強迫性障害の全貌

強迫性障害の知識の普及 Link Free

適度な巻き込みが孤立を防ぐ/強迫症基礎知識 其の一

依存型の巻き込みはありますが、巻き込み型の強迫性障害はありません。

巻き込みというのは、強迫性障害の人が人と同居している場合にはどうしても避けられない面があって、例えば汚染恐怖の人の汚れは本人にしか分かりませんから、同居人が平気で汚れを持ち込んだりすると、その人の分も洗浄しないといけなくなり、その人の分も汚されないようにしないといけませんから、一人でいるよりも何倍もの気苦労が増え、ストレスの強い生活になります。
それを緩和するには、その人に汚さないようにしてもらうとか、汚されたら洗浄してもらうとかしないといけませんから、結果的にそれが巻き込みになります。
それで患者本人は、余計な分のストレスを減らせるのですが、患者本人にしか分からないことに付き合わされるというのは、幻覚や妄想に付き合うことと同じですから、同居人にかなりのストレスがかかることになり衝突が増えることで、お互いに気が滅入ってしまいます。
基本的には確認強迫(過しつ、そんしつ、かがい)とかその他の強迫症状も同様で、患者本人にしか強迫観念がないので、それを共有することが難しいのです。
同じ強迫観念がある人同士なら、理解はしやすいですが、患者によって観念の内容や感じ方や反応も多様ですからあまりあり得ないし、強迫観念が強い人同士だと、お互いに不安を強めてしまうと思います。

強迫性障害がすぐに治せる病気であれば、巻き込みとかもすぐに解決できるのですが、有効な治療方法がないので、適切と言われている治療を受けても何年も何十年も治らない人が多くいます。
それでどうするべきかという話です。

巻き込みは良くない、巻き込みに協力するほど悪化すると、やたらと言いふらしている人がいますが、病状とか巻き込みのタイプにもよりますので、簡単には判断できないことです。

自分の分の強迫行為を人にやってもらう形の巻き込みもありますが、汚染恐怖の人が、手が汚れたから、この手をあなたが洗ってとか、代わりにあなたの手を洗ってとか言うことはありません。
人が生活に関わることで、その人によって汚染の強迫観念が増えたり、そのことで患者が強迫行為をしないといけなくなってしまうのであれば、その人に汚される形になりますから、汚されないように協力してもらうことは悪いことではありませんし、そういう形の巻き込みでは症状が強化されることもありません。
その人がいることで、余計なストレスが増えている状況ですから、その分のストレスを減らすことで、症状を軽くできるのなら普通はそうします。
むしろ巻き込まないと、その人による余計なストレスで強迫観念も強迫行為も増えて症状が悪化してしまいます。
汚染恐怖の場合は、巻き込みながらも人と暮らせるのであれば、まだ軽症の人であって、重症だと実家や実家付近が汚染区域になって帰れないとか、家族が汚染されて関わることができないとか、人から汚染されることや、巻き込みでの衝突で迷惑をかけないように、自ら一人暮らしをしているのが普通です。
重症であると誰とも共同生活できないし、当然社会適応も困難で、孤立することになります。
こういう人の場合は、むしろ巻き込んでも良いということを知ってもらうべきなのです。

一般社会の中では強迫症状は我慢するしかない場合が多く、そのストレスでうつ病になったり重症にもなります。
巻き込みが悪いこととされれば、家に帰っても今度は家族がストレスになって、安らいだり楽しんだりできる居場所がなくなります。
なので、患者のためにも巻き込まれてはいけないなどという考えは、実際には一般人目線でのものの考えであり、患者目線ではないし、そう言っている人は、強迫症のことが分かっているわけでもありません。
そうやって本に書いてあるからと言って、それを書いた人が正しいとは限りませんから、その情報を拡散するのであれば、その前に強迫症について知り、よく考えてから拡散するべきかどうかを判断するべきです。

巻き込みが症状を強化するか?といえば、そういう人がいないわけでもないですが、ごく少数で、基本的には巻き込みと強迫症状の強化はあんまり関係ない場合が多いです。

強迫性障害にはいろんな病状の人がいますから、巻き込みにもいろんな形があります。

例えば、強迫性パーソナリティ障害に近い人は、完璧主義的なこだわりに巻き込まずにはいられない人もいますが、周りの人が巻き込まれないようにしたところで、完璧主義的なこだわりが弱まるわけではなく、それでも引き続き巻き込もうとするわけです。

確認強迫の人は、確認しないといけなくなってしまうような不安が浮かんで、それを自分では確認せずに、人にやってもらおうとする人がいます。
その不安がその人のせいで浮かんだわけでもないのに、その人にさせようとするのは、依存型の巻き込みです。
この依存型の巻き込みであると、巻き込みに従うほど、依存してきますので、確かに依存する傾向は強化される可能性はあります。
だからと言って、そのことで強迫観念が浮かびやすくなったりするのでしょうか?
強迫観念が浮かびやすいから、その解消に一人で対応できずに、家族にヘルプを求めているわけです。
それに応えれば、患者の不安やストレスを分け合う形になり、拒否すれば、患者一人で不安やストレスを処理してもらう形になります。
その不安は家族にとってはどうでもいいバカバカしいことかもしれませんが、患者にはそのように軽くは考えられなくなっています。
気にしないようにしたくても、そういう意志に関わらず、強迫観念が浮かびやすい病気だからです。
つまり、基本的には巻き込みに協力しようが、拒否しようが、それに関わらず強迫観念は繰り返し浮かび続けるわけです。
その度にそれを解消する強迫行為を人にやってもらおうが、自分でしようがそれに関わらず強迫観念は繰り返し浮かび続けるわけです。
強迫行為を人にやってもらったり、安心できることをしてもらうことで、またそれを求める依存傾向は強まりますが、だからと言って強迫観念が強化されるわけではありません。

巻き込み=強迫症状を強化するという考えは、強迫行為をするほど、強迫観念が浮かびやすくなってしまうという考えと同じで、まったくの勘違いです。
巻き込みとか、強迫行為のあるなしに関わらず、強迫性障害であると強迫観念は浮かびやすいのです。

巻き込みの問題は、強迫症状がどうこうということよりも、それによって家族や同居の人が疲れてしまうことで、強迫症の人の対人関係をどうするかの問題なので、統合失調症の人をどうするかとほとんど変わりません。

統合失調症であれば、薬が効きますから、比較的短期間で症状を落ち着かせることができますが、それでも一緒に住もうとしない家族が多いわけです。

強迫性障害には薬はあんまり効きませんから、ほぼ一生症状が続きます。同居するのであれば、症状について冷静によく話し合い、お互いにあまりストレスにならないレベルの生活ルールを決めておくと良いです。
当然ですが、精神障害者と一緒に住むには、特殊な生活をしないといけなくなります。


そのためには、強迫性障害が本当はどういう病気かを知らないといけません。

まず基礎知識です。

強迫性障害の症状の原型は、違和感に弱く、しっくり感を求めることで、その上、精神が病むことで、強迫性障害になります。
感覚が過敏で感受性が強いことにより、嫌な考えや嫌な記憶などがなかなか消えずに繰り返され、段々と病んで症状が強まったり増えていきます。
内面の嫌なことは、強迫感覚(違和感、嫌な感じなど)→強迫気分(不安、心配など)→強迫観念(表象幻覚、妄想的思考)という順で具体的になります。

統合失調症の数々の前駆症状のほとんど全ては、強迫性障害での慢性症状です。
しかし、統合失調症は、非現実(幻覚妄想)のストレスに過敏になって悩む病気で、強迫症は現実のストレスに過敏になり悩まされる病気ですから、真逆の面もあります。

統合失調症で現実のストレスに敏感なのは、前駆段階(強迫、ノイローゼ状態)の時期です。
自閉すると自然と現実逃避状態になり、現実のことが良く分からないだけでなく、現実のストレスにも鈍くなります。
そのかわりに、幻聴や妄想には敏感に反応しますので、周りから見ると、現実のストレスに敏感になっているようにも見えますが、幻覚妄想へのストレス反応です。
現実が関係してない症状だからこそ精神病症状なので、自我障害で作為体験や思考伝播が起こるという話も、そういう幻聴妄想症状があるというだけで、現実や現実にいる他人はほとんど関係していません。

前にも書きましたが、統合失調症では自分と他人の境界があいまいという話も、実際には、統合失調症の人の妄想世界だけでの話で、あくまで「幻覚妄想での他人」の思考と自分の思考の区別があいまいなだけで、「現実の他人」のことではないのです。
現実はそれなりに意識できるので、他人と自分の区別もできますが、幻覚妄想に過剰反応することで、現実に対しては間違った解釈や意味づけをして正しく把握できなくなります。

一方で強迫症は、幻覚妄想ではなく現実のストレスに過敏になります。
その現実と結び付いている嫌なイメージ、嫌な考え、嫌な記憶の想起、不適切な願望などが、強迫観念です。

それは正常な範囲の不安ではありません。
例えば、子供を抱き上げて、うっかり落としてしまうのではと言うイメージが一時的に浮かぶのは、正常な範囲の不安ですが、そのイメージがなかなか消えなかったり、あるいは、わざと突き落とすイメージ(攻撃的願望)が浮かび続けるのであれば、それは強迫観念です。
そうなってはいけないと思いながらも、そうしてしまうイメージが離れなくて悩むことになります。
統合失調症で両価性思考が起こるとされていますが、実際にはそんなに多くなく、むしろ強迫性障害強迫症状として両価性思考が起こるのです。

統合失調と強迫の大きな違いは、現実検討力があるかどうかです。

強迫性障害の場合、自閉しませんので、現実のことがよく分からなくなってしまうということは起こりません。
一般的でない内容の強迫観念があろうと、現実的な思考もしっかりとできる状態です。
ですから、強迫観念も現実と結び付いていて、そうであるからこそ、振り払えずに、強迫行為をするしかないのです。

しかし強迫観念が非現実(ありえない事)に思える人もいます。
ありえない心配事を解消するために強迫行為をするのですら、そうすることが無意味に思えたり、バカバカしく思えることもあるようです。
非現実的と分かっていても強迫行為をする人は、妄想が妄想(非現実)だと分かってはいるが、それが消えない状態の統合失調症の人とほぼ等しい病態で、現実検討力が弱くなっているから、強迫観念をありえない非現実の事と分かっていながら、どうしても信じてしまうのです。
ですので、強迫観念が、軽症段階によくある「かもしれない」という未来的な不安であるほうが、妄想状態に近く、抗精神病薬が効きやすいのです。
本当の強迫観念は非現実にはあり得ませんから、非現実(ありえない事)に思える強迫観念は、妄想に等しい思い込みなのです。

逆に強迫性障害として重症の人は、表向きは統合失調とは真逆になり、現実検討力も強く、非現実的思考は、妄想であると処理できますから、それを解消しようと強迫行為をすることはありません。
しかし現実検討力のある状態での強迫観念は、一般的思考内容でなくても実際に現実ですから、その解消のためには、現実を変えるための強迫行為をするしかありません。
非現実の強迫観念には薬が効きますが、現実の強迫観念には、抗精神病薬も効きません。
現実検討力のある強迫観念は、現実反応なのですから、治せることではないのです。
治らなくても日常や社会では大きな障害になりますから、生活を工夫しなければ、悪化します。
生活を工夫できたとしても、現実が意識できる限り、強迫観念も浮かびますから、強迫症状もほぼ一生続きます。
発達障害がベースの強迫性障害は、発達障害と同じように、治す方法がないのです。

なぜ、現実検討力がありながら強迫観念が一般的思考内容でないのかと言えば、感覚が過敏であることから、現実のストレスに対して一般よりも過剰な反応を起こし、そのことで関連付き強迫が起こったりして、思考内容も過剰に異常になってしまうのです。

自閉症の人にも感覚過敏があると言われますが、それは、シンプルな感覚的刺激であると自閉症の人にも分かりやすいのでその刺激に集中して、(人のことを気にしない面もあり)普通よりもオーバーなアクションを起こすことでそう見えるのです。
自閉していることでそのつもりがなくても、現実逃避状態になり、現実の他人のことなどもよく分からなくなりますから、現実世界への鈍さがある程度のストレスをブロックします。
そうすると現実の複雑なストレス情報が思考に結び付き難いので、具体的なイメージの強迫観念が浮かばずに、強迫症状が出ることも防げます。
ただし、違和感などの簡単な刺激(強迫感覚)を避けるためとか、しっくり感、ピッタリ感、安心感が心地良くて、何らかの行為を繰り返したり、やり直したりする強迫性の症状が見られることがあります。
自閉症の傾向がありながら、自閉しない人は、強迫感覚も感じやすく、強迫観念も浮かびやすく、強迫性障害になります。

強迫性障害の場合、人のことを気にして、刺激に対して内面的には過剰反応していても、オーバーなアクションは見せません。うるさい音に耳を塞いだりする程度でも恥ずかしがります。
自閉していないからですが、現実や現実の他人のことよく分かる分、感覚過敏と現実のストレスが結び付き、その反応として、表象幻覚や妄想的思考内容の強迫観念が浮かびやすく、それが残り続けたり、嫌な記憶の想起や強迫的な関連付きも起こりやすくなります。
嫌なことほど刺激が強いので、感覚過敏であるとそのショックやダメージ、それと結び付いた思考や記憶が消えなくなってしまうのです。
これを解消しようとするのが、強迫行為で、トラウマ回避と同じように、不快なことの回避ですから、繰り返し強迫行為をすること自体は、心理的にそんなに深い意味はないのです。
抑圧している本当の問題があるわけでもなく、意識できる強迫観念が問題そのものなのです。


強迫性障害の根本的問題は、感覚過敏での思考の分断による葛藤です。
内面的な異常思考(妄想的思考、表象幻覚、強迫観念など)と、表面的な正常思考(言動として表面化する現実的な思考)の差が強い状態で悩むのです。
支離滅裂な言動をするわけではないので、精神分裂ではないのですが、まとまりがありながらも、精神の分断を起こしている状態です。
内面的な異常思考は感覚過敏での過剰な現実反応で起こりますから、非現実反応の幻覚妄想ではありません。

強迫観念は一般的内容ではなくても、現実的思考が維持されますから、それが自分だけの思考、イメージであることが分かっているのですが、その思考やイメージに現実と同じように反応して現実と同じように扱ってしまう状態です。
幻覚妄想状態では、現実的思考が困難になり、非現実の幻覚妄想が、本当は自分だけの思考、イメージであることが分かりません。

イメージと現実の区別は付いているが、一般的でない内容のイメージを現実と同じように扱う状態が、表象幻覚(表象幻視)です。
一般的でない内容の自分だけの思考を現実と同じように扱う状態が妄想的思考です。
強迫観念は、未来的な不安や一時的(局限性の)恐怖観念であることもありますが、多くの場合は、持続性、反復性、強迫性のある表象幻覚(表象幻視)や妄想的思考です。

表象幻覚を妄想的思考に含めれば、強迫性障害での強迫観念は、ほとんどが妄想的思考(妄想様観念)ということになります。
妄想は実際には非現実ですが、強迫観念は一般的には考えないような内容でも実際に現実との結び付きがある思考です。

強迫性障害の人の共通点は、強迫観念、強迫行為があることで、軽症の人であれば、ほとんどその問題しかない場合もありますが、中程度以上だとうつ病にもなり、その中には内面発狂型の精神病的な人もいます。

通常の強迫症は、生まれ付きの感覚過敏とかストレス耐性の低さが根本的な原因になり、それだけで発症する人もいますが、内面発狂型の強迫症は、その問題の上に、現実のストレスを我慢し続けたり、それに反応した攻撃的な思考、社会的に不適切な願望などを内面に堪えることで、発症します。

統合失調症はその症状がほとんど全部表面化しますが、強迫性障害はそれが内面の思考で行われ、思考世界が幻覚妄想のようになり、併行的に陰性症状のようなうつ病のような病態にもなり、これはずっと続きますが、ほとんど表面化されません。
その病的思考内で現実のストレスと結び付いている思いが強迫観念になります。

重度の強迫性障害はそういう内面発狂した人が多いのですが、主に強迫観念主体型に多く、言動に表れないにしても、内面は統合失調症の発症後のような複雑な状態になっています。
これが完全な強迫症であり、あらゆる方法でも治療ができません。
軽症の強迫症は完全な強迫症の前駆症状のような段階ですが、内面発狂前の人もいれば、ずっと内面発狂しないタイプもいますから、まだ治療も可能です。

強迫行為主体型もストレスには強い人が多いので、精神的な病みもなく、治療可能です。

強迫性障害でも表面的に普通に発狂できれば、統合失調症に移行します。
強迫性障害統合失調症になったというよりは、元々から、強迫症状の前駆期があった統合失調症だったとして、病名自体を変えることが多いようですが、併存も認められます。

強迫性障害は現実的思考のできる病気ですから、重い強迫性障害であれば、現実的思考のできない病気である統合失調症の症状がでることは普通はありませんが、この病気は、ノイローゼと精神病の両方を合わせたようでもありますから、強い強迫症状に軽い統合失調が混ざっている複雑な病態もあり得なくはないと思います。
実はそういう強迫性障害の人が、統合失調症に何割かいて、そういうタイプは普通の統合失調症よりも治し難いのです。
統合失調症の治療方法でも強迫性障害は治せないからです。

強迫性障害で重症の人には、汚染恐怖があります。
この症状では、通常、強迫行為をする前に、汚染される実害がありますから、強迫行為をしなくても大丈夫と言われても通用しません。
現実検討力のある強迫観念の汚れは、現実の汚れなので、それが一般の人には理解できない汚れや、精神的な汚れでも、物質的な汚れを落とす方法と同じ方法で洗浄しないと落とせないのです。

単に恐怖感や嫌悪感のある情報を避けるというだけであれば、恐怖症に近いのですが、精神的汚染の強迫観念がある場合は、例えば、嫌な文字や写真、話し言葉などの視覚や聴覚からの情報でも汚れてしまう(洗浄しないといけない)のです。

それは妄想ではないかと思う人もいると思いますが、強迫観念での表象幻覚の汚れは、自分の内側の思いであることが分かっているので、妄想ではないのです。
一般の人は考えないような気にならないような内容でも、本人がそれを自分だけの思考であることが分かっていて、実際に日常的現実との結び付きがあれば、妄想ではなく、普通に強迫観念なのです。

妄想的思考が具体的なイメージとして浮かぶ場合は、表象幻覚(表象幻視)になり、強迫的なイメージに現実と同じように反応して、現実と同じようにそのイメージを取り扱う状態になります。

イメージをイメージだと分かりながら、現実と同じように扱うだけなら、エアギターみないなこともそうであり、似たようなことは一般の人もしています。
それは本人がしたくてするのですが、条件反射では自分の意思ではなく、自然とそうなります。

例えば、レモンの味を知っている人は、本物そっくりのレモンにも同じ反応をするし、場合によっては、レモンの写真とか、頭の中でイメージしたレモンにも同じ味覚反応をします。
それが現実のレモンではないと分かっていても現実と同じように反応してしまうのです。
現実でなくても、感覚、神経、脳、が現実に似ていることに対しても、現実とと同じように反応(条件反射)するのですが、同時に正常な思考では、それが現実でないことも分かるのです。

レモンの一時的イメージならまだ良いのですが、何らかの嫌悪反応が出ることで、そのイメージや反応がなかなか消えないという状態が強迫観念です。

感覚が現実と同じように恐怖や嫌悪反応をしてしまうことで、それがイメージだと分かっていても、現実と同じように反応して扱ってしまいます。
それは現実反応の強迫観念なので、現実を強迫行為で改善しない限りは、頭の中にとどまってずっと消えません。
その間、恐怖や嫌悪の不快感もずっと続くので、どうしても強迫行為をしないといけなくなります。
表象幻覚や妄想的思考の汚れというのは、現実の汚れと同じように物質的に思えてしまうので、洗うことでしか落とせなくなってしまうのです。

精神的な不浄感や心配で、お祓いを受けたりするのは、ある意味、正常な行為ですが、表象幻覚の汚れは、物質レベルで反応してしまうので、そういう心理作用では落とせないのです。
なので、心理療法でも表象幻覚や妄想的思考の汚れは消せません。

精神的汚染と感覚過敏は強く結び付いています。
感覚過敏であると、例えば視覚から得た情報であっても、それが同時に他の感覚にも伝わってしまい、それが不快な刺激であると、不快感が体中に伝わります。
例えば、汚れに触れてもいないのに、皮膚感覚が反応して、触れたように思えたり、体中が汚染されたように思えます。
嫌な言葉などを見聞きしただけで、嫌悪感が体中に伝わり、その言葉が付着してしまったように思えて、洗浄しないといけなくなります。
その時の汚れのイメージが強迫観念としての表象幻覚なのですが、イメージではなく汚れの考えなどが付着する場合もあります。

感覚過敏による不快な体験記憶は脳だけではなく、体にも貯蓄して行きます。
一般の人でも感覚神経を通じて、感触などを脳だけでなく、体が記憶することは普通のことです。
それは時と共に薄れていきますが、感覚過敏であると、不快な刺激が体全体の神経に伝わり、その体験記憶も感情も体(神経)に残ったままになります。
この性質が強いと、汚染や伝染の強迫観念が浮かびやすくなり、本来、付着しない汚れが、付着したように思えます。
感覚障害により、体全体で情報を受け取るので、汚れの情報であれば、汚れのイメージが体に付着してしまいます。

精神的汚染というのは他人には見えない分かり難い症状ですから、一般的な強迫性障害の説明にはほとんど出てくることがありません。
このタイプの人は、汚染恐怖で病院に行けない人が多いので、症例としては少なくなりますが、強迫観念主体型の強迫症では普通に起こる症状です。


次回は、その精神的汚染の説明です。


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