強迫性障害の全貌

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強迫気分とは/子供の強迫性障害/価値のある強迫行為はあるか?/芸術強迫

強迫性障害は強迫観念(思考)にだけ強迫される病気ではありません。
不快な感覚、気分、感情、衝動、記憶、不適切な願望といった範囲までいろいろあるのですが、それらは現実と結び付いていることが条件であり、幻覚や妄想といった非現実は除外します。

強迫観念が「ありえない、そんなことはない」と思えて、非現実であることを確信しているのに、強迫行為をする人が妄想型です。

妄想と違って、強迫観念は現実と結び付いた思いですから、通常は「ありえる」と現実に思えるからこそ、強迫行為をするのであり、しっかりと現実検討力があれば、「ありえない」と非現実に思えることは、そのまま放置するからです。
ただし、現実検討をしているのか(現実かどうかを考えているのか)は確かめないといけません。

強迫観念を「ありえない、そんなことはない」と思いながらも、同時に「ありえる」ように思えて、その二重思考の葛藤でどちらにも確信できないことで不安が強まり、その不安により強迫行為をするというのも、よくあるパターンであり、人によっては、その不安にとらわれ過ぎて、「ありえる」という思いがあるのに、それをはっきりと自覚していない人もいるからです。

それは本人に確認すれば分かりますから、それでも強迫観念を「ありえないこと」と思いながら強迫行為をしているということであれば、二重見当識での妄想状態にありますから、強迫性障害からは除外して、最初から抗精神病薬を使うべきです。
それが効かなかったら、現実検討力が弱いことによる勘違いで、実際には強迫観念が非現実の思いではなく、現実と結び付いていることが考えられますから、抗精神病薬は止めて、強迫性障害としての治療に戻せば良いのです。

どのタイプにしても強迫観念が自分の内にある自分だけの思いであることが分かっていることが前提です。

妄想型の人も自分の内にある自分だけの思いであることが分かっている=現実検討力はあるのですが、現実検討力があるからこそ、非現実に思えることは実際に非現実であって、それは現実反応の強迫観念ではなく、非現実の妄想だということです。
現実検討力がある程度あっても、妄想にとわわれてしまうというのが、統合失調症の二重見当識での妄想状態なのです。

そもそも現実検討をしていないのに、強迫行為をする人もいます。
強迫観念がありえること(現実)なのか、ありえないこと(非現実)なのか、そういうことを考えずに、不安が浮かんだら、すぐに強迫行為をしようとします。
このいうタイプは、強迫観念が現実か非現実はどっちでもよくて、強迫観念による不安などを解消するために、強迫行為をするのです。
強迫観念に強迫されるというよりも、その時の不安などに強迫されるので、強迫気分主体型と言えます。

なぜそうなってしまうかと言うと、例えば確認みたいなシンプルな行為は、強迫観念がありえるありえないとか考えているよりも、さっさと確認したほうが簡単に不安が収まるからです。
二、三回程度ではなく、それ以上に何度も何度も確認する人には、この強迫気分主体型が多いのです。
強迫行為をする前に、一旦冷静になって、その不安の元の思い(強迫観念)がありえないのかありえることなのかを考える、それが現実検討力なのです。
強迫気分主体型であると、不安な気分にとらわれて、強迫行為をする前に、それが本当のこと(現実)なのかどうかをしっかりと考えることができないのです。

そういう人は、強迫行為をする前に、現実はどうなのかを考えることを意識して、「さっき確認したからそんなはずない」とありえないことに思えれば、そんなに過剰に確認することにはならないのです。
そのためには、確認を簡単に済ませるのではなく、1回の確認をしっかりとじっくりと真心込めて行うことで、そのことを忘れ難くもなります。

緊張する状況であったり、忙しくて冷静に考えられない状況であるとそういうこともできなくなりますが、確認強迫が過剰な人には、AD/HDの人も多くて、忙しくなくても無意味になんとなく急いでしまう傾向があります。
それで1回でしっかりと注意できずに、何度もしてしまうのです。
発達障害ですから、ある程度は仕方がないのですが、やはり、強迫行為をする前に現実にはどうかを考えてみることで少しは改善します。

子供の強迫性障害で多いのは、特に具体的な強迫観念はないが、強迫的な感覚や強迫的な気分で、強迫行為をするタイプです。
この場合、強迫観念がほとんどありませんから、それが現実かどうかという考えもないのですが、強迫感覚(違和感などの不快な刺激)や強迫気分(不安感や嫌悪感など)が確かにあれば、そういう現実があることになり、強迫行為をせずにはいられません。

強迫行為主体型のように、強迫感覚や強迫気分は自覚しないが、強迫行為のしっくり感、ぴったり感、安心感、安定感などを求めて強迫行為をしている場合もあります。
例えば、汚れの恐怖が強いわけではないが、長く手を洗いたがるとかです。

それと、親のしつけとか何気ない指示によって、強迫行為が過剰になってしまう場合もあります。
例えば、親が強い口調で「汚いから洗いなさい」と注意するだけで、「汚い」を悪いこととして印象付けて、「汚い」に過剰反応するようになってしまうなどです。

多感な思春期になってくると、善悪の区別もはっきりしてきて、言葉や不道徳な行いなどでも汚いと思えるようになり、それが精神的汚染に繋がることもあります。
しかし、強迫性障害になっても、それが病気の症状とは知らずに、強迫行為を(変なことをしていると思い)見られるのが恥ずかしく、隠そうとするかもしれません。
周りの人がその子の悩みを察して、どうしたほうが良いかを教えてあげないといけませんが、それが難しかったら、少なくても親が不道徳なことをしたりしてはいけません。

強迫性障害の子供とか、強迫性障害になりやすいタイプの子供は、普通の感覚ではありませんから、普通の親には大変育て難く、どうしていいのか分かりません。
ある程度はどうしようもないのですが、やることなすこと、時間がかかっていても、強迫的なことに弱いので、焦らせたり、煽ったりしてはいけません。
強迫性障害になりやすい子は、強迫的なことに大変過敏で恐怖を持ちやすいので、親が自殺をほのめかしたり、おどすような育て方をしてはいけません。

感覚過敏のある子は、恐怖、不安、嫌悪、嫌な記憶、嫌な感情を持つと、それが普通の子よりも心に長く残ることになります。
目立った強迫症状がなくても、嫌がることが多い、不安がることが多い、泣くことが多い、そういうのも強迫症状ではあり、普通であれば、ストレス対象から離れたり、時間が経てば収まるような嫌な思いが、その思いに過敏なことでなかなか消えなくなります。

それが強迫観念です。

HSCとかHSPは病気でありませんが、それが病気(障害)レベルになっているのが、不安障害や強迫性障害なのです。

強迫観念は現実反応ではありますが、現実から逃れても、心に残ってしまいます。
これが一般の人の不安や恐怖との違いで、反復性、持続性があるので、例え現実を見ないようにしても、心の中からはなくせないのです。

「現実を見ないようにする」というのは、「強迫観念を起こさないようにする」ためのよくある回避行為なのですが、そうしても強迫観念は心に浮かぶので、どうしても気になって現実を見てしまいます。
特に汚染の場合、回避するためには、ストレス対象を気にしないわけにはいかないのです。

統合失調症でのストレス対象は幻覚妄想であり、それは非現実世界です。

強迫性障害でのストレス対象は強迫観念やそれと結び付いた現実であり、不安や恐怖、嫌悪なども現実反応なのです。
しかし、現実から離れても、心の中にその問題が残り続けますから、心の内にも外側にも逃げ場所がなく、気が休まりません。
このことで、過覚醒という状態になり、余計に刺激に過敏になります。

統合失調症では、幻覚妄想で興奮する陽性症状になり、不快な独り言をぼそぼそ言ったり、大声でわめき散らしたりもします。
間違えていけないのは、統合失調症の人が、他人に向かって、お前がどうこう言っている場合、現実のその他人ではなく、妄想の他人に言っているのです。
一見して明らかに狂ったようには見えますが、自然発生的な曝露療法をしているようなもので、その前駆段階での様々な強迫観念や妄想的思考を表面化して耐性をつけることで、強迫観念を消化しようとしているのです。
それが終わると、自閉して陰性症状になり、現実反応を鈍くすることで、現実のストレスにも反応し難くなります。
それはそれで客観的に病気には思えますが、本人的には病気(ノイローゼ)の治療が終わった段階なのです。
そこからまた徐々に現実に慣れていくことになります。

ですから、陽性症状での不安の曝露が不十分な状態で、早々と薬で抑えてしまうと、陽性症状が落ち着いても、強迫症状が出やすくなります。
統合失調症というのは、表面的には脳が不調になってしまう病気に見えますが、強迫症状(統合失調症の前駆症状)を治すための心因反応なのです。

明らかに器質的な原因だとしたら、統合失調症ではありませんから、精神障害としての統合失調症はほとんどが心因ということになります。
統合失調症の前駆症状のストレスを脳が処理しようと、異変を起こす。これで脳が不調になったようにはなりますが、本当はノイローゼの治療行為なのです。
統合失調症になった人の脳を調べても、それは、統合失調症になりやすい脳なのではなく、なった人の脳なのです。
統合失調症になりやすい脳というのが判明してしまうと、そうでない人が統合失調症ではないということになってしまいますから、永遠に判明しませんし、実際にはそういう脳はないのです。
心因であっても、統合失調症が精神病と言うことは変わりませんし、脳に不調が起こることも否定できません。
正確に言えば、心因の統合失調症になりやすいタイプの脳が考えられるから、器質的な原因も考えられ、内因の病気ということなのです。

統合失調症は思春期に発症する場合、陽性症状の目立たないタイプが多く、陽性症状の目立つタイプは、平均すると25歳以降の発症が多くなります。
強迫性障害は、産後強迫症の女性が平均年齢を上げていることが考えられますが、大体の人は25歳ぐらいまでに発症します。
このことから統合失調症の前駆症状は強迫性障害と重なりやすくなりますが、25歳以降に統合失調症に移行すれば、強迫性障害であっても統合失調症化して、統合失調症にならなかった人は、そのまま強迫性障害が続くと考えられます。

統合失調症になりやすい人が、強迫性障害のままの人と、どう違うのかは分かりませんが、強いストレスが続いて発狂する人のほうが、案外、元々は普通の正常な人なのかもしれません。

昔の人は統合失調症はストレスで発症しないと思っていますから、統合失調症の人が学校でいじめられてこうなったなどと話しても、真に受けないことがあります。
しかし、現代では、ストレスで発症することもあることが分かっているし、だからと言って、統合失調症神経症という意味ではなく、神経症どうこう考えるのは古いことですから、そんなことにこだわっては正しい理解ができません。

強迫性障害のほうは、脳機能的な異常はあっても、それよりも感覚過敏、神経過敏のほうが問題になります。
そのことで、現実的なストレスに弱く、ストレスで発症しやすいことが昔から分かっています。
子供の内は、過保護に育てるぐらいが良いのですが、過保護過ぎてもストレスになってはまうし、どの道、社会に出れば、ストレスまみれになり、すぐに潰れると思います。
人によっては、治療を受けてもまったく治らずに精神障害者レベルになりますから、適度な距離を保ち、一生の長い目で見守っていかないといけません。

大人になっていくと、強迫感覚や強迫気分だけでなく、具体的な強迫観念が浮かびやすくなり、強迫性障害らしくもなります。

強迫観念主体型にとっては、強迫行為はしなくて済むなら、したくないのです。
強迫観念が日常生活のストレス反応なので、強迫行為も日常的でつまらないことが多いからです。
だから、回避が増えます。

汚染や不潔恐怖の場合、洗浄だけが、強迫行為ではありません。
それができればまだ良いようで、汚れた物を捨てないといけなくなったり、接触拒絶で社会性も低下します。
そもそも紙製の物とか、書類とか洗えない物も多いので、例えば、お薬手帳などの記入式で、ビニールパックで覆えない物は、汚染恐怖の人には使い続けられません。
汚染恐怖や精神的汚染恐怖でできなくなってしまうことを書き始めるとキリがないので、止めておきますが、強迫行為も対策も回避も本人には本当に辛いのです。

強迫行為主体型であれば、強迫行為を求める気持ちが強いので、場合によっては、充実感や満足感が得られたり、価値を見い出すことも可能です。

自殺願望というのは、本当にそうしたいのであれば、頭の中だけの強迫行為ということになりますが、本当はそうしたくないのであれば、強迫観念(不適切な願望)ということになります。

草間彌生さんという芸術家は、インタビューなどで知られている病名としては、不安神経症強迫神経症ということになっていますが(恐慌性障害の話もあり)、どれも昔の病名で、今現在はどうなのか分かりません。
少なくとも陰性症状には見えませんし、言動にも統合失調症的な面はないので、子供の頃の幻覚は解離的な症状かもしれません。
社会的国際的に活躍されていますから、調子は良さそうですが、今でも不安から逃れるために作品を作っているそうです。

自殺したかったが、絵や作品つくりでそれを止められた。
絵や作品つくりをしていれば、恐怖から逃れられる。

怖いから、安心できることに没頭することを繰り返す。そういう意味では、不安症と強迫症の併存で良さそうです。
強い強迫観念はあるが、強迫行為を求めてやっているタイプは、混合型の強迫症です。
強迫行為が好きというのは、強迫性障害としては、軽症になりますが、絵を描いたりしないとまた自殺を考えてしまいますから、一生、生きるために絵を描くことになります。

自殺恐怖の強迫観念を解消しようと、芸術活動という強迫行為を繰り返すことになりますが、普通の日常的な強迫行為と違い、作品が良ければ、社会的に価値のある強迫行為になります。

本当は、強迫行為が楽しいことなら、強迫症とは言えなくなりますが、定型の強迫症でないほうが良いわけですから、強迫行為に価値があって、人の役にも立つなら、無心で情熱的に強迫行為をできたほうが良いのです。
ある人がその行為で安心できるということは、似たような人にそれを提供することで、安心させられる場合もあり、それが価値ある強迫行為です。

精神障害だと言われる芸能人、有名人は、多くの場合、一つ二つのエピソードだけ取り上げて、憶測でそうされているだけです。
症状が日常生活や社会での著しい障害になっていれば、必然的に社会に入れなくなり、能力も発揮できなくなりますから、社会的に活躍できているのであれば、本当に病名が付いている人はほとんどいないはずです。

ただ、草間さんの場合は、本人が公表しているし、入院生活を続けることで、芸術活動に専念できるというメリットもあり、むしろ精神障害であることが、プラスになっているようにも見えます。

前に書きましたが、重症でなければ、病気だとしても、自信があって、ストレスに強く、能力があれば、社会的な活躍は可能です。
草間彌生さんの場合は、芸術の分野ならそうなれるから、その世界にいるのだと思います。

好きなことで向いている分野なら、自信が持てて、ストレスに強くなって、能力が発揮されることもあり、その範囲なら、障害は障害ではなくなります。

あいにく、それがないのなら、人の役に立たなくていいので、その中で、自分のために、できることを見つけるしかありません。

普通の人と同じ結果を出そうとするのではなく、強迫性障害であるから、同じことをしても違う結果を出せることをするのです。

普通の人には真似しようにもできないことが、強迫性障害であるからできる。

強迫性障害であるからできることは、役に立たないことばかりですが、強迫感覚は役立つ場合もありますから、あまり深く考えずに済むような、感覚やセンスを使うことが向いています。

日常で出る症状ですから、できるだけ非日常的で非現実的なことが向いています。

能力のない人は、能力を使わずにも素質だけで感覚的に直感的にできることが向いています。

ただ、強迫観念主体型の人だと、強迫観念をなくすことが難しいので、感覚的に生きることも難しく、どうしてもネガティヴにいろいろと考えてしまいます。
それは社会に活かせませんが、その症状があるまま、そんな人だからこそできることが何かあれば良いのです。

 


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