強迫性障害の全貌

強迫性障害の知識の普及 Link Free

本当の強迫症とは?/強迫行為と強迫的な依存行為の違い

強迫性障害は程度も症状も多種多様ですが、大雑把に分けると、強迫行為主体型と強迫観念主体型に分類できます。

WHOの言う強迫観念主体型は、頭の中だけで強迫行為をするタイプで、強迫行為主体型は、現実行動の強迫行為をするタイプで、その両方あるのを混合型としていますが、強迫性障害の特有の症状としては、強迫観念と強迫行為の両方あり、強迫観念を解消する目的で、強迫行為が行われることです。
頭の中だけの強迫行為も頻繁に起こりますが、身の周りの日常的なストレスで強迫観念が強まり、なんらかの現実的な強迫行為も見られるのが普通ですから、このブログでは、WHOの言う混合型を基準にして、なぜそういう症状が出るかの違いで分けています。
タイプによって治し方が違うからです。

強迫行為主体型は、強迫行為先行型と言ったほうが分かりやすいかもしれません。
強迫行為を求める気持ちとその行為が過剰なことで、それが得られない状況で、強迫観念のような不快な思いが強まるタイプです。

強迫観念主体型は強迫観念先行型ですから、強迫行為を求めているのではなく、不快な強迫観念を解消するために強迫行為をしないといけなくなります。
強迫観念とは「かもしれない」という未来的な不安のことだけではなく、今現在起こっている現実のストレスでも思い浮かぶし、過去の不快な記憶(トラウマ体験の記憶)も強迫観念になり、それを振り払うために強迫行為をしないといけなくなります。

強迫観念は侵入的で、反復性、持続性があり、普通の不安とか恐怖思考と違って、ストレス対象から離れて時間が経っても、その嫌な対象への不快な思いが、長く強く繰り返し残ってしまいます。
それが強迫症的な強迫状態です。

強迫行為主体型のような「こうあるべき」「こうしたい」という強いこだわりにとらわれる状態は、本来の意味での強迫状態ではありません。
これは完璧主義の人に多く、本当は強迫性パーソナリティ障害の人です。

強迫行為主体型には、強迫行為による安心感、すっきり感、シックリ感、キッチリ感(完全感)を強く求めることで、それが得られない状況で、強迫観念のような不快な思いが浮かぶタイプもいます。
これは強迫症というか、本当は、強迫行為の依存症のような症状です。
強迫性障害の場合、しなければならないことに快楽、娯楽性がなく、日常的でつまらないこと(普通の人なら過剰にならないこと)であるのが特徴ですが、敏感な人などは、日常的で普通はつまらないことでも本人には心地良くて依存症のようになってしまうのです。

強迫症的な強迫観念は、「こうでないといけない」「こうあるべき」という気持ちが強いことで、そうでない状況の時に強まる不快な思いとは別のものです。
お酒が好きで飲みたい人が、お酒を飲めないときに不快な思いが浮かんでも、それを強迫観念とは言いませんし、自ら求めて繰り返していた飲酒を、せずにはいられないからと言って、強迫行為とは言いません。
そういう依存症的な行為も強迫的○●のように、言うことがありますが、そういう強迫性と、強迫性障害での強迫性は別の話なのです。

依存症でも「本当は飲まないほうがいいけど」と思う場合がありますが、飲みすぎは体に悪いからとか、お金がかかるからとか、そういう意味であり、依存症であれば、しなければいけない行為(強迫的飲酒など)=したい行為(依存行為)であり、それを自ら求めていることには変わりません。

お酒を飲みたいわけではないが、不安を弱めるために、どうしても頼ってしまうという場合は、強迫症状に近くなりますが、強迫症であれば、通常の強迫性障害で見られるような症状もいくつか出ますから、それがないなら不安症の範囲と言えます。

恐怖や不安に悩まされても、強迫性障害で見られるような症状がないのであれば、強迫性障害には含めません。
例えば、強迫性障害の人は、身体醜形障害などにもなりやすいのですが、身体醜形障害でも、症状がそれだけで、他に強迫症状がないのであれば、強迫性障害ではありません。
また、「きれいでありたい」という気持ちが強過ぎて、不潔恐怖や身体醜形障害になってしまう人もいますが、そのことと強迫症での不潔恐怖や醜形恐怖は別の症状なのです。

強迫性障害の人は、強迫行為を求めているから、強迫観念が浮かぶのではありません。
強くはっきりした強迫観念があり、それを解消しようと嫌でも強迫行為をしなければいけなくなります。
強迫行為をしたいわけではないのに、しないといけないから苦痛が強いのです。

強迫行為を止めても強迫観念はあり続けるのですから、強迫行為をするほど、強迫観念が浮かびやすいという考えは、依存症的な心理状態のことであり、強迫性障害と強迫行為依存症の区別ができないことによる誤解した考え方です。

敏感だからこだわりにとらわれたり、普通の人にとってはなんてことないことに心地良さを求めてしまう面もありますが、強迫行為主体型の強迫症は、強迫症に見えても、実際にはパーソナリティ障害や依存症です。
これと強迫観念主体の強迫症を区別することが、本当の強迫症の理解に繋がります。

他に大事なことは、統合失調症での妄想と強迫症での妄想様強迫観念の区別です。

妄想のストレス対象は、妄想の中にあり、現実にはありません。
本人は、それを現実だと思っているのですが、現実からは切り離されていて、実際は現実には問題がないからこそ、薬で治せるのです。
妄想状態の人が、あの人が悪口を言っているという場合の「あの人」は、現実のその人のことではなく、妄想上にいるその人のことなのです。

強迫観念は、その内容が現実に起こっている実際ことの場合もあれば、実際には起こっていないことの場合もありますが、どちらにせよ現実の何かに対する考えやイメージなどであり、現実との結び付きがあるからこそ、薬が効かないのです。
強迫状態の人が、あの人が悪口を言っているという場合の「あの人」は、現実のその人のことなので、そう思いながらも薄っすらとは「そうではないかもしれない」という思いも浮かびます。
もし「そうではないかもしれない」と思わないにしても、妄想上ではなく、現実のその人のことを言っているのです。

汚染恐怖の場合、汚れがイメージだとしても、妄想上ではなく、現実の何かの汚れをイメージ化しているのです。
これが妄想の場合は、現実の何かの汚れではなく、妄想上にだけある現実とは結び付きのない汚れなのです。

強迫症状は神経過敏症状であり、精神病症状ではありません。

自閉症統合失調症でも過敏になりやすいといわれますが、簡単な刺激に大げさに反応するからと言って、神経過敏というわけではありません。
刺激にオーバーアクションすることと、刺激に実際に敏感であることは別の話です。
パニックと同じで、オーバーアクションすることで、興奮状態になり、ストレス耐性が強まり、刺激を少し和らげる(ブロックする)ことができるのですが、実際に神経過敏の人は、オーバーアクションの刺激にも弱いので、抵抗できずに、刺激をそのまま受け止めて、強いショックを受け、ダメージが長く残ります。
冷静に受け止めてしまう分、その刺激に対して(どこの誰が悪いとか)考えてしまうことになります。
傷付いたことで、その考えとその記憶が残り続け、同じような刺激情報を警戒し、回避することになります。

強迫性障害の人も、ストレスを回避しようと、自閉的にはなりますが、現実との間に壁が作れずに、自閉することができません。
だからこそ、現実のストレスが直撃して、それを強迫行為で対処するのです。
自閉しないので、刺激にも敏感になり、現実のことが良く分かり、その刺激とそれに対する拒絶反応的思考(強迫観念)が結び付きます。

前にも書きましたが、通常、刺激や情報は、感覚器官→神経→脳→心と伝わりますが、過敏であると、感覚器官→神経→脳→心のルートの全てに刺激や情報が伝わったまましばらく停滞して消えなくなります。

それが不快な情報であるほどそうなりますが、その情報を心でうまく処理できずに、心→脳→神経→感覚器官という情報伝達が逆流するような状態になり、体全体が心(思考、イメージ、記憶、気分、感情など)に長々と過敏反応します。

もちろん現実から入ってきたストレスも感じ続けることになり、心身がストレスで一杯になっている状態に、新たなストレス情報が入ってくると、そのストレスに対して拒絶反応が起こり、その拒絶反応と結び付いた思考が強迫観念になります。

強迫性障害の人が、イメージに対して現実反応が起こるのは、そういう心への感覚過敏によって、イメージが自分の外側(現実)にもあるような状態になってしまうからです。
刺激や情報を認識する自分が、自分自身の内側に引き篭もってしまい、そこから自分の思考と現実を認識する形になり、自分の思考が現実そのものではないことは当然分かるのですが、思考を現実と同じように反応して扱うことになります。
その状態を、表象幻覚、妄想的思考(妄想様観念)などと言い、強迫観念があれば通常そういう状態になっています。

過敏な人が刺激を無視できるでしょうか?
刺激に鈍感にならないと刺激は無視できません。
過敏である限り、ストレスは付いて回り、強迫観念もなくなりません。

抑圧、解離、統合失調(陽性症状)、統合失調的自閉(陰性症状)など、これらは全て強迫観念やトラウマ記憶などを対処するための症状です。
無能力無反応が一番そういうストレスを回避できますが、生きている人には困難です。
精神症状は生きている人にだけありますから、どの病気も完全ではありませんが、統合失調的自閉(陰性症状)が一番それに近い(ストレスの少ない)状態です。

強迫観念やトラウマ記憶があっても、そういうストレス回避的な精神症状が出ない人は、そのストレスを強迫行為で対処することになります。

強迫症の人は、現実に敏感であるからこそ、現実の刺激や不快な記憶から逃れられない(鈍感になれない)ので、抑圧、解離、統合失調(陽性症状)、統合失調的自閉(陰性症状)などが起こりません。
強迫状態と躁状態はどちらも過剰な行動をしますが、内容は真逆になり、ハイになってストレスに鈍感である(ストレス耐性が強い)と、危険な行動をしてしまい、ストレスに敏感なほど(ストレス耐性が低いほど)、危険(危害)回避的な行動が増えます。

強迫症はほとんどの場合、精神分析などでも治せません。
抑圧は解離的な症状ですから、強迫症はほとんど関係ありません。
無意識に抑圧された記憶で強迫症状が出る人がいるとしても少数です。
強迫症状が出るということは、そのストレスは意識できる範囲にあり、不快な記憶が抑圧されないからこそ、強迫観念やトラウマ記憶に悩まされるのです。

仮に無意識にトラウマが隠れていても、強迫症状は顕在意識の問題を対処する症状ですから、無意識にあるトラウマを消化できても、強迫症状は治せないのです。
強迫症の人のストレス対象は抑圧されません。意識できる具体的なストレス対象があり、それを解消するために強迫行為が起こります。
無意識に原因があるとしても、それは意識されないほどの軽いトラウマであり、顕在意識にはっきりとあるトラウマのほうが苦痛も強いのですから、無意識のトラウマとご対面しようが、症状は治まりません。

仮に前世にトラウマがあったとしても、強迫症状は今意識できるトラウマによって起こっているのですから、前世のトラウマとご対面しても、症状は変わりません。
無意識や前世ではなく、今意識できるトラウマさえ気にならなくなれば、強迫症状は治まりますが、ストレス耐性が低いとそれができません。

強迫症は今現在の病気であり、今の自分さえ変われば、過去の問題は問題ではなくなります。
過去は変えられませんが、変えられなくても、その過去が問題でなくなれば、今の自分に悪影響しません。

過去は今と一続きです。過去にとらわれないようにしないと、今を変えられません。

しかし、強迫症は強迫観念がなくならない病気ですから、過去にとらわれて、今が変えられません。

強迫観念に強迫的記憶も含めれば、不安障害、恐怖症、PTSDなどは、強迫観念を弱める薬で治せます。
強迫観念に効けば、一般の人の不安や恐怖や嫌悪も簡単に静められます。

それは人々を幸せな気分にします。

ただし、恐れのない人達は、国が管理し難い人たちでもあります。

ですから、強迫性障害に効く薬があれば、乱用などの問題もあり、必ず規制されて使えないのです。


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