強迫性障害の全貌

強迫性障害の知識の普及 Link Free

強迫観念は意思に関係なく繰り返し浮かび続ける

元々、強迫性障害は、強迫観念(頭の中)の病気ですが、近年は、強迫観念はあってもいいから、強迫行為をしないようになればいいと言う意見もあるようです。

それらの人の考えでは、強迫観念はなくそうとしないで、ほっとけば自然と消えると言います。
もしくは、消えなくても強迫行為さえしなければ問題ないと考えているようです。

強迫性障害の本質的問題(強迫観念による苦しみ)が、まったく分かっていないようです。

強迫観念というのは、嫌な思い考えなのですが、そこにこそ耐えられない苦痛があり、強迫行為はそれを抑えるための行為です。
強迫行為にも苦痛があり、繰り返し行うことで、日常や社会での障害になりますが、強迫観念の苦痛のほうが大きいから、それをせずにはいられないわけです。
他人事のように、その不快な観念があっても良いと言われても、不快なのですから、あっては困るわけです。

特に汚染恐怖などでは、汚染される不安だけではなく、汚れた場合は、汚れた強迫観念と汚れた現実が一体化して同時にありますから、実際に洗浄しないと解消できないわけです。
その汚れは、脳内でイメージングされないと分からない汚れで、他の人はその人の立場でイメージングしない限り汚れを認識できません。
イメージングされた汚れも強迫観念ではありますが、本人の頭の中では、視覚化されていますので、油性ペンで手に書いた文字はしっかり洗わないと落とせないのと同じで、ほっといて消えるような汚れではないし、強迫観念は嫌な思いですから、強迫観念から、嫌悪感や不快感だけを切り離すことはできません。

強迫観念は本人だからこそそう思えることとか、強迫行為は、過剰だったり、時間の無駄だったり、効率が良くないことも分かっていますが、多くの場合、それが本人的には無意味だと思っていません。
嫌な思い、嫌なことから逃れるためにしている行為なのですから。

強迫性障害の人の頭の中には、強迫観念(強迫的に感じる思考、侵入思考)、強迫的連想(関連付き)、両価性思考、反芻思考、嫌な記憶(トラウマ記憶)などが浮かびやすく、重い人ほど、頭の中に常にそういう嫌な思いがあり、その苦しみから逃れるために、強迫行為を行うのです。

強迫観念はそのままで良いという人は、まったく強迫性障害を理解していません。

もちろん、あまり不快感のない強迫観念とか、現実味のない強迫観念であれば、あってもいいと思えるかもしれませんし、強迫観念自体の苦痛が弱ければ、強迫行為を行わないこともできるでしょう。
ですが、それは、一部の軽症な人とか、実際には障害レベルではない人であって、本来の強迫性障害のほとんどの人は、それができないからこそ、強迫性障害という病気なのです。
強迫観念はあってもいいとか、なくそうとするから苦しいんだとか言われても、見当違い、勘違いな話です。

別に一般の人以上に、幸せになりたいとか、安心していたいとかそういう願望が強いわけでもないし、何でも思い通りにできると思っているわけでもありません。
そういう意に反してというか、特に何か意志がなくても、強迫性障害だと強迫観念は自然と繰り返し浮かび続けます。
強迫観念がなければ、強迫行為もせずに済みますが、麻酔で意識を落とすとか、恐怖感が消える薬を飲むことは現実的に難しいので、強迫行為しかないのです。

なくそうとしなくたって、実際になくならない限り苦しいし、その嫌な思いは、あってもいいとか、あってはいけないとか、そういう思いに関係なく、意に反して浮かぶからこそ強迫観念というのです。
それをあってもいいからとか言うのは、本末転倒で、子供なら少しは安心すると思いますが、大人からすると理不尽に思えます。

もちろん、そんなこと早く忘れたほうがいい、とか言われてもできませんので、ただ症状をありのままに受け入れてもらうことが患者にとっては一番信頼できる対応です。