強迫性障害の全貌

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何かが分からなくなってしまう病気ではない ~ 強迫性障害の正気と狂気 ~ 末期強迫症

通常の強迫性障害では現実検討能力があり、セルフモニタリングも普通レベルでできます。
昔の自分と比べて、友達と比べて、一般の他の人と比べて、家族などと比べて、自分が変わったことを過剰にしていることに気付けます。

なので、症状でしていることを他人に知られることを恥ずかしがりますが、一部の人は、強迫行為を一般の人よりも過剰なのか、それとも普通なのか(みんなそうしているのか)分からなくなってしまう人もいるそうです。
おそらくそういう人は、強迫行為をすることにそれほど苦痛を感じていないのかもしれませんし、完璧主義型のこだわりの可能性もあります。
物凄くめんどうで不合理感が強ければ、病的な苦痛が伴いますから、みんながそんなことをしているわけがないことは分かります。
強迫症状は過剰や不合理が分かってはいるが止められない状態なので、それが分からないことというのは、強迫性障害の症状ではありません。

周りの普通と自分の異常(過剰)の違いが分からないというのは、単に子供であるとか、子供レベルに世間知らずであるとか、私生活の細かいことだから分かり難いとかでしたら、正常な範囲ですが、分からないことへの不安が強くはっきりさせないと気が済まない場合もあるし、統合失調症などには、現実検討ができない、周りと自分の違いが分からないという症状があります。

あきらかに過剰であったり不合理だと分かっていても、強迫観念が浮かびやすいために、一般的でないレベルで嫌なことを過剰に避けてしまう病気が強迫性障害です。
例えば、汚染恐怖では、恐怖感や嫌悪感の強い言葉を見聞きすると汚染されて洗浄しないといけなくなってしまう人もいますが、本人は、一般の人はそうならないことは分かっているし、ある意味、妄想的であることも分かっています。
分かってはいるが、強迫性障害の症状として汚染の強迫観念が浮かんでしまうので、どうしても汚染されてしまうのです。
ただそれが自分だけの考えで他の人はそう思わないことや、一般の人と比べて過剰な反応であることは分かっていますから、統合失調症ではなく、強迫性障害なのです。

統合失調症的な妄想状態であると、自閉症状で周りの人の気持ちがほとんど分からなくなっていますから、人からどう思われているかというのは、統合失調症患者の妄想的判断で一方的に決められます。
妄想は強い思い込みなので、そう思うことしかできなくなって、それが嫌であっても否定する余地が無く、そうじゃないかもしれないとか、そんなはずがないと考えてみたり、現実にはどうかということが確認できなくなってしまいます。
普通の人なら嫌な思いは振り払おうとするのですが、そういうことができずに、確信して受け入れてしまうのです。
他人からそうではないと言われても信じませんが、説得して一時的に現実を理解させたとしても、時間が経てばまた妄想にとらわれるようになります。

嫌な思いを振り払おうとすることで、強迫行為が起こるので、統合失調症の妄想状態では強迫症的な強迫行為は起こりません。
妄想状態では、その思いをおかしな思い、変な考えだと気付けないので、それを訂正したり、否定して良くしようとは思えないのです。

嫌な思い、嫌なことを否定して良くしようとするのが強迫性障害で、それをしないのが統合失調症で、強迫観念と妄想の違いでもあります。
もし強迫行為が起こるなら、完全な妄想ではなく、妄想的思考(一般的ではない考えやイメージ)ですので、陽性症状がやや落ち着いている人であれば、強迫症状も見られますが、それは統合失調症の症状ではありません。

強迫性障害は強迫観念が浮かびやすくても、統合失調状態にはなりませんから、不安な思いがあっても、そんなはずがないのではと考えることもできます。
しかし妄想的思考は浮かびやすいので、一般的にはあり得ないような強迫観念を現実的に信じ込むこともあります。
確かに確認したと思っても不安な思いがなかなか消えずに、また確認となったり、そんなはずがないと思いながらも、あり得る可能性にとらわれたり、汚染などの場合は、そんなはずがない、そんなに汚くないなど考える人は少なく、本当に汚いし汚れてしまうので、そういう意味では汚染妄想に近くなります。

元々強迫観念は妄想的になりやすく、強迫性障害は妄想的思考の病気(境界例)でもあるのです。
ただ診断基準としては軽症でも治療できるように、強迫性障害によくある抑うつや妄想的思考などは含まれません。
認知行動療法やセルフ治療本で治せるのはその軽症範囲ですが、同じ強迫症でも病状は人それぞれで、その範囲にも重症の人はいます。
さらに重症の人は必然的に併存疾患が増えたり、多くの場合、抑うつや妄想的強迫観念があります。

今のところ妄想的強迫観念に効く薬はありませんから、なかなか治りませんが、強迫性障害には習性という面があります。
毎日、症状が繰り返されて止まらなくなっていくのです。
つまり症状が長年続くほど、病状も重くなりますが、止めようにも症状が治せないので、やがては不可逆レベルの重症患者になります。

逆に言うと、発症してそんなに長くない人は治せる可能性が強く、最近多いセルフ治療本なども、普通の人に近い軽症の人になら向いているかもしれません。

しかし、多くの場合、強迫性障害の説明で、これこそが自分だと読者に共感させるまではできるのですが、だからこうすれば、ああすれば治せます、という部分は非現実的になり通用しない人も多いはずです。

本を書いている人は、普通の精神状態の基準で物事を考えて、こうしているから、こうなってしまうんだから、こうすればいいんだなどと、分かったようなことを言いますが、精神障害の人は普通の精神状態ではないのでそれが通用しないのです。

よくあるのは、考えないようにしていると、余計に考えてしまうんだとか、治そうとするから余計に病気意識して治らないんだとか、逃げるから追いかけてくるんだっていう類の話です。

強迫性障害の人の場合、過剰に嫌なことを避け続けるからといって、余計に苦手意識が増すということはありません。
前回書いたように、強迫性障害の症状は脳機能の問題である可能性も強いので、そういうタイプの人の場合は、前向きな助言をもらおうと、自分の意思とか心掛けとかをどうしようと、それで症状自体のコントロールはできません。
普通の人に近い強迫性障害の人であればある程度はできると思いますが、精神の障害者と言えるレベルの人は併存症状も多くてそういうことができないのです。

普通の人にとっては何ともないようなことでも、大きなストレスや恐怖になったりするのが、強迫性障害です。
勇気が足りないんだとか、忍耐力がないんだとか、そういうのは普通の心配性レベルの強迫性障害の人になら通用しますが、精神障害者と普通の人の心理を同じようには扱えません。

うつ病だと元気がでないように、強迫性障害でも勇気が出なくなります。通常、何年も普通の人のふりをして、物凄い我慢を続けるのですが、そのストレスで重度のうつ病にもなってしまうのです。
そうなれば気力も元気も勇気もなくなります。

本を読んで、どうこうすればいいという簡単なことではなく、強迫性障害だと、嫌な思いが浮かべば、どう考えるか以前に、生理反応的に拒絶が起こり、その嫌な思いを振り払おうとします。
考えないようにしようが、意識的に考えようが、考えても良いと思おうが、どうしようにもその反応は避けられません。
そうならないのであれば、それは強迫観念というほどの思いではありません。

自分の意志ではうまくコントロールできないから強迫観念なのです。
現実的な恐怖や嫌悪を伴う強迫観念が繰り返されるのですから、何かに気をそらそうにも、他のことを考えようにもなかなかできません。
何の楽しいこともできずに、人生が強迫性障害の症状の繰り返しだけになり、重症患者は、うつ病が併存し、回避が増え、ひきこもりがちになり、強迫症状が行動をブロック(制限)して、ほとんど何もできずに、末期強迫症では、孤独なセルフネグレストのようになってしまいます。

次回は、強迫症でのセルフネグレストの話です。


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