強迫性障害の全貌

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強迫観念様妄想と妄想様強迫観念の違い/どう生きればいい?

患者が強迫観念を「非現実(ありえないこと)だと思っている」が、それでも強迫行為をせずにはいられないという場合は、本当は強迫観念ではなく、強迫観念様妄想(強迫観念のような妄想)であることが考えられます。

そういう妄想型の強迫症があるとしても良いのですが、一般的にはそれが普通の強迫性障害だと考えられていたり、強迫観念様妄想と妄想様強迫観念の違いが理解されていませんから、妄想様強迫観念のある人が妄想型に間違って入れられる可能性が強いので、今の段階ではそうするべきではありません。

妄想(非現実思考)を現実だと思っている人は、現実検討力がなく、実際に妄想状態です。
しかし強迫観念は現実反応で、現実と結び付いている思考であり、それを現実と同じように扱うことはむしろ正常な反応で、そうしているから現実検討力や洞察力ががないとする考え方は間違いです。
もちろんそれが自分だけの思考ではなく現実そのものだと思っていれば、妄想ですが、それに気付いてない人は、強迫性障害ではありませんから、強迫性障害の範囲にはそういう人はいません。

逆に強迫観念が非現実に思え、「そんなはずはない」「そんなことあり得ない」と思っているのに、強迫行為が過剰になっている人は、非現実を現実だと思い込んでいる妄想状態の人です。
強迫観念は現実反応ですから、非現実に思える強迫観念は実際に非現実思考であり、強迫観念ではなく妄想(強迫観念様妄想)なのです。
通常の強迫性障害の人であれば、それは妄想(非現実)であると判断できますから、そのまま放置したり、頭の中で振り払ったり、気にしないようにすることはあっても、それを解消しようと現実的な強迫行為をすることはありません。
強迫観念が非現実に思えるタイプは、妄想でそれをしているのですから、現実の強迫行為でそれを解消できることはなく、強迫行為自体が無意味な行為であり、本人も無意味なことをしているように思えます。
この場合、強迫行為が直接的にその妄想を緩和するのではなく、強迫行為が暗示作用的な役割になり精神的に落ち着くことで、妄想状態も落ち着いて平常心に戻るのです。
本当は強迫行為をしなくても、精神的に落ち着けば、妄想状態も落ち着きますから、このタイプの(妄想型)強迫症であれば、認知行動療法抗精神病薬も効きやすいのです。
注意したいのは、強迫症としては軽症であるからこそ妄想状態になっているということです。
重症であるほど、強迫観念は現実と等しくなって、妄想状態(強迫観念様妄想)にはなりにくいので、強迫症状も強固なのです。

現状では強迫観念が非現実に思えるタイプが普通の強迫症で、強迫観念を現実のように扱っているタイプが妄想型(現実検討力が弱い)のようにされていますが、強迫観念は現実反応ですからまったくの逆なのです。
ただし、妄想様強迫観念というのがあるのも事実で、

妄想様強迫観念=確かに現実ではあるが一般の人にはあり得ないような思考内容
強迫観念様妄想=突飛な内容ではない(一般の人にもあり得る)が実際には非現実

この見分けができない人が多いので、今回はその説明などです。

統合失調症が治ってくると、妄想が妄想(非現実)であることが分かってはいるが、それが消えずに悩むことになり、この頃は現実検討力もある程度は戻っているので、妄想は妄想として認識して、現実も分かっているという二重見当識になり、この段階は、強迫観念様妄想のある人とほぼ同じ状態です。
統合失調状態から正常に戻る途中なので、前駆症状ほど強迫症的ではありませんが、統合失調症(自閉して現実検討力のない状態)が治ってくるとまた強迫症に近い状態になってくるのです。

強迫観念様妄想のある人にとっての強迫観念は、確かに非現実ですから、「そんなはずがない」「そんなことはあり得ない」などと思っています。
ですがそれを信じ込んで強迫行為をせずにはいられなくなりますから、二重見当識での妄想状態とほとんど同じなのです。
例えば、「本当は汚くないのに」「本当は汚れてないのに」などと思いながらも、過剰に不潔を避けたり、過剰に洗浄をしているのですから、やってることは突飛でなくても、異常に不合理な行動です。

本来の強迫性障害の不合理感というのは、時間の無駄であったり、生活の効率が悪いことをしている自覚があることで感じるのであり、現実検討力があるからこその不合理感なのです。
これが現実検討力の弱い人であると、非現実(強迫観念様妄想)に支配されるので、無意味なことをしているように思え、不合理の内容が変わるのです。

強迫観念様妄想による強迫行為も、強迫性障害での強迫行為と表向きは同じなので、同じ強迫性障害ということになっていますが、本当は、強迫性障害のように見える統合失調症や妄想性障害(もしくはそれに近い病状)なのです。

このタイプの人は軽症の強迫性障害の人とほとんど見分けが付きませんが、強迫観念に対して非現実だと思っていますから、「その不安はありえないことに思えますか?」「その不安は現実的ではないと思いますか?」などと聞けば、「そう思います」と答えます。

抗精神病薬が効きやすいのは、妄想幻覚や非現実の思い込みによる症状、過剰な興奮による精神症状などです。
強迫行為主体型で、強迫行為をしていると興奮してきて止まらなくなってしまう人にも効きやすいので、強迫行為主体型と強迫観念主体型も分けて考えるべきですが、

妄想様強迫観念=治せない
強迫観念様妄想=抗精神病薬認知行動療法(曝露)で治療可能

ということになりますので、強迫観念に見える妄想と、妄想に見える強迫観念の区別も必ずできないといけません。

タイプ分けに関しては、最近では、運動型とか運動性の強迫症(強迫観念がないタイプ)もあると言われていますが、本人が違和感などの強迫感覚を自覚している場合は、強迫行為が先行しているわけではないので、強迫感覚主体型とするか、強迫観念主体型に含めて考えるべきです。
なぜなら、それが強迫観念主体型の原型だからです。

本来の強迫性障害の強迫観念は、「そうである」「そうなってしまう」「そうなっている」という感じで現実的なのですが、それを正常な思考で「そうじゃないかもしれない」「過剰かもしれない」などと思うことで、結果的に「そうかもしれない」「そんな気がする」「そう思えてしまう」というあいまいな状態な人が多いです。
それでも「ありえないこと」とか「非現実」には思えませんから、それを解消しようと強迫行為をしないといけなくなります。

強迫性障害の重症の人は統合失調症と表向きは真逆になり、現実検討力も異常に強まりますから、強迫観念を一般の人よりも過剰な思いであったり、一般的ではない思考内容だとは思えますが、本人にしてみれば確かに現実ですから、「かもしれない」ではなく、「そうである」「そうなってしまう」「そうなっている」という感じではっきりと断定的な内容になります。
「その不安はありえないことに思えますか?」「その不安は現実的ではないと思いますか?」などと聞けば、「ありえると思います」「現実的に思えます」などと答えます。

非現実の思いを「そうである」と現実として確信しているなら、妄想状態ですが、本来的に強迫観念というのは、一般的ではなくても、現実(現実反応)ですから、その現実を「そうである」と確信するは、まったく正常なことなのです。

ですから、「強迫観念に確信的」=「洞察力がない」とか「妄想的である」ということではなく、洞察力がある人の強迫観念ほど、実際に現実との結び付きも強まるのです。
このことが理解されていませんので、一般的な説明に出てくる妄想様強迫観念は、「洞察力がない」強迫観念のように書かれてしまっています。

そうではなく、妄想様強迫観念は現実のことです。洞察力がないと強迫観念様妄想になってしまうのです。
強迫性障害での妄想的というのは、非現実を現実として確信していることではなく、「現実ではあるが一般的ではない」という意味です。

強迫観念は、「現実からかけ離れている」というのは、誤解した説明であって、本当の強迫症の人に「それは現実からかけ離れています、これが現実です」という説得をしようが、患者からしてみれば「いえ、そうではありません」となって、どう言っても強迫観念を抑えることはできないのです。
強迫症であれば、現実検討力が強い分、一般の人と違うだけで、本人にとっては確かに現実なので、非現実のことを言われても同意ができないので、治療が困難なのです。

妄想様強迫観念がなぜ一般的ではないかと言えば、感覚過敏だとショックやダメージが残りやすく、それと結び付いた過剰反応的な思考や記憶が強迫観念(表象幻覚や妄想的思考)を病的にしてしまうのです。

強迫性障害であれば、嫌なイメージが浮かびやすく、それがなかなか消えないということは多くの人に共通するはずです。
その嫌なイメージ(強迫観念)が何か良いことと結び付いてしまうのが、強迫的関連付きです。
何らかの良い物事と何らかの悪い物事が連係して(そうしたくないのに)関連付いてしまうことです。
統合失調症的でいうと、過剰連想や関係妄想ですが、統合失調症と違い、まったく関係ないことを関係付けるわけではありません。

これは汚染恐怖(伝染恐怖)の元になっていまして、嫌な思いが残ってしまう付着感が、汚れ(強迫的な付着)と関連付くと、汚染恐怖になります。
感受性が強いと、日常の些細な刺激にも過剰反応して、何かが迫ってくるような、慢性的な強迫感、緊迫感があり、気が休まりません。
この強迫感と、浴びせられる感じ、まとわり付く感じ、付着感が繋がり、一般的には汚れないことで汚れてしまったり、一般的には伝染する可能性の低いものが、伝染すると思えてしまいます。
強迫=付着=関連付き=汚染(伝染、感染)という感じで、どれも同じとり付く(離れてくれない)性質があることで、強迫的関連付きが起こり汚染恐怖になります。

普通の人でも汚く思える物事を過剰に嫌悪したり避けるというだけでしたら、まだ感覚的には普通に人に近いのですが、普通は汚れないことで汚れたり、普通の人はしない考えが強迫的に浮かぶことで汚れる。
そういうのが感覚だけではない、強迫観念による汚染なのです。

洗浄に繋がるので、汚染恐怖とは言いますが、一般的な意味での汚れだけではなく、強迫性障害の人は精神的な汚れや精神的な伝染も嫌悪してしまいます。
精神的汚染は、不幸な物事などと汚れが関連付くことで起こります。
例えば、何か汚らわしい言葉を聞くと、その場所やその時に見につけていた物などと、その体験記憶が関連付き、汚れたように思えて(汚い言葉が付着したように見えて)、それらの物を捨てたり、いつまでもその場所を回避するようになります。
関連付き=付着=汚染が解けなくなってしまうのです。

感覚過敏(神経過敏)の強いタイプは、不快感が体(皮膚感覚)に伝りやすく、情報汚染(精神的汚染、感覚的汚染)も強迫的に起こるようになり、視覚や聴覚などからの不快な情報が表象幻視となって、物質的な汚れと同じように(イメージの汚れが)付着して実際に汚れるようになります。
テレビだけでなく、あらゆるマスメディアによる不幸事などの不快な情報や、他人の会話内容なども物質的汚れのように付着してしまうのです。
文字や言葉、名称でも見聞きしただけで汚れるようになり、汚される一言、一文字は、どこに現れるか分からない。その恐怖から、テレビ、新聞、ラジオ、本、貼り紙、電車内の雑誌広告、看板などに拒絶反応が出ます。
嫌悪情報で汚れるのでそれらを見聞きしたり近付いたり触れないのです。
周りから聞こえてくる会話なども怖くなり、行けない場所、できないことが増えていきます。
誰にも接触できなくなって、孤立します。

そういう強迫観念の汚れは、一般の人には見えませんので、一般社会が汚く思えて、そういうことで誰かに何かに汚されて何かを捨てることになっても、相手は汚したことを認めないので、衝突になります。
それを避けるためには、できるだけ人に関わらないようにするしかなくなります。

強迫症の人は一般の人と感覚も考え方も価値観も全然違うから病気ということになりますが、根本的には異常に感受性が強いというだけで、本人としては正常なことをしていますから、一般的な病気とは違う特殊な病態なのです。
どうしても社会に馴染めずに、引き篭もりがちになります。

前回書きましたが、巻き込みながらも人と同居したほうが孤立は防げます。
強迫症状というのは、誰にとっても楽しくはありません。むしろ辛くて苦痛でめんどうですが、そうすることで、なんとか家族と同居できるという利点のほうが大きいのです。
特に女性の場合は、強迫症状以上に、孤立への恐怖感も強く、そのブレーキがきくのか、なんとか人と同居できる人も多いようです。
家族ぐるみで強迫症状を抱えれば、当然、ストレスになりますが、障害へのサポート(看病)として考えれば、症状の緩和である強迫行為に協力することも、同居者(特に親や配偶者)としては大事なことで、それが孤立や悪化を防ぐことにもなります。

しかし、重症であると巻き込みもできなくなってしまいます。
重症であると、巻き込む=自分の強迫行為が減らせる、とはならないのです。
特に汚染症状があると、巻き込みは同居者の分の強迫行為もすることになり、疲れるし億劫なので、できればしたくなくなります。
実際に、重症強迫症患者であると、家族ともうまく付き合えなくなり、ほとんどが単身生活で、結婚もできずに一生独身です。
そうやって、家族なしで、巻き込みしてない人もやはり年々悪化しますから、巻き込みをすると強迫症状も悪化するという考えは間違いです。
依存型の巻き込みであっても、巻き込みが過剰になろうが、強迫観念はそれとは関係なしに繰り返し浮かび続けるのです。

治らない人はどう生きればいいのか?

強迫行為をしてもいいし、強迫観念が浮かんでもいい、うつ病が悪化してもいい、それでもできるだけ社会に関わったほうがいい、という考えもありますが、そうすれば、余計に心身がダメージを受けます。
感覚過敏で、病的にストレス耐性の低い人は、ダメージを受け続けても慣れたり、強くなっていくわけではなく、益々弱まってしまうのです。
その無理が続いて強迫症になってしまったわけで、そもそも最初から社会適応できない人なのです。

治療的なこととか、一般の人なら癒されるはずのことでも、ストレスになって、人生が強迫性障害の症状、ほぼそれしかなくなります。

どう生きればいいのか?の答えは人それぞれですが、やはり、できる範囲でできることをコツコツとやって行くしかありません。

人間は脳も体も似たような造りになっていますから、どんなに重症でも似たような病状の人もいるはずで、一人ではないのです。

人間は本能的には生きようとしますから、そういう人が生きられる道も探せばあるはずです。
もしなかったら、大変ですがそれを作っていくしかありません。

 


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