強迫性障害の全貌

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タイプ別の強迫性障害/強迫観念は非現実的か現実的か?

強迫性障害に、強迫観念主体型、強迫行為主体型、混合型というタイプがあることは、WHOがICD-10で提示した考えですが、このブログのタイプ分けとは少し違います。

WHOの考える強迫行為主体型は、現実行動のみの強迫行為が主体で(頭の中での強迫行為が少ない人)で、強迫観念主体型は、頭の中だけでの強迫行為が主体の人で、混合はその両方になります。

このブログでの強迫行為主体型というのは、強迫行為先行型とも言え、「こうしたい」「こうあるべき」などのこだわりによって強迫行為が行われ、それが不完全であったり、できなかったりすると、強迫観念のような不安や不満が強まるタイプです。
清潔でありたいとか、安全でありたいとかの気持ちが強くて、強迫行為を求めてしまうので、その気持ちが強いほど、それができない時の強迫観念も強まります。
強迫的なことに弱いとかストレスに弱いとかではなく、自分自身や場合によっては他人に対しても強迫をしてしまう傾向があります。
このタイプには、完璧主義的なこだわりの強い人と、依存症的に強迫行為を求めてしまう人がいます。
完璧主義型の人は、自分を追い詰める人ですから、有能な人も多くいますが、実力以上にその傾向が強過ぎると無理をすることになります。
依存症型の人は、強迫行為による安心感、安定感などを求める気持ちが過剰になって、それが得られない状況に耐えられなくなります。
一般的な強迫症の説明に出てくるタイプはこちらが多く、強迫行為をしないようにできれば、強迫観念も浮かびませんから、一般的な説明に出てくる治療法が向いています。

強迫観念主体型は、強迫観念先行型で、本来の治し難い強迫症です。
このタイプだと、強迫行為はしないで済むならしたくないのですが、強迫観念とそれと結び付いた現実のストレスを解消するために、嫌でも強迫行為をしないといけなくなります。
強迫観念が強いほど、強迫行為も過剰になりますが、強迫行為をするのが苦痛なので、回避が増えます。
多くの場合、発達障害うつ病を併存しているし、感覚過敏(神経過敏)で条件反射的に関連強迫が起こりやすく、強迫観念が妄想的になったり精神病に近くもなります。

強迫観念というのは、思いたくもない考えたくもない嫌な思考や記憶、不適切な願望などが思い浮かんでしまう状態ですから、強迫観念主体型には、その嫌な思いを頭の中で振り払うという思考による強迫行為も頻繁に起こります。

強迫感覚主体型・・・強迫的な感覚で強迫行為をする
強迫気分主体型・・・強迫的な気分や感情で強迫行為をする
は、強迫行為先行でなければ、強迫観念主体型に含めます。
強迫感覚主体型や強迫気分主体型にも強迫観念がある場合もありますが、それ以上に不快な感覚や気分に強迫されて、強迫行為をしてしまうため、強迫観念が現実的か非現実かはあまり考えていない場合も多くあります。

強迫的感覚や気分は、それ自体が不快な実害であり、強迫観念も現実的であれ非現実的であれ、恐怖や不快感や嫌悪感などを伴いますから、その観念自体が患者にとっては実害になります。
強迫行為をする前に、感覚や気分や観念自体に耐えられないのです。

強迫行為しなくても強迫観念に悩まされるので、強迫行為をしなくても心配いりませんよとはなりませんから、治し難いのです。

混合型は、はっきりした強迫観念はありますが、強迫行為を求めてやっている傾向も強いタイプです。
強迫観念は嫌なことですから、それを避けるための強迫行為を求めるのはある意味、自然なことで、強迫観念主体型+強迫行為主体型という状態の人も多くいます。
強迫行為をパターン化、習慣化したほうが安全で効率が良いので、不快な思いをしないように、先行的(予防的)に強迫行為をするという場合もあります。

混合型も大きく分ければ、強迫観念主体型になり、強迫観念が浮かびやすいという病状が治し難いので、このタイプも治し難くなります。


強迫観念は非現実的か現実的か?

非現実に思えるが、現実にも思える。この二重思考の葛藤が強迫症状の元ですが、どちらに偏るかは人によります。

強迫性障害の人は、現実を検討できますから、通常、その強迫観念も現実との結び付きが強くあります。

アメリカでは強迫観念を非現実の思考として、強迫行為も現実の問題を解消する行為ではないと考えられていますが、それは国際基準の強迫症ではありません。
アメリカでは、強迫観念というのが、非現実だと分かっている妄想みたいなものだと勘違いして、逆に現実的に思っている人のほうが、妄想を非現実だと思えない(洞察力のない人)としています。
しかし実際には洞察力があるからこそ、自分だけの思いであるということが分かるのだし、強迫観念が現実と結び付いていることも分かるのです。

強迫観念や強迫行為が不合理というのは、それが自分の意に関わらず浮かんでしまい、強迫観念に違和感を感じたり、一般的にはしなくても良い行為を過剰にしないといけなくなってしまうという意味での不合理です。
強迫観念を非現実だと思っているというというのは、そういう側面があるだけで、実際には多くの患者は強迫観念を現実的にとらえるからこそ、現実を変えるために強迫行為をするのです。

無意味だと思っているというのもそういう側面があるだけで、無意味だと思っていながらも、無意味に思えないという二重の思考になっているのです。
実際に無意味に思えるだけなら強迫行為をするわけがありません。

ただし、現実検討できるからと言って、現実検討をしているとは限らないので、人によっては非現実に思えるのに、強迫行為をしてしまうという感じになり、そうすると無意味なことをしていると思えてしまいます。
特に自分の心理状態への洞察力が弱い人の場合、強迫観念を現実としてとらえていることに気付けないので、非現実の強迫観念で強迫行為をしていると勘違いしてしまうのです。

強迫観念の内容はほとんどの場合、日常の現実的なことと結び付いていて、実際に現実的なのですから、自分の考えに関わらず、条件反射的に不安や恐怖、嫌悪などが起こるのです。
それは現実体験としてのトラウマ記憶を非現実として思えないことと同じことです。

どういう汚れにしても、本人が避けている汚れに汚されるからこそ、洗浄するのであり、汚れること自体は、非現実的ではなく、普通にあり得ることです。
汚れを不快になったり嫌悪するのも現実的なことです。
自分だけのイメージだと分かっていながらもそれを現実と同じように扱うというのも、強迫的な条件反射で起こるからで、非現実のイメージ(妄想)ではないのです。

強迫観念を確信している=妄想

ではなく、どのように確信しているかなのです。

強迫観念(思考やイメージなど)を現実そのものとして確信していれば、真性の妄想です。
ただし、「現実そのものとして」というのは、その思いが、自分の内にある自分だけの思いであることが、「分かっていない」状態のことです。

強迫観念に対して現実的に反応して現実的に扱っていても、それが自分の内にある自分だけの思いであることが分かっていれば、表象幻覚や妄想的思考ではあっても、妄想状態ではありません。
他の人にはそれが現実的ではないと分かっているが、自分には現実的に思える。それが通常の強迫観念です。
それが一般の普通の人よりも過剰な思いであったり、強迫行為も過剰にはなりますが、現実との結び付きは実際に強いのです。
「細菌が手に付いたかもしれない」と思って洗浄する人よりも、「細菌が手に付いた」と思って洗浄する人のほうが多いし、細菌が手に付くというのは、非現実的ではなく、普通にあり得ることです。
非現実的強迫観念だとしても、その違和感、不快感は実害なので、現実的に思えます。

強迫観念主体型の場合、感覚過敏により感性が異常に強いことで、一般的にはあり得ないような内容の思考になってしまうだけで、本人の感覚では実際に現実に等しい思いなのです。
感性の強さが一般の人と違うだけですが、感性の過剰は治療できることではないので、何をしても治せない人が多いのです。

強迫観念は、非現実ではなく、現実的思考という意味は、簡単に例えれば、ピーマンが苦手でそれを避ける人は、実際に現実としてピーマンが苦手であるということと同じです。

その人に「ピーマンはおいしいんだ、嫌うのは非現実的だ」と言っても、それは他人だからであり、その人にとっては、ピーマンは現実問題として不快で嫌なのです。

その人が食べ物であるピーマンを見ただけで不快になったとしても何も不思議ではありません。
ピーマンの写真やピーマンのテレビ映像などを見ただけでも条件反射的にピーマンの味や嫌悪感が想起されるからです。

これが強迫性障害であると、ピーマンが(強迫観念として)反復的に思い浮かんでしまうことになり、その度に嫌悪感も想起れるから苦悩するわけです。
この反応は、トラウマ記憶やそれを想起させる物事に対する嫌悪などと同じことで、完璧主義でもないし、完全を求めるわけでもないし、どう思おうがどう考えようが、それに関係なく起こるので、どうしようにも治せません。

一般的な人の不安や恐怖症的な思いであれば、ストレス対象さえ避ければ済むのですが、強迫性障害の場合、現実的ストレスを避けても、その嫌な思いが強迫観念として頭の中で続いてしまい、それは現実的な不快な思いであるからこそ、なかなか消えずに、その後も強迫行為をすることになります。

一方で妄想は非現実反応ですから、現実のピーマンではなく、妄想上のピーマンに嫌悪することになり、ストレス自体も妄想なのです。

統合失調症は現実と非現実の区別ができないというよりは、現実への関心が弱まり、妄想を現実として扱ってしまう病気なのです。
実際の現実と妄想の区別ができないのではなく、妄想が現実となっている状態であり、その妄想の現実と、実際の現実は別なのです。

例えば、統合失調症の人が、Kという芸能人と結婚しているのだと言い張る場合、そのKさんは、現実のKさんではなく、妄想上のKという芸能人のことを言っているのです。
現実を検討しませんから、現実のKさんと結婚しているかしていないかはどうでも良いことで、妄想で思いついたことが統合失調症の人には現実として思えるから、はっきりと断言するわけです。
あくまで現実は関係していないのです。
そのことが分かっていない人が統合失調症の人に惑わされて、統合失調症の人は、他人と自分の区別ができないとか勘違いをしているのです。
妄想(非現実世界)での他人との区別があいまいなだけで、現実の他人との関係はよく考えていないだけなのです。
統合失調症だと他の人達との現実をうまく共有できません(気が合わない)から、現実がどうこうではなく、患者の思考世界の話なのです。

ですから、もしその人が実際の現実のKさんに出会っても、それは妄想上の現実のKさんではありませんから、実際の現実のKさんに対してどうこうすることはないのです。
実際の現実のKさんは、最初からほとんど関係してないのです。
ただし、統合失調症ではなく、妄想性障害などであると、現実との結び付きがある妄想を持ちやすくなります。

非現実の妄想は、現実反応ではないので、それによって強迫行為をすることはありません。
強迫行為という現実的行為では妄想(非現実)は消えないからです。
強迫行為を儀式として行いその精神的作用で、妄想が落ち着くという場合は、強迫行為自体にはあまり意味がなく、妄想を妄想で落ち着かせているだけで、非現実の思いを非現実の思いで解消しているのであり、最初から最後まで妄想なのです。

妄想は非現実思考であるからこそ抗精神病薬で鎮静できるのであり、強迫観念は現実反応ですから、強迫行為でしか抑えられません。
逆に言うと、強迫観念であっても(突飛な内容ではなくても)明らかに非現実の思考であれば、抗精神病薬が効きやすいのです。
強迫観念の内容が明らかに非現実だと確信していながら、現実的な強迫行為をするのは、非現実と現実を同一視しているので、妄想型になります。
妄想が妄想(非現実)だと分かっているが、それにとらわれる状態は、二重見当識での妄想に近い状態だからです。
強迫観念を非現実だと確信している人であれば、抗精神病薬だけでも治せるのです。

ただし、そんなに突飛でもない(実際にあり得る)内容なのに、非現実だと確信できるというのは、強迫観念に対する不安などでパニック状態になってしまうことで、正常な現実検討ができないだけということも考えられますから、非現実だと確信しているから妄想型とも限りません。

現状では、強迫観念を現実的にとらえる人が妄想型とされる傾向がありますが、現実反応の強迫観念をありえることとして確信するのは、正常なのです。
強迫観念が不快であることは(本人にとっては)現実ですから、そのことにとらわれて、強迫観念の内容が現実的か非現実かなどとわざわざ考えない人も多いのですが、現実に強迫行為をするということは、本人が自覚していなくても、強迫観念を現実的にとらえているわけです。

現実の強迫観念は、強迫観念に対する不安や恐怖、嫌悪、不快感なども現実反応であり、それ自体は正常なので、その反応を変える事は困難です。
強迫観念の内容が現実的でも非現実的でも、強迫観念が浮かべば同時に嫌な気分になります。
正常な思考で、そんなことはありえないとか思っても、強迫観念が浮かぶこと自体が不快なので、それが現実と結び付いたストレス反応であれば、強迫行為で現実を変えないといけないし、ほとんど非現実的な内容の場合は、頭の中でそれを打ち消したりすることになります。

本人が思考としては現実的に思ってなくても、感覚的、気分的に(体、脳が)現実反応をしてしまうのです。
頭でどう思ってどう考えるかに関係なく、強迫的に条件反射が起こるからです。
強迫観念はネガティヴな条件反射なので、自分の意志とは無関係に、自然と浮かんでしまうのですが、それは嫌なことなので、強迫性も強まるのです。

妄想=非現実的思考
統合失調症=現実に対し鈍感(簡単なことや簡単な刺激は分かるが現実検討力が弱い)→強迫観念は弱まる

強迫観念=非現実的な現実的思考
強迫症(強迫性障害)=現実に対し敏感(過剰に現実に反応してしまう)→強迫観念が強まる

強迫観念は不快だからこそ反復的に持続します。
そしてストレスによる不快感が強迫観念を呼び起こします。
ハッピーになれる薬で、1年ぐらい幸福状態を続けたら、不快感が消えることで、強迫観念も反復し難くなりますが、今のところそういう治療はできません。

何もしない=ストレスがないというのは、自閉した陰性症状状態の人であるか、よっぽと精神の安定している人にしかできません。

強迫症の人は、何もしてなくても強迫観念のストレスがあるので、ストレスの少ない生活をしたくても、なかなかリラックスできないのです。
感覚過敏でストレス耐性が弱いのに、ストレス社会で何かすればやはり強迫観念が浮かびやすく、強迫症状は必ず悪化します。

治そうとする意志に無関係に強迫観念が浮かぶので、強迫観念主体型や混合型の強迫症は軽症でない限り、自然に治りませんし、頑張っても治せませんし、どうにもできません。

かなり時間はかかりますが、悪化を防ぐための治療や生活を続けることで、少しずつ改善して行くしかありません。


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