強迫性障害の全貌

強迫性障害の知識の普及 Link Free

強迫性障害と依存症の違い

依存とは

例えば、甘い食べ物が大好きで、毎日食べている人に、それを1週間ほど食べないように我慢してもらいます。
その間、食べたくて食べたくて苦しい思いをしたとしても、それは強迫観念ではありません。

好きでのめり込んでいることを我慢すれば、辛いのは当然です。
好きな人に会えないと寂しい、その寂しさも強迫観念ではありません。

この場合の、食べずにはいられない、会わずにはいられない、というのは強迫的な思いではないのです。
強迫観念を解消したいというよりも、愛着が強いからそうしたいのです。

アルコール依存の人が、お酒を飲まないと寂しくて辛い不安になってしまうというのは、単にお酒を飲んだときの感覚(気楽になったり、安心できたりする気分)の反動的な思いです。

本当は飲まないようにしたいけど、お酒を飲んでしまうというのも、酔っぱらった気分への愛着があるからです。
ゲーム依存とかも同じです。

愛着や快楽体験の反動として、それが得られないと不快な気分になり、また繰り返し愛着対象、快楽の対象を求めて依存症になります。
それが無いと不安になって、それを求めてしまうのですが、愛着があったり、快楽を求めている場合は、強迫症状ではありません。


一方で、強迫性障害の場合の強迫行為(しなければならない行為)というのは、強迫観念を解消するためであり、その行為自体には娯楽性がありません。
多くの場合、時間の無駄であり、それを行うことでのストレスも強いのですが、強迫観念が残り続けることの苦痛のほうが何倍も大きいので、したくもないけれど、しないといけないわけです。
当然、強迫観念が緩和すれば、その分は、楽になりますが、息苦しい時に、息ができるようになれば楽に感じることと同じで、その行為自体は、日常的な行為であり、特に楽しくもないことなのです。


強迫性障害と依存症はそのように大きな違いがありますが、強迫性障害の患者の中には、依存症タイプの人もいます。
通常は、汚染恐怖や不潔恐怖などが強いと、部屋の掃除なども困難になりますが、きれいな部屋でないと落ち着かないとか、過剰にきれい好きな人も強迫性障害に含まれることがあるからです。
掃除ができるというのは、汚い物にそれほど恐怖感がなく拒絶もしていないのですが、清潔状態での居心地の良さを好んで、掃除せずにはいられなくなります。


何度も書いていますが、汚染恐怖型の強迫性障害で重症の人は、病院(特に大きな総合病院など)を汚い場所だと思って近付こうとしません。

強迫性障害というのは、強迫観念に苦しむ病気であり、それを解消するための強迫行為は付随する症状でメインではないのです。

ところが、病院に抵抗なく行ける強迫性障害の人は、強迫観念よりも強迫行為が目立つ患者が多いので、行動の強迫性がメインで研究されるようになり、衝動抑制の障害や依存症と同じグループのように扱われるようになりました。
そうして、強迫行為をしないように我慢すれば、強迫観念も自然と消えるという説ができました。
それは依存症タイプの人には有効かもしれませんが、本来の強迫性障害には効きません。

強迫性障害でいう強迫行為は、同じことを無意味に繰り返しているわけではありません。単に強迫観念がなければ、強迫行為もありませんから、行為にはそれほどの強迫性はないのです。
なぜか分からないけど、しないといけないような衝動ではないし、上に書いたように依存症でもありません。

強迫性障害で、強迫性が強いのは、行為ではなく、強迫的に浮かびあり続ける観念のほうです。
頭の中で強迫観念を振り払ったりすることも強迫行為ですが、それだけではなく、多くの場合は、現実と結び付いた現実に反応した観念ですから、なんらかの行為で現実を変えないといけなくなります。
その行為のほうが他人からすれば変に見えるし、分かりやすいのですが、あくまで主体の症状は観念(頭の中)のほうで、そちらの妄想性が強いほど、治療が困難になります。

衝動抑制の障害や依存症と同じグループの強迫性障害の人もいるにはいますが、それは大きな病院に多い(研究しやすい)患者が強迫観念よりも強迫行為が目立つ患者だからであって、強迫観念主体の患者を同じようには扱えません。

過剰だ、変だと分かっていても否定できないというのは、強迫観念というのが、普通の観念と妄想との境界にあるからなので、妄想性障害や統合失調症のグループに近いのですが、妄想と区別するために、強迫観念と言うのですから、やはり強迫性障害強迫性障害として単独であるべきです。