強迫性障害の全貌

強迫性障害の知識の普及 Link Free

強迫観念と不安の違い/強迫症に向いている薬

強迫症の人は一般人口の1%~2%と書かれることが多いのですが、病院に行っていなくても自己診断で強迫症の人も多いので、正しくは分かり難いことです。
軽いから病院に行っていない人もいれば、恥ずかしくて行けない人とか、重症すぎて病院に近付くことさえできない人もいます。

汚染恐怖のある人にとっては、病院は実際に汚いので、精神の病院に限ったことではなく、何十年も歯医者に行けなくて虫歯だらけとか、病気になっても病院に行けない状態になります。
特に精神的汚染のある人とか、恐怖や嫌悪を煽られる情報を避けている人は、テレビ映像や新聞の情報などを避けて、そういう物を直視できなかったり、見聞きした情報でも汚染される人は、そのいうものが置いてある待合室にいることさえできません。
精神的汚染のある人は、他人の会話を聞いたり、テレビや新聞などの情報を見せ付けられることに耐えられないのです。
単に恐怖なのではなく、実際に(物質的な汚れと同じように)汚れてしまうし、トラウマが元になっている場合が多いので、過剰な拒絶反応が出てしまうのです。

不快な刺激に弱い病気ですから、恐怖などを煽るような情報でも強迫症状が出ます。
強迫症の人の感覚基準に合わせると、普通の人にとっては、余計なことになりますから、一般社会では仕方ない面がありますが、医療機関などは強迫性障害の人でも通院しやすいように、せめてテレビ、新聞、不快な内容の貼り紙などを見せ付けずに済むような場所を確保して、そこで待てるようにしてほしいのです。
普通の待合室を改善するのが困難でしたら、他に刺激の少ない安静にできる場所も作ることで、病院に行きやすくなります。

強迫症の人は間違った考えを信じてしまうという人がいますが、強迫観念は現実反応の思考なので、間違った考えを持っているわけではありません。
実際には汚くないのに、汚いと思ってしまうのではなく、本人にとっては、実際に汚いし汚れてしまうのです。
何が汚くてどの程度不快で苦痛なのかは、感受性により違いますから、過敏であれば、感覚的にも思考内容も一般的ではなくなりますが、間違った反応をしているわけではありませんし、もちろん非現実の妄想でもありません。
感覚的に普通の人と違うから、普通ではない考えを持つのです。
普通の人にとっては、強迫的ではない安全な物事でも、強迫性障害であると、実際に危害がある物事になってしまいます。
だからこそ、過剰に不安や心配が多くなったり、過剰に警戒したり回避したりするのです。

強迫症だと不安になりやすいのですが、強迫観念は普通の不安ではありません。
精神医学的には、不安には対象がないことになっていますから、漠然とした不安感などのことになり、強迫観念のような何かに対する不安は恐怖ということになります。
ですから、○●恐怖の強迫観念と言うのですが、実際のところは、恐怖ではなく、嫌悪の場合もあれば、現実の何かが不安という場合も多くあります。

一般的な意味での不安と違って、その思いと不快感がなかなか離れてくれないというのが強迫状態です。
それにもレベルがあり、何かへの心配みたいな普通の不安に近い強迫観念であれば、恐怖というほどではありませんから、何分か待っていれば消えるし、現実にそれが起こっているわけではありませんから、強迫観念さえ消えれば問題はなくなります。

しかし本当はそうならないのが、普通の強迫観念なのです。
強迫性障害の人は、過敏であるために、普通の不安が強い苦痛となって、強迫性のある不安になります。
強迫性が強いと接着性も強くなります。その不安な思いが付着してなかなか取れない状態になります。
強迫観念となった不安は、その思い自体の不快感が強烈過ぎて、長く残ってしまい、なかなか消えてくれないという特徴があり、重症の人ほど、その強迫性が強いのです。
ですから、何分すると消えるとか、放置できるレベルの苦痛の弱い思いは、強迫観念であっても、強迫性が弱く、普通の不安に近いわけです。
普通の不安でする強迫行為は、その不安を抑えやすいし、不安がなくなれば、何にも問題ありません。
そういう強迫症の人もいますが、それは一部の人です。

強迫性障害をものの考え方で治そうとすると、そうしやすい強迫性障害になって、本当の強迫性障害からは離れてしまいます。
こういう病気であれば、という感じで、強迫症が不安症と同じ病気ということになってしまうのです。
最新の分類では、強迫症は不安障害ではありません。

強迫観念はなくそうとするから苦痛→気にしなければいい→気にしないことも気にすることだから、気にしないようにしてもいけない→あるがままにしなさい→強迫観念があっても気にしないために、何か他のことに取り組んでを気をそらしなさい
これが森田療法的な考え方ですが、後期仏教思想によくある言葉遊びみたいなものです。
言葉の上だけで理屈で考えているので、言葉の上ではそれなりに正しことを言っているようにはなりますが、そもそも強迫観念を理解できていませんし、実行できません。

他にも、似たような考え方で、
強迫観念は気にするから強まる→何分か放置していれば消える→その間は、何か楽しいことなどをして気をそらす→強迫観念は消えるから強迫行為をせずに済む
と言う人もいるようです。

しかし、強迫観念はなくそうとするから苦痛だとか、気にするから強まるという考えは誤解であり、苦痛だから、気にしてしまうし、苦痛だから、放置ができないし、苦痛だから、なくそうとするのです。
そして、強迫観念が未来的なことへの不安なら良いのですが、現実に起こっている何かとか、現実に起こっていることへの不安で、強迫観念が浮かんでいる場合は、強迫行為で解消するより方法がなく、強迫行為をしなければ、耐えられない苦痛を我慢することになります。
しかしストレスに弱いので、我慢を続けてしまうことで、鬱になり、さらにストレスに弱くなり、我慢することも困難になります。

強迫性障害の人は、普通の不安や恐怖なども感じやすいし、心配しやすいし、そういうことで強迫行為をする場合もありますが、それだけではありません。
現実に起こっていることでも強迫観念は浮かぶし、現実にあったこと(不快な記憶やトラウマ記憶)なども強迫観念になります。
汚染恐怖は嫌悪反応ですから、嫌悪する物事で汚れるなどの症状も出やすくなり、トラウマ嫌悪があれば、それに関連する物事で汚れるようになります。
強迫症だとトラウマになりやすいので、PTSDにもなりやすいのですが、強迫症であることで、トラウマ記憶は強迫観念(強迫性の強いトラウマ)となって、常に頭の中に思い浮かんでしまう状態になります。
トラウマ記憶自体消えにくいのですが、強迫症であると余計に消えないのです。
過去と今は物理的に一続きですから、トラウマが汚い物事であれば、過去の汚れが何十年も続くことになり、嫌悪して避け続けるのです。

それは、見えなくても、表象幻覚としては分かりますから、実際に汚いし、汚れているのです。
だからこそ、汚されれば、洗浄したり、汚れが取れないと捨てたりしないといけなくなります。

見えない汚れは、接触したか分からない時など、見て確かめられないこともあり、汚れているかもしれないから、洗浄することもありますが、分からないのですから、本当は汚れていないわけでもなく、分からないからこそ、汚れているかもしれないという思いが消えなくなり、その思いが続くこと自体が苦痛なので、それを解消しようと洗うのです。

強迫観念は病的症状ですが、ストレス反応としては正常ですから、間違った考えではありませんし、強迫行為は誤った行動ではないのです。
現実のストレスで強迫行為をすることも、現実の何かへの不安などで、かもしれないと、強迫行為をすることもありますが、過敏であるからこそ、「かもしれない」という思いにも強く反応して、不安が強まり、ありえるように思えて、その思いが離れなくて苦しいので、強迫行為をするのです。

他の人とは過去の体験が違うし、感受性が強いので、普通ではない感覚により病的思考になっているだけで、本人としては現実反応の正しい思考なのです。
誰でも嫌なことは嫌なのですが、強迫症だと、その苦痛が強く、その思いが離れなくなりますから、嫌悪反応や拒絶反応が異常に強くなります。
普通の人が嫌なことを嫌だと思うのは普通ですが、普通の人よりもその不快感が強く感じられ、普通の人が全然嫌ではないことにも嫌悪反応してしまいます。
その反応自体からも苦痛を受けます。

現実にあったこととか、現実にあるのストレス反応の強迫観念は、その苦痛も現実と繋がっています。
現実として、足の裏にトゲが刺さって実際に痛いのに、あるがままにして(何分か放置して)、気をそらすために楽しいことをしていれば、トゲが抜けて、苦痛が消えるでしょうか?
現実と結び付いている強迫観念の苦痛は、放置ができませんし、気をそらすために楽しいことをすること自体ができなくなります。

強迫観念が浮かび難い状況とか、強まり難い状況はありますが、基本的には、慢性的にありますから、そういう時に一時的に静まっていても、普通の状況になれば、反復的に心の中に強く表れたり、日常の些細な刺激でも、強く表れてしまい、普通の生活も困難になります。
その状態では、楽しいことをしようにもできませんし、鬱にもなっている人は、余計に楽しめません。

強迫観念なんて気にしないで、楽しいことをすればいいなんてことは、誰でも考え付けるのですが、それができない精神障害なのです。
できないことをそうすればいいみたいなのは、治療法でもなんでもありません。
何分か待っていると消えるなら、とっくにみんなそうしているのです。
そうならないから症状が生活の障害になっているのです。

その思いが苦痛で消えない、ほっとけないから、強迫観念なのです。
現実との結び付きの強い強迫観念は、どれだけ待っても、消えたり、弱まったりすることはなく、我慢するほど、ダメージとして残るだけです。
その我慢が重なって鬱になってしまうのです。

強迫性障害はものの考え方とか心掛けでは治せません。
こう考えて、こう心がけて、と思っても、そういう意思、意向に関わらず、強迫観念は浮かぶからです。
考え方が悪くて、考え方が間違っていて、それで症状が出ているわけではありません。
本当は、薬とか機械で治す病気なのです。

強迫観念そのものではなく、不安、恐怖、嫌悪などの反応を普通の人レベルにする。
幸せになってしまう薬だと、乱用問題とか、反動の落ち込みの問題がありますから、増量しても普通レベルのままで、普通の人が飲んでも普通レベルのままの薬だと良いのです。
幸せになってしまう薬はありますが、普通の丁度良い感じを維持する薬は、今のところありません。

認知行動療法で脳機能さえ治せると言われていますが、症状で活発になっている部分が、症状が静まることで静まるとか、そういうレベルの話です。

逆に、脳の神経回路などをどうこうして、それで強迫症状が治ったり、発症したりするという場合は、明らかに脳が原因なのです。
そういう研究もされてはいますが、治療に結び付くまでは、まだまだ先になりそうです。

その間、重症の人は、どうしようもありませんから、あまり高望みしないで、できることをできる範囲でするしかありません。
それができれば、十分です。


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