強迫性障害の全貌

強迫性障害の知識の普及 Link Free

ルドヴィコ療法/人を強迫症にする方法はあるか?

強迫観念の汚れは、大抵の場合、本人も見えませんから、実際の汚れを確認(認識)することができません。
確認できないからこそ強迫観念が浮かび、その考えとかイメージによって確認することになります。
確認することで、強迫行為も終えるし、安心もできるのですが、思考なだけに確実ではなく、強迫観念が強いほど、強迫行為も過剰になります。

強迫観念の考えやイメージの強さ=汚れの程度
という感じで、強迫観念への確信度によって、どれだけ汚れて、どれだけ洗浄するかが決まります。

確認できないことで、「汚れてないかもしれない」と思えたとしても、強迫観念での汚れが思い浮かべば、脳内で確認できるようになって、どうしても汚れているように思えてしまいます。

例えば汚い物を触って、手に汚れが付けば、普通の人でも手を洗います。
強迫症(汚染恐怖/不潔恐怖)の人は、目に見える汚れが落ちても、汚れの強迫観念が残っている限り、まだ汚いと思えて、洗い続けるしかなくなります。

強迫症状をよく分かってない人からすれば、完璧を求めているからではないか?と思えるのですが、違和感、異物感などに弱いこと(感覚や神経の過敏)が原因となって、強迫観念=違和感が消えないので、それを解消する行為も過剰になってしまうだけなのです。

そして、強迫観念は、「現実の何か」ですから、汚れの強迫観念の場合は、考えやイメージとして「現実の汚れ」が具体化され思い浮かびますから、頭の中で見える汚れ(確認できる汚れ)になってしまい、物質的な汚れと同じように洗うしかなくなります。
強迫観念は、強迫性障害の人の感覚的には半物質的思考なのです。
違和感などの感覚的な強迫観念(強迫感覚)も、物質的に扱うことになり、強迫症の人の脳内では、物質感覚の違和感になり、付着を感じたりしますから、気にしないことができません。

強迫感覚や強迫観念は現実の何かと結び付いているからこそ、現実のことのように扱わないといけなくなります。

強迫観念の対象は現実にある(現実の何かが強迫観念としてイメージングされる)→一般的でなくても突飛な内容ではない。
強迫観念の解消=現実問題の解消
強迫観念の内容がほとんどありえない事だとしても、現実が頭の中に取り込まれて、それによって不安や嫌悪や恐怖が起こっている。
強迫観念の苦痛=現実による苦痛
現実に苦痛があるので、強迫行為(現実改善)をするしかない。(治しようがない)

恐怖症との違いは、恐怖対象から離れて時間が経っても、その記憶が強迫観念になって反復、持続して、そのことへの恐怖が続くことです。

妄想の対象は妄想にある(妄想の対象は現実ではない)→内容が突飛で実際にはありえない事が多い。
妄想を解消しても、現実は変わらない(元々現実には問題がない)
脳内だけの問題で、現実からの苦痛はないが、本人はそう思い込んでいる。
実際には現実を無視した頭の中だけの妄想による苦痛なので、薬で治しやすい。

普通の人でも、不快な情動記憶(不快な感情が結び付いた記憶)は残りやすいのですが、神経過敏の人は一般的にはそうでもない刺激でも、大きくショックを受けて、そのダメージと記憶(心的外傷/トラウマ)も長く残ることになります。

恐怖、嫌悪、不安などは生物が安全に生存するための本能です。
そういう体験をすると、似たような再体験を防ごうと保守的になります。
過敏でストレス耐性の低い人ほど、その傾向が強くなります。
普通の人であれば、そういうストレス体験をしてもすぐに回復したり、軽いストレスであれば再体験で慣れていくこともできますが、ストレス耐性の低い人は、ダメージが回復しませんし、一般的には軽いストレスでも何倍もストレスを感じるため、ストレスを重ねるほど、ダメージも大きくなり、その対象を過剰に避けるようになります。

恐怖を感じないウルバッハ・ヴィーテ病というのがあるそうです。
人は恐怖を感じられるから生存できるのですが、なぜその病気でも生きていられるのか?
それは、おそらく、
恐怖を感じ難いだけで、生存を維持する最低限の恐怖は感じられる。
苦痛、嫌悪、不安などは感じられるので、恐怖を感じ難くても安全を維持できる。
人間的な善悪の判断で、するべきではないことをしないようにできる。
とかではないでしょうか。
この病気は扁桃体等の障害(機能不全)ですから、認知行動療法では治せません。

逆に恐怖を感じやすい人も扁桃体に異常(過活動)があり、認知行動療法で治せると言われます。
性格とか考え方や行動が悪くて脳機能に異常(過活動)が起こるから、性格とか考え方や行動を治せば脳機能も治せると言う考えです。

性格とか考え方が悪くて強迫症の人というのは、実際にはパーソナリティ障害の傾向が強い人です。
性格の問題だと思って、どうこうすれば良いとか言うのは簡単ですが、本当の(病気の)強迫性障害は性格とか考え方をどうしようが、それに関わらず症状は出るのです。
病気の強迫症であるとそういうことはできないのです。

強迫行為が見られれば強迫症にはなりますが、多種多様な病状がありますから、脳機能的にどうこう言う場合も、どういうタイプの強迫症なのかを特定するべきです。

認知行動療法では、強迫行為で解消する安心感などに依存してしまうことで、余計に嫌なことに過敏になってしまうという考えです。
強迫行為をしないようにさせることを反応妨害と言い、強迫観念やそれを浮かばせる現実のストレスに曝すことを曝露と言います。

曝露には、強迫観念自体への曝露と、その強迫観念を浮かばせる現実のストレス対象への曝露があります。

強迫観念が非現実的に思えて、現実との繋がりも弱い場合は、強迫観念や現実のストレス対象に曝されることに強い抵抗はありません。

しかし過敏な人は強迫観念が非現実的だと頭で分かっていても、それに関係なく、感覚、神経が現実的に反応してしまうことで、結果的に強迫観念は現実と同じレベルになります。
かもしれないではなく、本人にとっては実際のことなのです。
現実反応によって浮かぶ強迫観念の場合は、実際にありえることとか、実際に起こっていることと結び付いていますから、その強迫観念は待っていても消えません。
現実のストレス対象を解消しないと、それと結び付いている強迫観念も消えません。

認知行動療法は「あなたはこういう病気なんです」とステレオタイプに一方的に決め付けてから始めます。
医師以外が行う場合は、問診もできないので、症状や病歴などを聞くことができずに、唐突にそうするしかないのです。

認知行動療法に出てくる強迫症はタイプ分けもされていないし、古い教科書に載っている昔の強迫神経症や不安障害のことです。
「あなたはこういう病気なんです」と言っても誤解された強迫性障害の範囲の話で、どういう病気かを理解していないのです。
実際の強迫症は人それぞれですから、患者本人の自覚と違っていれば、「そうではありません」となってしまいます。

認知行動療法は、ものの考え方やとらえ方、反応や行動の癖を直す訓練ですから、治るとしたら、病気ではあるが軽症の人とか、病気ではない範囲の人で、強迫行為主体型のように、性格や考え方や行動が原因で強迫症状が出ているタイプは向いています。
しかし、病気の範囲だと、認知や行動が異常(過剰)といっても、本人の感覚では正常な反応ですから、病気を治さないと、認知や行動も修正できません。

森田療法でも、強迫神経症は、病気ではなく、神経質という考えでしたので、病気の強迫性障害の人に森田療法などしてもまったく無駄です。

森田療法はほとんど仏教や禅の思想と同じですが、なぜそうなったかと言うと、本来の仏教は悩み苦しみ(煩悩)をなくす教えだからです。
煩悩を強迫観念と考えれば、悟りを得ることで強迫神経症は治せることになります。
ほとんどの不安障害や恐怖症なども治せることになります。

原始仏教で行われていた修行は、正しい考えで、正しい行いをすることで、悩み苦しみを減らし、心の安定を求める訓練です。今で言う認知行動療法に近いことをしていたわけです。
ところが実際にはそれができない人がほとんどで、後期(大乗)仏教は念仏やお経を唱えるなどの強迫行為的なことで、安心を求めるようになって行きました。
仏教上の悟りと言うのは、通常、世俗から離れた出家者が求めることで、現代社会を生きる人には到底できない非現実レベルのことだったのです。

ところが森田は神経質の完璧主義者で妄想的な超人志向がありましたので、あいまいな方便を理解できずに、仏教や禅の教えを鵜呑みして、少なくとも本人は悟りを得たと思って、同じように神経質の者は悟りを得れば良いと勘違いしました。
本人は大発見のつもりでしたが、実際には病気の治療法ではなく、病気ではないが病気になっている人にそのことを気付かせる程度のものでした。
神経質は元々病気でないのですから、治せるのは当然ですが、病気を治せないことは隠していました。
完璧主義による全か無かの思考で、実際に神経過敏の人達をいないかのごとく扱うことで、自身の理論による森田療法が完璧であることにしたかったのです。

神経質な完璧主義による巻き込みが森田療法で、この巻き込みは=布教でした。
有名欲やエゴの強さは、森田療法というネーミングにも表れていますが、仏教にのめり込んで教祖になったつもりだったのです。
それは自由ですが、神経症強迫症についての誤解(完璧主義による妄想的誇大解釈)をばら蒔くことになり、今でもそれを信じている人がいます。

宗教と同じで、その思想を信仰できる信者であれば、その思想に依存することで、心も安定しますが、信者でなければ、まったく効果はありません。
神経質の特徴を書き並べた本などを売ることで、共感させ、信仰させるという布教方法は財団が中心となって現在でも行われています。

認知行動療法(曝露反応妨害)も、それを前向きに取り組める健康な人には向いていますが、病人にはストレスが強く取り組めません。
こういう患者次第の療法は、患者の病状が悪いほど効果がありません。
ほぼ健康な、治しやすい人であれば、治せると言うレベルで、病気範囲の人であると治せないことになり、当然、そんなものは治療ではありません。


人を強迫症にする方法はあるか?

時計じかけのオレンジという映画に、ルドヴィコ療法という曝露反応妨害のようなのが出てきます。

暴力的な少年に、暴力的な映像を見せながら(曝露)、肉体的精神的な苦痛を与えます。
少年はまぶたを開けたままにされ、その療法から逃げられないようになっています(反応妨害)。
そうすると、暴力と苦痛が結び付いて、暴力的なことを考えたりしようとすれば、苦痛を思い出して、できなくなります。
条件反射を利用して、悪いことをしないようにさせるわけです。

自分の意志で、悪いことをしないのではなく、苦痛体験の記憶に強迫されて、時計じかけのように、思考や行動がコントロールされるのです。

その療法が行われている間、ベートーベンの第九が繰り返し流れていました。
これも苦痛体験と関連付いて、第九を聞くと死にたくなってしまうようになります。

少年に復讐しようとした人が、そのことを知り、無理やり第九を聞かせ続けて、少年は耐えられずに、窓から飛び降ります。

そのショックで、脳が元に戻ったのか、悪いことを思い浮かべても、苦痛を感じなくなり、元の少年に戻るという結末です。

これは完全なフィクションですが、暴力的な映像を見れない人とか、そういう映像や写真などを過剰に避けてテレビや雑誌が見れなかったり、そういうことで汚れてしまう人への曝露反応妨害も程度は低いものの同じようなことをします。
その映画の少年の場合、そういう映像の物事に「苦痛を感じず、むしろ快楽を感じる」から、苦痛体験を条件付けしたのですが、そういう情報を嫌悪するタイプの強迫症の人は、最初から過剰に苦痛を感じるわけですから、ルドヴィコ療法の治療後の状態のようになっているのです。
その状態で、曝露療法として、暴力的な映像を繰り返し見せられれば、慣れるどころか、そのこと自体が苦痛になって、余計にそういう不快な情報に苦痛を引き起こすことになります。

曝露反応妨害はストレス耐性の低いトラウマ体質の人には、まったく逆効果で、悪化してしまうのです。
現実ではなく映像だから心配いりませんとかではなく、映像の中の現実に反応しているのです。

強迫観念は現実ではなくイメージだから心配いりませんと言っても、患者はイメージの中にある現実に反応しているのです。
イメージへの嫌悪だけではなく、そのイメージが繋がっている現実への嫌悪反応なので、現実の強迫行為をするのです。

強迫観念は、一般的な思いではなくても、現実と結び付きがあるのが特徴です。
その思考は妄想的であっても現実と繋がっていますから、現実の強迫への反応と、同じ強さの不快な反応をしてしまい、現実と同じように扱わないといけなくなります。

妄想には現実との結び付きがほとんどありません。
妄想状態の人は、現実には鈍感になっていて、他人の気持ちや現実のことがよく分かりません。

妄想→現実には対象がない/現実の知識が元になっているが、それが妄想化されると現実の対象とは離れる。
現実と切り離された、頭の中の妄想のみですから、一次妄想とも言い、極端に言えば、妄想の中には現実はないのです。

例えば、宇宙人に操作されてどうこうと言う妄想は、現実の知識が元になってはいますが、現実世界の宇宙人のことではなく、妄想世界の宇宙人のことを言っているのです。
同じように、何丁目の誰々さんがどうこうと妄想状態で言う場合は、現実世界のその人のことではなく、妄想世界のその人のことなので、現実世界の(実際にいる)何丁目の誰々さんとは、ほとんど結び付きがないのです。
あなたが~と言う場合も、妄想化されたあなたのことですから、現実のあなたに向かって言っていても、実際には、あなたに言っているわけではありません。
そのことを分かっていない他人からすれば、統合失調症の人は、他人と自分の区別もあいまいなように見えるのですが、妄想化された他人との区別があいまいになっているだけなのです。
その妄想による解釈で行動しますから、他人の立場や気持ちも妄想で一方的に決められ、実際の人の立場や気持ちを考えられずに、周りに迷惑なことを平気でする場合があります。
こういう幻覚妄想は現実と繋がりのない頭の中だけのことですから、抗精神病薬で治せます。

強迫観念(表象幻覚、妄想的思考)→現実に対象がある

強迫観念の場合は、一般離れした思いでも現実反応によって浮かぶので、実際に現実との結び付きがあります。
現実の記憶とか、強迫観念の記憶とか、思考などでも強迫観念が浮かぶのですが、それらは現実と結び付いているので、頭の中のことであっても現実に等しくなっています。
現実がなくなっても、強迫観念はありますが、妄想と違い、強迫観念の中には現実が残っています。


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