強迫性障害の全貌

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強迫性障害によるWの苦痛と現実のストレスの三角関係

「強迫行為は現実の問題を解消する行為ではない」という考えは、強迫症の人のストレスを理解できていないことによる誤解です。

その元には、「強迫観念は想像上の害」という考えがあるのですが、これも少し誤解というかピントのずれた考えなのです。
強迫観念は何らかの不快なことを「かもしれない」とか「そうである」と思える状態ですが、「かもしれない」という未来的なことへの不安にしても、そういう考えが頭から離れなくなってしまうこと自体が苦痛なのです。
実際にはそれが起こらないにしても、そうではなくても、そうなってしまうように思えたり、そうであるように思える(そういう思考に強迫される)ことが苦痛だと言うことです。
「かもしれない」という不快な考えが頭から離れなくなってしまう状態が現実として起こり、その症状による苦痛は想像上ではなく、強迫観念による実際のストレスなのです。

ということは、「かもしれない」とか「そうである」と思えることが現実かどうかではなく、そう思わせる強迫観念を引き起こす現実の状況が、強迫性障害での現実的ストレスなのです。
現実の何を避けているかを分かれば、その人にとっての現実的ストレス(強迫観念を起こす物事)が分かります。
それを回避したり、防いだり、対処するのが強迫行為ですから、強迫行為は現実の問題を解消する(しようとする)行為なのです。

強迫観念を引き起こしたり、煽るような強迫的な現実状況、それは強迫行為を引き起こす現実状況でもあります。
人それぞれ様々ですが、確認しないといけなくなってしまう状況とか、汚染や不潔を回避したり、洗浄したり、汚染物を捨てないといけなくなってしまう状況が、現実のストレスなのです。

例えば、テストに書いた答えを何度も確認しないといけない人は、テストが現実のストレスになります。
学生の場合、テストは避けられませんから、確認と言う強迫行為で対処しながら取り組むことになります。
強迫観念としては「書き間違えているかも」とかになりますが、書き間違えているかどうかは確認しないと分かりませんし、間違っていると言う強迫観念が強いと、実際に間違ってなくても、間違っているように思えて、確認しないといけなくなります。
実際には間違ってないから、現実の害ではないということではなく、実際に間違っているかどうか以前に、間違っていると思えてしまうこと(強迫観念の苦痛)、確認しないといけなくなってしまうこと(強迫行為の苦痛)、そのWの苦痛が、そう思わせる(そうさせる)現実の状況と結び付いていますから、それら全てが現実の害(ストレス)なのです。

不潔恐怖とか汚染の強迫観念の場合は、不潔な状況とか、汚される状況が現実のストレスになります。
その汚れは一般の人では汚されないことなのですが、過敏で感受性が強いので、嫌悪の強迫観念の付着感により、汚れとして認識されます。
一般の人は汚れないから現実ではないと言うことではなく、何を汚いと思って、何に汚されるかは、感性の違いにより人それぞれで、過敏な人は、感覚も現実のとらえ方も違いますから、その人にとっては、それが現実なのです。

妄想との違いは、強迫観念の場合、その汚れが一般的ではなくても、現実の何かの汚れであることです。
トラウマに汚いイメージがあれば、トラウマ関連の物事などでも汚染されるようになります。
悪いニュース、汚い言葉、不快な文字、グロテスクな写真、嫌な人格とか「行い」そういったことで汚れる場合も、現実の何かを汚いと思うのですから、妄想ではないのです。

妄想の場合は、妄想上の何かを汚いと思って、それを現実だと本人は勘違いするのですが、実際にはまったくの非現実なのです。
この状態と強迫観念を一緒にしてはいけません。

強迫観念の場合は、汚れ自体がイメージであっても、その汚れは現実の何かの汚れをイメージしてしまうのですから、イメージだから現実ではないということではないのです。

強迫観念は現実の何らかのストレスによって、条件反射的に浮かびます。
それは、内面にある記憶の場合もあるし、イメージなどによっても浮かぶのですが、現実の記憶であり、現実の何かのイメージ化なのですから、頭の中のことだから、現実的ではないということにはなりません。

まったくありえないような不安思考は妄想みたいなものですから、そういう強迫観念には抗精神病薬が効く可能性が強いです。
ただし、本来の強迫観念は、ありえないような内容でも、現実との結び付きが強く、通常の不安とも違いますから、ほとんどの薬は効きません
これは神経過敏症状ですので、過敏性を治せない限り、なんともなりません。
考え方の癖とか、性格も一切関係ありません。
本人としては、ストレスに対する正常な反応が、過敏性により、一般よりも過剰反応となって、病気の症状になってしまうだけなのです。

強迫症の人の頭の中にある強迫観念は、現実のストレスによって、強く表れます。
過敏でストレスに弱い人は、日常の様々なことが刺激になり、強迫観念が頻繁に浮かびます。
そのストレスに対して拒絶反応的に、強迫行為(その現実状況を変える行為)をすることになります。
ですから、「強迫行為は現実の問題を解消する行為ではない」という考えは間違いです。

ストレスに弱い人は、現実のストレスは回避しようとするのですが、強迫症であると、日常の様々なことがストレスになってしまうので、回避しきれずに、強迫行為で防いだり、対処したりが増えてしまうのです。
強迫観念には反復性、持続性があり、強迫症状は必然的に年々悪化していくのが普通で、何十年も経てばほぼ不可逆になります。
つまり、まったく治せませんが、ストレスで悪化するのですから、ストレスの少ない生活をして、悪化を防ぐしかありません。
そうして、もっと何十年かすれば、モウロクして、症状が弱まる可能性があります。
しかし、モウロクしてしまうと別の問題があるので、重症であると、社会的な活躍などはあきらめるしかありません。

軽症段階の人とか、強迫行為主体型の人とか、強迫行為主体型よりの混合型の人であれば、ある程度は治すこともできます。
次回以降にそういった話を書きます。