ではあっても、強迫行為自体には意味があるのが普通です。
強迫観念主体型にとっての強迫行為はそうしたいわけではないが、しないといけなくなってしまう行為で、やらずに済ませられるなら、やりたくないので、回避が増えるわけです。

ですからどう思っているか書くにしても、「過剰だと思いながらも」とか「苦痛でありながらも」「嫌だと思いながらも」「めんどうだと思いながらも」「つまらないと思いながらも」みたいな表現で良いのです。

「強迫行為を無意味に思っている」の次に多い誤解が、「強迫性障害の人は完璧主義」と言う説明で、これも強迫観念主体型の人にはあり得ません。

そもそも本来の強迫性障害は、完璧を求めて強迫行為をするわけではなく、単に強迫観念と現実の問題(恐怖や嫌悪、不安)などを解消しようと強迫行為をするのです。
強迫観念は現実反応ですから、PTSDの人がトラウマ記憶を頭の中で振り払ったり、トラウマ関連の物事を避けることとほとんど同じ反応です。
ただ、強迫観念や強迫観念化したトラウマ記憶は、通常のトラウマ想起以上に強迫性、反復性、持続性などが強いと言う違いはあります。

強迫性障害=完璧主義と考えている人は、PTSD=完璧主義と言っているようなことで、まったくの勘違いです。

強迫観念主体型の繰り返し確認や、かがい恐怖による過剰な安全確認や回避なども、完璧を求めているから過剰なのではなく、強迫行為によって、過しつ、そんしつ恐怖などの強迫観念が解消さえできれば、それで落ち着くのです。
強迫観念が浮かびやすい病気で、強迫に弱いから、それが消えるまで行うというだけです。
この強迫観念というのが分かっていないと、完璧主義のこだわりに見えるのです。

本来は、完璧主義で困るのは強迫性パーソナリティ障害で、これは強迫性障害と病名は似ていますが、内容は全然違います。
ですが、強迫行為主体型には強迫観念が弱く確かに完璧主義の傾向が強い人も含まれるし、本当は強迫性パーソナリティ障害の人が強迫性障害とされていることも良くあることです。
強迫性パーソナリティ障害はそういう病気の存在自体がほとんど無視されているので、それであると治療が難しいからです。
ですから、そういう人は強迫行為主体型に含めることになりますから、完璧主義の人もいますが、一部の人に過ぎません。

芸能やスポーツなどの分野にはこだわりの強い人が多いようで、芸能人、有名人、スポーツ選手などにも潔癖症強迫性障害の人が割りと多いようです。
日々、期待に応えようと、プレッシャー(ストレス)のかかることをしているので、「こうしなければ」という気持ちが強くなり、完璧強迫のようになって、それを日常の生活にも持ち込んで、強迫症状が出るという感じの人も多いのではと思います。

強迫症状は日常生活では慢性的に起こりますが、役者だとか歌手だとかスポーツとか、どちらかというと、非日常的なことをする上では、(少なくともそうしている間は)ほとんど支障になりませんし、一般人の強迫症の人と違って、そういう世界での有名な人は、プレッシャー(ストレス)に強いので、強迫症状があってもたいして障害になりませんから、こだわる傾向が良い方向に使われるのではと思います。

しかし、そういう世界にいても、日常的なシーンはあるし、日常生活にも戻りますから、そんな時に困ることも多いと思いますが、マスメディアに直接的に関わるので少なくとも不快な文字や言葉や名称などで汚れる情報汚染の人はいないと思うし、社会適応できないレベルの重症の人はもちろんいないはずです。

そういう業界で生きていくためには、まず自信がないとできませんし、自信を持つためには、実力(能力、技能など)を身につけないといけませんし、そのための精神力がないといけませんし、人々の期待に応えるには、プレッシャー(ストレス)に強い人でないとできません。

芸能やスポーツの分野でも完璧強迫(強迫行為主体型)ではなく、普通に強迫観念主体型や混合型もいると思いますが、そうであっても、自信があって、実力(能力)があって、ストレスに強い人ならば、どんな業界で何をしようが強迫症状もそんなに支障にならないし、特に非日常的なことをする分野ならそうしやすいのです。
実際に芸能やスポーツの分野の人は、強迫症状があっても、それでそんなに悩むことはありません。悩んでいるようなら、そういう業界にいられないのです。
いるとしても、三流の人です。

こだわりが強いから、強迫性パーソナリティ障害と言うことでもなく、それは強いこだわりにより、社会的なことがうまくできなくなってしまうダメなタイプの人です。
完璧主義的なこだわりが障害になっている人もいれば、完璧主義的なこだわりが社会的能力になっている人もいて、やはりその違いは、自信があって、実力があって、ストレスに強いということだと思います。

ネットには、スティーブ・ジョブズが強迫性パーソナリティ障害という話もありますが、単に完璧主義での完璧なこだわりが社会的能力になったタイプの人でしょう。
強迫性パーソナリティ障害であっても、自信があって、実力があって、ストレスに強いのであれば、有能な完璧主義者なのです。
こだわりにより普通よりも時間がかかるのは当然ですが、良い結果が出せるのであれば、まったく障害ではないどころか、その完璧なこだわりは素晴らしい能力なのです。天才は一般の人とは違うだけです。

社会的にダメなタイプの強迫性パーソナリティ障害の人であっても、絵を描いたりとか、そういうほとんど人と関わらずにできることであれば、完璧主義的なこだわりを活かす事も可能です。
しかし、強迫性障害は精神の病気であり、完璧主義でやっていることではありませんし、こだわりたくてこだわっているわけではありませんから、その症状を社会的に活かすことができません。
症状により普通の人が見えないことまで見えて気にしたり、強迫観念が邪魔して一般の人が簡単にできることがまったくできなかったり、人の何倍もの時間がかかったりしますから、社会にいれば、基本的には足手まといな存在になります。
だからこそ、障害なのであり、症状に悩むわけです。

一般の強迫症の人も芸能やスポーツの分野が向いているということはなく、一般の強迫症の人は多くの場合、自信がありませんし、社会的機能が低いし、プレッシャー(ストレス)に極端に弱いので、あまり向いてないのですが、強迫性障害の症状があっても、自信、実力(能力、技能など)、ストレス耐性があれば社会適応できるわけですから、症状を治せなくても、その三点が改善できれば良いのです。

しかし感覚過敏によるストレス耐性の低さは、気質、素質というか体質的なことですから、頑張って強くできるわけでもありません。
基本的にストレス耐性が低いと、実力を付けるのも困難で、最低限のことと強迫行為ぐらいしかできなくなりますから、自信が持てるわけがありません。
治療さえもストレスになってしまうので、治す方法がないのです。
できるだけ悪化を予防して、現状維持ができれば良いぐらいです。

精神病であればストレスに弱くないのに、症状で極端なストレス拒絶が自然とできますが、強迫性障害であると、ストレスに弱いのに、一般感覚も持ち合わせるために無理をしてしまいます。
かと言って、頭の中の思考活動が活発なので、何もしないのも逆にストレスになります。
よっぽと、精神的に安定している人か、病的に鎮静している人でないと、何もしないということはかなり難しいのです。
強迫症であると頭の中が妄想的思考や強迫観念などで一杯で、瞑想のようなこともできませんし、いろんなことが気になってソワソワして何事にも集中できません。
ある程度は自然に頑張って、ある程度は意識的にストレス回避をするぐらいが良いのですが、このバランスが難しいのです。

強迫症はその他の精神疾患と比べてもストレスに極端に弱いのですが、その治療法と言われている認知行動療法(曝露)は、患者のストレスを減らすための知恵や工夫があまり見られません。

薬もほとんど効かずに、慢性症状でストレスフルになっていて、ストレスの少ない生活にできないのに、もしいきなりそんなことに取り組んでも、拒絶反応が強ければまったく効きません。
これは顕在意識(表層意識)か潜在意識(無意識)かでいうと、普通に顕在意識への説得のようなものですから、わりと原始的な訓練法です。

そもそもなぜ催眠療法(催眠状態での暗示による治療法)があるかと言えば、顕在意識はこうしましょうという説得が嫌ならば抵抗してしまう(患者にストレスがかかる)から、無抵抗な潜在意識(無意識)に暗示をかけて、そちら側から顕在意識を変えようという方法なのです。

ただ強迫症の場合、顕在意識の問題が活発で、催眠状態になりにくく、なかなか暗示ができませんし、できたとしても繰り返し何度も暗示しないと強固な顕在意識は変わりませんから、治療法としてはかなりの時間とお金がかかります。
それ以前に治す側が催眠療法のテクニックを習得するのが困難なのです。
潜在意識から強迫観念の根本的な問題になっている記憶が出ててこれば、それで治るということはなく、その記憶が発掘されたり、暗示により思いつきで記憶が作り出されても、それを解消するテクニックがなければ、強迫観念の解消もできないのです。

それで結局、原始的な顕在意識を直接変えるという方法しかありませんから、できるだけ抵抗されないやり方でも、認知行動療法(曝露)しかないのです。
しかし顕在意識に強迫観念や妄想的思考が山済みになっているのが強迫症です。
強迫観念をこうしましょうと言っても強迫観念はそれを抵抗するか無視して浮かびますから、それではなかなか治せません。

その上、強迫症であると、顕在意識にネガティヴな暗示がかかりやすくなっています。
強迫観念は日常に置いても、また寝る前でも頻繁に浮かびます。
強迫観念は嫌な内容ですから、強迫観念が浮かぶ度に、それが嫌だと言うネガティヴな暗示を繰り返しかけることになり、これが何十年も続くと、その嫌なことを平気にすることは不可能になります。
しかもこの暗示は、強迫観念ですから、無抵抗な潜在意識ではなく、表層意識に直接行われますから、それ(反復)自体が非常に苦痛で、さらに嫌な思いが嫌になっていきます。

強迫観念は、表層意識、潜在意識でいうと、当然、表層意識にあるからはっきり意識できるのですが、問題なのは潜在意識に眠っていたほうが良い事まで、表層意識にいつまでも残って、強迫観念になっていることです。

潜在意識に問題を探さなくても、その問題はすでに表層意識にとどまっていて、それが強迫観念なのです。

強迫観念は常に(過去の嫌な記憶を含めた)今の問題として表層意識にあります。
もし強迫観念の根元が潜在意識にあったとしても、表層意識の強迫観念とはほぼ分離していますから、根元を解消しようが強迫観念は残ってしまいます。

夢には深い意味はありません。睡眠で現実への意識が弱まり、自生思考がはっきりするだけで、日頃思っていることや願望、もしくは好ましくないことが非現実の夢として現れます。
それは潜在意識にあったわけではなく、表層意識で創られるのです。

潜在意識は表層意識の土台でしかなく、そこにはっきりと形あるものはありません。
潜在意識から出てくるものはなく、実際には表層意識の深い部分にある昔の記憶とか、夢と同じで、今現在創られた思い付きの思考世界です。

表層意識に問題の多い人が、潜在意識を意識しようとすると、表層意識の底にある余計な問題が増えるだけで、すでにある問題の解決にはなりません。

嫌な思い、嫌な記憶を抑圧する力がないので、強迫観念になっているのです。抑圧を解くのではなく、抑圧をできればいいのです。

抑圧を弱めれば、さらに嫌な思い、嫌な記憶が思い出されて、それにより強迫観念が増えて、その上、夢みたいな非現実的思考になって、強迫観念が妄想化する危険があります。

嫌なことを忘れるには、安心してリラックスすること、過去を振り返らないことなどですが、強迫症だとそれができないから、自生思考が浮かびやすく、強迫観念が強いのです。

なぜできないかというと、感覚過敏なので、現実に刺激が多すぎて、いろんなことが強迫的に感じられ、様々な不快な情報が強迫観念と関連付いてしまいます。
そのストレスを避けようと、警戒心過剰になり、どうしても意識が身の周りに向かってしまいます。
ストレス回避で、ぼーっとしようが、やはり、いろんなことが気になり、瞑想などはとてもできません。
目を閉じれば、余計に様々な強迫観念や妄想的自生思考が始まりますので、寝る前にもいろんなことが頭に浮かんでしまいます。

無意識で行動すると、顕在意識でストレスを感じることが避けられないことが多いので、危険回避で顕在意識が活発になり、無意識へのアクセスはほとんどなくなります。
無意識で行動することが怖いのです。
深く眠ると、無意識に夢が起こり、睡眠中は顕在意識で止められませんから、普段なら避けていることも避けられなくなります。
それが怖くて安心して眠れません。寝るのが怖くて、眠りが浅くなってしまうと余計に夢を見やすくなります。

よく言う無意識の行動と言うのは、例えば、特に考えなくても家に帰れたり、意識しないで自然にしている行為です。
ですので、抑圧というのは、記憶を憶えているが意識していない状態です。
感覚過敏だと、安心してリラックスすることができないので、顕在意識が活発になり、抑圧が起こりませんので、嫌な思い、嫌な記憶が消えません。

顕在意識が静まると、いらない記憶は、底に沈んでいきます。
それが完全に沈んで無意識に抑圧されれば、それが記憶に残っていても強迫観念として意識されませんから、何にも影響はありません。
顕在意識の行動は意識的にすることですから、強迫行為も顕在意識的な行動です。
無意識で強迫行為をするということはほとんどありえない話です。

逆に、思考が暴走すると、顕在意識が湧いて立ち、いらない記憶があり続けることになり、強迫観念も悪化します。
ある意味、強迫症は病気で顕在意識が狂っているから、様々な異常思考が消えないわけですから、安心してリラックスできないのは仕方がないことですが、薬でも構いませんし、一時的にでも、安心できる方法を探し、しっかりと眠ることが悪化を防止します。

 


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