強迫性障害の全貌

強迫性障害の知識の普及 Link Free

巻き込みは悪いとは限らない/病院恐怖/強迫症にとってのバリアフリーとは

強迫性障害は見えない病気ですから、あんまり理解もされずに、未だに癖とか性格の問題だと思われていて、頑張りが足りない、勇気が足りないとか言う人もいます。
一部の人達は、自宅で自分で治せる病気だとして、セルフ治療本を読んで、無意味な癖をもっと頑張って自分で治してくださいと言っています。

ネットにある強迫性障害の説明は、ほとんどどこも同じ内容ですが、患者は強迫行為を無意味だと思っている、バカバカしいと思っている、癖になって悪化している、避けるから弱くなっていく、巻き込むから過剰になっていく、完璧主義だから過剰になっているなどと、間違った内容が多く見られます。

強迫性障害には多様性があります。強迫観念と強迫行為が日常生活や社会活動に著しい障害になっていると言ってもいろんな病状の人がいます。
その内の一部の少数の人だけ取り上げて、その他の強迫性障害の人達もみんなそうであるとステレオタイプ化することに無理があるのです。
どういうタイプの強迫性障害のことを言っているのかを示さないといけません。
以前に書きましたが、巻き込みは巻き込みでいろんな形がありますので、巻き込むから過剰になったり悪化するとは限りません。
むしろ巻き込みを拒否することで、患者自身のストレスが強まり、症状が悪化したり、孤立、ひきこもりの原因になったりもするので、この障害への理解のない間違った情報を鵜呑みして、巻き込み=悪いことと安易に判断してはいけません。

巻き込まないからと言って、悪化しないわけではなく、人を巻き込まないようにする気持ちの強い人ほど、社会的に孤立しやすくなり、症状が強固になって、ほぼ不可逆の病状にもなりやすいのです。
ステレオタイプ化して、巻き込み=悪いことと考えさせるのは、恐ろしい誤解で、強迫行為への理解とサポートが患者にとっては心の支えになって、重症化や孤立化を防ぐ面もあるのです。

強迫症のいろんな形は、細かく分けるときりがありませんが、少なくとも強迫行為主体型と強迫観念主体型の区別はするべきです。
強迫してしまう病気なのか、強迫的なことに弱い病気なのかの違いがあるからです。
もしまとめて説明する場合は、本来の強迫症は強迫観念主体型ですから、強迫観念主体型を基準に書くべきです。

強迫観念主体型にとって、強迫観念も強迫行為も無意味ではありません。
強迫観念は自分の意思に関わらず自然と浮かびますから、ある意味、無意味に浮かぶとも言えますが、強迫観念自体には当然内容があり意味もあります。
それは不快な内容で、それを緩和しようと強迫行為を行いますから、無意味にしているとは思っていません。
強迫行為は自分の意思では、できればしたくないことでも、強迫観念と現実のストレスを解消するためには、どうしてもしないといけなくなります。
自分の意に反して、しないといけなくなってしまうとしても、我慢すればある程度は止めることもできますから、強迫行為自体には、強迫観念ほどの強迫性はなく、ある程度は自分の意思でやっていることです。
ただし、強迫行為を我慢して止めても強迫観念と現実は変わりませんから、そのストレスを解消するには、強迫行為をするしかありません。
強迫観念は非現実の妄想ではなく、現実反応ですから、それを解消するには、現実を変える行為がなくては、強迫観念も収まらないのです。
時間が経てば、自然と消えるなら強迫観念ではなく、一般の人に近い不安とか恐怖、もしくは非現実的な(現実との結び付きが弱い)心配事です。

強迫行為をやりたくはないが、しないといけない。
これは、強迫行為をすることに意味(不快なことの解消)があるからこそ、しないといけなくなってしまうのであり、やりたくないことをする=無意味。ということはないのです。
やりたくないことをする=バカバカしい。わけでもありません。

もし何の変化も得られないことを無意味に過剰にするのであれば、バカバカしいと思えますが、強迫行為をすることで強迫観念の強烈なストレスが緩和するのですから、バカバカしいことではありません。
真面目にまともなことを過剰にしているのですが、一般と比べれば過剰なだけで、本人は強迫観念の強迫性の度合いに沿って、強迫観念が抑制されるまでの適切な分だけ強迫行為をしているのです。
ただ、現実的な思考もできるので、強迫観念が一般よりも過剰な思考であることは分かるし、行為も過剰だとも思えるわけです。

洞察力がない強迫観念は非現実ですから妄想に近くなりますが、一般的な思考ではない=洞察力がない。とはなりません。
一般的な思考ではなくても、実際に現実と結び付いていれば、洞察力があるのです。
強迫症であれば、どんなに妄想的(一般的でない)内容の強迫観念だとしても、通常は洞察力はあるのです。

強迫観念が未来的な不安であれば強迫行為をしても現実は一見変わりませんが、強迫観念(未来的不安)を緩和するという変化はあるので、この場合も無意味には思えません。
違和感などの強迫感覚が気になって、強迫行為をする場合も、同じように無意味には思えません。
ただ、その違和感が自覚できないレベルだと、強迫行為を無意味に思える人もいますが、それは少数派です。

無意味に思わない=抵抗しない=自我親和的なのではなく、無意味に思わないからこそ、意味への違和感、不快感(抵抗)があることになりますから、無意味に思わない=抵抗=自我違和的(洞察力がある)なのです。


最近は、SSRIが効かなかったり、強迫観念が妄想的であれば抗精神病薬という考えがありますが、これは強迫性障害には適応外使用になりますから、本当は適切な方法というわけではありません。

抗精神病薬が適切なのかは、強迫観念の「妄想的」というのがどういうことなのかにもよります。
強迫観念の内容が「かもしれない」という未来的な不安という場合、突飛な内容でなくても、非現実の不安ですから、ほとんど妄想とも言えます。
そして「こうしなければ」という思いが強くて強迫行為をするタイプは、強迫観念が強くてしているわけではなりませんから、その過剰な思いさえ鎮静できればいいので、これもある意味は妄想型です。

精神的汚染では、特定の嫌な言葉や文字、名前や名称(病名など)、不快な写真やテレビ映像などの情報でも汚れることになり、物質的汚れと同じように洗浄しないといけなくなります。
これは感覚過敏と強迫的関連付きによって起こりますが、そういう思考で汚れる人もいれば、感覚的に汚れる人もいるし、表象幻視でそれらが付着して汚れる人もいます。
他人からすれば一見、幻覚妄想的に思えても、現実の物事と結び付いている普通の強迫観念ですから、抗精神病薬は効きません。

そうすると、抗精神病薬が向いているタイプは、不安症や恐怖症に近い軽症の強迫症の人とか、完璧主義傾向のこだわりが強い人とか、強迫観念のない(弱い)強迫行為主体型の人です。

強迫症に置いての妄想的というのは一般的ではないという意味で、妄想的思考=非現実的ではありません。
強迫観念が表象幻覚や妄想的思考で一般的内容ではなくても、現実との繋がりが強ければ、抗精神病薬も効きません。
多めに使えば効くかもしれませんが、多量を継続すれば、日常生活へのデメリットも大きくなります。
減量すれば、現実的思考も活発になり、強迫観念がまた強まります。
軽症の人には、少なくともSSRIよりは効くはずですが、デメリットなど考えてどちらが向いているかということなのです。

強迫行為主体型の人で軽症であれば、抗精神病薬認知行動療法(曝露)が有効なようですが、長期的データはほとんど不明です。
データ上は認知行動療法で治したことにはなっていますが、その前に抗精神病薬を使った時点で、大きく改善する人が多く、抗精神病薬認知行動療法に取り組みやすくして、結果的に認知行動療法で治したような形です。
つまり、統合失調症の妄想症状を抗精神病薬で緩和して、残った強迫症の症状を認知行動療法(曝露)で治している形ですから、本当は強迫症を治したのではなく、強迫症状のある統合失調症の人や、その病態に近い不安症や恐怖症の人や、過剰なこだわりによる症状を治したとも考えられるのです。
実際に保険病名を統合失調症にして抗精神病薬を使っていることが多いはずですから、これは本当の強迫性障害の治療とは言えません。

そして、症例に出てくるのは、大きな病院に行けたり、認知行動療法にも取り組めるレベルの人なので、症状でそれができない本当の重症患者に有効な治療方法は不明です。

強迫性障害の人は病院に行かない人も多いと言う話がありますが、行かない人なのか行けない人なのかの違いもあり、行かない人は行くほどでもないと思っている人が多く、行けない人は症状による恐怖や拒絶で行けないのです。
行かないのは、それほど障害にはなってないわけですから、苦しみも少ない段階で、人に迷惑がかかっていないならば、それはそれで自由です
行こうという気持ちはあるが、症状で病院に行けない人は、障害による束縛感や不自由度も強く、体や歯の治療なども困難になります。
歯医者恐怖の人のように治療自体が怖いのではなく、いろんな接触により汚染されることに耐えられないのです。

症状が確認強迫だけとかなら、病院に行くことは問題ではありませんが、大抵の重症患者には漠然とした不安感や緊迫感、表象幻覚による具体的な汚染恐怖があり、物質的汚染だけでなく、精神的な汚れで汚染される人も多くいます。
汚染症状は伝染恐怖でもありますから、病的な雰囲気を感じる場所は、不潔に思えて重症患者は行けないのです。
なんとか行けるとしても大病院ではなく小さなクリニックなどのはずです。

一般社会が強迫症の人にバリアフリーになっていないというのは仕方がない面がありますが、症状で適切な治療が受けられない人、症状で病院に行けない人を減らすには、病院が強迫症の人にバリアフリーな場所であるべきです。

大病院は、汚染恐怖の人にとってかなり危険の多い場所で、病気自体への伝染恐怖や、病気の人などの不幸感の伝染(精神的汚染)に対する恐怖があるし、他人への接触恐怖やテレビ汚染恐怖などで、待合室で待つということも強迫症の人には困難なのです。
実際に強迫症の人は待合室の外に出て待っている人が多いのです。

まず情報汚染(精神的汚染)という症状があることを理解して、恐怖感を煽る不快な情報による刺激を減らすべきです。
テレビ、新聞、雑誌、貼り紙などのない待合室があると良いのですが、無理な場合は、情報を低刺激や心地良い内容にする(配慮のない情報の垂れ流しではなく、癒し系の映像や健康雑誌などイメージの良い情報を選別)、それも無理ならば、せめて待合室の外などの他の人達から離れた場所で待てるようにしやすくする。

そういったことたけでも、強迫性障害の人にとっては、バリアフリーに繋がって、病院に行きやすくなります。

それが普及するためには、強迫性障害の正しい理解を深めてもらえないとできませんが、今の一般的な説明では、誤解も多く、単に性格的な心配性だったり、過剰に清潔な人という感じでしかなく、この障害の重症度がほとんど伝わりませんし、強迫観念が表象幻覚や妄想的思考であることも知られていません。

もちろん軽症の内なら治しやすいので、診断基準が軽症の人の基準であることは構いませんが、そんなにシンプルで軽い病状の人が病院に行くことは少なく、ほとんどは社会適応できないほど重症化してから行くことになります。
それであれば、その重症の病状を説明するべきです。
複雑な病気を簡単に説明しようとすると、実際の病気から離れてしまいます。

最終的には社会全体に、本当の強迫性障害を知ってもらわないといけません。


次回は、基礎知識などです。


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