強迫性障害の全貌

強迫性障害の知識の普及 Link Free

不潔恐怖の人は、なぜそんなに不潔が嫌なのでしょう?/強迫感覚は昇華できる

恐怖症と強迫症の違いを前回書きましたが、強迫性障害は恐怖に強迫される病気なので、当然、恐怖症との共通点もあります。
どちらも恐怖対象が怖いから苦痛なのですが、強迫性障害の人だと神経過敏症状で、その恐怖が長々と残って、苦痛が離れずに「強迫されるのが」嫌なのです。
不潔や汚される恐怖で嫌悪反応が出て、それが慢性的に続くのが強迫症状ですから、恐怖による苦痛が強く長く残るのです。

恐怖症では恐怖対象から離れればそんなに問題はないのですが、強迫症では恐怖が強迫観念として続いてしまいます。
その強迫観念は、先のことのストレス、過去のことによるストレスでも強まりますから、強迫性障害の人は、今現在の現実のストレスだけでなく、先のことの心配とか、過去の恐怖などでも悩まされ続けます。
物質的には過去も未来も一続きですから、過去のトラウマでの特定の汚れへの汚染恐怖は、一生続いてしまうものです。

強迫状態はその恐怖対象が心身から離れなくなってしまう状態ですから、感染状態でもあり、不潔恐怖や汚染恐怖は、汚されることを恐怖したり嫌悪しますが、一般的に言う不潔や汚れだけでなく、嫌なことの感染(付着)も含まれます。
恐怖感染、嫌悪感染=汚れなのです。
不潔や汚れへの直接的な拒絶反応だけではなく、恐怖していることがあり、こうなったら嫌だと強迫観念を浮かばせる何かが付着してしまうと、それが起こるように思える状態も強まって続いてしまいますから、その付着を切り離そうとするのが、捨てたり、洗浄したりの強迫行為なのです。
そうなってしまう強迫の苦痛から、不潔や汚れ自体への恐怖や嫌悪も強まるのです。

不潔恐怖や汚染恐怖の場合の不潔、汚いというのは精神的な意味での不潔や汚さも含まれますから、汚いことだけでなく、嫌なことの感染、嫌なことが何かに関連付いて離れなくなってしまう関連付きによる汚染も含まれます。
トラウマの強迫性が強いと、付着して離れなくなりますから、強迫症の人はトラウマに汚染されたりもするし(トラウマ汚染)、不快な文字、文章、言葉、名称、写真などによる情報汚染もあります。そういうことでも恐怖や嫌悪反応が残れば、それが表象幻覚として付着して離れなくなってしまうからです。
怖いとか嫌という苦痛だけでなく、汚染ですから、汚されれば、それを捨てないといけなくなったり、洗浄しないといけない苦痛もあります。

そういう不潔に感染させて苦しんでいる人に、その苦痛は慣れれば大丈夫というのが認知行動療法ですが、苦痛を与えておいて、大丈夫なわけがないのです。
新型コロナに感染させて苦しませて、その苦痛は慣れれば大丈夫だと言うようなことなのです。
そういう病気の苦痛は治療で離すこともできますが、不潔への感染は強迫性障害だと日常的に起こり、ストレスへの感受性が強いことで苦痛が離れなくなりますから、強迫行為をし続けるしかないのです。

コロナとかは咳をすることで、異物を体外に出そうとしますが、これと同じように、強迫症の場合、不潔に感染すると、不潔が異物となって、その苦痛を和らげようと、生理的拒絶反応で強迫行為をしないといけなくなってしまうのです。
それをしないと、不潔な異物が残ったままになり、苦痛も続きますから、強迫行為自体も辛いですが、生体としてあまり無理には止めないほうが良いことなので、頭でどう考えようと、行為は止め難いのです。

異物が残ると、拒絶反応=苦痛が残ってしまうので、ストレス耐性が低いことでそれに耐えられないのです。

本当は異物でないのに異物だと思ってしまう体のアレルギー反応とは別で、頭で何が何かを分かっている上ですから、不潔が実際に苦痛なので異物となってしまうのです。
不潔に嫌悪反応が出てその思いが離れないという強迫観念の苦痛、それにより強迫行為をしなければならない苦痛、不潔によって実際にこういうダメージを受けるので、他の人はともかく、本人にとっては実際の危害となり、回避したり対処するしかないのです。

神経過敏であると苦痛を受けることが多くなり、ただでさえ苦痛に強迫されやすいのに、強迫行為を我慢すると苦痛が重なりストレスになって、精神的ダメージも強まり鬱になり、憂鬱による強迫で、余計に強迫観念が残りやすくなります。

過敏性により強迫症状が出て、ストレスに弱いことで鬱にもなりますが、現実に敏感な人は、現実の刺激や不快な記憶から逃れられない(鈍感になれない)ので、抑圧、解離、統合失調(陽性症状)、統合失調的自閉(陰性症状)などが起こりません。
そういう現実逃避的な精神症状が出る人は、ストレスを否認したり転換することができます。
都合の悪いこと(苦痛の強いこと)を無いことにしたり、気にしないように誤魔化すことができるのです。

嫌なことの記憶を忘れたり、空想に入り込んだりする解離状態も現実のストレスの恐怖を否認しようと起こるのですが、否認ができないと、逆にその恐怖ばかりに気を取られ、慢性の強迫状態になります。
現実逃避の空想は本人には害の無い内容なのですが、強迫観念での思考はまったく逆で現実と結び付いた現実的実害そのものなのです。
強迫症の人は、何か良いことを空想しようにも強迫観念が浮かんで集中できず、現実のストレスが気になって、ネガティヴ思考にとらわれ、空想も病んだ内容になります。
現実逃避ができませんから、現実のストレスに対する考えたくもないこととか忘れたいことが頭に浮かび続けて、その強迫状態から逃れられません。
抑圧されたトラウマではなく、トラウマがいつまでも抑圧されないことで悩まされ続けます。
これも鬱病で悪化するし、この強迫症状が「鬱病を」悪化させることにもなります。

解離は心理学的に説明が付きやすいのですが、強迫状態はまったく逆で、心理学がほとんど通用しませんから、この二つを同じ神経症として同じような心理療法で治せるわけが無いのです。

認知行動療法は、ストレスに対して否認をさせようとするのですが、神経過敏でストレスに弱い人が実際に苦痛のあることを否認することはできません。
否認しようにも苦痛すぎてできないのです。

欲求にとらわれての行為なら、時間が経てば衝動も弱まりやすいので、その行為を我慢しやすいのですが、強迫症の強迫行為はそれをやりたくてやっているわけではなく、ストレス反応での行為なので、止めるとストレスが残ってその苦痛に耐えられないのです。


不潔恐怖の人は、なぜそんなに不潔が嫌なのでしょう?

普通の人よりもストレス耐性が低く、ダメージが残りやすいことで、嫌な思いなどが離れない状態が続くのが強迫です。
不潔で恐怖や嫌悪が起こり、それに「強迫されるから」苦痛が強まるのです。
汚染恐怖という言葉もあり、これは不潔が汚染していくことでの恐怖や嫌悪に強迫されます。
洗浄強迫の強迫行為に繋がるから汚染恐怖とは言いますが、一般的に言う不潔とか汚染とは少し意味が違い、嫌なことによる感染や恐怖の傾向が強いです。

基本的には汚いこととか嫌なことへの生理的な嫌悪があるのですが、この恐怖には多様性があり、不潔、汚い物事を直接的に嫌悪する場合もあれば、どこかの汚い場所からの汚染を嫌悪したり、嫌なことが良いことに関連付いて汚染されることを嫌悪したりもします。

不潔な物事や情報への嫌悪や心配が強迫観念として離れなくなってしまう苦痛(強迫観念自体の苦痛)、不潔によって嫌なことを思い出してしまう(トラウマ記憶が想起されることでの苦痛)、トラウマ関連の物事に汚染される苦痛、汚染によってその不潔な物事や情報と直接的間接的に接触することでの嫌悪反応による苦痛、汚染によって心配している物事が起こってしまうような恐怖(病気への恐怖とか関連付き恐怖)、汚れた行いや人格などへの感染恐怖(精神的汚染恐怖)など、複雑な思いから、感覚的な嫌悪まで、いろいろとあり、それらは全部、他の人には平気であっても、患者本人にとっては実際にダメージを受けますから、避けないわけにも行かないのです。

新型コロナへ感染する人と、不潔に感染する人のどちらが多いか?

不潔恐怖や汚染恐怖の人なら、不潔のほうが感染しやすいです。
何を不潔に思って、どの程度嫌なのかは、それぞれの人の経験とか感受性の違いにもよりますから、そもそも不潔に思うことが少ないとか、不潔に感染しても、それに対して元々から嫌悪や恐怖がない人は、ほとんど実害はありません。
強迫性障害であると、その感染で恐怖や嫌悪に強迫される苦痛と、汚れの感染を除去する強迫行為をしないといけない苦痛などがあり、そういう実害を受けてしまいます。

強迫性障害であれば、不潔に感染しやすく(汚染されやすく)、そうでない人なら、ほとんど感染しないし、感染しても強迫症状が発症しないのでほぼ無害なのです。
強迫性障害の人にとっては、強迫症状が起こりますから、実害なのです。
実際に不潔感染症になります。

不潔に恐怖したり嫌悪反応が出てしまう人にとっては、不潔は実際の苦痛ですから、根拠もなく恐怖しているわけではありません。
不潔に感染すると苦痛だから(不潔感染症が発症するから)、不潔を避けるのです。

妄想の場合は、恐怖などが起こるとしてもその根拠自体が妄想上にあるので、実際の現実には根拠がないのです。
だからこそ、現実離れした突飛な内容が多いのです。

強迫観念の場合は、現実にも、(現実反応の)心にも根拠があるのです。
過敏性によって変わった思考にはなっても、強迫性障害として考えれば他の人も理解可能な、現実的な範囲にあるのです。

根拠のある実際の危害への生理反応として反射的に強迫症状は出ているので、強迫行為は普通レベルよりも度が過ぎていることは分かっていても、強迫観念による強迫状態の苦痛が続く限り、それを止めることができないのです。

新型コロナへの感染防止、または、感染するかもという恐怖を抑えるために何をすれば良いとされているか。
頻繁な手洗いと消毒液の使用、マスク、学校へ行かない、などですが、これは強迫症で言う強迫行為とか回避と同じことなのです。

学校が休校になっていますが、これは不潔恐怖や汚染恐怖の人が、回避的になったり、引き篭もりがちなのと同じ事で、嫌なことへの感染を防ぐには、そうならないように回避するしかないのです。

神経過敏な人は、不潔なことで、精神的にも肉体的にも汚染のダメージ(実害)を受けますが、それは普通の人達にはあまり嫌なことではないので、そのことで学校が休校になったりはしませんから、我慢して行かないといけなくなります。

強迫症の発症原因で一番多いのは、何らかの嫌なこと(不安、恐怖、嫌悪などが起こること)を我慢し続けた後です。
その体験と記憶と感情が内側(脳内、心)で処理できなくなって、強迫行為をするようになります。

例えば、学校で嫌な思いをしても、学校にはいかないといけないと思いますから、無理して行き続けることになったりすると、発症します。
思春期の頃に多いとされていますから、受験などでも間違えてはいけないという不安が離れないことで発症原因になったり、家族との関係でのストレスもありえるし、社会的な関係の中でもありえます。

強迫性障害になりやすい脳があるのかは、まだはっきりしていませんが、過敏性が強くストレス耐性の低い人がなりやすいです。
そういう人は普通の人とは感覚も思考も違ってきますから、それは普通の人には理解困難です。
普通に合わせて我慢するのではなく、自分でストップをかけないといけません。

人は自分にとって危害のあることは避けようとします。どの程度、それをするかは、人それぞれの経験、ストレス耐性、感受性の程度などによって決まります。
タフな人であれば、ストレス耐性が強いので問題なくても、ストレス耐性が低ければ、普通はダメージを受けないようなことでも、ダメージを受けてしまいます。
普通の人もある程度は不潔なことを嫌がりますから、神経過敏な人であれば、不潔な物事で、恐怖や嫌悪反応が強まりやすく、その反応の衝撃で実際に精神的ダメージを受けます。
一般的には些細な不潔程度でも脅威になってしまうのです。

そういう人が、そうさせる物事を避けようとするのは、当然のことですが、普通の人よりも過剰になってしまうので、障害になってしまうのです。

他の人は平気なのだから、そんな些細なことに恐怖するのは、考え過ぎだからだと言う人もいますが、考え過ぎることでそういう症状が起こるのではなく、強迫症状がある限り、考えたくもないことを強迫思考として、考えないといけなくなってしまいます。
過剰な思考が離れないこと(嫌な思考による強迫)自体が症状なのです。
それは鬱で悪化してしまいます。

強迫観念は、まとわり付いて離れない不快な思考や記憶のことですから、そういう状態が続けば、憂鬱な気持ちにも強迫されることになります。
実際に、強迫性障害うつ病の人は多くいますが、憂鬱強迫は抑うつ症状ですから、当然のことなのです。

違和感に弱いことで、不快なストレスに敏感になり、怒りなどの不快な感情が起こりやすいのですが、強迫性障害の人はそういう強い感情を発散することができません。
過敏でストレス耐性が低いことで、強い感情自体にすでにダメージを受けますから、その感情を表現する行為はストレスになって耐えられないのです。
ですから、自身の内側にだけ強い感情が残り続けて、強迫状態になり、それを解消しようと強迫行為をします。

強迫観念には必ず不快な感情が結び付いていますから、生理反応的なストレスが強過ぎて、自分の意志ではコントロールできません。
不安、恐怖、嫌悪などの他には、不幸感、劣等感、羞恥心、焦燥感などもありますが、それを解消しようと衝動が起こり、その衝動にもとらわれることになります。

AD/HDのように注意力のない人が、そのことでの心配で、注意をするようになってしまうと、不合理な(効率の悪い)注意になり、焦り、衝動にもとらわれやすいので、過剰に注意してしまいます。
実際に、強迫性障害+AD/HDの人も多くいます。

衝動にとらわれやすいと、欲求や願望を満たそうとする行為を止め難くなります。
欲求や願望自体にとらわれて行為を繰り返すのは依存症で、欲求や願望か満たされないことで、不快な感情が起こりますが、これは強迫観念ではありません。
強迫的な依存行為(依存症)と、強迫症(強迫観念主体型)の強迫行為は全然違うことなのです。

しかし、強迫行為主体型の強迫症の場合は、依存症に近い傾向があり、行為を止められるようになれば、不快な感情も起こり難くなります。
ただ、患者本人はそれを求めてやっているという認識がなく、なぜか衝動的に行為をしている場合も多いので、欲求的衝動自体にとらわれているから、治しやすいとも限りません。

強度行動障害でのこだわり行動でも似たような傾向があり、その場合は、こだわり行動を起こす対象を(欲求を触発する対象を隠したりして)回避させるなどで対処することになり、重い知能障害がある人であれば、そういうごまかしも効きやすいのですが、強迫性障害の人だと認知機能は正常なので、子供だましが効かず、治し難くなります。
治せなければ、(自閉症児などの場合)人が回避させるか、(できる人は)自分でそうするかしかないのです。

強迫症(強迫観念主体型)の人は、不快な感情を処理するために、何らかの欲求や願望が起こり強迫行為をしますが、欲求や願望が満たされないことでの不快な感情ではないので、行為を止めても不快な感情が浮かびやすいことは変わりません。

心配が浮かびやすく、その心配が離れなくなってしまうのも強迫症状ですが、そうなりやすい人が、その心配が起こらないようにすることは、正常な行為です。
しかし、普通の人よりも過剰になってしまうので、障害になってしまうのですが、元をたどれば、神経過敏であることがすでに障害なのです。

器質的な神経過敏症状は心理療法では治せないことは昔から知られていますが、森田療法の場合、実際には神経過敏でなく神経質な性格だから症状が出ているとして、病気自体を作り変えることで、治せると言い出したり、認知行動療法でも、強迫観念は実害への不安でしかなく、実際には問題のないことを心配する病気ということにして、それであれば治せると言っているのです。
強迫性障害の一部の患者、強迫性障害の症状の一面だけ取り上げて、その範囲で治せるとしても、そうではない他の多くの強迫症患者には通用しないのです。
治せるようになった、とされるようになりましたが、認知行動療法が受けられるということは、その程度のストレス耐性がある人であり、当然、軽症の人が多くなります。
他の多くの強迫症患者は、感受性が強く、患者を動物扱いする曝露反応妨害のようなマナーのない原始的で野蛮な療法はまったく役に立たないことは分かるし、悪化することが分かっていて受けようとする人はいません。
単に認知行動療法ビジネスの営利のために、適切な療法とされていますが、実際にはほとんどの患者を治せないのが現実です。

神経過敏であると不快感や嫌悪感が残りやすく、残って離れない付着感が、嫌悪感染=嫌な思いが離れないという強迫観念による汚染になり、その嫌悪や恐怖が続いてしまう苦痛が、不潔恐怖や汚染恐怖の実害なのです。
不潔でショックやダメージを受けるのは、これは神経過敏である限り、おかしなことではありませんから、そうさせる物事を回避するしかなく、こういう行為は治せることではありません。

当然ですが、不潔による嫌悪感が弱ければ、強迫性も弱いということです。
強迫性が弱いほど普通の不安に近くなります。
不安症に近いから治せるとも限りませんが、強迫性障害よりも不安の強迫性が弱いので、治せる可能性もあります。
普通の不安の範囲であれば、心理療法などでも治せるのですが、それは不安症であり、強迫症ではありません。

病気を治そうとするのが強迫行為ですが、病気の強迫性が強く治し難い分、その行為も過剰になり、それ自体も苦痛な症状になってしまいます。
それが止めやすいのであれば、強迫性が弱い普通の不安なので、そういうのは治しやすいのです。
強迫観念であると強迫性が強い分、強迫行為も止め難く、治せないのです。

不安の強迫性が強いから、強迫症なのです。
強迫性障害であれば、通常で不安の強迫性が強いのが普通です。
軽症でも治し難い病気なので、重症だとほとんど治せないのです。
器質的な神経過敏症状は、頭での考え(自分の意思)と無関係なので、心理療法では通用しません。

違和感に弱くて強迫行為をする=強迫感覚主体型が強迫性障害の原型です。
その違和感に思考が結び付いたのが、強迫観念です。
その違和感は欲求的行動ができないことによる違和感ではなければ、神経過敏による違和感ですから、それと結び付いた思考も感覚的であり、頭でどうこう考えての自発的思考ではなく、生理反応で自然と浮かんでしまう強迫的思考なのです。

普通の不安も強迫的に浮かびますが、強迫性が弱いのです。
強迫観念はそれよりも強迫性が強いので、なかなか消えにくく、治し難いのです。
強迫性障害の人も、普通の不安も浮かぶし、それによる強迫行為もありますから、その範囲なら治しやすいのですが、それだけでは済まずに、それ以上の症状に悩まされるのです。
強迫性の強い範囲が本当の強迫症状であり、それは治せないレベルの強迫性なのですから、器質的神経過敏による強迫症状はどうしようもないのです。

強迫行為をし続けるしかありませんが、そうしながらも何をするかになります。

強迫観念も強迫行為も役に立ちません。
攻撃心をスポーツなどで満たすことを昇華と言いますが、強迫観念の対象は、特定の何かなので、何かの汚れを洗う代わりに、他の何かで解消するということはできません。

しかし違和感に弱いこと自体は、プラスにできる場合もあります。
違和感に弱いと、自然とまたは強迫的に、しっくりすることをしようとします。
それは普通の人にもしっくりすることかもしれませんから、何かに役立たせるかもしれません。

例えば、それを求めてやっている完璧主義とか強迫行為依存症の人の中には、スポーツや芸術などでその感覚を活かしている人もいます。
野球などは、ボールを操る正確性、完全性が求められますから、ピッタリ感、キッチリ感を求めている人には向いています。
シックリと来るバランス感とか調和を求める気持ちとか、きれいでありたいという欲求を、デザインや芸術などに役立たせることにもなります。
完全な正しさを求める気持ちが強いことで、正確に物事ができたり、何かの研究や発見に繋がるかもしれません。

違和感に弱いなどの強迫感覚は、強迫観念主体型の人でもありますから、そういう傾向は昇華することが可能です。
安心できる自由な状況であれば、自然とこだわりが良い方向に使われ、あまり考えなくてもそうすることができるはずです。
強迫感覚があるから天才という人も多いのです。
ナーバスな状況であると、こだわり過ぎて、または、こだわりを気にしないようにし過ぎて、ろくなことができなくなりますから、楽しく感じられる状況にいることがポイントです。

強迫は束縛であり、その反対には、自由があり、無条件の愛があります。

強迫症状は仕方ないとして、それだけでなく、愛したり、自由にすれば、自然と安心が得られて、強迫症状が自然と弱まって行くことになります。

強迫観念はなくせませんし、強迫行為もするしかありませんし、強迫性障害を治そうとする行為も病気に対する強迫行為ですからしてもいいのですが、それだけでなく、制約の無い自由で愛のあることもできると良いのです。

ただ、強迫性障害は慢性的な病気なので、愛するにも、自由にするにも、強迫症状が邪魔になって、それが困難になったり、重症だとどうしてもできなくなってしまいます。

癒される状況で癒しを感じる、幸せな状況で幸せを感じる。それができないのが、強迫症です。

本当なら優しく癒されるような状況で、強迫観念に邪魔されて、それを感じ取れない。
強迫観念は、好きな人との愛とか、友情とか、人情とか、そういう繋がりの関係さえも遮ります。
好きな事をするのも困難になります。

癒されるような人間関係、楽しく心地良い体験、そういうことさえ困難になってしまうので、益々、ネガティヴ思考や強迫観念にとらわれやすくなります。

普通は傷付かないようなことでも実際に傷付いてダメージが残ってしまうので、傷が深いほど、それを許すこともなかなか難しいことです。

基本的にはなんともならない病気ですが、状況によっては強迫観念が浮かび難い時間も少しはあるという場合は、そういう時に少しでも愛と自由を意識できたら良いでしょう。


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