強迫性障害の全貌

強迫性障害の知識の普及 Link Free

強迫観念は表象幻覚や妄想的思考である場合が多い

強迫症は、大きく分ければ、強迫行為主体型と強迫観念主体型があり、強迫的買い物などという場合は、ストレス発散的に快楽や解放感を求めているのか、それ以前に、二度と手に入らないようなそんしつ恐怖的な強迫観念が強いのか、というふうにどちらの傾向が強いかで判断できますが、強迫観念主体型で複数の強迫症状がある人の場合、強迫行為主体型の症状が混合していることもあり、はっきりとは分けられない場合もあります。

強迫行為主体型には、完璧主義、行為依存症、衝動抑制障害的な人などがありますが、例えば、極端にきれい好きの人が、きれいにしていないといけないという場合、不潔な状態であれば、それを嫌悪しますが、その前に、きれいにしていたいという願望が強いから、強迫観念的な思い(不潔嫌悪)が浮かぶわけです。
つまり、強迫観念的な思いはあるが、それ以上に願望(こだわり)が強く、強迫行為(そうしたいこと、そうでありたいこと、マイルール)ができないことで、不安が強まるので、安心感を求め、強迫行為を繰り返し、強迫行為依存症のようになります。

強迫観念主体型は本来的な強迫症ですが、強迫観念とそれと結び付いた現実からの回避として、結果的に強迫行為を(したくなくても)しなくてはならなくなります。こだわりたいわけでもないが、こだわらないといけなくなってしまうのです。
感覚過敏、神経過敏の人が多く、なんとなく違和感があり、しっくり来るまで物事をやり直すというのもこの型の基本になっています。
敏感肌の人が、些細な刺激で炎症を起こして、肌に赤みが残ってしまうことと同じで、普通の人がストレスにならない些細なことでも、大きな刺激になりダメージを受けます。
ショック体験があると、その時の感情や状況が記憶に残りやすくなり、嫌な思い(強迫観念)として、脳内に浮かびやすくなり、一時的に振り払っても、繰り返し浮かんで、そのことが気になって、余計に忘れられなくなっていきます。
強迫的なことに弱く、強迫観念が浮かびやすいことで、身の周りの物事による些細な刺激が強迫的に感じられ、過剰警戒心、過覚醒状態になり、強迫観念が妄想のようになります。

以前、強迫症状が強く出ることで、統合失調症の陽性症状のような病態にならずに済むという面があることを書きましたが、強迫観念主体型の強迫症状は躁状態も抑圧するし、解離も起こしませんし、危険回避が過剰になりますから、自殺なども防止します。
逆に言うと、意識的に狂人みたいなことをしていれば、強迫症状が軽症化する可能性もありますが、強迫観念がそれを防止してしまうので、狂気的な思い(恐怖で歪んだ精神)がイメージとして自己の内側の世界に籠もってしまいます。
それが表に出てしまうとそのストレスで精神的に潰れてしまうので、過敏であるがゆえに、そうならなくなっているのですが、狂気的な思いは病んだ強迫観念になり、あり得ないレベルの強迫症状として表れます。

強迫症状が妄想、幻覚などを内側に抑圧することで、その妄想、幻覚性が弱まり、イメージ(自分の内にある思考)と融合する形になります。
しかし、内に籠もっても、妄想、幻覚性はやや残りますから、通常のイメージと違い、自分の意に関わらず浮かんでしまう表象幻覚(表象幻視)、表象妄想とも言える病的イメージになり、強迫観念も現実と重なって薄ぼんやりと見え、ストーリー性もあります。
それが他の人には見えない自分の思いであることは分かっているし、幻覚でないことももちろん分かっているのですが、実際には非現実の幻覚と違って、表象幻覚は実際に現実との関連性や結び付きが強いので、現実と同じように扱ってしまい、気にしないというわけにはいきません。

統合失調症では他人から見て狂人のように見えることもありますが、強迫症では自分の内側にそれが感じられるので、目を閉じた状態では狂人のようなのですが、それは自分にしか意識できません。

汚染恐怖のある人の汚れと言うのは、ほとんどの場合、目には見えない汚れであり、本人の心の中では強迫観念として視覚化され、視覚化されることで、それを追跡してしまうから分かるのですが、他者にはその汚れは意識できません。
では、本来はないものをあると思っている妄想、幻覚状態なのかというと、まったくの非現実ではなく、現実との結び付きがあり、それが自分だけの思いであることが分かっている点で、妄想、幻覚状態ではなく、強迫観念と言えるのです。

悪いニュースが見れなくてテレビや新聞などを避けるというのは、強迫行為的なことが回避だけなので、強迫症ではあっても恐怖症に近いのですが、汚染恐怖のある人は、そういうことで汚れてしまい、洗浄しないといけなくなります。
文字や言葉などでの情報汚染がある人は、日常的に回避も過剰になり、全てのマスメディア媒体や他人の会話なども遮断します。

恐怖症や適応障害などであれば、恐怖状況を避ければ精神的に落ち着くのですが、強迫症では、恐怖状況を避けて、本来なら安心できる状況になっても、その嫌なことが強迫観念となって、頭から離れなくなり、悩み続けることになります。
恐怖状況を避ければ解決と言うことにはならないのが、強迫観念の障害である強迫症(強迫観念主体型)の特徴です。

強迫観念主体型の強迫観念は、通常で、表象幻覚や妄想的思考になっていますが、そういう状態だからと言って、強迫症ではないということではありません。
強迫観念は普通の思いと妄想の間のような思考ですから、それが普通の強迫症なのです。

強迫観念主体型の強迫症はそのような状態になっていて、統合失調症の初期症状とほぼ同じ症状が慢性的にありますが、陽性症状のような状態は内面に抑圧されて表には現れません。
強迫症の何割かはこのタイプで、重症であると、どんな薬も効きませんし、昔から今も治療ができない病状として考えられていて、これが本来的な強迫症なのです。

このタイプの強迫症であると、強迫的関連付きや連想強迫が頻繁になり、例えば、嫌な文字などを避けるだけでなく、その嫌な文字などに近付くと汚れてしまうことになります。
その文字から嫌悪記憶が連想され、嫌悪記憶が忘れられない、離れてくれないという付着性が汚れと結び付いて、文字が付着する強迫観念が浮かび、洗浄しないと文字の汚れを落とせなくなります。

一般的にはほとんど関係なく思える物事でも、過敏性による過剰反応的に、嫌な文字=嫌な記憶=汚らわしい思いの連想というように本人の頭の中では結び付いてしまいますが、まったく現実的に関係ないことを関係付けてしまう関係妄想とは異なり、ある程度は現実的に関係のあることなので、強迫観念なのです。

ただ、関係妄想が強迫症だと変形するとも考えられるし、強迫観念は、程度によっては、ほぼ妄想に近くなりますが、強迫観念は現実との結び付きが強い、本人がそれを自分の思いだと分かっている。その点が真性の妄想状態とは違います。
妄想状態は社会的危険性が強いのですが、妄想による苦しみは、患者の頭の中だけの問題なので、薬で鎮静させれば鎮静します。
強迫観念は、社会的危険性は少ないのですが、現実が意識できる限り、強迫観念による苦しみも消えません。

強迫症の人は、強迫観念や強迫行為を無意味だと思っている、と説明する人もいますが、強迫観念主体型の人にとっての強迫観念はかなりの現実的苦痛があり、強迫行為も、その苦痛の原因である現実を変えようとする行為ですから、無意味だと思っている人は、ほとんどいません。

もちろん、一般の人とは、感覚も感じ方も現実のとらえかたも考えたかも違うし、一般的に考えれば、時間の無駄で、非効率なことをしているのは分かっていますが、本人としては、現実としてある実際の苦痛を無くすために、どうしてもしなければならないことになり、無意味なことをしているなぁとは思えないのです。
突き刺さったトゲを抜くような行為を無意味には思えないことと同じです。

本当に無意味だと思えるなら、わざわざそれを消すための強迫行為をするわけがありませんが、強迫行為主体型の場合は、強迫行為ができないから、強迫観念が浮かんでしまうようなものですから、強迫観念や強迫行為の苦痛は弱く、無意味に近い強迫観念でも、強迫行為をしたくなったり、実際に無意味に繰り返し行為をする人も含まれます。

同じ強迫症でも軽症か重症か、特定の強迫観念だけが浮かぶのか、それとも全般性なのか、完璧主義型なのか、依存症タイプなのか、発達障害が重なっているタイプか、トラウマ障害が重なっているタイプか、統合失調症に近いタイプか、恐怖症や不安症に近いタイプか、といったように様々な病状があり、実際にそのどれもが強迫症なのですから、治療方法も同じということになりますが、強迫行為をしたくてしていたり、無意味に行為を繰り返している人は、強迫症と似たように見えても、本来的な強迫症ではありません。

自宅で治せる強迫性障害みたいなセルフ治療本は、普通の人に近い軽症の強迫症とか、性格的問題で強迫症状が出ている人向けなので、精神障害者と言える範囲の強迫性障害患者が本を読んだだけで、自分で治せるということはありません。

強迫症に薬が効かないことは昔から知られていることでしたが、行動療法を実際にやれば時間と根気がいるし、割に合わないので、薬で脳機能レベルではある程度まで治せるが、考え方や行動の癖(習性)が変わらないから、症状が変わらないということになり、認知行動療法なども併行すればより良く改善できることになりました。

しかし、複雑な症状の人、重症の人、妄想的思考のある人、などを除外しないと、行動療法に取り組めない人や治らない人のほうが圧倒的に多くなってしまいますから、行動療法でこんなにも治せますみたいなデータは、元気で意欲的な軽症患者だけでの話です。
重症であるほど、嫌悪していることに平気になってしまうことに抵抗を感じ、特に汚染恐怖があると、一時的に汚れに平気になっても、再発した時に汚染まみれになってしまうので、治ってしまうことにも恐ろしくなってしまうというのが、強迫症が難治である理由なのです。

ただ、治したいという気持ちが強くても、治すのが怖いと思っていても、そういう気持ちに関わらず、強迫観念が浮かびます。当たり前ですが、どう思うかで治せる病気ではなく、どう思って、どういう気持ちでいようと、強迫症状は出るので、意識的な心掛けは強迫観念とはまったく関係しないのです。

そういう意味では、強迫行為主体型の人は、強迫観念ではなく、強迫行為の病気ですから、このタイプの場合は、本来は、強迫観念自体はほぼ無意味なので、その思いを放置しようと思えば、それもできるし、強迫行為をしないようにする我慢訓練をすれば、ある程度は治すことができます。

強迫観念主体型の強迫症は、強迫的なことに弱く、強迫観念が浮かびやすい病気です。前に書いたように、効く薬はあることはありますが、様々な問題があり、日常的に使うということはできません。

抗精神病薬を使った治療は、長期的にはデータ不明となっていますので、再発していることも考えられます。
薬物療法+行動療法で改善した人は、抗精神病薬を使った時点で、症状のほとんどは改善している場合が多いので、強迫症統合失調症の類似性、関連性から考えると、ある意味、自然なことですが、強迫症状のある統合失調症の人であった可能性もあるし、そうでなければ、恐怖症に近い病状の人であったことも考えられます。
軽症の人が、恐怖や不安を弱めるために、少量を一時的に使う程度ならほとんど問題ないのですが、強迫症での治験も行われていませんし、重症患者へは、長期的なリスクなども考えれば、安全面を含めて適切な治療方法とは言えません。

病名がなんであれ、病状が軽くなって、生活も改善するなら、その薬が向いていると考えられますが、通常は、病名の症状に適応する薬しか飲めませんから、強迫症の場合は、二種のSSRIになり、現状では、それが適切であるとされています。
何か使うなら、一番、無難な選択で、今ある他の薬よりは向いているのです。


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